ある日。
「今日はゲルドに行くのじゃ」
幼女魔王さまの言葉に、
「職業組合? いいけど視察かなにかか?」
俺は確認の意もを込めて聞き返した。
ギルドとは職業別の組合のことで、商業ギルドとか冒険者ギルドとか職人ギルドといった様々なものが存在する。
「ハルト様ハルト様、職業組合ではなくゲルドです。ゲーゲンナルドという大手ファーストフード店の略称なんですよ」
しかしミスティの説明を聞くと、どうも職業組合ではなかったようだ。
「ファーストフードっていうと屋台とか立ち食い焼き鳥屋みたいな、頼んですぐに食べられるあれか。お手軽で便利だよな」
「ふふん、ゲルドはそういった中でも別格の存在なのじゃよ。舐めてかかると痛い目にあうのじゃぞ?」
「それは楽しみだな。すぐに用意するよ」
…………
……
というわけで俺と幼女魔王さまとミスティは、王宮からほど近いゲーゲンナルドのチェーン店へとやってきたんだけど、
「これはまたえらくでかいな……!」
俺はまず建物の大きさに驚かされてしまった。
「細長いカウンター席だけ、みたいなこじんまりとしたのを想像してたんだけどさ。ここは普通のレストランの何倍もでかいぞ? 中でゆっくり座って食べられるようになっているのか」
「言ったであろう、ゲルドは別格の存在じゃと。規模を拡大することで収益力を高めるとともに、ゆったりとくつろげることで、子供連れのファミリーにも人気のファーストフード店なのじゃ」
「そういうアプローチなのか、勉強になるな。それにメニューもかなり豊富みたいだし、すごく楽しみだ」
「見て分からぬメニューがあれば、妾かミスティに聞くがよいのじゃ」
「絵が付いているからなんとなく分かるよ。単品とそれを組み合わせたセットメニューがあるんだな。ん? なぁ魔王さま、あれはなんだ?」
「どれなのじゃ?」
「あれだよ、あれ。一番右下にあるやつ。『スマイル0円』って書いてあるんだけど」
「文字通りの意味なのじゃ?」
「スマイルって笑顔だよな? それを頼むのか? しかも無料で? でも店のお姉さんはずっと笑顔を振りまいてるぞ?」
「店の価値観を最も表した『商品』が『スマイル0円』ということじゃよ。笑顔の接客を心がけるお店だというアピールなのじゃ。もちろん頼むと特別にお姉さんにスマイルしてもらえるのじゃよ」
「試しに頼んでみてもいいかな?」
「よいぞ。ただし書いてはおらんが、おひとり様1回限りが暗黙のルールなのじゃ。係のお姉さんも疲れるからの」
「――はっ、そうか! そういうことか!」
ビビっとひらめきを得た俺は、幼女魔王さまの言葉尻に被せるようにして言った。
「ハルト?」「ハルト様?」
「ともすれば客というものは、自分の方が店より偉いと思いがちだ。金を払うからな」
「まぁそうかものぅ」
「だが店が無料である『スマイル0円』を用意し、客も敢えてそれを頼まないことで、店と客が節度を持ったリスペクトしあう関係になる! それが互いを高め合って文化的に発展していくんだ。どうだ、俺もだいぶん最先端文化への理解が深まっただろう?」
「ま、まぁそういうこと、かの……?」
「ハルト様、難しく考える必要はありませんよ。お手軽なのがファーストフートの一番の売りなんですから」
「はっ!? 確かにミスティの言うとおりだった。お手軽さが売りのファーストフード店で、小難しい考えを披露するなんて本末転倒じゃないか! くっ、俺はなんて浅はかだったんだ……!」
俺は軽く息を吸ってはいてすると心機一転、気楽な気持ちでメニューを指さした。
「この一番上のセットメニューと、あと『スマイル0円』をお願いします!」
すると注文担当のお姉さんはにっこりと俺に微笑んでくれる。
素敵な笑顔に、まるで心が洗われるようだった。
「確かに、これは素敵なサービスだな」
また近いうちに来よう。
そう心に誓った俺だった。
今日は幼女魔王さまとミスティに連れられて、王都郊外にある練兵場での軍事教練を観覧していた。
「おおー! 皆、頑張っておるのじゃ!」
少し高くなった台の上の特別席から、練兵を見下ろす幼女魔王さまが、嬉しそうな声を上げ、
「本日は魔王さまがご観覧されておられますからね。訓練する兵士たちも気合が入るというものでしょう」
隣に立つミスティもそれに朗らかに同意する。
「確かに見事なもんだな。士気も高いし、練度の高さも相当なもんだ」
俺も同じような感想だった。
今は太鼓やほら貝の合図にあわせ、様々な陣形に変化する戦術変更訓練を行っていたのだが。
それぞれの部隊長に指揮され、他部隊とも連携を取りながらきびきびとした無駄のない動きで、様々に陣形を変えていく様子は、元軍属として見ていてとても気持ちのいいものだった。
――と、そこへ、
「魔王さま、本日はわざわざご足労いただき誠にありがとうございました。僭越ながら、全軍を代表してお礼の言葉を申し上げます」
190センチはありそうな長身の女軍人がやってきた。
軍服にはたくさんの徽章や勲章がつけられていて、一目でかなりの偉いさんだと分かる。
「おお、これは大将軍ベルナルド。壮健のようでなによりじゃ。今日はまっこと気合の入った素晴らしい練兵を見せてもらい、妾は大満足なのじゃ」
「もったいないお言葉にございます」
恭しく礼をした大将軍ベルナルド――額に大きな角の生えた鬼族だ――はそこで俺の方を向き直ると、
「で、あんたが魔王さまお気に入りの人間族――確かハルト・カミカゼって言ったかい?」
俺のことを値踏みするような視線を向けてきた。
「他に同姓同名がいなければ、俺がそのハルト・カミカゼだろうな。大将軍ってことはアンタが軍のナンバーワンってことか」
「形式上は魔王さまが最高責任者だけどね。実質的にはそういうことになるね」
「リッケン・クンシュセーってやつだな、知ってるぞ」
やはりこの国において魔王とはなんら実権がないにも関わらず、責任だけは取らされるという大変な立場のようだな。
あんな小さな身体でこの驚くほどの重責。
俺もできうる限り力になってあげないと。
「ところでハルト。アンタはかなりの腕前なんだってねぇ。街でもいろいろと評判みたいだぜ?」
「それはどうも。いい評判であること願ってるよ」
「謙遜するねぇ。なんでも北の魔王ヴィステムを討伐した勇者パーティにいたんだって? そうだ、今日会ったのも何かの縁だ。アタイに指導がてら、ちょっとした手合わせでも願えないかね?」
そう言ってベルナルドがニヤリと笑った。
「ベルナルド様、お戯れはおよしくださいませ」
するとミスティが焦ったような声を上げる。
「おいおいミスティ、そんな怖い顔するなよ。せっかくの美人が台無しだぜ? なに、ちょいと軽く汗をかかないかと言っただけじゃないか? なぁハルト、アンタもそれくらい別にいいよなぁ?」
「俺は構わないぞ」
そう言いかけた俺の言葉をミスティがさえぎった。
「ベルナルド様は一個師団級個人戦力とも呼ばれる、南部魔国の誇る最強の戦士です! 先だっても不遜な態度で上官に反抗した腕っぷし自慢の鬼族の新兵を、半殺しにしたばかりではありませんか!」
「あはは、鬼族同士はあれくらいでいいんだよ。どうせ少々の怪我ならすぐに回復するんだ。それにあれ以降あいつも素直になっただろう? アタイだって馬鹿じゃねぇんだ。相手を見て、力とやり方の加減くらいはしてみせるさ」
「で、ですが――」
よほど俺とベルナルドを戦わせたくないのだろう。
なおも言い募るミスティを俺はそっと手で制すると、
「ベルナルドって言ったか? ぜひ手合わせ願えるかな。俺もこっちに来てからまったり過ごしすぎててさ。最近身体がなまっている感じがして、しょうがなかったんだよ。手合わせしてくれるっていうなら、ちょうどいいよ」
パキッ、ポキッと軽く肩を回しながら、その申し出を受けて立つ。
「交渉成立だね」
ベルナルドが嬉しそうな――そして獰猛な笑みを浮かべた。
「こっちだ、ついてきな。すぐそこに1対1の模擬戦用の演習場があるんだ」
「分かった」
「ベルナルド様! ハルト様も!」
「そんなに心配しなくても、軽くて合わせするだけだから大丈夫だって」
「ああもう! 魔王さまもお止めください! 魔王さまが止めればいくらベルナルド様であっても――」
「まぁ良いではないかミスティ。ハルトの強さはミスティも知っておるじゃろ?」
「それはそうですが、ベルナルド様は大変に熱くなりやすい性分です。もしものことがあれば――」
「まぁ大丈夫であろう……多分。それに実務トップの大将軍のやることに、お飾りの妾が口を出したとなると、それはそれで少々厄介なことになるしの。ま、ここはハルトを信じて見守ろうではないか」
「魔王さまがそうまでおっしゃるのであれば……」
ミスティが渋々といった様子で引き下がったのを見て、
「じゃあ着いてきな」
ベルナルドが颯爽と歩き出した。
ベルナルド大将軍に連れられて模擬戦の場へとやってきた俺は、まずは手合わせのルールの確認をする。
「勝ち負けはどうやって決めるんだ?」
「シンプルにどちらかが負けを認めるまでってのはどうだ?」
答えたベルナルドは既に動きやすいように軍服の上着を脱いでいて、手には巨大な戦斧――バトルアックスを握っている。
斧の刃を背中合わせにくっつけた超重量級の武器だ。
「分かった――戦闘精霊【タケミカヅチ】、精霊術【カグツチ】発動!」
――御心のままに――
俺はまず、戦闘力を大幅に向上させる【カグツチ】の精霊術を発動した。
俺の身体に戦闘精霊【タケミカヅチ】の強大な力が巡りはじめる――!
さらに俺は、
「【ザ・パワー】、精霊術【テストステロン】発動だ!」
――フンガー!――
力の最高位精霊【ザ・パワー】に呼びかけ、筋力を大幅に増強させる精霊術【テストステロン】を発動した。
鬼族はなんせ力自慢だからな、まずは押し負けないようにしないといけない。
「へぇ、それが精霊騎士の精霊術か。魔王さまのとは次元が違うじゃないか」
「うるさいわい! 妾だって頑張っとるんじゃわい!」
ベルナルドの呟きを、遠巻きに様子を見守っていた魔王さまが聞きとがめ、思わずといったようにツッコミを入れた。
「いいね、アタイもたぎってきたぜ! ってわけで行くぜ、オラァ!」
吠えるように叫ぶとともに、ベルナルドが猛烈な踏み込みからバトルアックスを叩きつけるように振り下ろした。
超重量級に分類されるバトルアックスを、ベルナルドはまるで細い木の枝でも振っているかのように、いとも軽々と振り回す!
しかし俺は即座に反応すると、
「ハァァァッッ――!!」
抜剣した勢いそのまま黒曜の精霊剣・プリズマノワールでもって、ベルナルドの激烈なる一撃を弾き返した!
「へぇ、マジでやるじゃん。まさか今のを避けもせず、真っ向勝負で弾き返すとはね」
「わざわざ行くぜって宣言した上で、1、2の3で来ると分かってりゃ、そりゃまぁな」
「言ってくれるじゃないか。ならこいつはどうだい!」
次にベルナルドが繰り出したのは、打ち込むと見せかけたフェイントからの、俺の防御タイミングをずらしながらの、これまた強烈な一撃だった。
鬼族はただ力が強いだけではない。
武器を扱う技術も、闘志も、戦術も駆け引きも。
どれをとっても最高レベルの、戦うことに極限特化した根っからの戦闘種族なのだ!
しかし俺はベルナルドのフェイントをしっかりと見切ると、黒曜の精霊剣・プリズマノワールでこれまたなんなく弾き返した。
「いいね、いいね! 想像以上にいいじゃないか! オラっ、オラオラっ、オラァ――!!」
次々と放たれるベルナルドの猛撃を、
「おおぉぉ――っっ!!」
俺は一歩も引かずに打ち返し、さらには反撃の一打を繰り出してゆく!
キンキンキンキンキンキンキン――――ッ!
激しく打ち鳴らされるバトルアックスと精霊剣。
「いいじゃないかハルト! 素敵だぜ! まさかこれほどとはね! アタイも腹の奥がキュンキュンと熱くなってきたよ! これはアタイも真の力を見せてやらないとね!」
「――っ! いけませんベルナルド様! それだけはおやめください!!」
ここまで模擬戦を静かに見守っていたミスティが悲鳴をあげた。
しかし俺との戦いでテンションアゲアゲなベルナルドは、外野の言葉なぞ聞き入れはしない。
来るか――。
鬼族の持つ『種族奥義』――!
「『鬼力解放』っ!」
咆哮とともに、ベルナルドの筋肉という筋肉が、メキメキと音を立てて盛り上がってゆく!
鬼力解放を行うことで、鬼族はただでさえ強靭な筋力を、短時間ではあるが、さらに数倍にまで引き上げることができるのだ――!
「オラァァァッッ!!」
怒声とともに、ベルナルドが大上段に振り上げたバトルアックスを轟雷のごとく振り下ろす!
だめだ、さすがにこれは受けられない――!
「く――ッ、敏捷の精霊【アギーレ】、精霊術【ボルトーサイン】発動!」
――ナンクルナイサー――
俺は敏捷の最高位精霊【アギーレ】による、瞬発力を底上げする精霊術【ボルトーサイン】を使用すると、振り下ろされた一撃をすんでのところで右に跳びのいて回避した。
その直後、
ドゴォォォーーーーーーン!!
重々しい地響きのような重低音が周囲に響き渡り、さっきまで俺がいた場所が陥没してクレーターを形成する。
危機一髪、その超重量攻撃を回避することができた俺に、しかしさらに!
土煙を吹き飛ばして横薙ぎに振るわれたバトルアックスが襲いかかってくる!
「ハルト様――っ!!」
ミスティの悲鳴とともに、バトルアックスの巨大な側面が俺の身体ぶっ叩いて――、
「なにっ!? 消えただと――!?」
その瞬間だった。
ベルナルドが驚いた顔を見せ、「俺の姿」が揺らめいたかと思うと霞のように消えていったのは――!
そして――、
「残念、そっちは残像だ」
ぺるナルドの背後を取っていた俺は、黒曜の精霊剣・プリズマノワールをその首筋に軽く触れるように押し当てた。
「幻影の最高位精霊【イリュシオン】の精霊術【質量のある残像】だ。どうだ、本物そっくりだっただろ?」
「……いやはやこいつはたまげたね」
軽く肩をすくめると、ベルナルドはバトルアックスを手放した。
超重量武器がドスンと重い音をさせて足元に落下する。
「俺の勝ちってことでいいんだよな?」
「ああ文句なしにアタイの負けだね」
その言葉を確認してから、俺は黒曜の精霊剣・プリズマノワールを鞘へと納めた。
「まさかベルナルド様に勝ってしまうなんて――」
成り行きを見守っていたミスティが、信じられないといった表情で俺を見つめてくる。
少し頬が赤くなっているようなボーっとした表情なのを見るに、俺のことが心配で力が入っていたんだろうな。
まったくミスティは心配性なんだから。
ちなみに幼女魔王さまがえらく静かだなと思っていたら、最初ちょっと打ち合った時点で俺が激しく攻め立てられるのを見てからずっと、座ったまま気を失っていたらしい。
「おや……? 気が付いたら戦いが終わっておったのじゃ?」
ミスティにどっちが勝ったのかを尋ねている、相変わらずのへっぽこ魔王ぶりだったけど。
最近はそういう幼女魔王さまを見ていると、俺も幸せな気持ちになってくるんだよな。
俺にとっても、スローライフの象徴になってくれているっていうか。
「そういうわけでベルナルド」
「ベルでいいよ。親しい相手はみんなそう呼んでいるから。ミスティはお堅いから、いつまで経っても『ベルナルド様』としか呼んでくれないけどね」
そう言いながらベルナルド――ベルがこちらへと振り向いた。
さっきの手合わせが余程楽しかったのか、負けたって言うのに嬉しそうに笑っている。
実に戦うことそのものが大好きな鬼族らしいよ。
「分かった、ベル。じゃあ俺のこともハルトって呼んでくれ」
「了解、ハルト」
「それでベル。これで兵士たちへの面目もついたかな?」
俺はそう言うと、いつの間にか訓練を中止して俺とベルの手合わせを見守っていた多くの兵士たちに視線をやった。
「おやおや、それも気付いていたのかい」
「魔王さまは慕われているからな。そこにどこの馬の骨とも知れない人間族がやってきていきなり厚遇されていたら、面白くないと思うなって言うほうが、無理ってなもんだろ。だからこうしてベルが、俺の力を見せる機会をくれて助かったよ」
ベルは自分と手合わせすることで、俺の実力を周囲に知らしめようとしてくれたのだ。
「実際のところ半分くらいは、アタイの興味本位だったんだけどね。それにしても、やれやれまったく、そこまでお見通しとは。これは本気でアタイの完敗だね。魔王さまが一目置くだけのことはあるよ」
「ベルだって十分強かっただろ。それに最後もし本気でこられてたら、正直どっちが勝っていたか怪しかったと思うし」
「アタイは最初から最後まで本気だったよ」
「さて、どうだかな?」
最後の一撃にしても、ベルにはまだ幾ばくかの余力や余裕があったように俺は感じていた。
本気ではあっただろうけど、本気の本気ではなかったって感じだ。
でもま、せっかく俺に花を持たせてくれるって言うんだ。
これ以上詮索するのは野暮ってなもんだろう。
こうして。
大将軍ベルナルド――ベルと一戦交えて気に入られた俺は、兵士たちにも凄腕の精霊騎士として広く認知されることとなった。
「ほぅ、ほぅほぅ……そこだ……いけ……!」
その日、俺は自室で本を読んでいた。
読んでいたのは異世界に転生して始まる冒険小説である。
ここゲーゲンパレスは文化的最先端を謳うだけあって、度肝を抜く設定の様々な面白おかしい小説が発行されており、俺はすっかりはまってしまっていたのだ。
今読んでいるのはお気に入りの一つである『無敵転生』というシリーズの第一巻だ。
「このシーンは何度読んでも胸にくるよなぁ……」
俺はクライマックスの直前。
最強の王竜《|神焉竜》に一度は殺された主人公が、チートと呼ばれる不思議な力で生き返り、さらには伝説の《神滅覇王》を顕現させるくだりを何度も読み返していた。
「其は神の御座を簒奪すもの――!」
黒曜の精霊剣・プリズマノワールを抜き、作中のポーズをとって決めゼリフを言ったりしながら、俺が読書タイムを堪能していると、
「最近ハルト様はよく小説を読んでおられますね」
「小説は人生を豊かにする清涼剤じゃ。ハルトも少しずつ情緒の何たるかを理解してきたようじゃの。良きかな良きかな」
今日も今日とてミスティと幼女魔王さまが、俺の部屋へとやってきた。
「小説っていいよなぁ」
俺がしみじみとつぶやくと、
「ハルト様、帝国には小説はなかったのですか?」
ミスティが「おや?」という顔で尋ねてくる。
「もちろん帝国にも小説はあったよ。あったけど、ゲーゲンパレスの小説は会話主体で、帝国の小説より軽いって感じなんだよな」
「軽い、ですか」
俺はあまり小説を読んだことはなかったんだけど、それでも明らかに違いを感じる。
「帝国の小説はさ。神の世界に迷い込んだ人間が審判を受けてひたすら苦悩したり、身分違いの恋の果てに心中したりって感じの、人間の内面を掘り下げるって言うのかな。重いのが多かったように思う」
「そうなんですね」
「ハルトよ。これらの小説はライトノベルと呼ばれ、小説とは似て非なる新ジャンルと理解されておるのじゃよ。ちなみに『異世界転生』と『悪役令嬢』が最近の流行りなのじゃ」
「ふぅん、そうなのか。勉強になるな。それにしてもライトノベルだっけ? これにも詳しいなんて、さすがは国民に愛される魔王さまだ」
大衆文化にも細かく目配りすることで、庶民の心を広く深く理解しようとする幼女魔王さまの心意気に、俺は関心しきりだったんだけど、
「そ、それほどでもないのじゃ?」
なぜか幼女魔王さまが少し慌てたような素振りを見せた。
ん、あれ?
今なにか慌てさせるような会話したっけ?
まぁいいけど。
そんなことよりもだ。
「なぁなぁ魔王さま。魔王さまはこれ読んだことがあるか? 『無敵転生』っていう俺のお気に入りなんだけどさ」
「む、『無敵転生』じゃと!? うん、まぁ……し、知らんこともないのじゃぞ?」
「やっぱ魔王さまも知っていたか! 戦闘シーンがめっちゃかっこいいんだよな!」
「そ、そうか! そうよのぅ! ハルトは話が分かる奴じゃのぅ!」
なぜか幼女魔王さまが、食い付き気味に喜んでいた。
もしかして俺と一緒でこの作品のファンなのかな?
「こんなカッコいい鬼気迫る戦闘シーンを書けるなんて、きっとこの作者はバリバリの軍人だよ。間違いない」
「そ、それはどうじゃろ?」
「絶対そうだって。《神焉竜》に殺されてからチートで生き返ってヒロインのために再び剣を握るシーンなんて、俺もう胸が熱くなってページをめくる手が止まらなくなるもん。ほんと、どんな作者なんだろうな。会って話をしてみたいよ」
「――ですって。良かったですね魔王さま。ハルト様のお気に入りだなんて」
「う、うむ……であるな」
「ん? 何の話をしているんだ?」
「ハルト様、実はですね。この本を書いたのはなんと――むぐっ」
「待てぃ! 待て待てぃ! 待つのじゃミスティ! みなまで言うでないのじゃ!」
いきなり幼女魔王さまがミスティのお口に手を当てて、むぎゅっと言葉を止めた。
「ちょいとミスティ、こちらに来るのじゃ」
「どうしたんですか魔王さま」
2人は俺から離れて壁の端っこまで行くと、なにやら小さな声で話し始めた。
俺には聞かせられない話をするみたいだ。
きっとゲーゲンパレスの文化の根幹にかかわるトップシークレット=機密事項を話しているのだろう。
とてもフランクに親しく接してくれるから時々忘れそうになるけど、こう見えて南の魔王と、お付きの専属メイドなのだ。
客人の俺には聞かせられない話なんて、それこそ山ほどあるはず。
なので俺は特に詮索をすることもなく、黙って手元の本に目をやった。
静かに一人、読み返してゆく。
「こ、これミスティ。知り合いに妾がこのラノベを書いておることがばれたら恥ずかしいではないか!」
「そんなことありませんよ。むしろ誇るべきです」
「とても誇れないのじゃ。だってこれ、あんま売れてないんじゃもん……」
「それでしたら、魔王さまが書いたと知れば、みなこぞって買うと思いますよ?」
「それでは意味がないのじゃよ。妾は先入観なしの『作家としての評価』が欲しいのじゃから」
「そう言うことでしたら仕方ありませんね」
――割と短い時間で二人が戻ってきて。
俺は再び楽しくラノベ(ライトノベルをラノベと訳すのが通なのだそうだ)という最先端文化について、熱く語りあったのだった。
ちなみに。
ミスティはそうでもなかったけど、幼女魔王さまはラノベ研究家かよ――ってくらいにやたらと詳しかった。
「庶民文化にここまで精通してるなんて、リッケン・クンシュセーの王は本当に大変なお役目なんだな。改めて尊敬するよ」
「え、あ、うん……なのじゃ……? まぁ、うん……なのじゃ?」
俺は手放しで褒めたんだけど、なぜか歯切れの悪い言葉を返してくる幼女魔王さまだった。
今日の俺は、魔王さまとミスティに連れられて、王宮の裏手の一画にある王宮菜園へとやってきていた。
「これはすごいな。ちょっとした家庭菜園って聞いていたのに、まさかここまで本格的だったとは」
「ふふん、妾を舐めてもらっては困るのじゃ。幼少のみぎりに夏休みの自由研究でアサガオ観察をして以来、少しずつ手を広げ。今ではトマトにキュウリ、ナスビにゴーヤと多種多様な野菜栽培を行う、今やこの王宮菜園の一角を任されるに至った凄腕の家庭菜園家であるからして」
幼女魔王さまが胸を張った。
だがしかしそれもうなずけるというもの。
俺の目の前には、赤や緑の実をつけた様々な野菜が、元気に大きく育っていたのだから。
「ほれ、このプチトマトなぞはちょうど今が獲れ頃、食べてみるがよいのじゃ」
幼女魔王さまが真っ赤に色づいたプチトマトを、もぎゅっともいで俺に手渡してくる。
「もぐ……うん、美味しい。瑞々しいのに、しっかり甘い」
「そうであろう、そうであろう。水やりのさじ加減なぞ、だいぶんコツが分かってきたからのぅ」
「頑張っているんだな。大地の精霊もすごく喜んでいるぞ。土づくりから愛情を込めて育てている証拠だ」
「さすがですハルト様。そこまで分かるんですね」
「そっか。ミスティは顕現していない精霊の声は聞こえないのか」
「はい。魔王さまとハルト様は超がつくレアジョブですので」
そうつぶやいたミスティは、どことなく寂しそうだ。
ミスティをのけ者にするつもりはこれっポッチもないんだけど、精霊絡みだとどうしてもそうなってしまうんだよな。
「えっとすまんのじゃが」
と、魔王さまがおずおずと手を上げた。
「どうした魔王さま?」
「実を言うと妾もそこまではっきりとは聞き取れんというか……ごめん、全く聞き取れておらん可能性が無きにしも非ずであって。え? ほんとにそんなのおるのじゃ?」
幼女魔王さまは耳に手を当てて、一生懸命に精霊の声を聞き取ろうとしているけど、どうもうまく聞き取れないらしい。
「声が多すぎて、混ざって雑音に聞こえちゃっているのかもな」
精霊の声が聞けないミスティだけじゃなく、頑張った幼女魔王さまもこれだけ土の精霊に愛されていることを知ることができないなんて、残念すぎる。
ってわけで!
「よし分かった。なら俺が、喜ぶ精霊たちの姿を2人に見せてあげようじゃないか」
「「え?」」
「精霊は顕現させればミスティみたいな一般人でも見ることができる。まぁ見てろ――!」
俺は一度大きく深呼吸をすると足元の大地に意識をやり、土の最高位精霊【ノーム】たちへと呼びかけた!
「この菜園に集いし土の精霊たちよ! 我が友の前に姿を現したまえ!」
「おお、ハルトが【精霊詠唱】するとはめずらしいのぅ――って、うおおおおぇぇっっ!?」
幼女魔王さまが素っ頓狂な声を上げた。
――合点承知!――×1000
「こ、これは――っ!」
わずかに遅れてミスティも目を丸く大きくする。
だがそれも仕方のないことだろう。
目の前には、ところ狭しと現れた1000体もの【ノーム】の姿があったからだ。
「どうだ、この辺りにいる【ノーム】に全部出てきてもらったんだ。でも俺が思ってた以上にたくさんいたみたいだな。やれやれ、俺もまだまだだな」
「俺もまだまだだな、じゃないのじゃ! こんな数の最上位精霊をあんな短いフレーズだけで一瞬で呼び出しておいて、やれやれも、まだまだも、たまたまもあるかーいっ!」
「おいおい、なに言ってんだ。魔王さまが土づくりに力を入れたからこそ、ここにたくさんの【ノーム】がいたわけで、言ってみればこれは魔王さまの功績だろ?」
「こ、これが妾の功績じゃと?」
「俺もまさかここまでたくさんいるとは思ってなかったからさ。これは一朝一夕で集まるものじゃない。魔王さまの長年の努力の結果だよ。さすがだな魔王さま」
「そ、そうか……うむ……妾の功績か……ならばよし――って、んなわけあるかーい!」
再び幼女魔王さまがクワッと大きく目を見開いた。
「1000体もの最上位精霊を一斉召喚じゃぞ!? どれほどの才があればそんなバカげたことができるんじゃい! あほー! ばかー! ハルトのおたんこなすー!!」
ハァハァと息を切らせるほどの幼女魔王さまの魂のシャウトが、王宮家庭菜園に響き渡った。
悲しみに暮れる幼女魔王さまを【ノーム】が一体、肩に乗ってよしよしと慰める。
「ほらな、【ノーム】が魔王さまのことを認めている証だ」
「なんと! では早速、妾と精霊契約を――ってああ、なぜ逃げるのじゃ」
しかし精霊契約をしようとした途端に、肩に乗っていた【ノーム】がスゥッと虚空に消えていった。
それに続くように他の【ノーム】たちも、一斉にその姿が見えなくなっていく。
「な、なぜなのじゃ……」
がっくりとうなだれる幼女魔王さま。
「あのさ、魔王さま。がっつき過ぎはよくないと思うんだ。もっと肩の力を抜かないと」
俺の言葉はしかし、
「上位精霊と契約する千載一遇の……下手したら最初で最後のチャンスが、泡と消えてしまったのじゃ……無念……」
未練たらたらで【ノーム】たちのいた場所を見つめ続ける幼女魔王さまには、残念ながら届いていないようだった。
「ハルト、今は時間は空いておるかの?」
俺の部屋――正確には俺が使っていいと言われている部屋だが――に、幼女魔王さまが一人でやってきた。
「あれ、珍しいな。ミスティが付いてきていないなんて。俺の所に来るときはいつも2人で一緒だったのに」
「う、うむ。実はハルトに、折り入って頼みがあるのじゃ」
もしかしてミスティには内緒にしたい話だろうか。
「いいぞ、俺にできることなら何でも言ってくれ」
特に断る理由もなかったし、いろんなことを教えてくれて、たくさんの場所に案内してくれた幼女魔王さまには、どんな形でもいいからお礼をしたいって思っていたしな。
渡りに船だ。
「頼みというのは他でもないのじゃ。妾に精霊の上手な扱い方を教えて欲しいのじゃが、ダメであろうか?」
「あー、そういうことか。でもうーん、そうだな。ちょっと難しいかも」
「そ、そうじゃよの。それほどの高度な精霊術じゃ。そうそうは他人には教えられんものじゃよの」
俺の答えを聞いて、幼女魔王さまがあからさまにショボーンとする。
「いや、そういう意味じゃないんだ。俺じゃあ教えられないかなって思っただけで」
「ハルトでは教えられない? それはどういう意味なのじゃ?」
「うーんとさ。魔王さまと精霊について話したりして最近気づいたんだけどさ。俺ってどうも特殊っぽいんだよ」
「今さらかーい! 今さら気付いたんかーい! ま、それもハルトらしいと言えばらしいのじゃよ」
「実はその理由には心当たりがあってさ。それが教えるのが難しいって話の核心なんだけど」
「と言うと?」
俺の言葉に、幼女魔王さまが目を輝かせながら身を乗り出してきた。
理由を知ることができれば、もしかしたら自分も似たような感じでできるようになるかも、みたいなことを思ったんだろうな、きっと。
「別に隠していた訳じゃないんだけど、俺って子供の頃に桃源郷に迷い込んだことがあるんだよ」
「桃源郷……とな? おとぎ話で精霊の住処と言われる、あの桃源郷かえ?」
「その桃源郷だ。幼い頃に偶然迷い込んだ俺は、そこで精霊たちと友達になったんだ」
「な、なんじゃとぉ!?」
幼女魔王さまが激しく動揺した声を上げた。
「だから俺にとって精霊は、友達感覚でなんでも話したりお願いしたりできる相手なんだよ。向こうも俺のことを、手のかかる子分か弟分だとでも思っているっぽいし」
「あqwせdrftgyふじこlp!!??」
幼女魔王さまが、草原を歩いていたら伝説のドラゴンに出くわした! みたいな声にならない声を上げた。
「黒曜の精霊剣・プリズマノワールも、桃源郷を出てふと気が付いたら手の中にあってさ。だからきっと俺は魔王さまの役には立てないと思うんだ。一応確認なんだけど、魔王さまは桃源郷に入ったことはないよな?」
「そんなもんあるわけないのじゃ! おとぎ話の世界にどうやって入れというのじゃい!」
「だろ? そういうわけだから、俺のやり方は多分参考にならないと思うんだ。桃源郷に入って精霊と友達になればいいってアドバイスしても、なぁ? 俺もあれ以来入れた試しがないし」
「確かにそれは再現性がゼロっぽいのじゃよ……」
幼女魔王さまがシュンと肩を落とした。
「ああでも、1つだけアドバイスっていうか、気になったことはあるぞ」
「な、なんなのじゃ!? 何でもよいのじゃ。気になったことをぜひとも妾に教えて欲しいのじゃ!」
身を乗り出しながら両手をぐっと握って、鼻息も荒く尋ねてくる幼女魔王さま。
「それそれ」
「? どれなのじゃ?」
「魔王さまはさ、精霊のことになるとすごく力が入るだろ? もうちょっと肩の力を抜いた方がいいと思う」
「じゃが肩の力を抜いてしまっては、精霊と交感するための集中力が乱れるのではないか?」
「なんていうのかな。それは自分から心の壁を作っちゃってるって言うか。精霊はもっと自然に付き合うものなんだ。そうだな、実際やってみせるか。おいで――」
俺はそう言うと、幼女魔王さまの契約精霊である【火トカゲ】を呼び出した。
「ちょっとぉ!? 妾の契約精霊を、ハルトが勝手に呼び出したちゃったんじゃが!?」
「これくらいは普通だろ?」
「じゃから普通じゃないと言っておるじゃろうに!?」
「まぁそれは今は良いじゃないか。ほら、飼い猫を撫でるみたいに気楽な感じで頭を撫でてみて……いや俺のじゃなくて【火トカゲ】の頭をな?」
「こほん、今のは素で間違えたのじゃ」
身長差を埋めるべく背伸びして俺の頭に手を伸ばそうとしていた幼女魔王さまが、顔を真っ赤にして小さく咳払いをした。
だけどそのおかげで、いい感じに肩の力が抜けた気がする。
幼女魔王さまは今度こそ【火トカゲ】の頭をそっと優しく撫でた。
すると【火トカゲ】が嬉しそうに目を細める。
「おおおっ!? このような反応は、今までされたことがなかったのじゃ! なんと可愛いのじゃろうか……むふふふ」
精霊と触れ合って、幼女魔王さまの顔にひまわりのような大輪の笑顔が咲く。
「精霊はきっと偉大な存在なんだと思う。でもだからって、変にかしこまる必要もないと思うんだ」
「ふむふむ」
「魔王さまが平民とも分け隔てなく仲良く会話しているみたいにさ。こんな感じで力を抜いていけば、精霊はきっと応えてくれるはずだから」
「そうじゃったのか。今までの妾は、精霊が相手だからといって自分から壁を作ってしまっておったのじゃな」
「そういうことだ」
「そうか、そうであったのか。精霊との付き合い方が分かった気が、しなくもないのじゃ。感謝するのじゃよハルト。妾は今、小さな――しかし果てしなく価値のある一歩を踏み出した気がするのじゃ」
「それは良かった。魔王さまにはいつも世話になってるからな。今回お役に立てて光栄だ」
「それにしても、むふっ。この子は本当に可愛いのじゃ。おっと、そういえば名前がまだないの……よし決めた。お主はちび太と名付けるのじゃ。小さいからちび太なのじゃ! おいでちび太! ――って、ああ! 消えるでない! 消えるでないのじゃ! ちょ、ちょっと待って――! ううっ、ちび太が消えてしまったのじゃ」
「まぁ焦らず少しずつな。急いては事を仕損じるだ。気長に行こうぜ」
というわけで。
幼女魔王さまは契約精霊の【火トカゲ】に「ちび太」と名付け、少しだけ仲良くなったのだった。
ある日のこと。
俺が自室に入ろうとドアを開けたところ、なぜかミスティがメイド服の上をはだけて素肌と下着をさらしていた。
可憐なミスティによく似合う、可愛らしいピンクのブラジャーだった。
「えっと……ミスティ?」
「は、ハルト様!?」
見る見るうちに顔を真っ赤にしたミスティは、しかしそのまま固まってしまい――、
「おおっと、ごめん! 覗くつもりはなかったんだ!」
俺はただちに謝罪をすると、急いでドアを閉めた。
ドアを閉めてすぐに部屋を確認する。
「……? でもここは俺の部屋で間違いないよな? なら、どうしてミスティが俺の部屋で服を脱いでいたんだ?」
なんとも不思議な事態を前に、俺がしきりに首をかしげていると、
「ふむ。これはいわゆる『お約束』というやつじゃの」
いつの間にかやってきていた幼女魔王さまが、なにやら納得顔で満足そうにつぶやいた。
「お約束ってなんだ?」
「お約束とは、物語に『まるで約束でもしているかのように必ず登場する』よくある展開のことじゃ」
「よくある展開?」
「ヒロインが着替えていたところ、主人公が偶然にドアを開けてそれを見てしまう――というようなイベントは、流行りのラノベでもテンプレ中のテンプレじゃからの」
俺の疑問に対して、幼女魔王さまがなにやら変てこなことを言いだした。
「なぁ魔王さま、一つだけいいかな?」
「なんなのじゃ?」
「お話と現実を一緒くたにしちゃいけないぞ?」
俺は心からの親切心でそう指摘してあげたんだけど、
「それをハルトが言うのかえ!? おとぎ話の桃源郷に入ったハルトがそれを言うのかえ!? 妾はそこんとこ、どうしても納得がいかんのじゃが!?」
幼女魔王さまはプリプリと怒ってしまった。
「むっ、そう言われると確かにそうかも?」
おとぎ話を現実に体験しちゃった俺がそれを言うのはどうかなと、自分でも思わなくもない俺だった。
そんな噛み合ってるのか噛み合っていないのか微妙に分からない会話をしていると、ミスティがそそくさと落ち着かない様子で俺の部屋から顔を出した。
さっきのことを引きずっているのだろう、頬はまだ少し赤いままだ。
もちろんメイド服はちゃんと着なおしている。
ミスティは開口一番、
「先ほどは大変申し訳ありませんでした。ハルト様のお部屋を清掃中に、急にブラのホックが外れてしまったんです。お見苦しいものをお見せてしまい、言葉もございません」
そう言ってミスティは、俺に向かって深々と頭を下げた。
「いいや、俺の方こそ掃除の時間なのは知っていたのに、勝手に入って悪かった。静かだったから、てっきりもう掃除は終わったものだとばかり勘違いしちゃってさ」
「いいえ、そもそも自室に入ろうとしただけのハルト様は、なにも悪くありませんので」
「でもいろいろ見ちゃったのは事実だからさ」
「いえいえ勝手に見せてしまった私の方が悪いんです」
「でも俺も――」
…………
……
「最後のこそばゆい譲り合いのやり取りまで、実にお約束じゃのう。これは創作意欲が湯水のごとく湧いてくるのじゃ。うむ、良きかな良きかな」
この一連のお約束がよほどツボったのか。
さっきからずっと、やたらと満足顔な幼女魔王さまだった。
俺と幼女魔王さまとミスティは、ゲーゲンパレス郊外の山へキャンプにやってきていた。
カレーライスを作り、テントを立てて一泊するというシンプルかつベーシックな野外活動だ。
まずは俺が焚き火用の枯れ枝を拾い集めている間に、幼女魔王さまとミスティがテントを立ててカレーの準備をするという段取りになっている。
散策がてら両手で抱えるほどの枯れ枝を集めた俺が2人のところに戻ると、そこには既にテントがバッチリ組み立てられていて、カレーとご飯も後は火にかけるだけまで用意されていた。
「割と早く戻ってきたつもりだったんだけど、そっちの準備が終わる方が早かったか。悪いな、ここから先は火がないとやりようがないってのに待たせちゃって」
「ふふん。ミスティはできるメイドじゃからの。野外活動もこの通り、お手の物なのじゃ」
「そういう魔王さまは何をしたんだ?」
「魔王さまも野菜の皮むきをやりましたよね」
「こう見えてジャガイモの皮をむくのは、大の得意であるからして」
「つまりテントを立てるのもカレーの下ごしらえも、ほとんどミスティが一人でやったってことか」
「……そうとも言うのじゃ」
「魔王さまは根っからの頭脳派ですからね」
「そういう問題なのかな……?」
「まぁまぁ。それはよいではないか。しかしハルトもなかなかやるのう。この短時間で、こんなにも大量の枯れ枝を拾い集めてくるとは、驚いたのじゃよ」
「しかもどれもしっかりと乾燥した燃えやすい枝ばかりです。さすがですねハルト様♪」
幼女魔王さまとミスティに手放しでほめられて嬉しかった俺は、
「森は精霊がたくさんいるからな。ちょいと手伝ってもらったんだよ。特に【ドライアド】はフレンドリーな精霊だし、お願いしたらたくさん枯れ枝を拾ってきてくれたよ」
ちょっと自慢げにそう言ったんだけど──。
「も、森の女王とまで言われる最高位精霊【ドライアド】を、枯れ枝拾いごときに使ったじゃと!?」
「魔王様、深呼吸です深呼吸!」
今日も今日とて幼女魔王さまは意識を失いかけ、ミスティがすぐに支えに走った。
そんなこんな、いつもの俺たちのやり取りを終えてから。
俺が拾ってきた枝を使って、ミスティがマッチの火から巧みに大きな火を作ってみせる。
「燃えやすい小枝で種火を作ってから、大きな枝に火を移す。上手いもんだな」
「どうじゃ、さすがであろう。ミスティは本当になんでもできるのじゃ」
なぜか幼女魔王さまがふんすと胸を張って言った。
「ああ、見事すぎて【イフリート】を使う間もなかったよ」
「やはり使う気じゃったか……そんな気はしておったのじゃよ……」
「もし火がつかなかったら最終手段でって思っていただけだよ」
「どうじゃかのぅ」
幼女魔王さまが半分諦め、半分疑念の目を向けてくる。
「ですがハルト様は旅が長かったんですよね? 火を起こしたことはなかったんですか? 旅をするうえで、結構な必須テクニックだと思うんですけど」
「俺はその気になれば【イフリート】でいくらでも火を使えるからな。火を起こす技術を習得する必要はなかったんだ」
「ほんとお主ときたら、事あるごとに【イフリート】を生活の道具に使いおってからに……最強の炎の魔神を何だと思っておるのじゃ?」
「もちろん頼れる相棒だ。【イフリート】は土砂降りの雨が降っていようが、氷点下の極寒の地だろうが、どんな環境でも火を使えるマジですごいやつなんだぞ?」
「あまりに自信満々に言われすぎて、なんかもう妾は最近、ハルトのほうが正しい気すらしてくるのじゃよ」
◇
それから、カレーを食べて一通り後片付けをした後。
俺たち3人は開けた場所に出て、肩を並べて地面に座り、後ろ手に手をつきながら、夜空に浮かんだ満天の星空を見上げていた。
俺を挟んで両サイドに幼女魔王さまとミスティという並びだ。
「お、流れ星だ」
「なんと! どこじゃどこじゃ!」
「右上に見える六連星の辺りだな」
「むぅ、さすがにもう見えんか」
「さすがにな。だけど流れ星はある程度まとまって見えるから、あの辺りを見ていればまた見えると思うぞ」
「うむ……あ、さっそく流れたのたじゃ! 南部魔国の平和が続きますように!」
幼女魔王さまが早口で願いごとをする。
「流れ星に願いごとか。子供の頃によくやったなぁ」
「満天の星空の下、流れ簿にし願いごとをする。とっても浪漫がありますよね」
ミスティが楽しそうに笑う。
「やはりキャンプは良いのう。空は広く、周りは暗く、静寂に包まれておる。人の手が入り管理された自然とは、また違う趣きがあるのじゃ」
「それ分かるなぁ」
「ですが女の子的には汗をかいたまま、軽く拭いただけで寝るのはちょっと気になってしまいますけどね」
「こればっかりは仕方ないじゃろうて。それもまた一興じゃ」
「やれやれ、今度こそ俺の出番だな」
「ハルト?」「ハルト様?」
幼女魔王さまとミスティが、満点の星空から俺へと、揃って視線を移した。
「まぁ見てなって。【カオウ】、精霊術【バブ・エ・モリカ】発動だ!」
――りょーかい――
浄化の最高位精霊【カオウ】に呼びかけた俺は、とある精霊術を起動した。
すぐに清き浄化の光が俺たち3人を優しく包み込んだかと思うと、
「こ、これはなんと……!」
「身体から汗が綺麗さっぱり消えて、ほのかに石けんの香りがしてきました――!」
幼女魔王さまとミスティが目を見張った。
「綺麗に身体を洗ったのと同じ効果をもたらす補助系の精霊術だ。服も一緒に綺麗になる。勇者パーティで旅をしていた時は、めちゃくちゃ重宝されたんだぜ?」
特に女性陣からは大人気だった精霊術の一つだ。
「すごいですね。これがあれば旅が格段に快適になります!」
汗と汚れを綺麗さっぱり落とせたミスティは、とても嬉しそうだ。
ミスティは普段から綺麗好きで、近づくとうっすらと香水のいい匂いがしていたもんな。
かなり気になっていたんだろうな。
「ド派手な戦闘から生活応援まで、ハルトの精霊術はほんになんでもありじゃのう……」
幼女魔王さまが顔に手を当てると、そのまま仰向けに倒れそうになる。
「ま、魔王さま、お気を確かに!」
ミスティが俺の背中越しに身体を回して、幼女魔王さまの身体を支えた。
「うーむ、今日はもう寝るのじゃ……妾はちょっと、現実に打ちのめされたゆえ……」
「そろそろいい時間だし、俺たちも寝るか」
「ですね」
俺たちはテントに戻ると、大自然の静寂に包まれながら、朝までぐっすり眠ったのだった。