「なんか、森で五日戦ってた時くらい疲れた……」

 朝と比べ声の大きさが半分以下になってしまったリオが、空いていたベッドに転がっている。
 かすれた声というよりささやきのようだ。
 仰向けの顔を隠すように腕を乗せ、微動だにしない。
 体力ゲージが目に見えるとしたら、リオのそれは後少しで無くなる。

 酒場から二階に上がってから、まだ三十分も経っていない。
 その内クマちゃんの実家での滞在時間は十分以下だ。
 夕食、シャワー、明日の予定の確認、武器の手入れ――。
 まだ、やらなければいけないことはある。

 今日は指定のモンスターを討伐するだけの簡単な依頼だった。
 ギルドカードを見せるだけの達成報告は、数分もかからずに終わっている。
 自分は何故、こんなに疲れているのか。
 
「依頼の確認をしてくる。こいつは置いてく。なんかあったら呼べ」

 この時、ぼーっとしすぎたリオは

(すげぇいい声。言ってることクソだけど)

普段であれば絶対に思わないような事を考え、ハッとなった。

 危ない。
 荒んでいたようだ。 
 しかし、自分一人で対処出来ない程の問題が起こりそうなものを置いていかないでほしい。


「何か変な音聞こえんだけど」 

 腕をずらし、ルークが出ていったドアへチラリと目を向けた。
 飼い主を追いかける猫のようなクマちゃんが、ドアをカリカリしている。

「クマちゃん。リーダー多分マスターのとこ行くから、しばらく戻ってこないよ」

 リオは、ニャーニャーと諦めの悪い猫のようなしつこいクマちゃんを止めるため、声をかけた。
 音は止んだ。
 クマちゃんはまだ、ドアの前でノブが動くのを待っている。

 放って置けば又、カリカリしだすかもしれない。

「さっき取ってきた鉢植えってなんだったの?」

 〝鉢植え〟これさえ言わなければ。


 ルークに置いて行かれ寂しくてたまらないクマちゃんは、ドアが開くのを待っていた。
 しかしリオはクマちゃんに相手をしてほしいらしい。
 仕方がない。
 今は忙しいのだが。
 名残惜しそうにドアから離れ、先程持って帰ってきたリュックを開く。
 鉢植えと杖、他にも色々入っている。

 そういえば、水をやったほうがいいのではないだろうか。

 テーブルの上の水差しを取ろうと、椅子へ近付く。
 高すぎて乗れなかった。
 横にある足置きからベッドによじ登りテーブルを眺めたが、遠くて届かない。

〈ベッド〉〈水〉〈クマちゃん〉という、良くない組み合わせが完成に近づいていく。

 リオが横になっているベッドが、クマちゃんの重みで静かにへこむ。
 リオは、うとうとしていて気付いていない。
 腕はもう、顔の上に戻してしまっていた。
 クマちゃんが、サイドボードの上の花瓶を見ている。



 ジョロジョロジョロ……

「何なに?! なに! なんの音?! なんか冷たいんだけど!!」 

ほぼ寝ていたリオは、クマちゃんが出す謎の音で跳ね起きた。

 下着が濡れている。何故だ。何が起こった。

 ベッドの良くない位置が広範囲で濡れている。
 水がほしいクマちゃんが、重い花瓶を持ってベッドをウロウロしたせいだ。


 コップに水を貰ったクマちゃんは、リュックの中のそれに水をかけていたが、リオはもう鉢植えの話はしなかった。