「ねえねえ、なんでおそらはあおいの?」

幼少期に誰もが一度は思ったであろう疑問。
私もまたこの質問を母にしたことがあった。

「なんでだろうね。ママも分かんないや。」
「えー、ママも分かんないの?」
「うん。分かんない。」

分かんない、と繰り返す母は、本当に分からないというよりも何か違うニュアンスが含まれているように感じた。

「じゃあ誰が知ってるの?」
「誰だろうねぇー。」

理屈は知っていても、もっとなにか別の意味があるように思ってる。
今思えばそんな口調だった気がする。


なんで空は青いの?


「……なんで、だろう。」

放課後の屋上でひとり、思わず口から漏れた言葉。
きっとネットで調べれば出てくる。
でもそうしてしまうときっと、ただ「ああそうなんだ。」で終わっちゃう。すぐに忘れちゃう。
それに、別に理科的な理由が知りたいわけじゃない。

「何がなんでだろうなの?」

不意に後ろから声が降ってきた。
誰かいたのか。気づかなかった。独りでぶつぶつ言ってる変なやつみたいに思われてたらどうしよう。恥ずかしい。まあどうしようもないし別に知らない人だろうからどう思われたって今後に影響はないのだけれども。

後ろを振り返ると、そこには一人の男の子が立っていた。
ああ、よかった。知らない人だ。

いやよくない。なんで私に話しかけてきたんだこの人は。

「なんで空は青いんだろう!的な?」

両手を大きく広げて空を仰ぎ、冗談めかしてドラマチックに言ってきたけど本気じゃないだろう。
こういう時ってそうだよ、って言いにくい。だって向こうはおかしな例として挙げてるんだから。

「……なんでわかったの?」

とだけ呟いておく。やっぱり独り言のように。

「あ、マジだった?いやなんかめっちゃ空見上げてるしぼんやりしてるし日本人の定番の考え事といえば『なんで空は青いんだろう』、でしょ?」
「……そう。」

よく喋る人だなぁと思った。
ただ、それだけ。
別になんでこんなところにいるのかとか誰なんだとかなんで私にかまってきてるのかなんて興味ない。

「なんで空は青いんだか知ってる?」
「……知らないからなんでだろうって言ってるんだよ。」
「あのね……」
「いい。いい。言わないでいい。」

彼の言葉を遮った。聞きたくない。あくまで私の中で、納得いく答えがなんとなくほしいだけだ。
いや、知りたいのかどうかもわからない。ただ、私は空に不満があるだけだ。

「……そっかぁ。ごめん。」
「…なにが?」
「なんだろう。」
「………。」


風が柔らかに吹いて、私のハーフアップの髪の毛と、彼の明るい色の髪の毛が揺れる。
目の前に広がる空を見れば、わたあめを割いたみたいな薄い雲が浮かんでいて、ぼんやりとした青空が続いている。
穏やかな春の昼下がりをギュッと詰めたような屋上で、私はこんな人と何をしてるんだろう。

「朝谷、空、好きなの?」
「……好きじゃない。あとなんで名前知ってるの。」
「そんなに見てるのに?」
「…何もないから見てるだけ。それより私の質問に…」
「空が好きじゃないのに青空の理由が知りたいの?」

被せるように言ってきた。やめてほしい。
別に話を逸らしてるわけじゃない。言及されるのは気分がいいものではないのだけれどもそういうことじゃなくて普通になんで知ってんのか知りたいだけなのに。

諦めるか。

「……はぁ。…嫌いだから知りたいの。」
「…んーー?」

よく分からない、という顔で彼は頭を捻った。彼は立ち上がると屋上を歩き回ってフェンスの近くまで行き、下を覗き込んでまた私の方に戻ってきた。

「あっ!わかった!」

お手本のようなひらめいた!という顔をして彼は急に言った。

「たとえば二次関数が嫌いで、なんでこんなのあるんだよ、ってなる感じ?そうでしょ!?」
「……うん。そういうこと。」
「はーん。なるほどなるほど。」

……なんだ。はーん、って。

「ん?じゃあ空が嫌いなんじゃなくて空が青いのが嫌いなの?」
「…青くなくても、色があると嫌い。」
「…だから…。」 

小さな小さな声で、彼は何か言いかけてやめた。
でも本人が流したからには追求するべきでない。

「…変わってるね。」
「………そうだね。」
「テンション低くない!?」
「別に。あなたが高いんでしょ。」
「んー。そうかもしれない。」

キーーン コーーン カーーン コーーン

うちの学校のチャイムはなんかやけに遅い気がする。
気のせいかもしれないけど。

「これなんのチャイム?」
「知らないけど部活関係じゃない?毎日鳴ってる。」
「毎日ここにいんの?」
「まぁね。」
「あ、そうそう。」
「何?」
「なんで名前知ってるのかって話。」

一応聞いてたのね。
聞いてたのにスルーしてたってこと…?

「なんで知ってんの?」
「あのさ、ほんとにわかんない?」
「は?」

はーー、とため息をついて彼は立てた膝に頭を(うず)め、頭をつけたまま顔をこちらに向けて上目遣いで私を見た。

「俺朝谷さんと同じクラスなんだけど。」
「…………あー、そうなの。」
「ひどくない!?クラスメイトの顔と名前くらい覚えようよ〜。」
「悪いけど興味も必要もないから。」
「じゃあ今覚えて!おれ神代(かみしろ)(りょう)!!」
「覚えてたら覚える。」
「じゃあ覚えてるな!」

ポジティブ思考過ぎないかこの人。
なんだかお気楽で楽しそうだ。
もはや羨ましい。

ふと空をまた見た。
あ、そろそろ時間だ。
日がほんの少しだけ傾いている。他の人にはわからない程度に。
これから帰れば夕日に街が沈む前に帰れる。

すく、と立ち上がってカバンを持ち、屋上の錆びた小さなドアに向かう。

「あれ、もう帰るの?」
「夕日が見たくないから。」
「ははっ、生粋の空嫌いだね。じゃあ俺も帰ろっと。」

ますます何をしに来たんだろうこの人は。

幸い方向が逆だったので一緒に帰らずに済んだ。別に神代涼が嫌いとかそう言うのじゃないけど初対面の男子と一緒に帰る義理はない。結構真面目に気まずい。まあどうせ向こうがぺちゃくら喋って終わるんでしょうし神代涼はそんなこと全く気にしてなさそうだから他の人と比べたらマシかもしれないけど。

帰り道って、いい。