十月下旬になると、弘前公園の葉は赤や黄色に染まり始めた。
あの夏の日以来、フネには会っていない。
フネが消えてから数日はさりげなく弘前公園を歩き、桜のハートの前を通って、フネが現れないか伺っていた。でも、いつになってもその姿は見えず、濃い緑色だった葉が少しずつ色褪せていくのを見届けるだけだった。
幽霊に会うために毎日のように公園に通うなんて、他の人には受験勉強で頭が変になった子に見えるだろう。ふとそんな風に思うと、フネへの思いも葉の色と共に少しずつ色褪せてーー褪せたことにして、再会しようとは考えなくなった。
やっぱり、フネの存在は、幻だったのかもしれない。でも、それでもいい。あの幻のおかげで私は友達もできたし、いくらか真剣に進路のことを考えるようになったんだから。
何度かの進路面談を経て、私は地元の私立大学を一般受験で受けることにした。なんだかんだ、地元にいたいし。
古川ちゃんはというと、本気で長崎の大学を受けるらしい。三上ちゃんは、仙台に行きたいって言ってたな。
せっかく友達ができたのに、大学に入ったらまた新たな人間関係を築かなきゃいけない。そのことに、ちょっとうんざりしてしまう。でも今は大学に入ってからの心配より、大学に入れるかの心配をしなきゃいけないんだよね。生きていると、本当に、悩みが尽きない。
今日の空は珍しくご機嫌斜めで、針のような雨が次々と地面に突き刺さっては弾けている。いつもは図書館に行って勉強するんだけど、外に出るのがおっくうなくらいの土砂降り。かと言って自分の部屋で勉強しようにも、散らかりすぎていて勉強のスペースがない。ただの、教材置き場みたいになってる。
「部屋、片づけるか……」
悩んだ末に私は、重い腰を上げて部屋の片づけを始めることにした。
しかし、いざ部屋の片づけを始めてしまうと、無くしたと思っていた本や懐かしい写真など、いろんなものが出てきてついつい一つ一つに見入ってしまう。
だめじゃん。この調子じゃ、いつになっても勉強、始められないよ。
自分自身に喝を入れるといくらか片づけのペースはあがったけれど、幼稚園の卒園アルバムが出てきたときは思わず手にとって開いてしまった。これはさすがに、懐かしすぎる。
幼稚園の頃は、確か仲が良い友達、ちゃんといたんだよな。もう、一人一人の顔と名前は浮かんでこないけど、楽しかった記憶だけ心に刻まれている。卒園式は、泣いたなぁ。
ぱら、ぱらとページをめくっていたら、中ほどから写真が一枚ひらりと出てきた。
幼稚園の制服を着た男の子と女の子が、弘前公園と思しき場所で手をつないで映っている。
この女の子は、多分私だ。でも、この男の子は誰だっけ。さらさらの黒髪に、小柄な体。天使みたいに可愛くて、こんな幼稚園児が目の前に現れたら、勝手に頭を撫でちゃうなと思った。
本当に、誰だっけーー。
こんなこと考えている場合じゃないんだけど、このままじゃ気になりすぎて勉強に身に入らないし。
記憶の層をかき分けて一生懸命答えにたどり着こうとしていたそのとき、玄関のほうで物音がした。多分、仕事から帰って来たお母さんだ。階段を降りて見に行ったら、案の上だった。
「ねぇ、お母さん」
私は帰ってきたばかりのお母さんに駆け寄り、例の写真を見せてみた。
「この写真の男の子、誰かわかる?」
写真を見たお母さんは、一瞬表情を固くした。その口から、独り言みたいな声が漏れる。
「オウタくん……」
オウタくん?聞き返すと、お母さんはこくりと頷いた。
「船水オウタくん。『桜』に『太』いって書いて、『桜太』くん。私の、高校時代の親友の息子さん」
「へぇ……あっ!」
ちょっと、待って。思い出したんだけど!
そうだ、桜太。なんで忘れてたんだろう。幼稚園のとき、大の仲良しだった男の子じゃないか。幼稚園で遊ぶだけじゃなく、それぞれの家でも遊んでたし、お互いの家族と一緒に遊園地に行ったこともあるじゃん。だけど、小学校は別々だったんだよね。お母さん同士が友達だったことも、ちょっとずつ思い出してきた。
「懐かしー!部屋の片づけしてたらついつい幼稚園の卒園アルバムに手が伸びちゃって、これ、見つけたんだよね」
桜太って、まだ弘前にいるのかな?そのまま聞いてみると、お母さんの表情が急に曇っ
た。
「え……なに?」
お母さんは、少し迷ってから言った。
「桜太くん、病気で亡くなったのよ」
ぴたっ、と時が止まった。
ザーッという雨の音が、テレビの砂嵐みたいに聞こえる。
死んだ?
ウソでしょ。
「え……いつ?」
ほとんど、独り言みたいな声で聞いた。お母さんは、小さな声で「小学五年生のとき」と言う。
ありえない。だって、私と同い年なんだから、生きてたってまだ高校三年生でしょ。
「なんで……黙ってたの?」
やっとのことで言うと、お母さんは心の底から申し訳なさそうな声を出した。
「ごめんね。本当はやよいにも話すべきかと思ったんだけど、ショックを受けると思って。裕子ーー桜太くんのお母さんと相談して、やよいには、ちゃんと受け止められる年になってから伝えようと思ってたんだけど。でも、タイミングを逃し続けてしまってね」
頭の中で、ぐるぐると何かが回ってる。なんだか、目の前がぼやぼやしてきた。
まさか、だけど。でも、そう思って改めて写真を見るとーー。
「ちょっとやよい、大丈夫?」
お母さんの不安げな声に、少しだけ目が覚めた気がした。
今、私がすべきことはなんだ。頭の中の霧を必死に吹き飛ばそうとしながら、考える。
答えが出たとき、私は、しっかりお母さんの目を見て言った。
「桜太の、親に会える?」
あの夏の日以来、フネには会っていない。
フネが消えてから数日はさりげなく弘前公園を歩き、桜のハートの前を通って、フネが現れないか伺っていた。でも、いつになってもその姿は見えず、濃い緑色だった葉が少しずつ色褪せていくのを見届けるだけだった。
幽霊に会うために毎日のように公園に通うなんて、他の人には受験勉強で頭が変になった子に見えるだろう。ふとそんな風に思うと、フネへの思いも葉の色と共に少しずつ色褪せてーー褪せたことにして、再会しようとは考えなくなった。
やっぱり、フネの存在は、幻だったのかもしれない。でも、それでもいい。あの幻のおかげで私は友達もできたし、いくらか真剣に進路のことを考えるようになったんだから。
何度かの進路面談を経て、私は地元の私立大学を一般受験で受けることにした。なんだかんだ、地元にいたいし。
古川ちゃんはというと、本気で長崎の大学を受けるらしい。三上ちゃんは、仙台に行きたいって言ってたな。
せっかく友達ができたのに、大学に入ったらまた新たな人間関係を築かなきゃいけない。そのことに、ちょっとうんざりしてしまう。でも今は大学に入ってからの心配より、大学に入れるかの心配をしなきゃいけないんだよね。生きていると、本当に、悩みが尽きない。
今日の空は珍しくご機嫌斜めで、針のような雨が次々と地面に突き刺さっては弾けている。いつもは図書館に行って勉強するんだけど、外に出るのがおっくうなくらいの土砂降り。かと言って自分の部屋で勉強しようにも、散らかりすぎていて勉強のスペースがない。ただの、教材置き場みたいになってる。
「部屋、片づけるか……」
悩んだ末に私は、重い腰を上げて部屋の片づけを始めることにした。
しかし、いざ部屋の片づけを始めてしまうと、無くしたと思っていた本や懐かしい写真など、いろんなものが出てきてついつい一つ一つに見入ってしまう。
だめじゃん。この調子じゃ、いつになっても勉強、始められないよ。
自分自身に喝を入れるといくらか片づけのペースはあがったけれど、幼稚園の卒園アルバムが出てきたときは思わず手にとって開いてしまった。これはさすがに、懐かしすぎる。
幼稚園の頃は、確か仲が良い友達、ちゃんといたんだよな。もう、一人一人の顔と名前は浮かんでこないけど、楽しかった記憶だけ心に刻まれている。卒園式は、泣いたなぁ。
ぱら、ぱらとページをめくっていたら、中ほどから写真が一枚ひらりと出てきた。
幼稚園の制服を着た男の子と女の子が、弘前公園と思しき場所で手をつないで映っている。
この女の子は、多分私だ。でも、この男の子は誰だっけ。さらさらの黒髪に、小柄な体。天使みたいに可愛くて、こんな幼稚園児が目の前に現れたら、勝手に頭を撫でちゃうなと思った。
本当に、誰だっけーー。
こんなこと考えている場合じゃないんだけど、このままじゃ気になりすぎて勉強に身に入らないし。
記憶の層をかき分けて一生懸命答えにたどり着こうとしていたそのとき、玄関のほうで物音がした。多分、仕事から帰って来たお母さんだ。階段を降りて見に行ったら、案の上だった。
「ねぇ、お母さん」
私は帰ってきたばかりのお母さんに駆け寄り、例の写真を見せてみた。
「この写真の男の子、誰かわかる?」
写真を見たお母さんは、一瞬表情を固くした。その口から、独り言みたいな声が漏れる。
「オウタくん……」
オウタくん?聞き返すと、お母さんはこくりと頷いた。
「船水オウタくん。『桜』に『太』いって書いて、『桜太』くん。私の、高校時代の親友の息子さん」
「へぇ……あっ!」
ちょっと、待って。思い出したんだけど!
そうだ、桜太。なんで忘れてたんだろう。幼稚園のとき、大の仲良しだった男の子じゃないか。幼稚園で遊ぶだけじゃなく、それぞれの家でも遊んでたし、お互いの家族と一緒に遊園地に行ったこともあるじゃん。だけど、小学校は別々だったんだよね。お母さん同士が友達だったことも、ちょっとずつ思い出してきた。
「懐かしー!部屋の片づけしてたらついつい幼稚園の卒園アルバムに手が伸びちゃって、これ、見つけたんだよね」
桜太って、まだ弘前にいるのかな?そのまま聞いてみると、お母さんの表情が急に曇っ
た。
「え……なに?」
お母さんは、少し迷ってから言った。
「桜太くん、病気で亡くなったのよ」
ぴたっ、と時が止まった。
ザーッという雨の音が、テレビの砂嵐みたいに聞こえる。
死んだ?
ウソでしょ。
「え……いつ?」
ほとんど、独り言みたいな声で聞いた。お母さんは、小さな声で「小学五年生のとき」と言う。
ありえない。だって、私と同い年なんだから、生きてたってまだ高校三年生でしょ。
「なんで……黙ってたの?」
やっとのことで言うと、お母さんは心の底から申し訳なさそうな声を出した。
「ごめんね。本当はやよいにも話すべきかと思ったんだけど、ショックを受けると思って。裕子ーー桜太くんのお母さんと相談して、やよいには、ちゃんと受け止められる年になってから伝えようと思ってたんだけど。でも、タイミングを逃し続けてしまってね」
頭の中で、ぐるぐると何かが回ってる。なんだか、目の前がぼやぼやしてきた。
まさか、だけど。でも、そう思って改めて写真を見るとーー。
「ちょっとやよい、大丈夫?」
お母さんの不安げな声に、少しだけ目が覚めた気がした。
今、私がすべきことはなんだ。頭の中の霧を必死に吹き飛ばそうとしながら、考える。
答えが出たとき、私は、しっかりお母さんの目を見て言った。
「桜太の、親に会える?」