現在、クマちゃんは強大な敵と戦闘中である。
 おいしい木の実を発見するより先に、敵から発見されてしまったのだ。



 鬱蒼とした森の中。若干チャラそうな印象の青年が、あれ、と動きを止める。

「リーダー、あの犬がくわえてるぬいぐるみ、何か動いてない?」

 黒い服に身を包んだ青年は、美しく精悍な顔を、ふとそちらへ向けた。
 黙ったまま、金髪の青年が見ている先に目を凝らす。
 するとたしかに、少し離れた木々の間に、犬にくわえられ、かなり短い手足を弱々しく動かし、藻掻いているような、白い何かが見える。

「……何だあれ」

 抑揚に乏しい声が、低く響いた。
 樹々すら魅了しそうな色気が、空気を震わせる。
 普段は表情も変えない黒服の青年が、めずらしく眉間に皺を寄せてそれを見ていると、白い何かの動きが、少しずつ弱くなっていく。
 彼は一瞬思考を巡らせ、微かにため息を吐いた。
 そうして、かわいそうな白い綿毛を救出すべく、ふっと消える影のように、深い緑の中を駆けて行った。



 黒服の青年は、たった今助けたばかりの純毛生物に、静かな眼差しを向けた。
 犬から助けたもこもこは無事なのか。
 腕の中に、温かで柔らかな生き物が、もふ……とおさまっている。

 まるで、耳の丸い猫のような、クマのぬいぐるみのようなそれは、つぶらな瞳を潤ませ、彼を見つめていた。

 男性にしてはほんの少し高めの、かすれ気味の美声が、リーダー、と彼を呼ぶ。
 ざぁ、と草木が揺れる音に、問いが重なる。

「それ何の生き物?」

「…………」黒服の青年が、無言を返す。

 ぬいぐるみのような生き物など、見たことも、聞いたこともない。
 問われたところで答えようもなかった。
 本人に訊くしかないだろう。
 人間の言葉が通じるようには見えないが。

 とりあえず怪我の手当が先か。
 白い何かの頭には、気の毒なことに、犬の歯形がついてしまっていた。
 ふわふわな耳に入らないよう気をつけつつ、もこもこした頭に回復薬をかけてやる。
 黒服の青年は、歯型が消え心なしか元気になったそれに、一応声をかけた。

「お前はクマなのか」

 クマにする質問ではなかった。

「クマちゃん」

 クマの答えではなかった。

 クマのぬいぐるみのような、不思議な生き物の口から、猫のような、幼い子供のような声が聞こえた。
 幻聴でなければ、この生き物は人間と同じ言葉を話せるようだ。

 葉の隙間から零れる光の粒が、美麗な青年を照らす。
 男は動かぬ美術品のような顔で、深刻とはかけ離れたことを考えていた。

 クマとの違いがわからねぇ。

 一人と一匹から数歩分、離れた場所に立っていた金髪の青年は、鳴き声にも似た答えを聞いて、「えっ?!」と声を上げた。

「話せるんだ……。ってゆうか違いがわかんないんだけど」

 少々軽そうな口調の彼にも、『クマ』と『クマちゃん』の違いはさっぱり分からなかった。

「名前は」と黒服の青年が尋ねる。

「クマちゃん」とクマちゃんがこたえた。

 幼子や猫のように愛らしい。
 が、こたえは先ほどと全く同じだ。

「えぇ……」

 金髪が、かすれ気味の声を漏らす。
 同じじゃん……と言いたげな顔で。
 一人と一匹の妙な会話に、チャラそうな青年は情報収集を諦めた。
 そうしてクマちゃんに、えーと、と声をかける。

「とりあえずクマちゃん? の名前?」たくさんの疑問符が飛ぶ。

「……も聞いたし、俺達の名前も一応教えておくね」

「俺がリオで、こっちがリーダーの」

「ルーク」黒服の青年が役目を奪う。

 過剰な色気が、ふわふわなお耳を、るーく、と撫でてゆく。
 黒服の青年は、もこもこした生き物を抱えたまま、他にも怪我がないか確かめている。

 高く高く伸びる樹々が、深い森に影を作り、細い光がレースのように、緑の中できらめく。
 真っ白な被毛がふわりと、濡れた鼻がぴか、と光る。

 白の向こう側で、花びらが揺れた。
 チャラそうな青年が、ふと呟く。

「いつもはもう一人いるんだけど」

 リオは、黒服の青年と彼に撫でられるクマちゃんを眺め、まったく別のことを考えていた。

 ああいうリーダー見たの俺、初めてかも。
 ……なんか嫌な予感がする、と。

 彼の予感は結構よく当たる。