最悪だった。
 写真部の扉を開けると、中には今一番会いたくない奴が立っていた。

「やあ、千葉くんじゃないか」

 東堂はいつものように微笑んだ。まるで僕らが来るのを予期していたかのような振る舞いだ。彼の隣には生駒さんが立っており、どうやら二人で話をしていたようだった。

「お邪魔かな」

 蓮が「どうする」と耳打ちする。これは完全に予想外だ。出直してもいい。彼が出ていくのを待つことだってできる。でも、僕はそのどちらも取らなかった。

「いいや、回りくどいことする手間が省けたよ」

 東堂にも聞こえる程度の声量で言った。蓮は驚いたようだった。

「東堂、君にどうしても訊いておかなきゃいけないことがあるんだ」

 今ここで東堂の悪行と、千種が関係していたのかどうか、それを暴く。真実を吐かせてやる。そう決めた。
 ずっと、恐れていた。残された僕らが崩壊してしまい、何もかもが取り返しのつかないことになってしまうことを。
 傷はいずれ癒える。そんな千種の死という傷の治療中だった僕らのもとに届いたのがあのメールだ。あのメールさえ届かなければ、いつかはきっと治っていたかもしれない。でも、そうはならなかった。治りかけようとしていた傷は、さらに深く抉られてしまった。
 けれど、僕は知っている。傷というものは、癒えはするが決して消えるわけじゃない。表面上は完治したように見えても、そこに傷があったことに変わりはないのだ。見えなくなったとしても、受けた痛みは身体が憶えている。脳が憶えている。僕という人間を構成する全ての細胞が記憶している。
 幻肢痛というものがある。腕を失ったはずの人間が、もう無いはずの腕の痛みを感じる現象のことだ。失ってもなお、そこにあったはずのものを探し続ける。それはきっと、僕らにも言えることだった。当たり前に存在していたはずの千種がいないことを、いつまでも、いつまでも探し続けるのだ。いないことを受け止めきれないまま、その身が朽ちるまで永遠と。
 僕らがしなければいけないのは、痛みを和らげることでも、慣れることでもない。その傷が痛む原因がどこにあるのかを突き止めることだ。忘れるなんてできないのだ。ならば、受け入れていく覚悟を示すしかない。そのためにも僕らは、知らなければいけない。
 東堂の表情は変わらなかった。

「斎藤さんのことだね。ちょうどよかった。僕も君達に話があったんだよ」

「場所を移そう。ここだと迷惑になる」

「いいや、ここで大丈夫だよ。今は部員もいないしね」

 確かに部員はいなかったが、東堂の隣には生駒さんがいる。彼女を巻き込むわけにはいかない。

「加純のことは気にしないでいいよ。この子も斎藤さんに何があったか知りたがっているんだ。先輩のことを大切にしているいい子だよ」

 奇妙なほど馴れ馴れしい言い方だった。生駒さんに目線を移すが、彼女は何も発さない。不自然なほど凛としている。「いいのかい?」と僕が訊ねても、彼女はコクっと首を縦に振るだけだった。
「それで」東堂が言った。「訊きたいことっていうのは何かな?」
 生駒さんがいいというのならこちらに追い出す筋合いはない。僕は東堂に向き直って話し出した。

「東堂、君にこんな噂が立っていることは知ってる? 東堂悠成は女子生徒を喰っている。まずそれが本当かどうかを教えてほしい」

「本当さ」

 一言。たった一言で、彼は認めた。いかにも殊更ないように言われたせいで自分の耳を疑ったが、確かに彼は言った。自分が生徒会長という立場であるというのに、何一つ取り乱すことなくその行いを自白した。だが何より驚いたのが、生駒さんが全くと言っていいほど反応を示さなかったことだ。異常なほど落ち着き払っている。まるで最初から知っていたかのように。

「お前、俺らのことからかってんのか」

 横にいた蓮もさすがに黙っていられなくなったようだった。

「どうしてそう思うんだい? 僕は本当のことを言っただけだよ」

「じゃあどうして何とも思ってねぇような面してんだよ。お前、自分がどんだけ下劣なことしてんのかわかってんのか?」

「何をそんなにムキになる必要がある? 僕は正直に答えた。君達が望む答えを素直に白状した。ただの噂話から確証に変わったんだ。これで話が進めやすくなっただろう? ほら、次の質問はなんだい? 千葉くん」

 腑に落ちない点はあるが、確かに訊きたいことは訊ける。こちらが訊ねているはずなのに、まるで彼にそうさせられている気分だ。

「確かにこれで無駄な心配を抱く必要がなくなったよ。だから、遠慮なく訊かせてもらう。君は千種にも手を出したのか?」

「もしそうだって言ったら、どうするつもり?」

「質問をしているのは僕だよ。どうなんだ」

「ああ、そうだよ」と彼は言った。「でも、だからどうしたっていうんだい? まさか無理に犯したわけじゃないさ。合意の上で行為に及んだだけだ」
 殴りたくなる衝動を抑える。身体が震える。腸が煮えくり返る。本当は今にでもこのクズの顔面に拳を打ち付けてやりたい。あの余裕ぶった顔面をグチャグチャにしてやりたい。だが、今それをしてしまったらあいつの思うつぼだ。今は堪えて、後からどうにでもすればいい。それだけの権利はある。そうしなきゃいけない義務でもある。

「それに、君達が知りたいのは斎藤さんを殺した犯人だろう? 彼女が生前何をしていたかは関係ない」

「関係ないわけがない。君は立派な容疑者だよ」

「残念だけど、僕は斎藤さんが殺されたことに関しては全くの無関係だ。これだけ正直に話したんだ。今更嘘をつくはずないだろう?」

 この期に及んでこいつは違うと言い張るのか。どういう神経をしているというのだ。いったい彼は何がしたいというのだろうか。
「でもね」彼がニヤリと笑う。「僕は、その犯人を知っている」
 その時、背後の扉が開かれた音がした。振り返ると、そこには尋と陽葵がいた。

「次は僕の番だ」

 そう言うと、東堂はゆっくりと左腕を上げ、僕らの方を指差した。その指先の向こう、僕と蓮を通り越した先に立っているのは、尋だ。東堂は尋のことをその双眸で見つめ、その人差し指で差していた。
 そして、言った。

「犯人は君だよ。熊谷尋くん」