見張り台への移動中。マスターとクライヴは真面目な話をしながら先を歩いている。
「なんかいきなりすげーもん建てちゃったねクマちゃん」
リオは少しチャラく見える理由の一つである癖のある金髪を雑にかき上げ、少しだけ高めのかすれた声で言った。
走ったせいで暑いらしく襟元を緩めている。
「本当に。でも、とても良い位置なのではない? 街からも遠すぎないし、野営に適した広い場所も水場もある。景色もいい。……そういえばこの場所で大型のモンスターと戦った事はないのだけれど、水場だから、という理由ではないのだろうし、もしかしたらクマちゃんだけに解る何かがあったのではない?」
透き通った声で話すウィルは歩くと装飾品がシャラシャラと綺麗な音をたてて、彼自身が楽器のようだ。
南国の鳥のような派手な青色の髪の彼は暑さに強いのか服を乱すようすはない。
「ああ。いい場所だ」
色気のある低い声でクマちゃんを褒めるルークの声は感情がわかりにくいが、いつもなら別々に過ごしているはずの時間に、彼の愛情のすべてをそそいでいる存在に逢えて喜んでいるのか、ずっとクマちゃんを彼の大きな手で撫でたり、長い指で優しくくすぐったりしている。
彼は全力で走ってもこのくらいの距離なら体温に変化はない。高身長でスラリと長い手足のルークはいつも通り黒い服を着こなしている。
皆に褒められて嬉しいクマちゃんはルークの手をピンク色の肉球がついたもこもこの手で捕まえ、湿った小さな鼻でふんふんしながらルークの瞳を見つめていた。
切れ長でかっこいいルークの瞳はまるで森をそのまま映したようだ。
暗い所では暗い森の色。日差しに当たると光に透ける鮮やかな葉の色になる。
いつもは洞窟の入り口のような穴から光が射すだけの暗い部屋の中と、朝でも薄暗い酒場とクマちゃんのお店、あまり明るくないマスターの部屋でしか彼の瞳を見ることはない。
明るいうちにお出かけしたのは、クマちゃんのお洋服を買ってもらった時ぐらいだろうか。
ルークの瞳が何色でも、彼に見つめられるだけでとても嬉しいクマちゃんだが、いつもと違う彼の姿をみるのも少し不思議でわくわくする。
綺麗な森の色の瞳をずっと見つめてふんふんしていたら、いつもは表情が変わらない彼が少しだけ目を細めてくれた。わかりにくくても、彼がクマちゃんに笑ってくれたのが嬉しくてうっかり彼の長い指をカジカジしてしまった。
すぐに、ごめんね、という気持ちを込めてペロペロしたら、逃げていった彼の大きな手が気にするなというようにクマちゃんのもこもこのほっぺを包み、親指でそっと撫でてくれた。
「クマちゃんめっちゃ御機嫌じゃん。リーダー愛されてんね」
そう言うリオもいつもより楽しそうだ。
もしかしたら、同じことを繰り返しているだけの森での討伐に少し飽きていたのかもしれない。
クマちゃんに問題を起こされると被害にあう確率が高いリオだが、彼もクマちゃんと一緒にいるほうが楽しいし嬉しい。
「そうだね。いつもよりもっと愛らしくみえるよ」
涼やかな声でそう話す南国の青い鳥のような男ウィルは、シャラ、という音と共に綺麗にふっと笑った。
彼らの少し後ろを歩く冒険者達も話をしていたが、誰も真面目な話をしていなかった。
「さっきはうっかり真剣に釣りしちまったぜ……」
「ああ、確かに全然釣れねーな。ここ」
「誰だよマスターの魚ちっせーとか言ったやつ」
「皆言ったんじゃね?」
「でけー男が二人で小さい魚一匹焼いてたから……」
「普通におもうよねぇ。直火にあの魚近づけたら消滅するんじゃないの? シュワーって」
「でもクライヴさんが真剣にあの小さい魚焼いてんの笑ったらオレも一緒に焼かれんじゃねーかと思って笑えなかった……」
「わかる」
「確かに」
後方で何を言われているか知らないマスターとクライヴは、クマちゃんの見張り台の入り口で皆を待っていた。
「マスターもうここ入った?」
見張り台の入り口。隣にある家と同じく濃い木の色をした扉の前で、片方の手を黒いズボンのポケットに入れて立っているマスターにリオが尋ねた。
「いや。白いのが欲しがってたのは魚だったからな。この見張り台も、登りたくて建てたわけじゃなく、ルークに気付いて欲しくてしたことだろ」
マスターは渋い声でそう返しながら、初めて自分で釣った魚を大好きなルークに見てもらいたいと思ったクマちゃんの気持ちを考え、あんなに純粋な生き物を騙すなんて、自分は何故あんなに非道なことをしてしまったのかと自己嫌悪した。
こんなに一生懸命自分達の為に力を貸してくれているクマちゃんを騙すようなことはもうしない。――仕事が本当に大変な事になったら、騙すのではなく、納得してくれるまで説明しよう、とマスターは思った。
クマちゃんがしっかり頷いていても、人間と同じ感覚で理解しているとは言い切れない、ということを彼はまだ理解できていない。
そして、今彼の机の上がどうなっているのか、ということも想像出来ていない。
「皆来たみたいだし、もう中に入ってしまってもいいのではない? クマちゃんとリーダーが先頭で良いと思うのだけれど」
涼やかな声でウィルが返す。
「じゃあお前らが先にいけ。俺とクライヴはその後ろから行く」
マスターがクマちゃんは仲間達と最初に登りたいだろうと思いそう言った。
「おっけー。じゃあリーダーよろしく」
リオは少しかすれた声で楽しそうにルークを呼びながら彼のほうを見る。
撫でてもらっているクマちゃんがルークの腕の中で頷いていた。
「ああ」
短く返したルークは腕の中のクマちゃんをもう一度撫で、右手を伸ばし扉に触れる。
扉はクマちゃんのお店と同じ様に、触れただけで開いていく。ここには鈴は付いていないようだ。
中へ入ると、円形の白い空間の手前に丸いテーブルが一つと椅子が四脚、壁際に並んだ椅子が三脚、その奥の階段があると予想された場所には円形の台。
台の上に魔法陣のような――よく見ると真ん中だけクマちゃんのような――模様が刻まれている。
後ろから見ていたリオが少し驚いたように言う。
「え? 階段ないんだけど。もしかして奥の台に乗ってくかんじ?」
「そうみたいだね。それなら皆で一緒に行ってもいいのではない?」
リオの少し後ろに立っていたウィルが台を見ながら言うと、階段が無いせいか予想していたよりも広い空間にマスターとクライヴが入ってきた。
「思ってたより広いな」
中の様子を観察しているマスターの斜め後ろで、氷の様な男クライヴが室内を睨み付けるように見ている。
クライヴは彼と目が合った者が凍りつくような、目を細め途轍もなく不機嫌そうな、数人殺ってきたような表情で壁や魔法陣を見ながら考えていた。
(小さい窓がクマの形になっている。魔法陣の真ん中にまで可愛いクマが)
彼の表情から彼の心の中を読み取れる者はいない。
クマちゃんを抱っこしているルークが円形の台の奥に乗るとリオやマスターもそれぞれ好きな位置に乗る。
「後三人くらいなら行けるだろ。お前たちも来い」
入り口から見ていた冒険者達にマスターが声を掛ける。
「あ、じゃあ俺行くわ」
「じゃあぼくも」
「オレも……」
入り口から一番近い場所で「あ、窓までクマちゃんじゃん」「だねぇ」「クライヴさん誰か殺るつもりなんじゃ……」と言っていた三人が一緒に来ることになったようだ。
室内に居る者が全員台に乗ると少しだけ魔法陣が光り、それは勝手に動き出す。その時クライヴの方を見た誰かの「ヒィ」という可笑しな呼吸音が聞こえた。
「うお。なんか勝手に動いたんだけど。クマちゃんの家って勝手に動く系多くない?」
ぼーっと台の上に乗っていたリオが急に動き出した台に文句を言う。
「大きいものだとクマちゃんの力では動かせないのだから仕方ないのではない? 人も入れる大きさになっているのは、クマちゃんが皆と一緒に行動しようと考えてくれているからだと思うのだけれど」
外見は派手だが、意外と色々真面目に考えているウィルが言った。
クマちゃん一人だけで使うものであれば大きい必要はない。人間が一緒に使うことを想定して建てられたそれらを見て、彼はクマちゃんの気持ちを考え、嬉しく思った。
最上階に到着すると、そこは円形の広場のようになっており、日が当たり輝くような真っ白な床で出来た広場のほぼ中央には東屋風の雨をしのぐ場所がある。
広場の縁の落下防止の柵は扉や屋根と同じ濃い色の木で出来ていた。
ルーク達が乗ってきた移動用の台は中央からややずれた、東屋の手前の位置に着いたようだ。
下から見上げた時の外観から、ただの灯台のような場所を想像していたそこは思っていたよりも美しく、二十人以上が余裕で寛げそうな空間だった。
「なんか観光名所みてぇな場所だな」
高所の強い風に吹かれながら、マスターが少し遠い目をして言った。
危険な森の中に観光名所のような呑気な展望デッキが出来たことに違和感を覚えているらしい。
「いい場所だ」
クマちゃん何でも肯定派の良くない飼い主ルークが色気のある低音でもこもこを褒める。
優しく撫でられながら褒められた可愛らしいつぶらな瞳のクマちゃんは、彼の手をピンク色の肉球がついたもこもこの手で捕まえ、今度はカジカジせずに長い人差し指をくわえている。
「なんて綺麗な場所なのだろう。こんな風に森を眺めることが出来るなんて、とても嬉しいよ。本当にありがとうクマちゃん」
南国の鳥のような、高い場所が似合うウィルは非常に感動しているらしい。この危険な場所に出来た呑気な展望デッキを一番喜んでいるのは彼だろう。
皆が口々に話している間にスタスタと柵の方へ近付いていたリオは強く吹く風に癖のある金髪をあおられながら、
「すっげぇ」
と言ったきり黙っている。
彼もここまで高い場所は初めてらしく、感動しているようだ。
冒険者達が「ああ、まじですっげぇな。これは感動するわ」「本当だねぇ。早く皆にも見せてあげたいねぇ」「最初に突き落とされるのオレかも……」と口々に話す中、しなやかな動きでルークが柵へ近付く。
「すげぇな」
天に聳える不思議な建物。空に一番近場所。最上階の真っ白な広場に居る彼は、強い風に吹かれる銀色の髪を白く見せるほど光を受け、瞳も日に透かした若葉のように美しく輝いている。
風の強い所でクマちゃんに危険がないようにしっかりと抱き込み、一言だけつぶやいた彼の声は低く色気があり、相変わらず感情が読めなかったが、微かに細めた目が感動を伝えていた。
「これは……」
ルークから少し離れた場所に立った、氷の様な男は不機嫌そうな目つきをさらに細め言葉を切る。
さらに離れた場所から「ヒィ」という少し変わった風の音がした。
「あー。これは、本当にすげぇな。こんな事がなきゃ一生拝めねぇ景色だろう。――ありがとうな、白いの」
マスターが眼下に広がる森を見下ろしながら素直にクマちゃんを称賛する
皆で眺める森は果てしなく、どこまでも美しい緑に覆われていて、自分達がとてつもなく小さな生き物に感じられるほどだ。
この美しい緑の下に危険が潜んでいるなど、とても信じられない。
「こうやって見ると、本当に綺麗なだけなんだがなぁ……。ここから見える場所には、異常がまるで感じられねぇな」
腕を組みながら片方の手で顎髭を触るマスターが言う。
「ああ」
短く返すルークもその事は感じていたようだ。
切れ長の美しい目を細め何かを考えていたが、彼はそれ以上何もいわなかった。
「リーダー。俺今日ここ残ってみたいんだけど」
感動からずっと黙っていたリオが、先程から考えていたらしいことをルークに伝えた。
「……そうするか」
視線をマスターに流したルークが少しだけ間を空けて返事をした。
一応確認を取ったのだろう。
「とても素晴らしい提案だと思うよ。君はたまに素敵なことを言うね」
お気に入りの湖に素晴らしい場所が出来て、更にそこで一晩過ごせるのだから、ウィルにはそれを反対する理由がない。
「えぇ……。今なんかひどいことも言われた気がするんだけど……」
いつも素敵なことを言っていると思っているリオからの苦情は、美しい景色に夢中な南国の鳥男ウィルの耳には入らない。
シャラシャラという風の音と共に聞こえる装飾品の音に紛れてもう一度「えぇ……」という変わった風の音が聞こえた。
展望デッキから見下ろす美しい景色からは異常が見つけられなかった一同は、マスターの「そろそろ下のやつらと交代するぞ」の一言で、地上に降りることになった。
「じゃあ、オレは残りのやつらに会議で伝えねぇといけねぇから一旦戻る。本当に、白いのはここに残していっていいんだな?」
眉間に深すぎる皺を刻んだマスターが心配でたまらないという風にルーク達を見回す。
「別に問題ねぇだろ」
何が起こっても問題と感じない男ルークがマスターへ一言返した。
「大丈夫じゃね? 頑丈な建物もあるし、ここにいる奴ら皆残るんでしょ? 冒険者がこんだけいてクマちゃん一匹守れないってことはないと思うんだけど」
日中にクマちゃんが酒場で何をしているのか知らないリオが呑気に答える。
「僕も問題ないと思うのだけれど。マスターは一体何を心配しているの?」
クマちゃんに痛い目に合わされたことのないウィルも不思議そうに言う。
「……いや。問題ないならいい。気にするな。じゃあ、魚は調理場に預けておくから、酒場に戻ったら取りに行けよ」
こめかみを揉みながら何かを考え、しかし言うのをやめたマスターは、クマちゃんの念願の魚を冒険者の一人が持っていた大きめの袋に詰め、持って帰ってくれるらしい。
怠そうに踵を返し、机がどうなっているかも知らぬまま、一人ギルドへ戻って行った。
初めての酒場以外での皆とのお泊りで大はしゃぎのクマちゃんは、大変興奮しながら考えていた。
大変だ。こんなにたくさんの人達を、お腹一杯にしてあげなければならないなんて、クマちゃん一人で出来るだろうか。
いや、弱音をはいている場合ではない。大人気店の店長である自分がやらなければならないことだ。
まずは湖に残った皆の様子を見てこなければ。
ルークの腕から下りようとすると、彼は優しく何度か撫でてから
「森には入るな」
と言って、ポフ、と地面にクマちゃんを降ろした。
彼の切れ長の目を見ながら力強く、うむ、と頷く。
大人気店の店長クマちゃん、初めての出張サービス。皆のごはんの為に優しいクマちゃんは考える。
皆をお腹いっぱいにするための大事なものを携え、可愛らしいつぶらな瞳のクマちゃんは行動を開始した。
「なんかいきなりすげーもん建てちゃったねクマちゃん」
リオは少しチャラく見える理由の一つである癖のある金髪を雑にかき上げ、少しだけ高めのかすれた声で言った。
走ったせいで暑いらしく襟元を緩めている。
「本当に。でも、とても良い位置なのではない? 街からも遠すぎないし、野営に適した広い場所も水場もある。景色もいい。……そういえばこの場所で大型のモンスターと戦った事はないのだけれど、水場だから、という理由ではないのだろうし、もしかしたらクマちゃんだけに解る何かがあったのではない?」
透き通った声で話すウィルは歩くと装飾品がシャラシャラと綺麗な音をたてて、彼自身が楽器のようだ。
南国の鳥のような派手な青色の髪の彼は暑さに強いのか服を乱すようすはない。
「ああ。いい場所だ」
色気のある低い声でクマちゃんを褒めるルークの声は感情がわかりにくいが、いつもなら別々に過ごしているはずの時間に、彼の愛情のすべてをそそいでいる存在に逢えて喜んでいるのか、ずっとクマちゃんを彼の大きな手で撫でたり、長い指で優しくくすぐったりしている。
彼は全力で走ってもこのくらいの距離なら体温に変化はない。高身長でスラリと長い手足のルークはいつも通り黒い服を着こなしている。
皆に褒められて嬉しいクマちゃんはルークの手をピンク色の肉球がついたもこもこの手で捕まえ、湿った小さな鼻でふんふんしながらルークの瞳を見つめていた。
切れ長でかっこいいルークの瞳はまるで森をそのまま映したようだ。
暗い所では暗い森の色。日差しに当たると光に透ける鮮やかな葉の色になる。
いつもは洞窟の入り口のような穴から光が射すだけの暗い部屋の中と、朝でも薄暗い酒場とクマちゃんのお店、あまり明るくないマスターの部屋でしか彼の瞳を見ることはない。
明るいうちにお出かけしたのは、クマちゃんのお洋服を買ってもらった時ぐらいだろうか。
ルークの瞳が何色でも、彼に見つめられるだけでとても嬉しいクマちゃんだが、いつもと違う彼の姿をみるのも少し不思議でわくわくする。
綺麗な森の色の瞳をずっと見つめてふんふんしていたら、いつもは表情が変わらない彼が少しだけ目を細めてくれた。わかりにくくても、彼がクマちゃんに笑ってくれたのが嬉しくてうっかり彼の長い指をカジカジしてしまった。
すぐに、ごめんね、という気持ちを込めてペロペロしたら、逃げていった彼の大きな手が気にするなというようにクマちゃんのもこもこのほっぺを包み、親指でそっと撫でてくれた。
「クマちゃんめっちゃ御機嫌じゃん。リーダー愛されてんね」
そう言うリオもいつもより楽しそうだ。
もしかしたら、同じことを繰り返しているだけの森での討伐に少し飽きていたのかもしれない。
クマちゃんに問題を起こされると被害にあう確率が高いリオだが、彼もクマちゃんと一緒にいるほうが楽しいし嬉しい。
「そうだね。いつもよりもっと愛らしくみえるよ」
涼やかな声でそう話す南国の青い鳥のような男ウィルは、シャラ、という音と共に綺麗にふっと笑った。
彼らの少し後ろを歩く冒険者達も話をしていたが、誰も真面目な話をしていなかった。
「さっきはうっかり真剣に釣りしちまったぜ……」
「ああ、確かに全然釣れねーな。ここ」
「誰だよマスターの魚ちっせーとか言ったやつ」
「皆言ったんじゃね?」
「でけー男が二人で小さい魚一匹焼いてたから……」
「普通におもうよねぇ。直火にあの魚近づけたら消滅するんじゃないの? シュワーって」
「でもクライヴさんが真剣にあの小さい魚焼いてんの笑ったらオレも一緒に焼かれんじゃねーかと思って笑えなかった……」
「わかる」
「確かに」
後方で何を言われているか知らないマスターとクライヴは、クマちゃんの見張り台の入り口で皆を待っていた。
「マスターもうここ入った?」
見張り台の入り口。隣にある家と同じく濃い木の色をした扉の前で、片方の手を黒いズボンのポケットに入れて立っているマスターにリオが尋ねた。
「いや。白いのが欲しがってたのは魚だったからな。この見張り台も、登りたくて建てたわけじゃなく、ルークに気付いて欲しくてしたことだろ」
マスターは渋い声でそう返しながら、初めて自分で釣った魚を大好きなルークに見てもらいたいと思ったクマちゃんの気持ちを考え、あんなに純粋な生き物を騙すなんて、自分は何故あんなに非道なことをしてしまったのかと自己嫌悪した。
こんなに一生懸命自分達の為に力を貸してくれているクマちゃんを騙すようなことはもうしない。――仕事が本当に大変な事になったら、騙すのではなく、納得してくれるまで説明しよう、とマスターは思った。
クマちゃんがしっかり頷いていても、人間と同じ感覚で理解しているとは言い切れない、ということを彼はまだ理解できていない。
そして、今彼の机の上がどうなっているのか、ということも想像出来ていない。
「皆来たみたいだし、もう中に入ってしまってもいいのではない? クマちゃんとリーダーが先頭で良いと思うのだけれど」
涼やかな声でウィルが返す。
「じゃあお前らが先にいけ。俺とクライヴはその後ろから行く」
マスターがクマちゃんは仲間達と最初に登りたいだろうと思いそう言った。
「おっけー。じゃあリーダーよろしく」
リオは少しかすれた声で楽しそうにルークを呼びながら彼のほうを見る。
撫でてもらっているクマちゃんがルークの腕の中で頷いていた。
「ああ」
短く返したルークは腕の中のクマちゃんをもう一度撫で、右手を伸ばし扉に触れる。
扉はクマちゃんのお店と同じ様に、触れただけで開いていく。ここには鈴は付いていないようだ。
中へ入ると、円形の白い空間の手前に丸いテーブルが一つと椅子が四脚、壁際に並んだ椅子が三脚、その奥の階段があると予想された場所には円形の台。
台の上に魔法陣のような――よく見ると真ん中だけクマちゃんのような――模様が刻まれている。
後ろから見ていたリオが少し驚いたように言う。
「え? 階段ないんだけど。もしかして奥の台に乗ってくかんじ?」
「そうみたいだね。それなら皆で一緒に行ってもいいのではない?」
リオの少し後ろに立っていたウィルが台を見ながら言うと、階段が無いせいか予想していたよりも広い空間にマスターとクライヴが入ってきた。
「思ってたより広いな」
中の様子を観察しているマスターの斜め後ろで、氷の様な男クライヴが室内を睨み付けるように見ている。
クライヴは彼と目が合った者が凍りつくような、目を細め途轍もなく不機嫌そうな、数人殺ってきたような表情で壁や魔法陣を見ながら考えていた。
(小さい窓がクマの形になっている。魔法陣の真ん中にまで可愛いクマが)
彼の表情から彼の心の中を読み取れる者はいない。
クマちゃんを抱っこしているルークが円形の台の奥に乗るとリオやマスターもそれぞれ好きな位置に乗る。
「後三人くらいなら行けるだろ。お前たちも来い」
入り口から見ていた冒険者達にマスターが声を掛ける。
「あ、じゃあ俺行くわ」
「じゃあぼくも」
「オレも……」
入り口から一番近い場所で「あ、窓までクマちゃんじゃん」「だねぇ」「クライヴさん誰か殺るつもりなんじゃ……」と言っていた三人が一緒に来ることになったようだ。
室内に居る者が全員台に乗ると少しだけ魔法陣が光り、それは勝手に動き出す。その時クライヴの方を見た誰かの「ヒィ」という可笑しな呼吸音が聞こえた。
「うお。なんか勝手に動いたんだけど。クマちゃんの家って勝手に動く系多くない?」
ぼーっと台の上に乗っていたリオが急に動き出した台に文句を言う。
「大きいものだとクマちゃんの力では動かせないのだから仕方ないのではない? 人も入れる大きさになっているのは、クマちゃんが皆と一緒に行動しようと考えてくれているからだと思うのだけれど」
外見は派手だが、意外と色々真面目に考えているウィルが言った。
クマちゃん一人だけで使うものであれば大きい必要はない。人間が一緒に使うことを想定して建てられたそれらを見て、彼はクマちゃんの気持ちを考え、嬉しく思った。
最上階に到着すると、そこは円形の広場のようになっており、日が当たり輝くような真っ白な床で出来た広場のほぼ中央には東屋風の雨をしのぐ場所がある。
広場の縁の落下防止の柵は扉や屋根と同じ濃い色の木で出来ていた。
ルーク達が乗ってきた移動用の台は中央からややずれた、東屋の手前の位置に着いたようだ。
下から見上げた時の外観から、ただの灯台のような場所を想像していたそこは思っていたよりも美しく、二十人以上が余裕で寛げそうな空間だった。
「なんか観光名所みてぇな場所だな」
高所の強い風に吹かれながら、マスターが少し遠い目をして言った。
危険な森の中に観光名所のような呑気な展望デッキが出来たことに違和感を覚えているらしい。
「いい場所だ」
クマちゃん何でも肯定派の良くない飼い主ルークが色気のある低音でもこもこを褒める。
優しく撫でられながら褒められた可愛らしいつぶらな瞳のクマちゃんは、彼の手をピンク色の肉球がついたもこもこの手で捕まえ、今度はカジカジせずに長い人差し指をくわえている。
「なんて綺麗な場所なのだろう。こんな風に森を眺めることが出来るなんて、とても嬉しいよ。本当にありがとうクマちゃん」
南国の鳥のような、高い場所が似合うウィルは非常に感動しているらしい。この危険な場所に出来た呑気な展望デッキを一番喜んでいるのは彼だろう。
皆が口々に話している間にスタスタと柵の方へ近付いていたリオは強く吹く風に癖のある金髪をあおられながら、
「すっげぇ」
と言ったきり黙っている。
彼もここまで高い場所は初めてらしく、感動しているようだ。
冒険者達が「ああ、まじですっげぇな。これは感動するわ」「本当だねぇ。早く皆にも見せてあげたいねぇ」「最初に突き落とされるのオレかも……」と口々に話す中、しなやかな動きでルークが柵へ近付く。
「すげぇな」
天に聳える不思議な建物。空に一番近場所。最上階の真っ白な広場に居る彼は、強い風に吹かれる銀色の髪を白く見せるほど光を受け、瞳も日に透かした若葉のように美しく輝いている。
風の強い所でクマちゃんに危険がないようにしっかりと抱き込み、一言だけつぶやいた彼の声は低く色気があり、相変わらず感情が読めなかったが、微かに細めた目が感動を伝えていた。
「これは……」
ルークから少し離れた場所に立った、氷の様な男は不機嫌そうな目つきをさらに細め言葉を切る。
さらに離れた場所から「ヒィ」という少し変わった風の音がした。
「あー。これは、本当にすげぇな。こんな事がなきゃ一生拝めねぇ景色だろう。――ありがとうな、白いの」
マスターが眼下に広がる森を見下ろしながら素直にクマちゃんを称賛する
皆で眺める森は果てしなく、どこまでも美しい緑に覆われていて、自分達がとてつもなく小さな生き物に感じられるほどだ。
この美しい緑の下に危険が潜んでいるなど、とても信じられない。
「こうやって見ると、本当に綺麗なだけなんだがなぁ……。ここから見える場所には、異常がまるで感じられねぇな」
腕を組みながら片方の手で顎髭を触るマスターが言う。
「ああ」
短く返すルークもその事は感じていたようだ。
切れ長の美しい目を細め何かを考えていたが、彼はそれ以上何もいわなかった。
「リーダー。俺今日ここ残ってみたいんだけど」
感動からずっと黙っていたリオが、先程から考えていたらしいことをルークに伝えた。
「……そうするか」
視線をマスターに流したルークが少しだけ間を空けて返事をした。
一応確認を取ったのだろう。
「とても素晴らしい提案だと思うよ。君はたまに素敵なことを言うね」
お気に入りの湖に素晴らしい場所が出来て、更にそこで一晩過ごせるのだから、ウィルにはそれを反対する理由がない。
「えぇ……。今なんかひどいことも言われた気がするんだけど……」
いつも素敵なことを言っていると思っているリオからの苦情は、美しい景色に夢中な南国の鳥男ウィルの耳には入らない。
シャラシャラという風の音と共に聞こえる装飾品の音に紛れてもう一度「えぇ……」という変わった風の音が聞こえた。
展望デッキから見下ろす美しい景色からは異常が見つけられなかった一同は、マスターの「そろそろ下のやつらと交代するぞ」の一言で、地上に降りることになった。
「じゃあ、オレは残りのやつらに会議で伝えねぇといけねぇから一旦戻る。本当に、白いのはここに残していっていいんだな?」
眉間に深すぎる皺を刻んだマスターが心配でたまらないという風にルーク達を見回す。
「別に問題ねぇだろ」
何が起こっても問題と感じない男ルークがマスターへ一言返した。
「大丈夫じゃね? 頑丈な建物もあるし、ここにいる奴ら皆残るんでしょ? 冒険者がこんだけいてクマちゃん一匹守れないってことはないと思うんだけど」
日中にクマちゃんが酒場で何をしているのか知らないリオが呑気に答える。
「僕も問題ないと思うのだけれど。マスターは一体何を心配しているの?」
クマちゃんに痛い目に合わされたことのないウィルも不思議そうに言う。
「……いや。問題ないならいい。気にするな。じゃあ、魚は調理場に預けておくから、酒場に戻ったら取りに行けよ」
こめかみを揉みながら何かを考え、しかし言うのをやめたマスターは、クマちゃんの念願の魚を冒険者の一人が持っていた大きめの袋に詰め、持って帰ってくれるらしい。
怠そうに踵を返し、机がどうなっているかも知らぬまま、一人ギルドへ戻って行った。
初めての酒場以外での皆とのお泊りで大はしゃぎのクマちゃんは、大変興奮しながら考えていた。
大変だ。こんなにたくさんの人達を、お腹一杯にしてあげなければならないなんて、クマちゃん一人で出来るだろうか。
いや、弱音をはいている場合ではない。大人気店の店長である自分がやらなければならないことだ。
まずは湖に残った皆の様子を見てこなければ。
ルークの腕から下りようとすると、彼は優しく何度か撫でてから
「森には入るな」
と言って、ポフ、と地面にクマちゃんを降ろした。
彼の切れ長の目を見ながら力強く、うむ、と頷く。
大人気店の店長クマちゃん、初めての出張サービス。皆のごはんの為に優しいクマちゃんは考える。
皆をお腹いっぱいにするための大事なものを携え、可愛らしいつぶらな瞳のクマちゃんは行動を開始した。