「北の魔王ヴィステムとの戦争が終わって、やっと平和が訪れたんだけどさ。でもそれは同時に、大量の兵士や傭兵が失業するっていう事態を招いたんだ」
「あ……」
もちろんリーラシア帝国だって馬鹿じゃない。
公共事業や就労支援、住まい・食事の提供といった様々な支援策を、矢継ぎ早に打ち出し、治安の維持に努めてはいた。
それでも――、
「『専門の職業傭兵』とは違う、目先の金欲しさに傭兵に鞍替えした一部の心ない奴らが、戦後に盗賊や野盗になり下がって、近隣で略奪行為を働くようになったんだ。俺も過去に何度か、野盗狩りに出向いたことがある」
せっかく長年の脅威だった北の魔王ヴィステムを討伐したっていうのに、今度は人間同士でいさかいが起きる――悲しすぎる現実だった。
「それで先ほども野盗の対処に手慣れていたのですね。納得です」
俺の説明にミスティが納得顔でポンと手を打った。
とりあえずは今の説明で、いろいろガッテンしていただけたみたいだな。
「悪いな。人間族の事情で、魔族にも迷惑をかけちまって」
「構わぬよ。こういうことは、何度をどうしてもゼロにはできぬもの。お互い様なのじゃ。なによりリーラシア帝国は最前線で戦った。当然、戦後の反動は他国よりも大きいじゃろうて」
ここまで聞きに徹していた幼女魔王さまが、いかにも統治者っぽくいい感じに話を締めた――締めようとして、
グ~~~~~~。
幼女魔王さまのお腹が派手に鳴った。
それはもう派手に鳴った。
よほど恥ずかしかったのか、幼女魔王さまの顔が一瞬で真っ赤になる。
「腹が減っているのか? 飯は? 持ってきてないのか?」
「先ほど野盗から逃げる時に、少しでも荷を軽くするためにと全部投げ捨てたのじゃ……」
「つまり腹は減ったが食い物はないと」
俺のその言葉に、
グ~~~~~~~。
返事の代わりにまたもや幼女魔王さまのお腹が鳴り、顔だけでなく耳まで真っ赤っ赤に染まってしまった。
「一応、干し肉ならあるけど、よかったら食べるか?」
「干し肉~?」
俺の提案に対して、それはもう嫌そうな反応をする幼女魔王さま。
『ほ・し・に・く・ぅ~?』って感じのイントネーションだ。
「も、申し訳ありませんハルト様!」
慌てて謝るミスティを俺は笑って制止する。
「はははっ。ま、そう言いたくなる気持ちは分からないでもないさ。保存食として優れている代わりに、硬くて堅くて固い。なんせ食べにくいのが、干し肉って食べ物だからな」
「うむ!」
「魔王さま、うむじゃありませんよ! ハルト様のせっかくのご厚意なんですよ。分かっていますか? 今の私たちは食べ物がないんですよ?」
「じゃが、干し肉なんぞ食べたくはないのじゃ……」
「そうだよな。魔王さまともなれば、市販の干し肉なんて、そりゃブタの餌も同じだよな」
「いや、さすがにそこまでは言っておらんが……」
「だが安心してくれ。ここにいる俺、ハルト・カミカゼはレアジョブ精霊騎士だ!
俺には干し肉を上手に料理する、マル秘テクがある!」
「マル秘テクじゃと!?」
「そんなのがあるんですが?」
「まぁいいから、2人ともちょっと見てなって」
俺は干し肉のブロックを何枚か、やや厚めに切り落とすと、
「【ウンディーネ】、【清浄なる水】発動だ」
――まかせて――
俺の言葉と共に、干し肉に清浄な水がしみ込んでゆく。
「なっ、水の最上位精霊【ウンディーネ】じゃと!?」
幼女魔王さまが素っ頓狂な声を上げた。
だがこれはいわば準備段階に過ぎなかった。
本番はここからだ!
「【イフリート】! 【いい感じに焼け】!」
――心得た――
「今度は【イフリート】じゃと!? 炎の魔神とも呼ばれる、神話級の炎の最上位精霊ではないかっ!?」
幼女魔王さまが平原で狼に囲まれたのかと思うような、悲鳴のような金切り声で叫んだ。
水分を含んだ干し肉がすぐに、じゅわ~~っといい感じに焼け始め、あたりに香ばしい匂いが漂い始める。
ちなみに黒曜の精霊剣・プリズマノワールがフライパン代わりだ。
「しかもその! いかにもいわくありげな! 黒剣の上で! 焼き始めたじゃと!?」
「ああこれ? 聖剣と並ぶ第一位階の剣で、黒曜の精霊剣・プリズマノワールって言うんだ。始原の破壊精霊【シ・ヴァ】をその黒き刃に封印したと言われる、最強の精霊剣なんだぞ」
「始原精霊を封印した最強の精霊剣じゃと!? しかもそれをフライパンにしちゃうの!? なんで!?」
「この上で焼くと、遠赤外線効果で熱が肉の奥までしっかり伝わるんだよな~」
「み、みみみミスティよ!? こやつはいったい何を言っておるのじゃ!?」
「魔王さま! お気を確かに――!」
なぜか白目をむいて卒倒しかけた幼女魔王さまを、ミスティが慌てて抱き支えた。
いきなり気を失ってぶっ倒れかけた幼女魔王さまだったけど、
「う、うーん……」
すぐに意識を取り戻したので、
「ほらよ、魔王さま」
俺はいい感じに焼けたばかりの肉を、携帯木皿に置いて幼女魔王さまへと差し出した。
ついでに、失礼だと思ったので、呼び方を「お前」ではなく「魔王さま」と改める。
国家元首に「お前」呼びはさすがにヤバイ。
「……」
しかしどうしたことか、幼女魔王さまはそれを受け取ろうとしないのだ。
「どうしたんだ? 冷めないうちに食べたほうがおいしいぞ?」
それにしても、さっきから何をそんなに驚いたような顔をしているんだろう?
「う、うむ。では気を取り直して――ぱくり。こ、これはっ!?」
パクっと一口食べた途端に、幼女魔王さまの顔が驚愕の色に染まった。
そのままぺろりと1枚平らげたので、追加のもう1枚を木皿に入れてやり、さらにミスティにも分けてあげる。
ミスティも同じように美味しそうに食べてくれて、この場の責任シェフとして俺も鼻が高かった。
「な? 干し肉もなかなか美味しかっただろ? 実は【イフリート】は肉を焼くのがものすごく上手いんだぜ?」
俺は精霊騎士しか知りえない、超が付くほどの極秘情報をこっそり教えてあげた。
「そのことなのじゃが」
「どのことだ?」
「先ほどから【ウンディーネ】だの【イフリート】だの言っておるようじゃが」
「ああ、俺の契約精霊たちだよ」
「水の最上位精霊【ウンディーネ】に、炎の最上位精霊【イフリート】とな?」
「そうだぞ」
「さっきそなた、光の最上位精霊【ルミナリア】や、浄化の最上位精霊【カオウ】の力も使うておったの?」
「なにせ俺は精霊騎士だからな。精霊と契約してなんぼだろ?」
「な、な、な……なんぼのわけあるかーい!!」
幼女魔王さまがものごっつい大声を上げた。
「っとと。いきなり大声を出すなよな、びっくりするだろ?」
「びっくりしたのは妾のほうじゃわい! それだけの最上位精霊たちと契約するのを、『食後に一杯お茶でも飲むか~』みたいに当たり前のように言うなし!」
「おいおい、いきなりなんだよ? どうどう、落ち着けよ?」
「これが落ち着いていられるかえ!? 【イフリート】じゃぞ!? 時に神をも殺す炎の魔神とまであがめ恐れられる【イフリート】じゃぞ!? それをお主はなーに肉を焼くことなんぞに使役しておるのじゃ!」
「だって美味しく焼けるんだもん」
「軽っ!? 言葉軽っ!? か、確認なのじゃが、今は【イフリート】の話をしておるのじゃよの?」
「もちろんそうだけど? なにせ戦地だと、使える物は何でも使わないと生き残れなかったからさ。精霊を使って種火や飲み水をパッと用意できるのは、精霊使いの強みだよなぁ」
「お、お主には伝説の存在に対するロマンとか情緒とか、そういうものがないのかえ?」
「ああ、そういうことか」
「やっと分かってくれたかの」
「【イフリート】の焼き加減はまさに伝説級だっただろ? 魔王さまも病みつきになったってわけだ」
「誰もそんなとこにツッコんでおらんわー!! だいたい最上位の精霊とは1体と契約することすら普通は難しいのじゃぞ!? それを2つも3つも4つも契約しておるなどと、これに驚かんで何に驚けというのじゃ!?」
「一応言っておくと、風の最上位精霊【シルフィード】、幸運の最上位精霊【ラックス】とか、他にも諸々いっぱい契約しているぞ?」
「んほぉぉっ!!??」
幼女魔王さまが目を大きく見開き、あんぐり口を開いたまま固まった。
驚きすぎて過呼吸にでも陥ったのかこほー、こほー、と変な呼吸をしていたので、【ウンディーネ】の【清浄なる水】で綺麗な水を出して飲ませてあげる。
「も、もしや妾は、イタズラ好きの精霊にでも化かされておるのじゃろうか?」
「いや、現実だ。そんなことより魔王さま、精霊についてえらく詳しいな?」
普通なら、ここまでぽんぽんと精霊の名前が出てきたりはしない。
そんな俺の疑問に答えてくれたのは、
「実は魔王さまは、精霊使いの素養があるんですよ!」
お肉を堪能した後は、俺たちの会話を興味深そうに聞いていたミスティだった。
「こ、こらミスティ何を言っておる!」
魔王さまには精霊使いの素養がある――そんなミスティの言葉に、なぜか幼女魔王さまは焦った様子を見せた。
「へぇ、魔王さまは精霊使いなのか。なら精霊騎士の俺と同じだな」
騎士になった精霊使いが精霊騎士だから、精霊使いという意味において俺と魔王さまは同じだ。
「同じ……まぁ、おおざっぱに見れば、そうとも言えなくはない……かの?」
「そっかそっか。だから精霊について詳しかったんだな、納得だよ」
「う、うむ……じゃがその妾は――」
「実はさ、俺って自分以外の精霊使いとは会ったことがなかったんだよ。精霊と交感できるのは100万人に一人って話だし」
「そ、そうなのじゃ! 精霊と交感できるというだけで、本来はものごっつい凄い才能なのじゃよ! レアジョブでレアスキルなのじゃよ! だから上位精霊と契約できんでも全然ちっとも不思議では――」
「そうだ、せっかくだから魔王さまの精霊を見せてくれないか?」
「うぇっ!? いやそれはその――あの――えっと――」
「おいおい、出し惜しみする気かよ? 俺もいっぱい見せてやっただろ? な、頼むよ。他人の使う精霊や精霊術って見たことがないからさ。一度見てみたいんだ」
俺は両手を合わせてお願いをする。
「じゃがしかし、ハルトほどの使い手が見ても、あまり面白いものではないというか……」
なおも渋る幼女魔王さまだったんだけど、
「魔王さま、命の恩人であるハルト様がこうまで仰っておられるのですよ? 応えるのが、一国の王としてのあるべき姿ではないでしょうか」
ミスティが俺の援護に回ってこれで2対1。
つまり多数決で俺の勝ちとなる。
「うぅ、分かったのじゃ。そこまで言うなら見せるのじゃ……」
「おお、ありがとう魔王さま! いやー楽しみだなぁ。どんな精霊だろ? 俺なんだかワクワクしてきたよ」
「まるで子供のように目を輝かせておるのじゃ。高すぎる期待に胃が痛いのじゃ……やっぱ止めてもいいかの?」
「わくわく、わくわく!」
「むぅ、もはや断れる雰囲気でないのじゃ。のぅハルト、呆れるでないぞ?」
「なんで呆れるんだよ? ほらそんなことより早く早く! 俺もう待ちきれないよ」
「ううっ、では、始めるのじゃ……『其は深炎に住まう業火の欠片――』」
ついに、幼女魔王さまが意を決したように呪文を唱え始めた。
「おおっ、言霊を使った『精霊詠唱』だ! しかもこの荘厳な呪文! これはすごい精霊を召喚するに違いない!」
俺には必要ないからほぼ全て無詠唱なんだけど、文献などによると、精霊を使役するには本来精霊詠唱を唱えなくてはならないらしい。
「『廻りて廻る紅の化身よ、盟約に従い我が前に馳せ参じよ――』」
「この文脈からして炎系だよな。最上位の【イフリート】ではないにしても、上位精霊の【サラマンダー】か【炎の雄牛】あたりを呼び出そうとしていると見た!」
「『その不滅の炎でもって、我が敵を焼き尽くしたまえ――』」
「わくわく、わくわく……!」
幼女魔王さまの【精霊詠唱】が今まさにクライマックスを迎える!
そうして、
「出でよ――! 炎精霊【火トカゲ】!」
ポン!っと可愛い音がしたかと思ったら、手のひらサイズの小さな赤いトカゲさんが姿を現した。
「【火トカゲ】……?」
それは炎の最下級精霊である【火トカゲ】だった。
全力を出すと、マッチ10本に同時に火をつけたくらいの火力を10秒ほど出すことができる。
しかも、
「く――っ!」
幼女魔王さまが苦しそうに顔をゆがめると、【火トカゲ】の姿はすぐに霞のように薄れ消えていった。
召喚されてから顕現時間わずか5秒という刹那の出来事だった。
「えっと、今のは?」
「妾の契約精霊【火トカゲ】を呼び出したのじゃ……」
「かなり物々しい精霊詠唱をしていたよな?」
「とっても頑張ったのじゃ……」
「改めて確認なんけど、今5秒ほど【火トカゲ】が召喚されたように見えたんだけど」
「だから渾身の力で【火トカゲ】を呼び出したと言っとるんじゃわい! 察しが悪いなぁもう!」
「そ、そうか」
「だーっ! だから言ったのじゃ! 面白くもなんともないと! 妾の言った通りであろう!」
「うん。なんかごめん」
謝ったというのに、幼女魔王さまのブチ切れは止まらなかった。
「だいたい精霊と交感できるというだけで、本来はものごっつい凄いことなんじゃぞ!? 100万人に1人いるかいないかの超レアスキルなのじゃぞ!? 契約して呼び出せるのは、さらに一握りなのじゃぞ!? なのになんじゃい! 無詠唱で【イフリート】を召喚した上に、挙句の果てに肉を焼くのに使うじゃと!? ふざけるなバカーーーーーーーっ!!!!」
ハァハァと息も絶え絶えに、幼女魔王さまは魂の叫びをシャウトした。
「ごめんな魔王さま。俺、他の精霊使いと会うのは初めてだったからさ。俺ぐらい精霊を使役できるのが当たり前なんだとばかり思っていたんだ」
「あんなもんが当たり前の訳あるかい! ……はぁ、もう良いのじゃ。見ての通り妾にハルトのようなずば抜けた才能はないのじゃよ。なにせ自他ともに認めるへっぽこ魔王じゃからのぅ」
少し気落ちしたように、幼女魔王さまは最後は小さなかすれ声で、そうポツリとつぶやいた。
「なぁ、さっきから疑問だったんだけどさ?」
「なんじゃ? もうせっかくじゃし、何でも聞くがよいのじゃ」
「じゃあ遠慮なく聞くけど、魔王がへっぽこで魔族をまとめられるものなのか? 皇帝や王と同じで、魔王は国を背負って立つ存在だろ?」
「それがまとめられるのじゃよ。神輿は軽い方がいいというやつなのじゃ。南部魔国は立憲君主制をとっておるからの」
「リッケン・クンシュセー? なんだそりゃ? 王政や帝政とは違うのか?」
人間世界では知っている限り全ての国が、皇帝や王が全ての決定権を持つ帝政(または王政)か、それに近い統治形態をとっている。
それ以外の統治の仕方なんて、考えたこともなかった。
「立憲君主制は、君主の権力に大きな制限をかけ、代わりに貴族と民衆の代表が政治を執り行うという統治システムです」
よく分かっていない俺に、ミスティが簡単な説明をしてくれる。
「民衆の代表が政治を? じゃあ王様は――魔族だから魔王か――魔王は何のために存在するんだ? ろくに権力のない王がいても、ただの金の無駄だろ?」
「お主は何でも思ったことをストレートに言うのじゃ……ぐすん」
「ああうん、ごめん。さすがに今のは言いすぎた、ほんとごめん」
いじけてしまって足元の小石を蹴りだした幼女魔王さまに、俺は素直に謝った。
「ハルト様、立憲君主制における王の役目とは、全国民の象徴となることなのです」
「全国民の象徴?」
その説明がこれまた理解できずに、俺はおうむ返しに聞き返してしまう。
「民を安心させるとともに、団結のための拠りどころ――精神的支柱となるのが、象徴としての王の役目なのです。そのためには平素より国民に愛される存在として、魔王さまは皆の心の柱としてあり続けなければなりません」
「な、なんだと!? それじゃあ王様という肩書だけでろくな権力もないのに、象徴になるという義務だけを一方的に負うというのか!? リッケン・クンシュセーの王とは、なんて大変な役目なんだ!」
「はい、かように大変な重責を背負われたのが、ここにおられる魔王さまなのです」
「な、なんだと!」
ミスティの説明を聞いて、俺は驚愕に打ち震えていた。
「あの、ミスティ? ちょっとばかし大げさに言いすぎではないじゃろうか?」
「私は一言も嘘は申しておりません」
「いやでも、どう見てもハルトが勘違いしておるのじゃが……」
「俺は、俺は感動したぞ!」
「ハルト!?」「ハルト様?」
「俺はなんて世間知らずのバカだったんだ! こんなちっこい身体にそんな重い使命を課せられていたなんて、俺は思いもよらなかった!」
「いやあの、実を申すと全然ちっともそこまでのもんではないのじゃが……あとちっこいは余計なのじゃ。割かし気にしておるからして。ちなみに先日成人しておるのじゃ」
「謙遜なんてしなくていいさ、俺には全部、分かっているから! 偶然とはいえ2人を助けた甲斐があったよ。はっ!? 今、分かったぞ! 俺の人生はきっと今日、魔王さまとミスティを助けるためにあったんだ!」
「いやー、それはさすがにどうじゃろうか……?」
「俺はずっと、自分の人生に価値を与えたいと思って生きてきた。それを今、果たしたんだ!」
「えー、いや、その……」
「良き出会いを与えてくれた幸運の精霊【ラックス】の導きに感謝を――」
最後まで謙遜し続けるよくできた幼女魔王さまに、俺も最後まで称賛の気持ちと言葉を惜しまなかった。
「ま、まぁ嘘というわけではないよの……?」
「はい、嘘ではありません」
「まぁ、良いか……。時にハルト」
「なんだ?」
「お主、旅をしておるのじゃろ? どこか行く当てはあるのか?」
「今のところ特にはないかな。なにせいきなり帝都を追放されたからな。人生設計をし直す時間なんてなかったからさ」
「ふむ。ならば、しばらく妾の住まうゲーゲンパレスに来ぬか? こたびの礼もさせて欲しいしの」
「ゲーゲンパレス……確か南の魔王、つまり魔王さまの居城がある南部魔国の首都だったよな?」
俺はうろ覚えの知識をどうにかこうにか引っ張り出す。
「なに、警戒せんでもよいのじゃぞ? 王たる妾が言うのもなんじゃが、温暖で豊かでとても良いところなのじゃ。妾の命を救ったのじゃから、相応の待遇で迎えようではないか」
「俺は別に、お礼が欲しくて助けた訳じゃないんだ。元・勇者パーティの俺にとって、困っている人に力を貸すのは割と普通のことだから」
「ほぅ……であるか」
魔王さまが少し考えるようなそぶりを見せ、
「なんと尊い志を持った殿方なのでしょう!」
ミスティがキラキラとした目で見つめてくる。
「ではハルトよ。お主、最先端文化を学んでみぬかの?」
「最先端文化を学ぶ? 俺が?」
魔王さまが急にそんなことを言いだした。
「話してみて感じたのじゃが、お主は合理性を優先するあまり少々情緒というものに欠けておるのじゃ。【イフリート】とか【イフリート】とか【イフリート】とか」
「魔王さま、思わず3度も言ってしまうほど、あのシーンは心に来ちゃったのですね……」
「ぐすん。ミスティは精霊使いじゃないから、あれの異常さが分からんのじゃ……それはそれとして、我がゲーゲンパレスは世界屈指の文化が花開いた最先端文化都市なのじゃよ。妾たちと一緒にくれば、様々な新しい知見を得られると思うのじゃが、どうじゃろうか?」
「ゲーゲンパレスで最先端文化を学ぶ、か……」
幼女魔王さまの提案を、俺は直感的に面白そうだなと思った。
ぶっちゃけ俺は文化的素養があまり高くない。
精霊と触れ合ったり、剣を握ってばかりで、ここまでの人生を過ごしてきた。
ならばこの先の人生をどう生きるにしても、様々な経験を積んでおいて損はないんじゃないだろうか?
それにどうせ行くあてもないんだ。
だったら――。
「そういうことなら俺をゲーゲンパレスに連れて行ってくれ。最先端文化ってやつを、ぜひともこの目で見てみたい」
「おお、話が早いの! では早速馬車に乗るのじゃ!」
「視察の方はもういいのか?」
「このあたりの情勢はある程度把握できたからの。お飾りの妾にできるのはこの程度。後は国の優秀な者たちに任せればよいのじゃよ」
「リッケン・クンシュセーってやつだな?」
「うむ」
こうして。
勇者パーティを追放された俺は、幼女魔王さまとミスティを助けたことがきっかけとなって、最先端文化を学ぶべくゲーゲンパレスに滞在することになった。
◇
「あれが南部魔国の首都ゲーゲンパレスか! 噂には聞いていたが、でかい街だな!」
馬車に乗ること数時間。
ミスティの巧みな手綱さばきによって街道をひた走る馬車から、俺は大きく身を乗り出すと、どんどんと近づいてくる大きな街を見渡して驚きの声を上げた。
「ハルト様、そんなに外に身体を出すと危ないですよ」
御者台からミスティが心配の声をかけてくるが、仮に馬車から落ちても風の最上位精霊【シルフィード】がいつでも助けてくれることもあって、俺の危機感は初冬に初めて張った薄氷のように薄い。
それよりも今はこの美しい景色だろ!
ゲーゲンパレスは南に穏やかな内海が見える港湾都市だった。
「あれが海だな、俺初めて見たよ! キラキラ綺麗で、あと半端なく大きいな! 海は世界一大きな池だって習ったけど、これはもう池なんてレベルじゃねーぞ!」
俺が住んでいた帝国は大陸中央部に位置する内陸国家であり、俺が海を見るのはこれが初めての経験だ。
そりゃはしゃぎもするというものだろう。
「喜んでくれて何よりじゃ。ゲーゲンパレスでは、白浜ビーチや潮干狩りエリアといった観光産業にも大きく力を入れておるからの。後日、色々案内するのじゃ」
「それは楽しみだ。爽やかな海風が気持ちいいし、すごくいいとこだな。もうこの時点で来て良かったって思えるよ」
「ハルトよ、まだ着いてもおらぬのじゃぞ? そんなにはしゃぐと身体がもたぬぞ?」
「ふふっ、ハルト様は思ったことを、本当に素直に表現されますよね。とても素敵だと思います」
自分たちの街を褒められて、幼女魔王さまもミスティもニッコリ笑顔だった。
俺たちを乗せた馬車は城門を通って街に入ると、そのまま魔王さまの住む王宮へと向かった。
そして出迎えられた魔王さま&ミスティと一緒に、俺も王宮の奥の方へと案内されたんだけど、
「――というわけなのじゃ。大切な客人ゆえ、良きに計らうのじゃ」
魔王さまから今日の一件の説明を受けた宮廷職員たちは、俺がまるでどこぞの王様であるかのように手厚くもてなしてくれた。
そうして俺は今、当面自由に使っていいと言われた自室にて、まったりくつろいでいた。
おそらく最上級の、国賓待遇クラスのハイグレードな部屋だ。
個人の部屋とは思えないほどに広いし、ベッドはふかふかだし、調度品は高そうだし、部屋の中に大きな風呂までついているときた。
「うーん、歓迎してくれるのは嬉しいけど、つい先日まで平民だった俺にはちょっともったいないな」
正直、申し訳ないまであるぞ。
何とはなしに窓から外を見ると、ベランダ越しにキラキラと光る海がよく見えて、またもや俺の興味をそそってくる。
「小舟がいっぱい出てるのは、魚をとっているのかな?」
確か海に近い地域では、生の魚を薄く切って食べる『刺身』という特殊な料理があると聞いたことがある。
「せっかく海の近くに来たんだし、刺身を食べてみたいな。後でちょっと聞いてみるか」
なんてことを考えていると、
コンコン。
部屋のドアがノックされて、少し間を空けてからミスティがぴょこっと顔を出した。
王宮ではこれがミスティの正装なのか、さっきまでの白銀の鎧ではなく可愛いミニスカメイド服を着用している。
太もものかなり上にスカートの裾のラインがあって、思わず健康的なふとももに目が行って――。
「ハルト様、少し早いのですが、晩ご飯の準備が整いましたので呼びにまいりました。ハルト様? どうされました?」
ミスティに怪訝な顔をされてしまい、
「いやいや何でもないよ。うん、何でもない」
俺は際どいスカートラインからすぐに目を逸らした。
瞬間的に見てしまうのは男の本能だからこれはもう仕方ない。
大事なのはその後どう振る舞うかである。
せっかくミスティみたいな可愛い女の子と仲良くなれたのに、不躾な視線を向けて嫌われたくはないからな。
「そうですか。では案内しますのでついてきて下さいね」
途中、ミスティに王宮や街のことを色々質問しながら、俺は食事が提供される『松の間』という部屋へと向かう。
そこには畳が敷いてあり、低い食卓を囲んで、イスではなく畳に置いた座布団に座って食べるスタイルの食事がセッティングされていた。
「おおっ、来たかハルト。ほれ、座るがよい」
しかしこの場には、俺と幼女魔王さまとミスティの3人しかおらず、他の職員や給仕担当の姿は見当たらない。
「なんか意外というか……魔王さまって、割と普通のものを食べているんだな」
俺の前には割と庶民的な料理と、そして豪勢な刺身の盛り合わせ(と思われるもの)が用意されている。
しかもその食卓には俺と幼女魔王さまだけでなくメイドであるミスティも同席していて、さらに一緒に食べ始めたのだ。
「ハルトの歓迎会に豪華なディナーを、とも考えたのじゃがの。そうするとどうしても格式ばったマナーが必要になってしまうじゃろ?」
「ここまでハルト様と話した感じですと、アットホームな方がいいかなと思いまして、このような形にしたのですが……」
ミスティは自分も食事をしながら、同時にアレをよそったりコレを取ってくれたりと、甲斐甲斐しく俺と幼女魔王さまの世話を焼いてくれている。
新婚のお嫁さんってこんな感じなのかな? とちょっと思った。
「もしハルトが気に入らぬのであれば、明日からは豪勢なディナーを用意させるのじゃ。なにせハルトは命の恩人じゃからの。それくらいしても罰は当たらんのじゃよ」
「俺は全然こっちの方がいいよ。マナーとか作法とか細かく言われるのは苦手だからさ。それにこれって刺身だよな? 海を見てからずっと、どっかで食べられないかなって思ってたんだよな」
「それは重畳なのじゃ。好きなものがあればお代わりも用意できるゆえ、希望があれば言うがよいのじゃ」
「じゃあこの白身の刺身を追加してもらってもいいかな?」
「それはタイという魚なのじゃ。癖がなくて食べやすいであろう?」
「タイな。よし、覚えた。じゃあこっちの赤いのは? すごく濃厚で食べごたえがある」
「これはマグロのトロといわれる部位になります。脂がのって美味しいですよね」
「マグロのトロな。これも覚えた。じゃあこれは?」
「これはじゃの――」
俺は幼女魔王さまやミスティにあれこれ教えてもらいながら、宮廷料理人によって細部まで丁寧に作られた鮮度抜群の海鮮料理を、心行くまで堪能したのだった。
「ふぅ、満腹満腹……初日でこれとか明日からの生活が楽しみだなぁ――げっぷ、ちょっと食べすぎたか……」
――――――――――――
やや展開がゆっくり目になりましたが、次話よりハルトが精霊を斜め上に駆使しながら、幼女魔王さまとミスティから最先端文化を学ぶ(?)スローライフ編がスタートします。
続きもどうぞよろしくお願いします(ぺこり
翌朝の朝食――昨日の夕食と同じく幼女魔王さまとミスティと3人でワイワイ楽しく食べた――の席で、
「今日は街に出かけるのじゃが一緒にどうじゃ? ハルトはゲーゲンパレスは初めてであろう? 案内するぞ」
幼女魔王さまがそんな提案をしてきた。
「マジか。ぜひともお願いしたい」
「決まりじゃの」
俺に断る理由などなく、深く考えずに提案に乗っかったんだけど、そこで俺はふと我に返った。
「でも、いいのか?」
「なにがじゃ?」
「だって一国の王様に街を案内してもらうなんて、普通はありえないよな?」
あまりに突拍子がなさ過ぎて、誰かに言ったとしても与太話として鼻で笑われてしまうことだろう。
「なーに、命の恩人に礼を尽くすのは当然じゃよ」
「形式上は魔王さまの城下視察に同行、という体ですけどね」
「正式に国賓待遇とすると、いろいろと手続きがややこしくてのぅ。今のハルトは、妾の個人的な賓客という立場なのじゃよ」
「それでも十分すぎる歓待だよ。ありがとな魔王さま、ミスティ」
というようなやり取りがあり。
俺は幼女魔王さまとミスティに連れられ、王宮からそう離れていない地区にある『メイド喫茶』なる飲食店へとやってきた。
このメイド喫茶なる場所は、
「ここは妾の憩いの場であると同時に、情報収集の場なのじゃよ」
とのことだった。
「魔王さまの話ぶりを聞く限り、かなり頻繁に通っているみたいだな」
「うむ。いわゆる常連というやつなのじゃ」
「名前から察するに、メイドが運営している喫茶店なんだよな?」
「チッチッチ」
と、ここで幼女魔王さまが人差し指を立てながら左右に振って、俺の言葉を否定した。
「あれ? 違うのか?」
「いいや、概ねあってはおるのじゃ。が、しかし! メイドと呼び捨てるのではなく、『メイドさん』と親しみと敬意を込めて丁重に呼ぶのがここでの習わしなのじゃよ」
「そうなのか。了解した。ここではメイドじゃなくて、メイドさんな」
「うむ。これはとても大事なことであるゆえ、決して忘れるでないぞ」
「心しておくよ」
魔王さまからメイド喫茶の特殊なルールを事前に教えて貰って、準備は万端。
「では妾がドアを開けるゆえ、心して着いてくるように」
「いや、喫茶店に入るだけだよな?」
「入れば分かりますよ。ふふっ」
小さく首をかしげる俺を見て、ミスティがクスクスと楽しそうに笑った。
幼女魔王さまがドアを開けると、カランコロンと気持ちのいいドアベルが鳴る。
俺たちが入店すると、すぐに受付係のメイドさんから、
「お帰りなさいませ魔王さま、お嬢さま、ご主人様♪」
まるで自分の屋敷に帰ってきたかのような不思議な挨拶をされて、俺はいきなりビックリさせられる。
「えっと、『お帰りなさい』? 『いらっしゃいませ』じゃなくてか?」
「はい♪ お帰りなさいませ、ご主人様♪」
俺の質問に答えるように、素敵な笑顔を今度は俺だけに向けて、メイドさんが可愛く微笑んでくれる。
それだけで、なんだか胸の奥がほわほわっと嬉しくなってしまう。
ここはそんな不思議な癒し空間だった。
「ふふん。出迎え一つで、たいそう驚いておるようじゃの。じゃがしかし、これはまだまだ序の口じゃからの」
「なん……だと……!?」
これが序の口だと?
さすがは最先端文化、おそるべし!
その後、案内された4人がけのボックス席に、俺は一人で、幼女魔王さまとミスティが横に並んで、俺と向かい合うようにして腰をおろす。
ミスティは王宮でも着ていたミニスカメイド服を着ているため、ここのメイドさんが同席しているように見えるかもしれない。
改めて、ミスティという女の子は幼女魔王さまの近衛兵(というか私兵)で、普段は専属メイドを務めているらしい。
実家のアーレント家は、かつて武門で名をはせたそこそこ上流の貴族なのだとか。
そしてタイミングを見計らっていたのだろう。
俺たち全員がちょうど注文を決めたところで、ホール担当のメイドさんが注文を取りにやってきた。
幼女魔王さまの行きつけの店というだけのことはある。
細かいところまで気配りのきいた良いお店だな。
「俺はこのコーヒーとホットケーキのセットを」
俺はシンプルにベーシックセットを注文する。
「妾は『チョコ増しわんわんミルフィーユ』と、『森のくまさんパフェ』、『ねこにゃーんラテアートカフェ』の甘々セットなのじゃ。砂糖マシマシで頼むのじゃ」
幼女魔王さまは一部よく分からない謎の形容詞で飾り立てられた、聞いただけで口の中が甘ったるくなりそうなセットを、さらに砂糖増量で注文した。
「私は『お絵かきオムライス』をお願いします。それと『一緒にランチ』サービスを追加で」
ミスティも謎の形容詞が付いたオムライスと、なにかのサービスを別に注文していた。
注文を終えるとすぐに、入れ替わるようにさっきとは別のメイドさんが一人やってきて、そのまま4人掛けの空いている一席――つまり俺の隣へと腰を下ろした。
「本日は『一緒にランチ』のご注文、ありがとうございまーす♪」
メイドさんは開口一番、愛嬌のある笑顔で朗らかに言った。
どうやら最後にミスティが言った『一緒にランチ』とは、追加料金を払うことでメイドさんが相席してくれるというサービスらしい。
「帝都では夜のお店は別として、こんなサービスはなかったな」
「これも観光産業の一つなのじゃよ。おもてなし、というやつじゃ」
「なるほど」
「ちなみにお触り・下ネタ・セクハラもろもろは厳禁&出禁じゃからの? ルールを守って楽しく喫茶なのじゃ」
「もちろんだとも」
そして『一緒にランチ』をすることになったメイドさんはというと、
「それってネコ耳だよな……? ってことは獣人族か」
頭の上でネコ耳がピコピコと可愛らしく動いていた。
「当ったりー。私は獣人族ネコ耳科のナナミだよーん。そういうおにーさんは角もないし耳も丸いし、ドワーフみたいに小柄でもないし……もしかして人間族? ゲーゲンパレスじゃ珍しいね?」
隣に座ったネコ耳メイドさんが、興味津々って感じで尋ねてくる。
それに俺が答えるよりも先に、幼女魔王さまが口を開いた。
「こやつはハルト・カミカゼ。妾の客人なのじゃ。昨日、命を助けて貰うての。しばらく王宮に滞在する故、ナナミもよろしく頼むのじゃ」
「うわっ、すっごーい! 魔王さまの命の恩人だなんて! おにーさん、かっこいー! あっ、その腰に差した剣で、ばったばったと悪者を退治したんだね! 素っ敵~~!」
「そ、それほどでも、あったりなかったり……?」
「ねぇねぇ。ナナミ、おにーさんが活躍する素敵なお話を、いろいろ聞きたいな~♪」
ネコ耳メイドさんが目をキラキラさせながら、俺のことをこれでもかと持ち上げてくる。
いや、分かっているよ。
そういうお仕事なんだって。
相席したお客さんに、時間いっぱい気持ちよく会話を楽しんでもらうのがナナミのお仕事なんだってことくらい、子供にだって分かることだ。
でもそうと分かっていても、可愛いメイドさんにおだてられて嬉しいことに違いはなかった。
そんなこんなで話が盛り上がっているところに、注文した軽食が次々と運び込まれてきた。
そして俺はそこで、最先端文化都市【ゲーゲンパレス】における驚愕のおもてなしを目にすることになったのだ……!
「な、なんだこの可愛らしさを限界まで振り切ったスイーツは!? しかも完成度がヤバい!」
幼女魔王さまが頼んだ『チョコ増しわんわんミルフィーユ』を見て、俺は驚愕に打ち震えていた。
一体どんなスイーツなのかと思っていたら、なんとミルフィーユの上にクリームで形作られた可愛らしい犬のお人形が乗っていたのだ。
「どうじゃ、まっこと可愛いであろう? このクリームわんこを愛でるのが妾の人生の楽しみの一つなのじゃ」
まるで宝物を見せびらかすように、満足げに語ってみせる幼女魔王さま。
「でもここまでよくできていると、食べるのがもったいなくなるような?」
「そこはそれ、しっかりと愛でた後に愛情とともにパクりなのじゃ」
幼女魔王さまはそう言うと、わんこの顔をスプーンですくってパクっと口に入れた。
可愛くて食べるのが可哀そうとか、あまりそういうことは気にしないタイプなのかな?
しかし、である。
俺の驚きは、そんなものでは終わらなかった。
続いて『森のくまさんパフェ』が運ばれてくる。
「パフェの上部に、チョコレートクリームで作られたデフォルメくまさんの可愛い顔が『こんにちは』しているだと!? なにこれ可愛いな!」
「ある日パフェの森の中で、くまさんに出会ったという設定なのじゃ」
「設定!? パフェに設定だと!? なんだそのぶっ飛んだ発想! しかもこの完成度! 心に訴えかけてくるような得も言われぬ可愛さ! え、エモい……エモいよこれは!」
もはや俺は、心の奥からほとばしる感動という名の激情を、押しとどめることができないでいた。
さらにさらに!
続いて運ばれてきた『ねこにゃーんラテアートカフェ』ときたら、エスプレッソコーヒーの表面に泡立てたミルクで、「猫がにゃーん」している緻密で可愛らしい絵が描かれていたのだ!
「これはもはや芸術! たった一杯のコーヒーから、文化のさざなみが聞こえてくるようだ!」
「むふふ、そうであろう? そうであろう?」
俺はゲーゲンパレスの誇る文化的先進性に、戦慄を禁じ得なかった。
「これがゲーゲンパレスのおもてなし……すごすぎる!」
長きに渡る北の魔王ヴィステムとの戦争で物価統制令が出ていたリーラシア帝国は、それが解除された今、やっと当たり前の賑わいを取り戻し始めたところだというのに。
果たしてこの文化的最先端に追いつくことなど可能なのだろうか!?
もしかしてここは異世界なのでは?
しかしまだ大本命が残っていることを、俺はすぐに知ることになる。
ミスティの頼んだ『お絵かきオムライス』が運ばれてきたのだ。
「じゃあ、いくね~♪」
運ばれてきたオムライスを前にそう言ったナナミが笑顔で立ち上がると、ケチャップ入れを両手で構えた。
そして、
「もえもえ~きゅんっ♪ もえもえ~きゅんっ♪」
謎のフレーズを可愛らしく歌いながら、時おり決めポーズ(?)をとったりしてオムライスにケチャップアートを描いていくのである!
実にあざといその姿は、しかし俺の心を大きく揺さぶるとともに、俺の魂に「もえもえ~きゅんっ♪」という言霊を刻み込んでいく。
「これが! これがメイド喫茶のお・も・て・な・し! すごい! すごすぎるぞ! もはやそれしか言えない!」
「ハルトが楽しんでくれたようで何よりじゃの」
感動する俺を見てにっこり笑顔な幼女魔王さまだった。
その後は4人で雑談をしながら、おのおの注文した軽食を食べてゆく。
ナナミがパンケーキを食べたそうにしていたので、半分あげると、
「えへへ、おにーさんありがと~♪」
嬉しそうにハグで返してくれる。
抱き着かれた所から、女の子の柔らかさと温もりがじんわりと伝わってきた。
別に意図したわけじゃなくて向こうからのアクションだから、お触りしたわけではないよな?
「うん。本当にいいお店だな。また今度来よう」
メイド喫茶の数々のおもてなしの前に、すっかり骨抜きにされてしまった俺だった。
「ところで最近商売はうまくいっておるのかの?」
軽食をある程度食べたところで、魔王さまがナナミに問いかけた。
「いい感じにお客さんは増えてるよー。北の方の戦争が終わってみんな気分も緩んで、財布のヒモも緩くなった感じ?」
「ふむ、経済がちゃんと回っておると言うことじゃな。よいことじゃ」
「にゃはは、ナナミはバイトだから難しいことは分かんなーい♪」
幼女魔王さまがいろいろ尋ねるたびに、ネコ耳メイドさんのナナミが街の様子など、接客という商売の最前線で肌で感じたことを、ゆるーい感じで答えてゆく。
幼女魔王さまが憩いの場だけでなく「情報収集もかねる」って言っていたのは、こういうことか。
目安箱っていうのかな。
王都の住人のリアルな声を、今まさに拾い上げているのだ。
しかもタメ口をきかれているっていうのに、幼女魔王さまは気にした素振りもない。
会話を弾ませる姿は、むしろ楽しそうですらあった。
たしかにこれだけ話しやすければ、相手も思ったことを何でも忖度せずに言ってくれそうだな。
「そうか、国民の象徴ってこういうことなのか」
日々こうやって庶民と触れ合って、その声を聞こうとしているんだ。
俺はリッケン・クンシュセーの王がどんな存在なのか、ほんの少しだけ分かったような気がした。
その後は時々振られる話題に言葉を返しながら、俺はサービスの時間を目一杯、楽しく過ごしたのだった。
「ふぅ、楽しかった。もう一生分、驚いた気がするよ」
素晴らしい感動体験をくれたメイド喫茶を出ると、
「うむうむ、楽しんでくれたようでなによりじゃ。では続けて妾とミスティで観光案内をするのじゃよ」
幼女魔王さまが満足そうにうなずきながら、さらなる街案内を提案してくる。
「朝食の時にも言われたけど、ほんとに魔王さまに頼んでいいのか? 俺としては断る理由はないから是非にとお願いしたいところだけどさ。魔王さまやミスティも忙しいだろうし、ちょっと悪いかなって」
「それなら問題ないのじゃよ。学業を終えた最近は、視察や式典といった公式行事以外は、割と暇しておるからの」
「ほとんどニートってことか」
「ニートちゃうわい! 妾は勝手に働いたりとかしたら、あかんのじゃわい! そういう法律があるんじゃわい!」
「自由に仕事もできないとか、リッケン・クンシュセーの王様は大変だなぁ。でも実を言うと、観光産業に力を入れているって聞いて、いろいろと見てみたくてさ。詳しい人に案内してもらえるなら渡りに船だ」
「なら決まりじゃの。レッツゴーなのじゃ」
「まぁでも?」
「ん? なんじゃ?」
「さっきのメイド喫茶に勝てるのは、そうはないんじゃないか? あの素敵な『おもてなし』には驚くしかなかったよ。あれは帝国の10年、いや20年は先を行ってるな」
「ハルトは本当にあそこを気に入ってくれたようじゃの。これには入り浸っておる妾も鼻が高いというものじゃ」
「入り浸ってんのか」
「今では一番上のプラチナ会員なのじゃよ」
そういうわけで。
俺は幼女魔王さまと一緒に、ミスティの操る馬車に乗り込むと、早速ゲーゲンパレスの観光を始めたんだけど――、
【CASE:1、ピッサの斜塔】
「お、おい魔王さま! 大変だぞ! 塔が斜めになって今にも倒れそうになっている! 早く周りの人に知らせて避難させないと大惨事になるぞ!」
ピッサという地区に差し掛かった時、大きな塔が斜めに傾いているのを見て、俺は焦りの声を上げた。
「まぁまぁ落ち着くのじゃハルト」
「大丈夫ですよハルト様」
「これが落ち着いていられるかよ!」
きっと幼女魔王さまとミスティは、正常化バイアスによって自分は大丈夫と思ってしまっているんだ!
ならば俺がやるしかない!
「よし、ここは俺に任せろ! 今から【シルフィード】の【遠話】を使ってここら一帯に避難を呼びかける!」
俺は風の最上位精霊【シルフィード】の、声を遠くに届ける精霊術【遠話】を使って、周囲に危険を知らせようとしたんだけど。
焦る俺を見て、魔王さまとミスティは満足そうな顔で言った。
「あれはの。最初からああいう風に傾いて建てられた建築物――斜塔と呼ばれるものなのじゃ」
「地名を取って『ピッサの斜塔』と呼ばれている観光名所なんです」
「つまり仕様じゃ」
「えぇっ!? あの斜めに傾いているのが仕様!? 今にも倒れそうなのに? うっそだぁ」
「安心せい。ちゃんと倒れないように完璧に計算しつくされておるのじゃ。じゃから周りを見てみよ、誰も騒ぎ立ててはおらんじゃろう?」
「あ、ほんとだ……むしろみんな、斜塔を見上げて楽しんでいる?」
「じゃろう?」
「でもいったい何のために、そんなことをするんだ? 塔ってのは、普通は地面と垂直に建てるもんだよな?」
「ハルトよ、芸術に意味を求めてはいかんのじゃぞ? 心のおもむくままに情熱を表現するのが、真の芸術というものじゃからの」
「はぁ~~~~、なるほど、そういうことか。勉強になるなぁ」
芸術のなんたるかに心底感動した俺は、馬車の窓から見えなくなるまで『ピッサの斜塔』と呼ばれる斜めに傾いた塔を、ずっと眺めていたのだった。
【CASE:2、システィン礼拝所の天井画】
「確かに豪勢な礼拝所だけどさ? なんていうか事前に思っていた通りというか、どこの国にでも1つはありそうな礼拝所だな」
案内された大礼拝堂に入った俺は、左右をきょろきょろ見渡しながら、素直な感想を伝えた。
「ハルトはほんに正直じゃのう。じゃが変に気を使って、歯の浮くようなおべっかばかり言われるよりかは、はるかに好感が持てるのじゃよ。ではミスティ、種明かしをしてやるのじゃ」
「ハルト様ハルト様、よーく上を見てみてください」
「上? 天井ってことか?」
ミスティに言われたとおりに天井を見上げた俺は――、
「なっ!? 天井一面に壮大な絵が描かれているだとっ!?」
屋内とは思えない高すぎる天井。
その全面に、力強くも繊細なタッチで描かれていた絵――天井画を見てびっくり仰天、俺はたまらず大きな声を上げてしまった。
「ふふん、驚いたであろう?」
「そりゃ驚くよ! だってあんな高いところにどうやって絵を描いたんだ!? はしごに上りながら描いたのか!? でもずっと上を見て描いていたら首が痛くなるだろ? しかもものすっごく上手だし!」
「南部魔国で最も有名な巨匠マイケル・エンジェルの最高傑作なのじゃ」
「すげー、マジすげー!」
アホみたいに口を開けたまま天井画を見つめ、すげーすげーと語彙力のない褒め言葉を繰り返してしまう俺。
だけど幼女魔王さまもミスティも、それを咎めることも笑ったりすることもない。
「ここまで驚いてくれたなら、妾も連れてきたかいがあったというものじゃ」
「ハルト様ったら子供みたいに目を輝かせておりますね」
「だってこんなの凄すぎるだろ!? 南部魔国の文化はなんて先進的なんだ!」
「ミスティ、せっかくだから簡単に解説をしてやるのじゃ」
「心得ました。ハルト様、まず最初にあの向かって右端のあたりが世界の始まり『天地創造』で、そして隣が『楽園追放』で――」
追放……俺と一緒じゃないか。
凄いだけじゃなくて、なんだか親近感まで湧いてきたぞ?
俺はミスティから説明を受けながら、首が痛くなって上を向けなくなるまでずっと天井一面に描かれた壮大な絵を眺めていた。
【CASE:3、真実の口】
「なんだ、このおっさんのでかい顔だけの、妙チクリンな彫刻は?」
とある広場の脇の壁に設置された謎の顔の彫刻を見て、俺は思わず首を捻った。
「これは『真実の口』というのじゃよ」
「『真実の口』? これまたえらく仰々しい名前だな?」
「嘘つきがこの口に手を入れると手が抜けなくなるのじゃ」
「なにそれ、こわっ!?」
「あくまでただの言い伝えじゃよ。実際はただの観光名所――」
幼女魔王さまが言葉を続けようとしたが、俺はもうこの時点で全てを理解していた。
「分かったぞ。さてはイタズラ好きの双子精霊【アミ・マミ】の仕業だな?」
「え? いや、ただの言い伝えじゃが」
「手を入れたら抜けなくなるなんて、人をからかって遊ぶのが好きな【アミ・マミ】がやりそうなことだからな」
「だから単なる伝説──」
ならば──!
「よし、ここは俺に任せろ!」
「ハルト?」
「ハルト様?」
「人をからかって遊ぶのがいきがいの、いたずら好きの精霊め! だがしかし! ここに俺がやって来たのが運の尽きだったな。精霊騎士である俺がお前らに少しお灸を据えてやろう! 出でよ! 炎の魔神【イフリート】!」
――心得た――
俺は炎の最上位精霊【イフリート】を召喚し顕現させた。
それを見た幼女魔王さまが、慌てふためいて悲鳴のような声をあげる。
「ちょっとぉ!? 街中でいきなり伝説の炎の魔神【イフリート】を召喚じゃと!? しかも当たり前のように無詠唱じゃし!」
「なぁに、心配はいらない。俺は【イフリート】を完全にコントロールすることができる。だからほら、人間サイズで小さめに顕現させているだろ?」
俺ほどになれば、最強と名高い炎の魔神もこの通り素直なものだ。
レアジョブ精霊騎士は伊達ではない!
そして精霊の力を借りるだけだなく世界に顕現させたことで、精霊使いでなくても見えるようになったので、
「これが炎の最上位精霊【イフリート】ですか。揺らめく炎が綺麗なものですね」
ほへーって感じで、ミスティが興味深そうに【イフリート】を観察していた。
「ハルトよ、お主ほんっとうにスゴイのぅ……お主の前では最弱の【火トカゲ】を呼び出すのがやっとの妾なんぞ、ミジンコも同然――」
「ま、魔王さま、お気を確かに!!」
青い顔をしてフラフラっと倒れかけた魔王さまを、ミスティが慌てて支えた。
「すまんのぅミスティ、お主にはいつも迷惑をかける」
「なんともったいないお言葉です。さ、深呼吸をして気持ちを落ち着けましょう」
「すーはー、すーはー……ふぅ少し落ち着いたのじゃ。じゃがしかしハルト、今回もお主の早とちりであるぞ? あくまでそう言う言い伝えがあるというだけなのじゃからの」
幼女魔王さまは深呼吸して気持ちを落ち着けショックから立ち直ると、改めて説明をしてくれる。
「ってことは、嘘だと分かった上でみんな『真実の口』に手を入れているのか?」
「そういうことじゃの」
「いったい何のために? 嘘だって言うんなら、手を入れても何も起こらないわけだろ?」
「ハルトはどこまでも合理主義者じゃのぅ。嘘を嘘と分かった上で、敢えてのっかって楽しむ。時には無駄とも思えるその非合理性の中にこそ、より深い文化の味わいというものが見えてくるのじゃよ」
「ふへぇ、なるほどなぁ」
俺はゲーゲンパレスに根付く文化的先進性に、心の底から感動したのだった。
そして、
「では次の場所に行くのじゃよ――」
幼女魔王さまがそう言いかけた時だった。
――すんませんでしたー!――
『真実の口』から2人の声がハモったような不思議な声が聞こえてきたのは。
「うぇぇぇっ!?」
「魔王さま、急にどうされたのです!?」
その声を耳にした幼女魔王さまが口をパクパクさせながらぶっ倒れかけ、またもやすんでのところでミスティが身体を支える。
「どうやら本当に精霊が住み着いていたみたいだな」
俺の召喚した【イフリート】の放つ強烈なプレッシャーに耐え切れず、いたずら好きの双子精霊【アミ・マミ】が自首してきたのだ。
――もういたずらはしませんのでお許しを~――
――お許しを~――
姿を現した双子精霊は【イフリート】にビビりまくってへこへこと謝罪をはじめた。
だから俺はズバリ言ってやった。
「いいや、今まで通りでいい。これからも嘘を嘘と知った上で敢えて楽しむこの最先端文化を見守っていて欲しい。それがお前たちの使命なんだ」
――ねーアミ、この人なに言ってんのー?――
――アミわかんなーい――
――だよねーw――
――イミフーww――
――ウケるww――
空気も読まずにワイワイやりだした双子精霊を、【イフリート】が猛烈なプレッシャーと共にギロリと睨みつけると、
――みこころのままにー!――
――ままにー!――
双子精霊は再び殊勝な態度になって、俺の言うことに従うことを約束してくれたのだった。
その後も、俺は時間の許す限りゲーゲンパレスの様々な観光名所を案内してもらい。
行く先々で最先端文化を目にしては、感動に次ぐ感動を味わったのだった。