同じ苗字になって三年目の初春だった。
 残業で帰宅時間が十時を過ぎた。
 茜はリビングのソファーに横になり、力なく「お帰りなさい」と僕に告げた。

「カレーあるけど、食べる? 外で何かつまんできた?」
 体を起こそうとした茜を制し、「大丈夫、自分でやるから。それより、具合悪いの?」と尋ねた。
「だるいだけ。心配しないで。温め直す前にちょっとお手洗い行ってくる」と立ち上がる。

 ここしばらく、茜は真夜中や未明にもベッドを抜け出し、トイレに行くことがあった。
 そのたびに「水分の摂りすぎかなあ」と恥ずかしそうに首を傾げ、「ごめんね、起こしちゃって」と隣で眠るぼくに詫びた。

「仕事、忙しいの?」
 トイレから戻ってきた茜に声をかける。
「まあ、年度末だから、それなりに。でも、悦史くんみたいな残業はない」
 茜は専門商社の人事労務部で働いている。普段の帰りはほぼ定時だ。
「無理するなよ」
「してないよ」
「本当に?」
「わたしたち、嘘はつかないって約束したじゃない」

 コンロの鍋を温めながら、茜は笑った。
 二十代半ばを過ぎてもその美しさは変わらない。
 凛とした振る舞いはそのままに、性格はやや丸みを帯びた。
 茜といることそのものに、ぼくは深く満たされる。

 それで、油断してしまったのだろう。
 茜の言葉を聞き流し、体調を深掘りするのを怠った。