河川敷のほうで行われている花火大会と時期が被っているせいもあるのだろうけれど、町内会としてはどうにか商店街に人を呼び込みたい。
 ということで、最近メディアでの露出も増えてきているさきに、盛り上げ役としての白羽の矢が立ったのだ。
 そして、そのついでに仲のいい囲碁棋士も連れてきて欲しいとのことで、町内会の指名で私と茂美が参加することになった。
 さきちゃんは普段からインタビューなどで、仲のいい相手として私と茂美の名前を出してくれているから、それで町内会も知っていたのだろう。

 そんなわけで私とさきちゃんは、公民館の一室を貸してもらって浴衣に着替えてきた。
 そして、先に現地入りしていた茂美(もちろんこいつも浴衣姿だ。妙に似合っているのがむかつく)と合流したところである。

 企画の内容としては、このアーケード商店街、つまり天井のある商店街で私たち囲碁棋士がお客さんを相手に指導碁を行うということだ。
 指導碁というのは読んで字の如く、上手が下手を指導するための対局である。つまり普通は本気で勝ちに行くことなどせず、相手が上達できるように上手く導く。
 また、それだけではなく、お客さん同士で囲碁の対局ができるスペースも用意されている。
 商店街の真ん中にずらりと並べられた碁盤は圧巻だが、企画の内容としてはなんとも地味だと思う。
 第一、実際に指導碁を受けるのは最低でも囲碁のルールが分かる人だけだし、集客効果もそれほどないのではないか。
 なんというか、あまりにもさきちゃんのスター性に頼り切りではないかと思う。でも、それを口にするほど私は子供ではないつもりだ。

 とは言え、さきちゃんはかわいいからなあ。自分で言うのもなんだけど、私と茂美も一部では美人棋士とか言われてるし。
 浴衣を着た若い女性が商店街の入口のほうにいるだけでも、十分華になるという判断なのだろう。
 ……あとは町内会のお偉いさんの趣味か。なんにせよ謝礼という形でお金ももらえるし、仕事のつもりで頑張らないと。それに――、


「私たち囲碁棋士の本分は、ただ囲碁を打つことだけではないわ。囲碁の魅力をより多くの人に伝え、囲碁を普及させることも求められているの。
 週刊碁の休刊や本因坊戦の縮小も決まって、囲碁界は今後さらに衰退していくと予測されているわ。
 いくらさきのような、今を煌めくスター棋士がいても、それだけではどうにもならないこともある。
 私たち囲碁棋士がひとりひとり思いを込めて、囲碁界を支えていかなくてはならない。
 茂美、もちろんあんたもその一員なんだから棋士としての自覚を持って――」
「あーもう、うるっさーい!! 同期同段同い年!!
 上から目線で説教するのはやめてよー!!」
 耳を両手で塞いで喚く茂美。本当に子供っぽい。
「同期って言っても、あんたは女流試験での採用でしょ。
 私は男女混合のプロ試験を通ってきてるのよ?」
「それ今関係ありますぅ? プロ試験さえ受かれば、おんなじ囲碁棋士ですぅー!!」
 同期がどうとか言い出したのはそっちじゃないのよ。あと私はあんたに公式戦でも勝ってるし。
 ……って、いけないいけない。こんなこと言い出したら、大人げないのは私のほうね。

「まあまあ、そのへんにしておこうよ、ふたりとも」
 間に割って入ったさきちゃんが、私を諭すように人差し指を立てる。
「それに、かさちゃんの言ってることも分かるけどさ、あんまり気を張り詰め過ぎるのもよくないと思うよ?
 真剣試合じゃない場ではさ、私たちも全力で楽しんだほうがいいと思うんだ。
 私たちがあんまりピリピリしていると、きっとお客さんも十分に楽しめないんじゃないかな。
 囲碁の楽しさを知ってもらうためには、まずは私たちが楽しまないとね?」
「「さき……」」
 と、私と茂美の声が不意にハモった。
「ま、私にとってはいい気晴らしになるしね! 対局続きでふたりと遊ぶ時間もなかなか取れないし、いい機会だよ。
 かさちゃんもしげちゃんも、私と一緒に夏祭りを楽しもうよ!!」

 ……最近のさきはまるで肩の荷が下りたような顔をよくしている。
 プロ試験本戦の前に打ち明けてくれたように、ずっと孤独を恐れていたのだろう。
 今にして思えば、随分と長い間、さきを待たせてしまったような気もする。……私の人生をめちゃくちゃにしたことは、まだ許してないけど、ね。

 だけど、私も茂美もようやくプロになれたのだ。これから先は、今まで一緒にいられなかった分、彼女と一緒にいてあげるべきなのかもしれない。



「あっ! あかん、財布家に忘れてきた!」
 商店街に向かう道すがら、まなみが突然そんな素っ頓狂な声をあげた。
 おいおい、服装のことばっか気にしてるから忘れるんだろ。
 まあ、こいつのおっちょこちょいは今に始まったことではない。俺は努めて冷静に応える。
「なんだよ、別にいいよ。今日は俺がなんでも奢ってやるよ」
 そう優しく言ってやれば、まなみも素直に納得してくれるだろう。そう思ったのだが、
「何言うてんねん! 翔ちゃんの金で払ったらポイント付かへんやん!!
 関西人はポイント稼ぎに命懸けてるねんで! 知らへんのか!?」
「知らねーよ。俺、関西出身じゃないし」
 呆れるように苦笑いする俺。別に怒ってるわけじゃねえぞ。
 これはただ関西人のボケに対するツッコミであって――、
「もうええわ! 家まで財布取りに行くから、翔ちゃんは先行ってて!」
 そう言い終わる前に、まなみはすでに今来た道を全速力で引き返していく。
「ええ……」
 取り付く島がないとはこのことだ。しかも、あいつでかいくせに体力ないから、あの調子じゃ絶対途中で息切れするだろ。
 ここから家まで往復20分くらいだが、まあ30分は帰ってこないな。さあて、ひとりでどうやって時間潰すか……。


 そこからさらに5分ほど歩いて、ようやく商店街につく。
 普段は近所のスーパーに行っているから、このあたりに来るのは久しぶりだった。交通の便もあまりよくないしな。
 それにしてもいつ見ても、昭和の臭いを感じる古ぼけた商店街だな。普段は年寄りしか立ち寄らない場所だ。
 しかし、今日はお祭りということもあってか、浴衣を着た若いカップルなども見かける。
 商店街の入口のほうには、学生やサラリーマン風の姿もあって、人だかりができており――。

 ……いや、待て。いくらなんでも人が多過ぎないか?
 しかも、本当に商店街の入口付近だけが大きく膨れ上がっているような感じだ。
 遠目にはそこで何をやっているのかは分からない。お客同士で楽しそうに会話している様子が見えるだけだ。
 もしかして何か見世物でもやっているのだろうか。そうであれば、時間潰しにちょうどいい。
 俺はその人混みをかき分けて、その中心で何をやっているのか見に行くことにした。

 そこには商店街のど真ん中で碁盤を囲んでいる人たちがいた。
 ……え。まさか、あれは早川名人か……? いや、見間違いなんかじゃない。
 なんで名人がこんなところで碁を打っているんだ? それに少し離れたところにはいくつも別の碁盤が並べられていて――。


 ひ、暇だわ……。めちゃくちゃ暇だわ。