最期の嘘

「はい、これ、カフェオレ代です。六百五十円、ちょうどあります」

 展望ロビーから地上に戻るエレベーターの乗客は、ぼくと恵美だけだった。
 無駄な抵抗はせず、右手で硬貨を受け取った。
 背の低い恵美が、上目づかいにぼくを見る。

「雨宿りでしたけど、先輩と過ごせたのでよかったです。ゲリラ豪雨に感謝しなきゃ」
「それ、怒られる言い方だ」
「怒られるのは先輩の方です。まだ二十六歳の後輩と、一時間半も一緒にいたのに、ずっとほかのことを考えてました」
「妻のことを思っていたのがわかったの?」
「先輩のことなら大抵はわかります。指導役だし、片想いとはいえ、好きな人ですから」

 下手くそな牽制球を、恵美は真っすぐ打ち返す。

 もう駄目だ、と観念した。

 これ以上、曖昧な態度を続けることは、自分にとっても嘘になる。
 それは、茜がいちばん嫌ったものだ。
 「パパ」になれるかどうかはわからない。けれど、そっちに向かって、小さく一歩、ぼくは踏み出す。