最期の嘘

「悦史くん、わたし、謝らなきゃならないね」

 その夜、ベッドに横たわりながら、茜は言った。
 しばらく前からモルヒネの投与が始まっていた。
 激痛からの解放は、快復の見込みがないことを意味していた。

 いつものように会社帰りに見舞いに訪れ、ベッドサイドで茜の左手を握り締める。
 サイズを間違えたかと思うほど、薬指の結婚指輪はぶかぶかだった。

「なにを謝りたいの?」
「生徒会室で、キスしたこと」
「ぼく記憶が正しければ、あれはお互いさまだと思うけど」
「ううん。あと唇まで一センチのところで、悦史くんはためらった」
「そうだったっけ?」
「そうだよ。だから、わたしが一センチ、顔を寄せたんだ」
「初めて聞いた」
「初めて言ったからね」
「茜はそんなにぼくとキスしたいと思ってくれたんだ」
「うん。悦史くんを大好きだった。――これはあの時にも口にしたね」
「ぼくも茜を大好きだった」
「ごめんね」
「相思相愛なのに、なぜ謝らなきゃならないのさ?」
「こんなことに、巻き込んじゃった」
「いいよ。結果論だもん。ちっとも迷惑だなんて感じていない」
「悦史くんをパパにしてあげられなかった」
「お互い、親ガチャには外れただろ。僕には《いい父親》のロールモデルがない。いまさらだけど告白するよ。《お父さん》になることにおびえていた」
「それが避妊していた理由なの?」
「半分はそう」
「もう半分は?」
「茜も《お母さん》になるのが怖いんじゃないかと思っていた」
「ビンゴだ。わたしたち、だてに十年も一緒にいたわけじゃないね」