最期の嘘

 茜はそこで小さく二回、咳をした。
「水飲むか?」とぼくは尋ねる。
「平気」と茜は答え、言葉を続けた。

「パパになりなさい。正しさなんて、まるで通用しない小さな子どもと向き合って、自分と親を重ねてみなさい。大丈夫。お義父さんともお義母さんともあなたは違う。悦史くんは投げ出さない。きっと素敵なパパになれる。わたしたちをずっと生きづらくしてきた中二病から快復できる」
「本当にそうかな」
「わたしは、死ぬまで嘘はつかない」

 十年前、生徒会室で言った台詞を、茜は再び繰り返した。
 一字一句違わない。
 にもかかわらず、「死ぬまで」の重みだけが、こんなにも増している。

 茜はぼくから両手をほどき、ゆっくりとベッドに横たわった。
 笑っていた。
 その顔を、心の底から綺麗だな、とぼくは感じる。

「長いこと、ありがとうね、悦史くん」

 瞳を閉じて、小さく囁き、その後は何も喋らなかった。

 翌朝、茜は息を引き取った。

 瞳孔に当てたペンライトを白衣の胸ポケットに戻し終え、「ご臨終です」と主治医は言った。
 まるで眠るような最期だった。

 その死を待っていたかのように、茜の目じりから、左右に一筋ずつ、涙がこぼれた。
 白い頬を伝う小さな雫が、朝日にきらきら輝いている。

 そこでこらえきれなくなり、茜を強く抱き締めて、声を上げながらぼくは泣いた。