煌めく星を追いかけて

 対局が始まったら全然平気だと思いますね。ふふっ」
「雨宮初段は生まれたときから東京住まいで、早川名人とは小学生の頃からの――」
 そこで俺は録画を停止した。ここまで見せれば十分だと思ったからだ。

「な? 分かっただろ?
 かさねってのはプロ棋士の名前。ソファーで横になる前にこの番組を観てたんだよ。
 それで変な名前だと思ってたから、多分寝言で呟いてたってわけ」
「そ、そういうことやったの? でも、この女が浮気相手かもしれんやん!」
「おいおい、相手はプロ棋士だぞ? それに中学の頃に関西のプロに弟子入りしてから、俺はずっと大阪住みだっての。
 東京の女と知り合う機会なんてねえよ。いくら囲碁ってつながりがあるって言ってもな」
 そこまで言ってやると、ようやくまなみは納得してくれたようで、泣きながら抱きついてきた。

「ごめんな、翔ちゃん! 堪忍してや!
 翔ちゃんは私一筋やもんな? 信じられへんくて、ほんまにごめん!」
「どうどう。分かってくれたならいいって。愛してるよ、まなみ」
「うん、私も翔ちゃんのこと、愛してる!」
 やれやれ、まるで犬みたいな女だな。まあ、そういうところがかわいいんだが、少し厄介だ。
 この前だって部屋に日焼け止めクリームがあったくらいで、別の女を連れ込んだと勘違いしやがって。
 それは単純に俺の持ち物だっての。メンズ用って書いてあるのが読めないのかよ。
 そんな感じで、まなみが訳の分からないことを喚き散らかすのは、いつものことだった。


 ……ただ一点、俺は嘘を吐いた。俺は、この雨宮かさねという女のことをずっと前から知っている。
 やましいところは何もないが、変な勘繰りを入れられたくなくて、知り合いではない風を装ったのだ。
 実際は向こうも多分、ぼんやりくらいには俺のことを覚えているのではないだろうか。


 それから俺たちはお詫び(?)ということで、商店街にデートをしに行くことになった。
 まなみが言うには、今日は商店街のほうでお祭りか何かがあるらしい。
 それにしても、まなみは機嫌が悪くなるのが早ければ、直るのも早い。
 すっかりウキウキな様子で、どの服を着ていくか迷っているようだった。
「お互いの部屋着まで知ってるのに、今更服なんか気にする必要あんのか?」
「こういうのは気分やねん! 翔ちゃんは黙っといてや!」
 俺はやれやれと肩を竦めるばかりであった。


「――それにしても、かさちゃんって浴衣がよく似合うよね。
 昨日テレビで観たときも思ったけどさ」
「昨日?」
「昨日出てたじゃん! NHKの囲碁番組に!」
「ああ、囲碁YouTuberの三浦(みうら)ジュリアンヌさんと対局したときの。
 あれって昨日が放送日だったのね」

 大阪の町をさきちゃんと浴衣姿で歩きながら、そんな話をした。
 どうやら日本棋院は私を『美人過ぎる囲碁棋士』として売り出したいらしく、プロ入りしたばかりの私に囲碁番組への出演を勧めてきたのだ。
 初めは断ろうかとも思ったが、まあ水着姿になってくれとか言われてるわけではないし、別にいいかと思った。
 それに正直なところ、まだ対局数も少ない新人の私にとってはテレビ出演は貴重な収入源だった。少し悩んだあとに、私は出演を決めた。

「本当はかさちゃんに電話しようかとも思ったけど、今まさにテレビに出てるところだしなーと思って」
「……うん、あの番組は録画放送だけどね?」
「それで必死に応援しちゃったよ。『かさちゃん、頑張れー!』って」
「録画だけどね?」
「そうしたら見事かさちゃんの大勝利! 私の想いが届いたんだね!」
「録画だってば」
 ……まあ電話をしてきたらしてきたで、「ネタバレしないでね!?」とか騒がしかったに違いない。
 そういう意味では貴重な休日のお昼に、ゆっくりと休んでいられたのは幸運なことだったのだろう。
 今日は大阪のお祭りにゲストとして参加する日だから、体力が温存できたのはありがたい。


「なあなあ、あれって早川名人ちゃう!?」
「え、囲碁棋士の? コーラのCMに出てる子!?
 ってか、隣の子もめっちゃ美人やん!!」
 さっきからすれ違う人々がちらちらとこちらを気にしているようだったが、明確に意識している人はこれが初めてだった。
 女子高生とみられる女の子たちが遠巻きに騒いでいる。やれやれ、さきもすっかり有名人ね。
 ニュースでも大々的に取り上げられて、有名飲料水のCMにも出ていれば、仕方のないことなのだろうけれど。

「さき、噂されてるわよ」
「うん、そうみたいだね。
 こんにちはー、囲碁棋士の早川さきでーす! ご声援ありがとうございまーす!
 美味しさ爽快、コケ・コーラ!!」
 さきは声がするほうに向き直って、満面の笑みでCMと同じようにコーラを飲むような仕草をしている。
 CMを企画した人も、まさかここまでノリノリでやってくれるとは思っていなかったに違いない。
「きゃー! 本物やー!」
「めっちゃかわいー! 応援してますー!!」
 ……はあ。囲碁棋士ってミーハーの相手もしなくちゃならないのかしら。
 どうせあいつら囲碁のルールすら知らないでしょ。


「あ、いたいた。しげちゃん、おっはよー!
 スタッフの皆さんもおはようございますー!!」と、さきちゃん。
 そして私もさきちゃんとともに、スタッフ(――おそらく商店街の人だろう)の皆さんに「おはようございます」と挨拶をする。
 そこに聞き馴染みのある不愉快な声が返ってきた。
「おはよう、さき! ……あとついでにかさねも」
「ついでって何よ。私がついでなら、あんただってついででしょ。
 今日の主役はさきちゃんなんだから」
 商店街の片隅に、私たちの控室としてイベント用のテントが設営されていて、そこには倉橋茂美とかいう不愉快な女がいた。
 彼女もまた、私と同じくプロ1年目の新人囲碁棋士だ。ただ、院生として一緒にいた頃から、どうにもこいつは気に食わない。
 言動も仕草も、すべてにおいて腹が立ってくる。……そりゃまあ、なんだかんだ付き合いは長いし、友達だとは思ってるけど。

「会って早々、喧嘩しないでよ、ふたりともー。
 それに別に私が主役とかないって。今日はただ、商店街で指導碁をするだけなんだから」
「でもさー、こんなしょうもないイベントに、今や女流タイトル五冠、七大タイトル四冠のさきまで、どうして出なくちゃならないのかしら」
「し・げ・み? 周りでスタッフが作業してるから。多分聞こえてるから」と、私。
「聞こえてたっていいのよ。もう二度とこんなイベントに呼ばないようにしてもらわなくっちゃ。
 ただでさえ、さきは対局で忙しいのに。こんなところで体力消耗しちゃって、どうすんのよ」
 やっぱり茂美はお子様だ。少しくらいは体面を気にしたらいいのに。周りのスタッフも苦笑いを浮かべている。
 まあ、私としても『囲碁界の仲良し3人組』という扱いで、茂美と一緒に呼ばれたらしいことには不満があるけれど。


 ともかく今回のイベントの趣旨はこうだ。
 この大阪の商店街を中心に、町内会が納涼夏祭りを行うのだが、例年人の集まりがどうにもよくない。