今日クマちゃんの実家にある本棚で見つけた本に、なんだか気になることが書いてあった。
〈はじめてのりょうり〉を読むのに忙しく、隣にあったその本は目次しか見ていない。
うむ。今夜、寝る前に読んでみよう。
立入禁止区画から戻り、酒場でルークにご飯を食べさせて貰っているあいだも、食べたあとも、彼はずっとクマちゃんの〝へこみ〟を長い指で撫でていた。
椅子の点検はほとんど問題なく終わるはずだった。
しかしクマちゃんが床に落ちたフタを拾おうとしたとき、接着剤が垂れている椅子の脚と、もこもこの頭がぶつかってしまったのだ。
気付いてもらえるまでくっついたままだったのは辛かったが、ルークがたくさん撫でてくれたので初仕事は概ね成功である。
◇
大きく空いた穴から光が指す、薄暗い洞窟のような部屋の中。
壁際の倒れた木は土も水も無いまま、何故か枯れずに綺麗な緑を茂らせている。
室内に漂う空気は、まるでここが神聖な場所であるかのように澄み渡っていた。
いつも通りルークにお風呂に入れてもらい、真っ白な体はふわふわだ。
もう眠たいのだが、本を、読まなければ。
クマちゃんはベッドの上でリュックから目的の物を取り出した。
ルークの膝にヨチヨチもこもこと戻り、可愛らしい白いクマの絵が表紙の真っ白な本を開く。
〈クマちゃんと魔力〉
―魔力の増やし方―
・レベルが上がるとクマちゃんが扱える魔力も増えます。
・魔力が足りないときは、クマちゃんの大好きな人から分けてもらいましょう。
〈クマちゃんのお店〉
―開店準備編―
・クマちゃんが作ったものはここに置きましょう。
・開店に必要なものは、お店の模型とたくさんの魔力です。
・お店を開く場所に模型を置いて、たくさん魔力を注ぎましょう。
※(十分な広さのある場所でやりましょう)
なんだか簡単そうである。
準備編の後の事が気になったが、この本は何故かこれ以上開けないようだ。
魔力が足りないと思ったことはない。
クマちゃんが大好きな人はルークである。
魔力を増やせば冒険者としてルーク達についていけるだろうか。
そもそも、レベル、というのはなんなのだろう。
扱える魔力が増えるというのはどういう意味だろうか。
そしてどうやって上げるのか。
それにいきなり〈クマちゃんのお店〉と言われても、クマちゃんは現在アルバイトで忙しい。
お店を開いている場合ではない。
はじめて作ったあれは、大事なものだから売るつもりもない。
しかし、貰えるものは貰う主義である。
いまのクマちゃんにお店は必要ないが――
建てておいて、物置にしたらどうだろうか。
何かを作っても、それを売る予定はないのだ。
良いものが出来たら、ルークにあげたい。
たくさん作ったら喜んでくれるかもしれない。
余ったら、仲間にも分けてあげよう。
うむ、と頷く。
まず大好きなルークから魔力を貰い、その後お店の模型とやらを探せばいいのではないだろうか。
クマちゃんが使っている杖の先の模型のような物かもしれない。
取り敢えず、よくわからない物は大体実家にあるはずだ。
◇
クマちゃんの悲しいへこみを撫でているルークの手を肉球がムニ、と掴んだ。
つぶらな瞳は真剣に、彼の長い指を吟味している。
素晴らしい指を見つけたらしい。
深く頷いたクマちゃんは、それをくわえた。
「え? クマちゃんて赤ちゃんだったの?」
ややかすれ気味の声がクマちゃんに失礼な発言をする。
犯人は癖のある金色の髪を乾かし、寝る準備を整え、仰向けでベッドに横になっていた男だ。
リオは目線だけでルーク達の、主に謎の生き物クマちゃんの行動を観察していた。
白いもこもこは忙しいようだ。
彼の暴言など気にせず、ルークの指先から魔力を吸っている。
「…………」
突然指を咥えられてしまったルークは視線でクマちゃんを追っていた。
彼は己の魔力がもこもこに向かって流れていることをすぐに理解する。
いつも通り驚くこともなく、それを指先に集める。
魔力は問題なく移動しクマちゃんが吸収しているように見えた。
だが白いもこもこから感じるそれは普段と変わらず、弱々しい。
ルークは大量の魔力を持っている。
もこもこに渡した程度で尽きることは無い。
指先に集めた魔力が次々と、もこもこのいる先へ消えてゆく。
彼は普段と変わらぬ表情でその様子を眺めながら、クマちゃんが満足するまでそれを続けた。
ふと、指先の魔力が失われなくなったことに気付く。
ルークがもこもこの目元へ視線を流すと、十分に満たされたのか――寝てしまっている。
彼はそのままいつものようにクマちゃんを抱え横になり、可愛いもこもこが無くなってしまった部分をもう一度だけ撫でてから、静かに目を閉じた。
◇
ルークの温かい胸元で目が覚めた。
もこもこの頭は昨日と変わらず、一部がへこんでいる。
――まだ一緒に寝ていたい。
欲求を振り切り、長くて格好いい彼の腕を抜け出し、ベッドの枕元にあるリュックから、杖を取り出す。
クマちゃんは湿った小さな黒い鼻にキュッと力を入れ、白いそれを振ると、目的のために行動を開始した。
◇
いつもならもう少しルークと一緒に寝ていたところを、後ろ髪を引かれる思いで抜け出し、一人寂しく実家に戻ってきたクマちゃん。
早く〝店の模型〟というものを見つけ出し、あの幸せな空間に戻らなければ。
黒くてつぶらな可愛い瞳をきりりとさせ、決意を新たに室内のどこかにあるはずの模型を探す。
この時やはり鏡が光っていたのだが、今はそれどころではないもこもこがそれに気付くことはなかった。
部屋の隅に、白く塗られた木製の箱がある。
気になって近付くとやはり、クマちゃんみたいな顔が描かれている。
あやしい。あの白い本と似ている。
第六感が働いたもこもこ。
箱を開けてみると、おもちゃ箱のようだった。
うむ、全部気になる。
でも早く戻ってルークに会いたい。
寂しがり屋の猫のようなクマちゃんは、他のものには目もくれず、今回の目的である店の模型っぽいものだけを探した。
――大変だ。それらしいものが複数ある。
己の勘を頼りに一つに絞ったクマちゃんは、肉球でムニ、と模型らしきものを掴み、それだけを持ってルークの元へと帰った。
◇
クマちゃんが戻った時には気配に敏感なルークはもう起きていた。
彼はいつものように優しくクマちゃんを撫で、専用の引き出しから先日買ったばかりの黒と緑のリボンを選び、もこもこと自身の身支度を整えた。
朝食を終えた彼らはクマちゃんをマスターに預けるため、立入禁止区画の奥へと進んでいた。
「リーダー。昨日の、クマちゃんの授乳みたいなのなんだったの?」
言葉の選び方に難があるリオが、少し伸びた金色の髪を耳に掛けつつ尋ねる。
「授乳じゃねぇ」
ルークは質問者に視線すら向けず、色気のある低い声で端的に答えた。
彼に抱かれたクマちゃんは最新ファッションに身を包み、いつも以上に上品で愛らしく、もこもこしている。
「今日のクマちゃんはリーダーの色合いだね。新しいリボンもとても良く似合っているよ。でも、今度は青いリボンも一緒に結んだらいいのではない?」
青い髪色が南国の鳥のように派手なウィルは、おしゃれにこだわりがある。
クマちゃんの服装の変化にも敏感だ。
彼が歩き、装飾品が揺れる。
朝の廊下にシャラ、と美しい音が響いた。
◇
「来たか。お前らも毎日変わらねぇ仕事ばかりで飽き飽きしてるだろうが、今日も、森の調査と大型モンスターの討伐だ」
疲れた顔のマスターは何度かこめかみを揉み、クマちゃんを受け取りながら彼らに依頼内容を伝えた。
「了解」
「了解でーす」
「了解マスター。行ってくるよ」
相変わらす雑に承諾の言葉を返した三人は、どれだけ倒しても一向に減らない大型モンスターの討伐と原因の調査のため、平常通り気負う様子もなく部屋を後にした。
「あ~。そうだな……」難問に挑む人のような声を出したマスターがクマちゃんの首にアルバイト専用ギルドカードを結ぶ。
黒くてつぶらな可愛い瞳が、彼に期待の眼差しを向けている。
愛らしい瞳と見つめ合い、素晴らしい時間が過ぎてゆく。
「……じゃあお前の今日の仕事は――取り敢えず酒場に行って、困っていそうな職員でも探してこい。もし誰も居なかったら、危ねぇからすぐにこっちに戻ってくるように」
マスターは制限時間内に最適解へ近付けなかったギルドマスターのように、渋い声で雑すぎる命令を下した。
密命を受けたクマちゃんは彼が色々な問題を投げ出したことに気付かず、うむ、と頷き立入禁止区画をヨチヨチもこもこと進んで行った。
その三十分後、マスターは雑すぎる命令を出したことを後悔する。
◇
長旅を終えヨチヨチと、人のまばらな酒場へやって来た、期待の新人アルバイタークマちゃん。
猫のようなお手々でギルドの仕事を減らし、少しでもルークを助けるためだ。
まずは情報収集から始めようと人々の声を聴いて回る。
「なぁ。この間、回復薬の数が足りないってギルドの奴らが言ってるのを聞いちまったんだが……」
「はぁ? まじかよ。それっていつの話だ? もう補充されてんじゃねーの?」
「二日前くらいだったか、衝撃すぎてよく覚えてねぇな……」
「あ、その装備かわいい~! どこで買ったの? まだあるかな?」
「どうでしょうか……。実は私、そのお店で聞いちゃったんですけど。もっと頑丈な装備の在庫を増やさないといけないから、しばらくは、装飾が凝ったものは作らないって」
「え……、それほんと? じゃあ、もしかして、あたしたちまでおっさん達みたいなかわいくない装備着ないとダメってこと?」
「あの、先輩。アイテムの在庫が不足してるって噂が冒険者達に流れてるみたいなんですけど、そんなことないですよね?」
「うわっ馬鹿だろお前! それをここで言うんじゃねーよ! ……後で教えてやる。今は聞くな」
まだ少ししか聞いていないが、それでも良くない雰囲気なのはクマちゃんにもわかった。
このままだといつか皆、戦えなくなってしまうのではないだろうか。
ルーク達はとても強いらしい。
怪我なんてしているのを見たことがない。
マスターも『あいつらの心配はしなくていい』と言っていた。
でも、いつもこの酒場でやさしく声を掛けてくれる冒険者達や、ギルドの職員達が大変な思いをするのは見たくない。
クマちゃんは自分が今朝、手に入れた物のことを考えていた。
昨日ルークから貰った魔力と、この模型があれば皆を助けられるのではないか。
アルバイトが忙しいから、お店を建てても意味がないと思っていた。
――もしも、皆が欲しがっているものが自分の手で作れるなら。
クマちゃんの視界に、この街最大の酒場が入ってくる。
〝十分な広さのある場所でやりましょう〟
広い。とても。ここしかない。
クマちゃんはリュックから、今朝手に入れたばかりの模型と、いつも使っている真っ白な杖を取り出した。
◇
「おいおいおい……。ありえねぇだろうが! 一体、なんなんだこれは……」
新人アルバイタークマちゃんに命令を下した、たった三十分後。
マスターはギルド職員からの救援要請を受け酒場に駆けつけた。
彼がいま目にしている『ありえない』ものは、彼の常識でも森の街の常識でも測れないものだった。
広い酒場内。飲食用の空間に置かれたテーブルや椅子の一部をなぎ倒し、見たことのない白い、店のようなものが現れていた。
その存在もおかしいが、建っている場所も相当おかしい。
酒場の中。せめて壁際にしろと思うような絶妙な位置。
全く意味がわからない。
先程までは確かに普段通りの酒場だったはずだ。
こんな非常識なものは無かった。断言できる。
しかし、意味がわからなくても店の看板に書かれている文字は読める。
残念ながら、読めてしまった。
【クマちゃんのお店】
実際はそんなものを見なくたってわかるほど、店らしきものの外観はクマちゃんにしか見えないもので覆われている。
真っ白な外壁、そこに描かれた可愛らしいクマちゃんの顔。
ドアや装飾も真っ白で至る所にクマちゃんらしき形が見える。
昨日もこもこがどんな力を持っていてもギルドには関係ないと言ったばかりだ。
それなのにギルドの内部に、もこもこが造ったと思われる怪し過ぎる物が出来てしまった。
怪しい店になぎ倒された、テーブルや椅子。
横になった彼らも『ありえない』と言っているだろう。
それとも『やめて下さい』だろうか。
マスターは疲れた顔でそれらを見つめながら『あの時ちゃんと考えてから命令を下せば、この店はここに出現しなかったのだろうか――』今更どうしようもない事を考えていた。
〈はじめてのりょうり〉を読むのに忙しく、隣にあったその本は目次しか見ていない。
うむ。今夜、寝る前に読んでみよう。
立入禁止区画から戻り、酒場でルークにご飯を食べさせて貰っているあいだも、食べたあとも、彼はずっとクマちゃんの〝へこみ〟を長い指で撫でていた。
椅子の点検はほとんど問題なく終わるはずだった。
しかしクマちゃんが床に落ちたフタを拾おうとしたとき、接着剤が垂れている椅子の脚と、もこもこの頭がぶつかってしまったのだ。
気付いてもらえるまでくっついたままだったのは辛かったが、ルークがたくさん撫でてくれたので初仕事は概ね成功である。
◇
大きく空いた穴から光が指す、薄暗い洞窟のような部屋の中。
壁際の倒れた木は土も水も無いまま、何故か枯れずに綺麗な緑を茂らせている。
室内に漂う空気は、まるでここが神聖な場所であるかのように澄み渡っていた。
いつも通りルークにお風呂に入れてもらい、真っ白な体はふわふわだ。
もう眠たいのだが、本を、読まなければ。
クマちゃんはベッドの上でリュックから目的の物を取り出した。
ルークの膝にヨチヨチもこもこと戻り、可愛らしい白いクマの絵が表紙の真っ白な本を開く。
〈クマちゃんと魔力〉
―魔力の増やし方―
・レベルが上がるとクマちゃんが扱える魔力も増えます。
・魔力が足りないときは、クマちゃんの大好きな人から分けてもらいましょう。
〈クマちゃんのお店〉
―開店準備編―
・クマちゃんが作ったものはここに置きましょう。
・開店に必要なものは、お店の模型とたくさんの魔力です。
・お店を開く場所に模型を置いて、たくさん魔力を注ぎましょう。
※(十分な広さのある場所でやりましょう)
なんだか簡単そうである。
準備編の後の事が気になったが、この本は何故かこれ以上開けないようだ。
魔力が足りないと思ったことはない。
クマちゃんが大好きな人はルークである。
魔力を増やせば冒険者としてルーク達についていけるだろうか。
そもそも、レベル、というのはなんなのだろう。
扱える魔力が増えるというのはどういう意味だろうか。
そしてどうやって上げるのか。
それにいきなり〈クマちゃんのお店〉と言われても、クマちゃんは現在アルバイトで忙しい。
お店を開いている場合ではない。
はじめて作ったあれは、大事なものだから売るつもりもない。
しかし、貰えるものは貰う主義である。
いまのクマちゃんにお店は必要ないが――
建てておいて、物置にしたらどうだろうか。
何かを作っても、それを売る予定はないのだ。
良いものが出来たら、ルークにあげたい。
たくさん作ったら喜んでくれるかもしれない。
余ったら、仲間にも分けてあげよう。
うむ、と頷く。
まず大好きなルークから魔力を貰い、その後お店の模型とやらを探せばいいのではないだろうか。
クマちゃんが使っている杖の先の模型のような物かもしれない。
取り敢えず、よくわからない物は大体実家にあるはずだ。
◇
クマちゃんの悲しいへこみを撫でているルークの手を肉球がムニ、と掴んだ。
つぶらな瞳は真剣に、彼の長い指を吟味している。
素晴らしい指を見つけたらしい。
深く頷いたクマちゃんは、それをくわえた。
「え? クマちゃんて赤ちゃんだったの?」
ややかすれ気味の声がクマちゃんに失礼な発言をする。
犯人は癖のある金色の髪を乾かし、寝る準備を整え、仰向けでベッドに横になっていた男だ。
リオは目線だけでルーク達の、主に謎の生き物クマちゃんの行動を観察していた。
白いもこもこは忙しいようだ。
彼の暴言など気にせず、ルークの指先から魔力を吸っている。
「…………」
突然指を咥えられてしまったルークは視線でクマちゃんを追っていた。
彼は己の魔力がもこもこに向かって流れていることをすぐに理解する。
いつも通り驚くこともなく、それを指先に集める。
魔力は問題なく移動しクマちゃんが吸収しているように見えた。
だが白いもこもこから感じるそれは普段と変わらず、弱々しい。
ルークは大量の魔力を持っている。
もこもこに渡した程度で尽きることは無い。
指先に集めた魔力が次々と、もこもこのいる先へ消えてゆく。
彼は普段と変わらぬ表情でその様子を眺めながら、クマちゃんが満足するまでそれを続けた。
ふと、指先の魔力が失われなくなったことに気付く。
ルークがもこもこの目元へ視線を流すと、十分に満たされたのか――寝てしまっている。
彼はそのままいつものようにクマちゃんを抱え横になり、可愛いもこもこが無くなってしまった部分をもう一度だけ撫でてから、静かに目を閉じた。
◇
ルークの温かい胸元で目が覚めた。
もこもこの頭は昨日と変わらず、一部がへこんでいる。
――まだ一緒に寝ていたい。
欲求を振り切り、長くて格好いい彼の腕を抜け出し、ベッドの枕元にあるリュックから、杖を取り出す。
クマちゃんは湿った小さな黒い鼻にキュッと力を入れ、白いそれを振ると、目的のために行動を開始した。
◇
いつもならもう少しルークと一緒に寝ていたところを、後ろ髪を引かれる思いで抜け出し、一人寂しく実家に戻ってきたクマちゃん。
早く〝店の模型〟というものを見つけ出し、あの幸せな空間に戻らなければ。
黒くてつぶらな可愛い瞳をきりりとさせ、決意を新たに室内のどこかにあるはずの模型を探す。
この時やはり鏡が光っていたのだが、今はそれどころではないもこもこがそれに気付くことはなかった。
部屋の隅に、白く塗られた木製の箱がある。
気になって近付くとやはり、クマちゃんみたいな顔が描かれている。
あやしい。あの白い本と似ている。
第六感が働いたもこもこ。
箱を開けてみると、おもちゃ箱のようだった。
うむ、全部気になる。
でも早く戻ってルークに会いたい。
寂しがり屋の猫のようなクマちゃんは、他のものには目もくれず、今回の目的である店の模型っぽいものだけを探した。
――大変だ。それらしいものが複数ある。
己の勘を頼りに一つに絞ったクマちゃんは、肉球でムニ、と模型らしきものを掴み、それだけを持ってルークの元へと帰った。
◇
クマちゃんが戻った時には気配に敏感なルークはもう起きていた。
彼はいつものように優しくクマちゃんを撫で、専用の引き出しから先日買ったばかりの黒と緑のリボンを選び、もこもこと自身の身支度を整えた。
朝食を終えた彼らはクマちゃんをマスターに預けるため、立入禁止区画の奥へと進んでいた。
「リーダー。昨日の、クマちゃんの授乳みたいなのなんだったの?」
言葉の選び方に難があるリオが、少し伸びた金色の髪を耳に掛けつつ尋ねる。
「授乳じゃねぇ」
ルークは質問者に視線すら向けず、色気のある低い声で端的に答えた。
彼に抱かれたクマちゃんは最新ファッションに身を包み、いつも以上に上品で愛らしく、もこもこしている。
「今日のクマちゃんはリーダーの色合いだね。新しいリボンもとても良く似合っているよ。でも、今度は青いリボンも一緒に結んだらいいのではない?」
青い髪色が南国の鳥のように派手なウィルは、おしゃれにこだわりがある。
クマちゃんの服装の変化にも敏感だ。
彼が歩き、装飾品が揺れる。
朝の廊下にシャラ、と美しい音が響いた。
◇
「来たか。お前らも毎日変わらねぇ仕事ばかりで飽き飽きしてるだろうが、今日も、森の調査と大型モンスターの討伐だ」
疲れた顔のマスターは何度かこめかみを揉み、クマちゃんを受け取りながら彼らに依頼内容を伝えた。
「了解」
「了解でーす」
「了解マスター。行ってくるよ」
相変わらす雑に承諾の言葉を返した三人は、どれだけ倒しても一向に減らない大型モンスターの討伐と原因の調査のため、平常通り気負う様子もなく部屋を後にした。
「あ~。そうだな……」難問に挑む人のような声を出したマスターがクマちゃんの首にアルバイト専用ギルドカードを結ぶ。
黒くてつぶらな可愛い瞳が、彼に期待の眼差しを向けている。
愛らしい瞳と見つめ合い、素晴らしい時間が過ぎてゆく。
「……じゃあお前の今日の仕事は――取り敢えず酒場に行って、困っていそうな職員でも探してこい。もし誰も居なかったら、危ねぇからすぐにこっちに戻ってくるように」
マスターは制限時間内に最適解へ近付けなかったギルドマスターのように、渋い声で雑すぎる命令を下した。
密命を受けたクマちゃんは彼が色々な問題を投げ出したことに気付かず、うむ、と頷き立入禁止区画をヨチヨチもこもこと進んで行った。
その三十分後、マスターは雑すぎる命令を出したことを後悔する。
◇
長旅を終えヨチヨチと、人のまばらな酒場へやって来た、期待の新人アルバイタークマちゃん。
猫のようなお手々でギルドの仕事を減らし、少しでもルークを助けるためだ。
まずは情報収集から始めようと人々の声を聴いて回る。
「なぁ。この間、回復薬の数が足りないってギルドの奴らが言ってるのを聞いちまったんだが……」
「はぁ? まじかよ。それっていつの話だ? もう補充されてんじゃねーの?」
「二日前くらいだったか、衝撃すぎてよく覚えてねぇな……」
「あ、その装備かわいい~! どこで買ったの? まだあるかな?」
「どうでしょうか……。実は私、そのお店で聞いちゃったんですけど。もっと頑丈な装備の在庫を増やさないといけないから、しばらくは、装飾が凝ったものは作らないって」
「え……、それほんと? じゃあ、もしかして、あたしたちまでおっさん達みたいなかわいくない装備着ないとダメってこと?」
「あの、先輩。アイテムの在庫が不足してるって噂が冒険者達に流れてるみたいなんですけど、そんなことないですよね?」
「うわっ馬鹿だろお前! それをここで言うんじゃねーよ! ……後で教えてやる。今は聞くな」
まだ少ししか聞いていないが、それでも良くない雰囲気なのはクマちゃんにもわかった。
このままだといつか皆、戦えなくなってしまうのではないだろうか。
ルーク達はとても強いらしい。
怪我なんてしているのを見たことがない。
マスターも『あいつらの心配はしなくていい』と言っていた。
でも、いつもこの酒場でやさしく声を掛けてくれる冒険者達や、ギルドの職員達が大変な思いをするのは見たくない。
クマちゃんは自分が今朝、手に入れた物のことを考えていた。
昨日ルークから貰った魔力と、この模型があれば皆を助けられるのではないか。
アルバイトが忙しいから、お店を建てても意味がないと思っていた。
――もしも、皆が欲しがっているものが自分の手で作れるなら。
クマちゃんの視界に、この街最大の酒場が入ってくる。
〝十分な広さのある場所でやりましょう〟
広い。とても。ここしかない。
クマちゃんはリュックから、今朝手に入れたばかりの模型と、いつも使っている真っ白な杖を取り出した。
◇
「おいおいおい……。ありえねぇだろうが! 一体、なんなんだこれは……」
新人アルバイタークマちゃんに命令を下した、たった三十分後。
マスターはギルド職員からの救援要請を受け酒場に駆けつけた。
彼がいま目にしている『ありえない』ものは、彼の常識でも森の街の常識でも測れないものだった。
広い酒場内。飲食用の空間に置かれたテーブルや椅子の一部をなぎ倒し、見たことのない白い、店のようなものが現れていた。
その存在もおかしいが、建っている場所も相当おかしい。
酒場の中。せめて壁際にしろと思うような絶妙な位置。
全く意味がわからない。
先程までは確かに普段通りの酒場だったはずだ。
こんな非常識なものは無かった。断言できる。
しかし、意味がわからなくても店の看板に書かれている文字は読める。
残念ながら、読めてしまった。
【クマちゃんのお店】
実際はそんなものを見なくたってわかるほど、店らしきものの外観はクマちゃんにしか見えないもので覆われている。
真っ白な外壁、そこに描かれた可愛らしいクマちゃんの顔。
ドアや装飾も真っ白で至る所にクマちゃんらしき形が見える。
昨日もこもこがどんな力を持っていてもギルドには関係ないと言ったばかりだ。
それなのにギルドの内部に、もこもこが造ったと思われる怪し過ぎる物が出来てしまった。
怪しい店になぎ倒された、テーブルや椅子。
横になった彼らも『ありえない』と言っているだろう。
それとも『やめて下さい』だろうか。
マスターは疲れた顔でそれらを見つめながら『あの時ちゃんと考えてから命令を下せば、この店はここに出現しなかったのだろうか――』今更どうしようもない事を考えていた。