朝日に照らされ、キラキラと光を弾く、美しい湖に響いた変な音。

 変な音で目を覚ましたリオのもとへ、何故か杖を持ったクマちゃんを抱え、怪しげな薬をもったルークが近付いてくる。
 そして、無表情のルークがリオの頭に怪しげな薬を塗り、悲しげな顔のクマちゃんが杖を振った。
 
 何が起こったのかよくわからないまま、リオは頭に塗られた怪しい薬を洗い流すため、露天風呂の方へのろのろと歩いていった。


  
 クマちゃんは落ち込んでいた。
 布を細かくして、皆が眩しくないように日除けを作ろうと思ったのだが、布と一緒に別のものまで切ってしまったのだ。
 ルークのあの薬のおかげでリオの髪は無事もとの長さに戻ったが、あのままだったら長い髪を失った時のクマちゃんのように、リオまで泣いてしまったかもしれない。


 心に傷を負い。クッションの上で丸くなるクマちゃんを抱っこしたルークが、もこもこの可愛らしい丸い頭を、慰めるように撫でる。
 ルークは可愛いもこもこがハサミを持って布を切ろうとしたことは分かっていたが、丁度クマちゃんが彼に背中を向けて動いていたため、可愛らしい丸い尻尾に気を取られてしまったのだ。
 可愛らしい丸い尻尾の誘惑に負けたルークもまた、クマちゃんを落ち込ませる結果になってしまったことを後悔していた。

「作りたい物はもういいのか」
 
 ルークはクマちゃんに声をかけ、悲しい事件から別のことに気を向けさせる。クマちゃんがリオの頭の横でハサミを使うことはもう無い。この胸の痛みは自分だけが覚えていればいいだろう。
 ハッと顔を上げたクマちゃんはまだ悲しげな表情だったが、皆が眩しくないように――今度はルークに裁断を任せ――日除けを作るのだった。


 深い悲しみを乗り越え、クマちゃんは無事全員分の真っ白な日除けを作り上げた。
 丸い布の真ん中を摘んで吊り下げたような形のそれは、前の部分だけ開いており人が出入りしやすくなっている。
 空中にまとめて作られたそれを、ルークが風で寝ている皆の上まで運んだ。
 
「上手いな」
  
 クマちゃんの作った素敵な日除けを、低く色気のある声で褒めるルーク。 
 少しだけ元気になったクマちゃんを優しく撫でる。


 クマちゃんは、彼の長い指で何度もくすぐられているうちに、ルークが一生懸命自分を慰めようとしてくれていることに気が付き、これ以上大好きな彼を心配させたくないと思った。
 切ってしまった金色を思うと今もとても悲しいが、前を向かなければ。クマちゃんがずっと落ち込んでいたら、ルークも悲しむ。
 リオは元に戻ったが、償いが必要だ。彼が喜びそうなことを考えよう。

 それから、今日湖にいる冒険者達と別れる前に、ここで色々と手伝ってくれた皆へお礼をしなければ。急がないと森へ仕事に行ってしまう。
 ここにいる全員が喜ぶことはなんだろうか。
 毎日森で戦うルーク達の為に自分が出来ること。いつもクマちゃんに優しくしてくれるルークや、皆の為に何か出来ることは。

 ――夕方まで森にいる彼らが、少しでも早く酒場に帰って来れるようにするのはどうだろう。
 クマちゃんみたいに皆もこの場所と酒場を自由に行き来できるようにしてあげたい。
 杖は一本しかないから、何か他の方法。――取り敢えずドアと魔石で試してみよう。
  
 クマちゃんは一生懸命考えた。毎日酒場でお留守番のクマちゃんが目にするものは多くない。
 どのドアも一枚だけだから無くなったら困るだろう。
 
 そして思い出す。毎日クマちゃんがお留守番をしているところで、ドアが二枚ある場所を。
 クマちゃんはルークに抱っこされたまま目的の場所へ移動した。



 露天風呂で怪しい薬を落とし、何も知らぬまますべてが元通りの、金髪に輝きが増したリオは、素敵な日除けが出来た巨大クッションの上で髪を乾かしながらぼーっとしていた。
 静かな足音を感じ、快適すぎる場所から立ち上がり、外に出る。 
 
「クマちゃんこの屋根? みたいやつありがとー。すげぇ快適。――二人でどっかいってた?」

 長い時間ではないが、露天風呂から戻ったときにはルークとクマちゃんだけ居なかった。
 過保護なルークがクマちゃんを危険な森の中へ連れて行くとは考え難い。家か展望台に居たのだろうと思ったリオが、彼に尋ねる。 
 
「ああ」

 魅惑的な低い声。いつも通り無感情に聞こえる返事。
 いつも通り過ぎる彼の態度に、リオは頭に怪しい薬を塗られたことも、彼が抱えるもこもこに悲しげな顔で杖を振られたこともすっかり忘れていた。



「じゃあ、俺は先に戻るぞ。――お前ら朝飯はどうする気だ?」
 
 クマちゃんが作った絶品お魚料理を食べ、温かい風呂に入り、やわらかい寝床で眠ったマスターが、起床した冒険者達に声を掛ける。
 仕事が全く進まなかったことを除けば、昨夜の彼の希望は概ね叶っていた。

「全員一度酒場へ戻る」

 珍しくルークが最初に口を開いた上に、全員の行動を指示するような発言をする。

「珍しいな。何かあんのか?」

 訝しげな顔をしたマスターがルークに尋ねると、

「こっちだ」

と色気のある声を残し、クマちゃんを抱え展望台へ向かう。

「お前ら、何か聞いてるか?」

 ルークから少し遅れ展望台へ足を進めながら、自分の後ろを歩くリオ達にマスターが尋ねた。

「何も聞いてねーけど。そういえば皆が起きる前にリーダーどっかいってたかも」

 リオが、輝く金の髪をかき上げ、かすれ気味の声で答える。

「僕も何も聞いていないけれど」

 ウィルは妙に輝きの増した金髪に視線を向けつつ、なんとなくその話題には触れずにマスターへ答えを返す。風に揺れる装飾品が、シャラ、と涼し気な音を立てた。


 展望台の入り口で、美しい銀髪に光を煌かせ、朝の森の色の瞳をこちらに向ける長身の男が待っている。朝でも近づき難い雰囲気の男だ。
 今日も可愛らしいクマちゃんは、何故か昨日とは違う、明るい水色と焦げ茶色のストライプ柄のリボンをつけている。湖に宿泊したはずなのに、見たことのない新品のリボンだった。

 皆が展望台前に集まってきているのを確認したルークは、扉に触れたが中には入らず、一番近くに居るマスターにそれが見えるようにした。

「…………おいクソガキ。あのドア……見覚えがある気がするのは、俺の気の所為か?」

 こめかみを押さえいつもより低い声を出すマスターがルークに尋ねる。

「えー。なんかめっちゃ見覚えあんのにわかんねー。どこのドアだっけあれ」

 マスターの横にいる輝く金髪のリオが呑気に疑問を投げる。

「おや? 何故これがこの場所にあるのだろう」

 どこのドアかすぐに分かったらしい大雑把で派手な男ウィルは、透き通った声で不思議そうに言うだけで、これが無くなった場所についてはどうでもよさそうだ。


 隙間から覗いていた冒険者達が口々に言いたいことを言う。

「なんか見覚えあんな」
「ドアなんて皆同じじゃね?」
「物置のドアじゃね?」
「物置ってあんなドアだっけ?」
「一昨日ゴミ捨て場で見たわ」
「……あれってマスターの部屋のだよな」
「だな」
「片方はどこいったんだ」
「二つあるなら片方無くなってもいいんじゃねーの」
「確かに」
「だな」

 扉の半分が無くなれば、片方は開きっぱなしということだが、大雑把な冒険者達はどちらかがあるなら良いだろうという結論に至った。
 
「……お前が意味もなく人の部屋の扉を壊すとは思ってねぇが、――何のためにここに持ってきたんだ」

 こめかみを揉むマスターは、見覚えのあるドアが自分の仕事部屋の扉の片割れであることに気付いていたが、それをこの男に言っても仕方がないと諦めた。
 何か理由があるのだろう。

 言うより見せたほうが早いと思ったルークが、展望台の一階の壁、昇降用の台の横に設置された、見覚えのあるドアを開ける。
 
 ドアの向こうから話し声が聞こえる。

「何か今日人少なくない?」  
「えー? そう言われてみればそうかも」
「さっきルークさんとクマちゃんは見たけど、またすぐにどっか行っちゃったんだよね」
「そうなのー? ご飯どうするんだろうね?」
「お前聞いたか? 皆湖で楽しいことやってるらしいぞ」
「昨日誰かも言ってた気がすんなそれ。俺会議出なかったから知らねーんだよな」

 会話の内容もそうだが、ドアを開けた先に見える壁は酒場の壁だ。

「……まさか」

 驚いた表情のマスターが展望台の一階に入り、問題のドアの先へ進む。
 リオも「マジで?」と驚いた声を出し、マスターの後に続いた。


 マスターはドアの先の見覚えのある場所で、すぐに周りに視線を巡らす。
 酒場だ。そして、妙な幅のこの場所は〈クマちゃんのお店〉の裏だろう。
 微妙に壁と離れているが、テーブルを置くほどでもない。絶妙に使いにくい幅の〈クマちゃんのお店〉の裏を抜けカウンターに目を向ける。
 こちらに目を向けたギルド職員から「マスターずっとそこに隠れてたんですか?」と声を掛けられた。
 やはり、幻覚でもなく間違いなく酒場のようだ。
 
「すっげぇ! 酒場直通じゃん。これクマちゃんがやったの?」

「これはとても便利だね。こういう空間を繋ぐ魔道具は現代では作れる者はいないはずだけれど。クマちゃんの魔法であれば、古代の魔法まで再現出来てしまうようだね」

 リオとウィルは喜んでクマちゃんを褒めた。
 展望台の前に居た冒険者達も、元マスターの仕事部屋の扉から続々と酒場へ入ってきた。

「やべー! これもう湖に住んでもいいんじゃね?」  
「だよな。湖で暮らして酒場で飯食ったらいい気がするわ」 
「温泉もあるしな」
「あのふわふわのクッション。いや、もうでけーからベッドでいいな。あのベッドで寝たらこっちのベッドじゃ固すぎる」
「確かに」
「クマちゃんの演奏会の時だけ酒場にいればいいよな」
「あとは宣伝の時な」
「ああ、折角作ってくれたからな。あの音声」 
「会議も湖でいいだろ」
「天才かお前」
「寝ながら会議とか最高じゃん」
「じゃあ俺露天風呂から参加するわ」
「遠くね?」
「耳良すぎかよ」
「全裸で会議はやべーな」

 冒険者達はとても喜んでいる。
 クマちゃんの皆を喜ばせたいという願いは叶ったようだ。

「良かったな」

 最後に酒場へのドアを抜けたルークが腕の中のクマちゃんを魅惑的な声で褒め、大きな手で頭を撫でる。
 
 嬉しくなったクマちゃんは彼の長い指にじゃれつきながら、ルークの切れ長の瞳を見つめた。
 明るい場所から薄暗い酒場へ入った彼の瞳は、明るい葉の色から見慣れた暗い森の色に戻ったが、微かに細めてくれた目はクマちゃんの元気が戻って安心しているのが伝わってきた。
 やはり、ルークの瞳がどちらの色でも彼は優しくてかっこいい。
 
 いつものように酒場へ戻ってきた、大体いつも通りの彼らだったが、いつも忙しくて大変なマスターの仕事部屋の扉は片方なくなってしまった。
 書類の山も高くなり、森と酒場が直接つながったことで会議が増えるマスター。
 クマちゃんのお店のおつまみと開店の件もある。
 忙しいマスターを救いたいが、やることが増えてしまったクマちゃんの忙しい一日が今日も始まる。