時は流れ、夏休みを迎えた。
まだ、フネとの交流は続いていた。外にいるだけで汗ばむ季節になっても、フネと一緒にいるのは楽しかった。
ただ一つ気がかりなのは、フネが時折出会った頃にはしなかったような悲しそうで、優しい顔をすることだ。特に、別れ際。
あまりにもわかりやすく泣きそうな表情だから、私の気のせいではないと断言できる。でも、「どうしたの?」って聞く勇気が出ないままいよいよ夏まで来てしまった。
悩みの種はフネのことだけじゃない、自分のこともだ。いよいよ、進路のことがはっきりしていない自分に、焦りを覚え始める時期。もう、AO選抜で受験する子は、出願に向けて本格的に動き始めている。
なんとなく人文学系のところに行きたいとは思うけど、志望校はまだちゃんと決まっていない。ぼちぼち三者面談もあるし、何も考えていないのが露呈したらさすがに怒られそうだ。本当に、憂鬱。
そんなときでも、フネの顔を見れば嫌なことを忘れることができた。桜のハートの下は唯一のやすらぎの場だ。
今日も、フネはいつも通り透けて、でも確かにそこにいた。私が手を振ると、思い切り振り返してくれる。
「あーあ、三者面談憂鬱だなぁ」
思わず、本音を漏らす。なんでや、と笑うフネの隣に腰掛けて、私は正直に話した。まだ、志望校がちゃんと固まっていないこと。そもそも、勉強にすらまだちゃんと身が入っていないこと。こんなの親や先生に言ったら頭ごなしに怒られるだけだし、真剣に勉強している古川ちゃんたちに愚痴っても呆れられると思う。だから、フネにしか言えない。フネならいつも、「んだかぁ」ってのんびりした調子で受け止めてくれるし。それが、すごく落ち着くんだよね。
だけど、フネは意外なくらい驚いた声を出した。
「え?進路のこと、そんなになんも考えてねえの?」
「あ……まあ、うん」
戸惑った。ほんわかとした笑顔で「まあ、どうにかなるべ」と言ってもらえるものだとばかり、思っていた。
でも、フネの口調はちょっとずつ厳しいものになっていく。
「大事な、未来のことだべ。やよい、将来はなにになりてぇの?」
「そんなの、まだ分かんないよ。行きたい大学すら、決まってないって言ったべ」
「……いや。まずいべ、さすがに。そろそろ、真剣に考えねぇば」
ドキッとする。進路のこと真剣に考えろなんて、周りの大人からしつこいくらい何度も言われていることだ。
でもまさか、フネに言われるとは思わなかった。予想外に痛いところを突かれた刺激が、だんだん、怒りに変わった。
「うるさいなぁ。こっちだって、色々悩んでるんだよ」
思いのほか、尖った声が出た。私は、そんなお説教みたいなのが聞きたくて、ここに来たわけじゃない。
フネは、怒って言い返したりはしなかった。そのかわり、少しだけ俯き加減になった。
「……俺のせいだ」
その声が、少しだけ揺れていた。
「え?」
なに?俺のせいって、どういうこと?
「分かってた。本当は、桜が散った頃から思ってた。やよいは俺なんかと一緒にいるべきじゃないって」
「なんで、そんなこと言うの?」
思わず、尖った声を出した。
だって私、楽しくて幸せだったんだよずっと。フネだって、そうじゃないの?
だけど、フネは下を見たまま言った。
「だってやよいには未来があるから。だから、もういない俺なんかと一緒にいるより、同じ未来に向かう友達を大事にして、自分の未来を考えることに時間を費やすほうがいいんだ……分かってたんだ、本当は」
フネは、唇を噛んだ。
「でも、夢みたいに楽しいから。やよいと喋ってる時間が楽しすぎて、『もう、俺のとこに来ないほうがいい』って、言い出せなかった……ずっと」
フネの声は、少し涙声みたいにくぐもっていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
そんなこと言わないでよ。私だって、幸せなのに。
フネは、悲しそうな瞳に渡しを映して言う。
「もう、会うのやめにしようか」
「え……?」
なんで。嫌だよ。叫びたいのに、喉がつっかえたように、言葉が出てこない。
フネは、一人で勝手に声を震わせている。
「今までごめん。もう、やよいは、やよいの未来のことだけ考えて。俺のことは、忘れて」
「お願い。落ち着いて、ちょっと待ってよ。まだ、何にも考えれてないじゃん。フネが成仏する方法だってーー」
そこまで言って、黙る。普段はあんなに成仏の話は避けているくせに、もう会えなくなるかもしれないと思った瞬間切り札みたいにその話をする自分が、愚かに思えた。
だけど、切り札にもフネは動じない。
「大丈夫。成仏の方法は、もう、自分でちゃんと考えるから」
フネがそう言った瞬間、強い風が吹いて砂が舞った。突然のことに目を閉じ、もう一度目を開けたら、もう彼はそこにいなかった。
「フネ!」
誰もいない桜のハートに向かって、私はその名を叫ぶ。そして、思いっきり頭を下げた。
「ごめん。感情的になって、怒って、ごめんね。顔、見せてよ」
あたりは、しんとしていた。犬の散歩をしているおじいさんだけが、遠くに見えた。
フネは、姿を現さない。
「フネ、私、ちゃんと考えるよ進路のこと。これからもっと、自分の将来と真剣に向き合うって約束する。だから、お願い。声聞かせて」
再び風が、木の枝を揺らした。でも、それ以外、何も起きない。
――やっぱりこれは、長い、夢だったのだろうか。
まだ、フネとの交流は続いていた。外にいるだけで汗ばむ季節になっても、フネと一緒にいるのは楽しかった。
ただ一つ気がかりなのは、フネが時折出会った頃にはしなかったような悲しそうで、優しい顔をすることだ。特に、別れ際。
あまりにもわかりやすく泣きそうな表情だから、私の気のせいではないと断言できる。でも、「どうしたの?」って聞く勇気が出ないままいよいよ夏まで来てしまった。
悩みの種はフネのことだけじゃない、自分のこともだ。いよいよ、進路のことがはっきりしていない自分に、焦りを覚え始める時期。もう、AO選抜で受験する子は、出願に向けて本格的に動き始めている。
なんとなく人文学系のところに行きたいとは思うけど、志望校はまだちゃんと決まっていない。ぼちぼち三者面談もあるし、何も考えていないのが露呈したらさすがに怒られそうだ。本当に、憂鬱。
そんなときでも、フネの顔を見れば嫌なことを忘れることができた。桜のハートの下は唯一のやすらぎの場だ。
今日も、フネはいつも通り透けて、でも確かにそこにいた。私が手を振ると、思い切り振り返してくれる。
「あーあ、三者面談憂鬱だなぁ」
思わず、本音を漏らす。なんでや、と笑うフネの隣に腰掛けて、私は正直に話した。まだ、志望校がちゃんと固まっていないこと。そもそも、勉強にすらまだちゃんと身が入っていないこと。こんなの親や先生に言ったら頭ごなしに怒られるだけだし、真剣に勉強している古川ちゃんたちに愚痴っても呆れられると思う。だから、フネにしか言えない。フネならいつも、「んだかぁ」ってのんびりした調子で受け止めてくれるし。それが、すごく落ち着くんだよね。
だけど、フネは意外なくらい驚いた声を出した。
「え?進路のこと、そんなになんも考えてねえの?」
「あ……まあ、うん」
戸惑った。ほんわかとした笑顔で「まあ、どうにかなるべ」と言ってもらえるものだとばかり、思っていた。
でも、フネの口調はちょっとずつ厳しいものになっていく。
「大事な、未来のことだべ。やよい、将来はなにになりてぇの?」
「そんなの、まだ分かんないよ。行きたい大学すら、決まってないって言ったべ」
「……いや。まずいべ、さすがに。そろそろ、真剣に考えねぇば」
ドキッとする。進路のこと真剣に考えろなんて、周りの大人からしつこいくらい何度も言われていることだ。
でもまさか、フネに言われるとは思わなかった。予想外に痛いところを突かれた刺激が、だんだん、怒りに変わった。
「うるさいなぁ。こっちだって、色々悩んでるんだよ」
思いのほか、尖った声が出た。私は、そんなお説教みたいなのが聞きたくて、ここに来たわけじゃない。
フネは、怒って言い返したりはしなかった。そのかわり、少しだけ俯き加減になった。
「……俺のせいだ」
その声が、少しだけ揺れていた。
「え?」
なに?俺のせいって、どういうこと?
「分かってた。本当は、桜が散った頃から思ってた。やよいは俺なんかと一緒にいるべきじゃないって」
「なんで、そんなこと言うの?」
思わず、尖った声を出した。
だって私、楽しくて幸せだったんだよずっと。フネだって、そうじゃないの?
だけど、フネは下を見たまま言った。
「だってやよいには未来があるから。だから、もういない俺なんかと一緒にいるより、同じ未来に向かう友達を大事にして、自分の未来を考えることに時間を費やすほうがいいんだ……分かってたんだ、本当は」
フネは、唇を噛んだ。
「でも、夢みたいに楽しいから。やよいと喋ってる時間が楽しすぎて、『もう、俺のとこに来ないほうがいい』って、言い出せなかった……ずっと」
フネの声は、少し涙声みたいにくぐもっていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
そんなこと言わないでよ。私だって、幸せなのに。
フネは、悲しそうな瞳に渡しを映して言う。
「もう、会うのやめにしようか」
「え……?」
なんで。嫌だよ。叫びたいのに、喉がつっかえたように、言葉が出てこない。
フネは、一人で勝手に声を震わせている。
「今までごめん。もう、やよいは、やよいの未来のことだけ考えて。俺のことは、忘れて」
「お願い。落ち着いて、ちょっと待ってよ。まだ、何にも考えれてないじゃん。フネが成仏する方法だってーー」
そこまで言って、黙る。普段はあんなに成仏の話は避けているくせに、もう会えなくなるかもしれないと思った瞬間切り札みたいにその話をする自分が、愚かに思えた。
だけど、切り札にもフネは動じない。
「大丈夫。成仏の方法は、もう、自分でちゃんと考えるから」
フネがそう言った瞬間、強い風が吹いて砂が舞った。突然のことに目を閉じ、もう一度目を開けたら、もう彼はそこにいなかった。
「フネ!」
誰もいない桜のハートに向かって、私はその名を叫ぶ。そして、思いっきり頭を下げた。
「ごめん。感情的になって、怒って、ごめんね。顔、見せてよ」
あたりは、しんとしていた。犬の散歩をしているおじいさんだけが、遠くに見えた。
フネは、姿を現さない。
「フネ、私、ちゃんと考えるよ進路のこと。これからもっと、自分の将来と真剣に向き合うって約束する。だから、お願い。声聞かせて」
再び風が、木の枝を揺らした。でも、それ以外、何も起きない。
――やっぱりこれは、長い、夢だったのだろうか。