必死に握っていた「ハルト・カミカゼ」という意識の、最後の手綱(たづな)を、俺はついに手放してしまった――手放しかけたその寸前だった。

「ハルト、少し落ち着くのじゃよ」

 荒ぶる破壊衝動に心を完全に喰われる寸前だった俺――『オレ』の前に、いつの間にか幼女魔王さまが立っていた。

「ド、ケ――」

 『オレ』の口からは、おどろおどろしい【シ・ヴァ】の声が発せられる。
 当然だ、『オレ』は【シ・ヴァ】なのだから。

「どかぬのじゃよハルト」
「ソウカ、ナラ死ネ――」

 無防備に立つ幼女魔王さまに、『オレ』=【シ・ヴァ】は黒曜の精霊剣・プリズマノワールを振り下ろす!

 やめろ――っ!
 ほんのわずか、猫の額ほどだけ残っていた理性を総動員して、

「グヌッ――、キサマ、マダ!」
 『オレ』が黒曜の精霊剣・プリズマノワールを振り下ろそうとした右手を、俺は左手でどうにか押しとどめた。

「逃げロ、魔王、サマ……逃げてクレ。もうこれ以上ハ、こいつヲ抑エえきれ、ないんダ……頼ム、ニゲ、て、ク……レ――」

 かすかに残っていた心と、最後の最後の気力を振り絞って、俺は幼女魔王さまに懇願(こんがん)する。
 だって言うのに――、

「まったく何を見当違いを言っておるのじゃハルト。だいたい教えてくれたのはハルトじゃろうに?」

 幼女魔王さまときたら、のんきな言葉を返してきやがるのだ。
 無駄話をしている時間も余力も、俺にはもう残されていないって言うのに!

「早ク……逃ゲ……ロ……頼ム……」

 しかし幼女魔王さまは逃げるどころか、あろうことか、
「やれやれじゃの」
 呆れたように言うと、俺の身体にぎゅむっと抱き着いてきたのだ。

「ナ、ニを――」

 そして幼女魔王さまは抱き着いたままで顔を上げると、俺の顔を見上げながら言った。

「のうハルト。精霊を使役する時に大切なことはただ一つ、肩の力を抜くことだ――と。そう言ったお主が、そんなに力んで精霊を無理やりに抑えつけようとするなど、それでいったいなんとするのじゃ?」

「ァ――ガ、グ――、逃ゲ、て――」

「ハルトにとって精霊は友達なのじゃろう? 友達とはそんな風に必死にお願いしたり、無理やり言い聞かせて抑えつけたりするものではなかろうて?」

 俺の必死の抵抗も空しく、『オレ』の支配する右手がじりじりと振り下ろされてゆく。
 しかし幼女魔王さまは逃げようとするどころか、にっこりと極上の笑顔をみせながら語りかけてきた。

「【シ・ヴァ】も同じじゃ。のう【シ・ヴァ】、(わらわ)はハルトの友人じゃ。つまり(わらわ)と【シ・ヴァ】も友人の友人じゃから、友人であろう?」

「グッ、ウガッ、グゥ――ッ!」
 だめだ、モウ意識ガ――。

「済まぬがここは引いてくれぬか? 皆がハルトの帰りを待っておるのじゃ。なにより(わらわ)が心待ちにしておるからの」

「わ、私もです! 私もハルト様の帰りを心より待ちわびております!」
 幼女魔王さまの言葉に、ミスティが即座に大きな声で同意をする。

「とまぁそう言うわけなのじゃ。では改めて友として頼もう。原初の破壊精霊【シ・ヴァ】よ。(わらわ)たちのもとに、ハルトを返しておくれ」

 俺に抱き着いたまま、見上げながらにっこり笑ってお願いしてきた幼女魔王さまに、

「――――」
 『オレ』は無言で、黒曜の精霊剣・プリズマノワールを振り下ろした――。