今日も今日とて街に行く約束をしていた俺のところに、幼女魔王さまとミスティがやってきた。
「いつもは時間通りなのに、今日は珍しく遅かったな。俺の方はもう準備はバッチリだぞ。さぁ行くか」
「そのことなのじゃがの」
「申し訳ありませんハルト様。今日のお出かけは中止になりました」
「急用でも入ったのか? まぁしょうがないよな、魔王さまは公務もあるんだし。また日を改めて貰えれば全然いいよ」
俺は笑顔で問題がないことを伝えたんだけど、しかし何やらいつもとは2人の様子が違っていた。
そして2人の後ろには大将軍ベルナルド――ベルが神妙な面持ちで控えていた。
「ハルト、急な話ですまぬのじゃが、しばらく会えなくなりそうなのじゃ」
幼女魔王さまがいつもの軽いノリとは打って変わって、重々しい口調で言った。
「……何があったんだ?」
当然、俺は何か緊急事態があったのだと察する。
「昨日、勇者率いるリーラシア帝国軍が、国境を越えて南部魔国に侵攻してきたのじゃ」
「……は? え?」
「既に国境付近の砦が4つ落とされ、なおもゲーゲンパレスに向かって南進中とのことじゃ。早急に、迎え撃つための準備をせねばならぬ」
「いやいや、ちょっと待ってくれよ。リーラシア帝国と南部魔国は長年友好関係にあったじゃないか。俺がリーラシア帝国にいた時も、南部魔国へ侵攻するなんて話は全くなかったぞ? 何かの間違いじゃないのか?」
にわかには信じられない話を聞かされた俺が、勢いあまってまくしたてると、
「それについてはアタイの方から説明するよ」
これまで後ろに控えていたベルが、何ごとか言おうとした幼女魔王さまを制するようにスッと前に出た。
その顔は、この前練兵場で会った時のような人懐っこい笑みはなく、真剣そのものだ。
「ベル、今の話は本当なのか? 俺にはまだ信じられないんだ」
「ハルトの疑問はもっともだよ。どうも今回の件はリーラシア帝国の意思というよりは、勇者が独断で動いているみたいでね」
「勇者が? それは確かな筋からの情報なのか?」
「確かも確か。帝国軍のとある上級将校からの極秘情報さ。突発的な事態に備えて、軍上層部同士は常日頃から公式・非公式を問わず、独自のコネクションで繋がっているんだ」
「軍部トップの大将軍のベルと同格の上級将校で、南部魔国に肩入れしている信頼できる情報筋となると……情報源はリーラシア帝国・南部管轄軍区・総司令官のマナセイロ・カナタニア中将あたりか」
「鋭いねぇ。ま、明言は避けておくよ」
「だけど短期間で、さらに勇者の独断ともなれば、そこまで大規模な兵力動員はできないはずだ。となると、兵力は多くても5千ってところか?」
「情報によると約4千、歩兵中心とのことだね」
「南部魔国には数万の兵力がある。それに4千の歩兵で挑む、か。兵力が大きく劣るのを補うために、突然の奇襲攻撃を仕掛けたわけだな?」
「短期決戦での決着を目論んでいるんだろうね」
「向こうの狙いは分かったよ。だがやる事もやり方もあまりにもめちゃくちゃだ。下手をしたらリーラシア帝国参謀本部に話が通ってない可能性があるぞ」
軍団を動かすのは簡単ではない。
兵站――食料や備品の確保といった、兵団が戦闘活動を円滑に行うための後方支援が必要となる。
入念な準備をして初めて戦争は行えるのだ。
しかし戦争準備をすれば当然、南部魔国もその動向に気付いたはず。
気付かなかったということは、リーラシア帝国はろくに準備もせずに攻め込んできた可能性が極めて高かった。
そして有能だが、時に慎重すぎて『甲羅干しする亀』とまで言われる腰の重いリーラシア帝国参謀本部が、そんなボロボロの作戦を立案するはずもない。
勝てる戦いは確実に勝って敵にダメージを与え、負ける戦いでは損害を極力減らして戦力を温存することで、次の勝利へと繋げる。
戦況を精査し、当たり前のように最善手を立案してくるエリートぞろい。
北の魔王ヴィステムの討伐において、様々なサポートを受けた勇者パーティの一員だった俺は、リーラシア帝国参謀本部の実力を実体験として理解していた。
そもそも戦争で疲弊し、いまだ復興途上にあるリーラシア帝国が、友好国である南部魔国を攻める理由が存在しない。
今の状況で、有能なリーラシア帝国参謀本部が、こんなお粗末な作戦立案をすることは、到底考えられなかった。
「ご明察だ。リーラシア帝国の本意ではないとの意見で、我々も一致している。そして目的はおそらく――」
「妾の首じゃろうの」
幼女魔王さまが小さく肩をすくめた。
「魔王さまを――南の魔王を討伐しようっていうのか! 何を考えてんだ勇者は! 南部魔国は数十年来の友好国だぞ! その国家元首を討とうだなんて、ありえない!」
「おおかた二人目の魔王を討伐した実績でも欲しいのじゃろうて。聞くところによると、今の勇者は非常に功名心の強い人間だと聞き及んでおるでの」
「だからって、こんな騙し討ちみたいなやり方はしちゃいけないだろ! 分かった、そういうことなら俺も迎撃戦に参加する。昔の仲間として、あいつにこれ以上の好き勝手をさせるわけにはいかない」
俺は戦う決意を強く固めたんだけど、
「悪いけどハルト、それは許可できない」
ベルは首を左右に振った。
「ベル、俺は精霊騎士だ。大きな戦力になるはずだ」
「そうだろうね。でもハルトは人間族だ。魔王軍の配下として同じ人間族と戦わせるわけにはいかないさ。それに軍上層部の中には、ハルトが勇者の放ったスパイだと疑うやつもいてね」
「黒曜の精霊剣・プリズマノワールに誓って俺はスパイじゃない、それは信じて欲しい」
「もちろんアタイは分かってるよ。そもそもハルトがその気になればスパイなんてまどろっこしいことしなくても即、魔王さまの命をとれたわけだからね」
「だったら――」
「今回の不測の事態には、南部魔国も一枚岩じゃいられないのさ。拘束せずに自由を保障することがアタイのしてやれる最大限の誠意だと、どうか分かってはくれないだろうか?」
「……悪い、ちょっと熱くなっていたみたいだ」
そうだよな。
ベル――ベルナルドは軍部の実質トップである大将軍だ。
たくさんの兵士の上に立つ公的立場の人間なんだ。
個人的な好き嫌いだけで、物事を判断できるわけがない。
「分かった。俺の立場はあくまで魔王さまに招かれた客人だ。要請には従うよ。それと俺のことで迷惑をかけたみたいですまなかった。便宜を図ってもらって感謝している」
「なに、ハルトは魔王さまの命を救ってくれた恩人なんだ。アタイも個人的にハルトのことを気に入ってる。これくらいの迷惑、たいしたことはないってことよ」
そう言うと、ベルはニカっと男前に笑う。
さらに、
「のぅハルトよ。勇者はお主の昔の仲間なのじゃろう? 仲間と戦うのは辛いものじゃ。妾はハルトにそんな辛い思いをしてほしくはないのじゃよ」
幼女魔王さまが、いたわる様な優しい目で心配するように言ってくる。
「魔王さま……うん、そういうことも全部、分かっているよ。みんな俺を心配してくれてるんだってことが」
ほんと、気遣いばっかり上手な、へっぽこ魔王さまなんだからさ。
「では話は以上じゃ。しばらく王宮は留守にするが、ハルトは今まで通りゆるりとここで過ごすがよい。王宮の者には変わらぬ対応を続けるように申し付けておるからの。好きに出歩いても構わんのじゃ」
「ありがとう。心遣い、恩に着るよ」
「ハルトよ。これまでハルトと過ごした日々はなかなかに楽しかったのじゃ」
「おいおい、縁起でもないな。まるで死地にでも赴くような言い方をするなよな」
「戦地では何が起こるか分からんゆえの。なにより相手は一騎当千と名高い勇者であるからして」
「そうだな……みんなの武運を祈っているよ」
翌日。
幼女魔王さまとミスティは、緊急招集された2万の軍勢を率いるベルと共に、ゲーゲンパレスの北部にある平原へと出陣していった。
北上する途中で近隣の兵力をさらに結集し、兵力を増大させつつ、兵力差がもろに出る野戦にて勇者を迎え撃つ作戦とのことだ。
そして俺はというと、それをただ黙って見送るしかできなかった。
「俺も行きたいが、客人である以上、俺にはどうしようもできないんだ……」
ギュッと握り込んだ手の爪が、手のひらに強く食い込んだ。
「いつもは時間通りなのに、今日は珍しく遅かったな。俺の方はもう準備はバッチリだぞ。さぁ行くか」
「そのことなのじゃがの」
「申し訳ありませんハルト様。今日のお出かけは中止になりました」
「急用でも入ったのか? まぁしょうがないよな、魔王さまは公務もあるんだし。また日を改めて貰えれば全然いいよ」
俺は笑顔で問題がないことを伝えたんだけど、しかし何やらいつもとは2人の様子が違っていた。
そして2人の後ろには大将軍ベルナルド――ベルが神妙な面持ちで控えていた。
「ハルト、急な話ですまぬのじゃが、しばらく会えなくなりそうなのじゃ」
幼女魔王さまがいつもの軽いノリとは打って変わって、重々しい口調で言った。
「……何があったんだ?」
当然、俺は何か緊急事態があったのだと察する。
「昨日、勇者率いるリーラシア帝国軍が、国境を越えて南部魔国に侵攻してきたのじゃ」
「……は? え?」
「既に国境付近の砦が4つ落とされ、なおもゲーゲンパレスに向かって南進中とのことじゃ。早急に、迎え撃つための準備をせねばならぬ」
「いやいや、ちょっと待ってくれよ。リーラシア帝国と南部魔国は長年友好関係にあったじゃないか。俺がリーラシア帝国にいた時も、南部魔国へ侵攻するなんて話は全くなかったぞ? 何かの間違いじゃないのか?」
にわかには信じられない話を聞かされた俺が、勢いあまってまくしたてると、
「それについてはアタイの方から説明するよ」
これまで後ろに控えていたベルが、何ごとか言おうとした幼女魔王さまを制するようにスッと前に出た。
その顔は、この前練兵場で会った時のような人懐っこい笑みはなく、真剣そのものだ。
「ベル、今の話は本当なのか? 俺にはまだ信じられないんだ」
「ハルトの疑問はもっともだよ。どうも今回の件はリーラシア帝国の意思というよりは、勇者が独断で動いているみたいでね」
「勇者が? それは確かな筋からの情報なのか?」
「確かも確か。帝国軍のとある上級将校からの極秘情報さ。突発的な事態に備えて、軍上層部同士は常日頃から公式・非公式を問わず、独自のコネクションで繋がっているんだ」
「軍部トップの大将軍のベルと同格の上級将校で、南部魔国に肩入れしている信頼できる情報筋となると……情報源はリーラシア帝国・南部管轄軍区・総司令官のマナセイロ・カナタニア中将あたりか」
「鋭いねぇ。ま、明言は避けておくよ」
「だけど短期間で、さらに勇者の独断ともなれば、そこまで大規模な兵力動員はできないはずだ。となると、兵力は多くても5千ってところか?」
「情報によると約4千、歩兵中心とのことだね」
「南部魔国には数万の兵力がある。それに4千の歩兵で挑む、か。兵力が大きく劣るのを補うために、突然の奇襲攻撃を仕掛けたわけだな?」
「短期決戦での決着を目論んでいるんだろうね」
「向こうの狙いは分かったよ。だがやる事もやり方もあまりにもめちゃくちゃだ。下手をしたらリーラシア帝国参謀本部に話が通ってない可能性があるぞ」
軍団を動かすのは簡単ではない。
兵站――食料や備品の確保といった、兵団が戦闘活動を円滑に行うための後方支援が必要となる。
入念な準備をして初めて戦争は行えるのだ。
しかし戦争準備をすれば当然、南部魔国もその動向に気付いたはず。
気付かなかったということは、リーラシア帝国はろくに準備もせずに攻め込んできた可能性が極めて高かった。
そして有能だが、時に慎重すぎて『甲羅干しする亀』とまで言われる腰の重いリーラシア帝国参謀本部が、そんなボロボロの作戦を立案するはずもない。
勝てる戦いは確実に勝って敵にダメージを与え、負ける戦いでは損害を極力減らして戦力を温存することで、次の勝利へと繋げる。
戦況を精査し、当たり前のように最善手を立案してくるエリートぞろい。
北の魔王ヴィステムの討伐において、様々なサポートを受けた勇者パーティの一員だった俺は、リーラシア帝国参謀本部の実力を実体験として理解していた。
そもそも戦争で疲弊し、いまだ復興途上にあるリーラシア帝国が、友好国である南部魔国を攻める理由が存在しない。
今の状況で、有能なリーラシア帝国参謀本部が、こんなお粗末な作戦立案をすることは、到底考えられなかった。
「ご明察だ。リーラシア帝国の本意ではないとの意見で、我々も一致している。そして目的はおそらく――」
「妾の首じゃろうの」
幼女魔王さまが小さく肩をすくめた。
「魔王さまを――南の魔王を討伐しようっていうのか! 何を考えてんだ勇者は! 南部魔国は数十年来の友好国だぞ! その国家元首を討とうだなんて、ありえない!」
「おおかた二人目の魔王を討伐した実績でも欲しいのじゃろうて。聞くところによると、今の勇者は非常に功名心の強い人間だと聞き及んでおるでの」
「だからって、こんな騙し討ちみたいなやり方はしちゃいけないだろ! 分かった、そういうことなら俺も迎撃戦に参加する。昔の仲間として、あいつにこれ以上の好き勝手をさせるわけにはいかない」
俺は戦う決意を強く固めたんだけど、
「悪いけどハルト、それは許可できない」
ベルは首を左右に振った。
「ベル、俺は精霊騎士だ。大きな戦力になるはずだ」
「そうだろうね。でもハルトは人間族だ。魔王軍の配下として同じ人間族と戦わせるわけにはいかないさ。それに軍上層部の中には、ハルトが勇者の放ったスパイだと疑うやつもいてね」
「黒曜の精霊剣・プリズマノワールに誓って俺はスパイじゃない、それは信じて欲しい」
「もちろんアタイは分かってるよ。そもそもハルトがその気になればスパイなんてまどろっこしいことしなくても即、魔王さまの命をとれたわけだからね」
「だったら――」
「今回の不測の事態には、南部魔国も一枚岩じゃいられないのさ。拘束せずに自由を保障することがアタイのしてやれる最大限の誠意だと、どうか分かってはくれないだろうか?」
「……悪い、ちょっと熱くなっていたみたいだ」
そうだよな。
ベル――ベルナルドは軍部の実質トップである大将軍だ。
たくさんの兵士の上に立つ公的立場の人間なんだ。
個人的な好き嫌いだけで、物事を判断できるわけがない。
「分かった。俺の立場はあくまで魔王さまに招かれた客人だ。要請には従うよ。それと俺のことで迷惑をかけたみたいですまなかった。便宜を図ってもらって感謝している」
「なに、ハルトは魔王さまの命を救ってくれた恩人なんだ。アタイも個人的にハルトのことを気に入ってる。これくらいの迷惑、たいしたことはないってことよ」
そう言うと、ベルはニカっと男前に笑う。
さらに、
「のぅハルトよ。勇者はお主の昔の仲間なのじゃろう? 仲間と戦うのは辛いものじゃ。妾はハルトにそんな辛い思いをしてほしくはないのじゃよ」
幼女魔王さまが、いたわる様な優しい目で心配するように言ってくる。
「魔王さま……うん、そういうことも全部、分かっているよ。みんな俺を心配してくれてるんだってことが」
ほんと、気遣いばっかり上手な、へっぽこ魔王さまなんだからさ。
「では話は以上じゃ。しばらく王宮は留守にするが、ハルトは今まで通りゆるりとここで過ごすがよい。王宮の者には変わらぬ対応を続けるように申し付けておるからの。好きに出歩いても構わんのじゃ」
「ありがとう。心遣い、恩に着るよ」
「ハルトよ。これまでハルトと過ごした日々はなかなかに楽しかったのじゃ」
「おいおい、縁起でもないな。まるで死地にでも赴くような言い方をするなよな」
「戦地では何が起こるか分からんゆえの。なにより相手は一騎当千と名高い勇者であるからして」
「そうだな……みんなの武運を祈っているよ」
翌日。
幼女魔王さまとミスティは、緊急招集された2万の軍勢を率いるベルと共に、ゲーゲンパレスの北部にある平原へと出陣していった。
北上する途中で近隣の兵力をさらに結集し、兵力を増大させつつ、兵力差がもろに出る野戦にて勇者を迎え撃つ作戦とのことだ。
そして俺はというと、それをただ黙って見送るしかできなかった。
「俺も行きたいが、客人である以上、俺にはどうしようもできないんだ……」
ギュッと握り込んだ手の爪が、手のひらに強く食い込んだ。