最期の嘘

 懺悔として、自分宛にこの手紙を書いておきます。
 この「懺悔」って言葉遣いが、がんよりも致命的な中二病だと自覚してます。
 どっちも最期まで治りませんでした。

 もうわたしは長くありません。
 今日か明日。残された時間はそれぐらいだと思います。
 積極治療が打ち切られ、緩和ケアに進んだ時点で、死ぬことは覚悟しました。

 怖くて、怖くて、夜はずっとベッドで震えてました。
 だからこそ、悦史くんの前では常に笑顔でいようと努めたのです。

 あの人は、きっとわたしに同情する。
 苦しんで、一緒に涙を流す。
 わたしがいなくなった後、たくさん生きていかなければならないのに、わたしの死に巻き込んではいけない。
 そう考えました。

 一生懸命、笑顔を作りながら、もう一つ、思ったことがあります。

 ああ、わたしは約束を守れていない。この笑顔は嘘じゃないか、と。

 泣いて、震えて、安らかに慰められる誘惑に、何度も負けそうになりました。
 忘れられたくない。
 たった一つの大事な居場所の悦史くんを、たとえ死んでもほかの誰かに渡したくない。

 でも、結局、わたしはその誘惑に打ち勝てました。

 屁理屈をこねてみたんです。
 「死ぬまで嘘はつかない」
 高校時代、悦史くんに宣言しました。

 いまのわたしはすでに死んだも同然です。
 「死ぬまで」嘘をつかないのならば、「死んだ後」は嘘をついてもいいじゃないか。
 そう考えることにしたのです。

 最期の最期で、持論を曲げるのは悔しいけれど、「揺るぎのない正しさ」のために、必要な嘘はきっとあると思えます。

 今夜、わたしは悦史くんに一つ大きな嘘をつく。

 一ミリも本音じゃないけれど、あの人には絶対に必要だから。

 わたしは上手に笑えるだろうか。息絶えるまで、涙をこらえていられるかな。

 悦史くんが嘘に気づかないことを祈りながら、約束を守れなかったわたしの懺悔を終わりにします。

 さようなら、悦史くん。

 あなたのことが大好きでした。