「す、すみません!! そんなつもりじゃ――」
「さきというのは、さっき試験を受けた子だね? 君の友達なのかい?」
大林先生は私の謝罪を無視して話を続けた。別にお説教のつもりではない、ということだろう。
君にはこれから先、プロ棋士を目指す道を進んでいく覚悟はあるのかと問いかけられているような気がした。
「あ、はい。さきちゃんとは小学2年生の頃からずっと友達で」
「学校のお友達? ああ、少年少女囲碁大会の結果は見させてもらっているよ。
同じ小学校の子が3位以内にふたり入賞していたから気になっていたんだ」
「はい。昼休みに読書をしていたら、さきちゃんが話しかけてきて、それから仲良くなったんです」
「それはいいね。同世代の子がライバルとして身近にいるのはお互いのためになる」
ライバルなんて――。そう言いかけた口を私はそっと閉じる。
多分これは面接じゃなくて、私の緊張をほぐすために雑談をしてくれているのだ。
なら、無暗に反発するのはやめて素直にその言葉を受け入れよう。そうでなくても、なんでも否定から入るのは相手に失礼だ。
「さて、そろそろ試験碁を始めようか。三子置いて」
「はい、よろしくお願いします」
そうして始まった試験碁は三子の置き碁、つまり私のほうがみっつ分のハンデをもらって打ち始めた。
いざ始まってしまえば、それほど緊張はしない。ただ普段通りに打てばいいだけだ。
それに正直、三子ももらえばプロ相手でもなんとかなるんじゃないか。私は特に根拠もなく、そんな風に思っていた。
――甘かった。所詮は浅はかな素人考えだった。
序盤に打たれた定石はずれにはなんとか対処することができたけれど、形勢はじわじわと大林先生のほうに傾いていった。
悪手を打っているつもりはない。だけど、大林先生のほうが常に私の読みより一歩上をいくのだ。
しかも、こちらがコウを制して大石を仕留めたかと思えば、大林先生はフリカワリでもっと大きい私の石を殺してしまった。
打たれてみると、初めからこうなるように手を誘導されていたかのような気もする。
これが高段者のプロ棋士……。まるで私の心の内を見透かして、私がどう打つのかすべて計算し尽くしているみたいだった。
「ふむ、これくらいにしておこうか。君の力は十分に分かったよ」
「はい……、すみません、不甲斐なくて……」
「いやいや、冷静沈着な打ち回しだったよ。
この定石はずれの対策は知っていたのかい?」
「いえ……、でもあまり見たことのない形だったから、何か上手い対処法はあるんじゃないかと思いました。
そうでなければ、みんなその手を打っているだろうから……」
「ははは、やはり冷静だ。まあ、この定石はずれを打ったほうもそれほど悪くはなっていないのだけどね。
代わりに先手で別の急場に回ることができたからね。結果的には五分の分かれさ。
それにしても志願書を見るに、師匠や推薦者はいないとのことだけど、普段はどんな勉強を?」
「さきちゃんから訊いてませんか?
私たちプロの師匠はいませんけど、梶原哲さんっていうおじいさんの碁会所にずっと通ってて。
哲さんは昔県代表にもなったことのあるアマチュアの強豪で、随分と鍛えてもらいました。
もう亡くなってしまいましたけど……」
それを聞いた大林先生は少し目を細めたあと、申し訳なさそうに俯いた。
「それは……、つらいことを思い出させてしまったかな」
「いえ……、悲しいことですけど、多分哲さんは最期まで幸せだったので……」
「しかし、師匠はいたほうがいい。僕の知り合いでよければ紹介しよう」
「え、それって……」
師匠がつくということは本格的にプロを目指すということだ。
大林先生は私にそれに見合う実力と資質があると判断したことになる。つまりこの試験の結果は――。
「ああ、話の順序が前後してしまったね。
君も来週末から、ここに来なさい。もちろんさきくんと一緒にね」
それから次の土曜日、私たちは再び棋院を訪れた。もちろん院生研修に参加するためだ。
私たちが来たとき、会議室みたいな部屋には院生とみられる子供たちがすでに多く集まっていた。
私たちは呆然と立ち尽くしたまま、その光景を見回した。
「かさちゃん、かさちゃん。ここにいる子たち、みんな院生なんだよね。
私たちよりもずっと小さい子もいるけど……」
私の耳元でひそひそ話をするようにさきちゃんがそう口にした。
子供と言っても、ここには小学生から高校生までの年齢の子が集まっている、……らしい。
さらに正確に言えば、原則として院生でいられるのは満17歳を迎える年度まで……。
院生を卒業してもプロ試験は23歳未満まで受けられるものの、院生期間中に合格できなければプロになるのは難しい。
すでに中学1年生の私とさきちゃんにはそれほど長い時間は残されていないのだ。
改めて自分たちが恐ろしく厳しい世界に足を踏み入れてしまったことを実感する。そこに大林先生がやってくる。
「おや、ちょうどいい。おはよう、ふたりとも。
このまま自己紹介の時間にするから、そこで立っていてください」
その指示の通り、私たちが入口の扉近くで立っていると、大林先生は集まっている院生の子たちに挨拶をした。
「皆さん、おはようございます。ああ、すでに席についてる子はそのままで結構。
まだ来てない子もいるかもしれないが、今日から新しく仲間になるふたりに自己紹介をしてもらおう。
それでは、さきくんからどうぞ」
「は、はい! 早川さき、中学1年生です!
趣味はゲームとドッ、……読書です! よろしくお願いします!」
今ドッジボールって言おうとしたな……。
「さきくんは去年の少年少女囲碁大会小学生の部で2位だった子だ。
ここでもその実力を発揮して切磋琢磨してくれることを期待しているよ。
それでは次は、かさねくん」
「あ、はい……。私は雨宮かさね、中学1年生です。
さきちゃんとは小学生の頃からの幼馴染で……。
私は少年少女囲碁大会では3位でしたけど、これから一生懸命頑張りますのでよろしくお願いします!」
ざわざわ……、ざわざわ……。研修部屋が俄かに騒がしくなる。
何かまずいことを言ってしまったのかと思ったけれど、漏れ聞こえる話を聞くとそうではないようだった。
「1位って誰?」
「東谷だって。あいつ家庭の事情で院生辞めたけど、強かったよな……」
「決勝の棋譜は見たけど、少なくとも2位の子は相当強いよ」
「少年少女囲碁大会で3位なら、あっちも十分強いだろ……」
「今年は間に合わなくても来年のプロ試験は――」
そんな声が聞こえてくる。どうやら私たちのことを強敵が現れたと認識しているらしい。
さきちゃんに対してならともかく、私に対してその評価は買いかぶり過ぎだろう。
私は初心者だった頃を除けば、さきちゃんに互先で勝ったことは一度もないんだし……。
「皆さん、静かに。確かにプロ試験ではライバル同士になりますが、ここではお互いを伸ばし合う仲間です。
仲良くしてあげてください。さきくんもかさねくんも分からないことがあればみんなに遠慮なく訊くように」
「さきというのは、さっき試験を受けた子だね? 君の友達なのかい?」
大林先生は私の謝罪を無視して話を続けた。別にお説教のつもりではない、ということだろう。
君にはこれから先、プロ棋士を目指す道を進んでいく覚悟はあるのかと問いかけられているような気がした。
「あ、はい。さきちゃんとは小学2年生の頃からずっと友達で」
「学校のお友達? ああ、少年少女囲碁大会の結果は見させてもらっているよ。
同じ小学校の子が3位以内にふたり入賞していたから気になっていたんだ」
「はい。昼休みに読書をしていたら、さきちゃんが話しかけてきて、それから仲良くなったんです」
「それはいいね。同世代の子がライバルとして身近にいるのはお互いのためになる」
ライバルなんて――。そう言いかけた口を私はそっと閉じる。
多分これは面接じゃなくて、私の緊張をほぐすために雑談をしてくれているのだ。
なら、無暗に反発するのはやめて素直にその言葉を受け入れよう。そうでなくても、なんでも否定から入るのは相手に失礼だ。
「さて、そろそろ試験碁を始めようか。三子置いて」
「はい、よろしくお願いします」
そうして始まった試験碁は三子の置き碁、つまり私のほうがみっつ分のハンデをもらって打ち始めた。
いざ始まってしまえば、それほど緊張はしない。ただ普段通りに打てばいいだけだ。
それに正直、三子ももらえばプロ相手でもなんとかなるんじゃないか。私は特に根拠もなく、そんな風に思っていた。
――甘かった。所詮は浅はかな素人考えだった。
序盤に打たれた定石はずれにはなんとか対処することができたけれど、形勢はじわじわと大林先生のほうに傾いていった。
悪手を打っているつもりはない。だけど、大林先生のほうが常に私の読みより一歩上をいくのだ。
しかも、こちらがコウを制して大石を仕留めたかと思えば、大林先生はフリカワリでもっと大きい私の石を殺してしまった。
打たれてみると、初めからこうなるように手を誘導されていたかのような気もする。
これが高段者のプロ棋士……。まるで私の心の内を見透かして、私がどう打つのかすべて計算し尽くしているみたいだった。
「ふむ、これくらいにしておこうか。君の力は十分に分かったよ」
「はい……、すみません、不甲斐なくて……」
「いやいや、冷静沈着な打ち回しだったよ。
この定石はずれの対策は知っていたのかい?」
「いえ……、でもあまり見たことのない形だったから、何か上手い対処法はあるんじゃないかと思いました。
そうでなければ、みんなその手を打っているだろうから……」
「ははは、やはり冷静だ。まあ、この定石はずれを打ったほうもそれほど悪くはなっていないのだけどね。
代わりに先手で別の急場に回ることができたからね。結果的には五分の分かれさ。
それにしても志願書を見るに、師匠や推薦者はいないとのことだけど、普段はどんな勉強を?」
「さきちゃんから訊いてませんか?
私たちプロの師匠はいませんけど、梶原哲さんっていうおじいさんの碁会所にずっと通ってて。
哲さんは昔県代表にもなったことのあるアマチュアの強豪で、随分と鍛えてもらいました。
もう亡くなってしまいましたけど……」
それを聞いた大林先生は少し目を細めたあと、申し訳なさそうに俯いた。
「それは……、つらいことを思い出させてしまったかな」
「いえ……、悲しいことですけど、多分哲さんは最期まで幸せだったので……」
「しかし、師匠はいたほうがいい。僕の知り合いでよければ紹介しよう」
「え、それって……」
師匠がつくということは本格的にプロを目指すということだ。
大林先生は私にそれに見合う実力と資質があると判断したことになる。つまりこの試験の結果は――。
「ああ、話の順序が前後してしまったね。
君も来週末から、ここに来なさい。もちろんさきくんと一緒にね」
それから次の土曜日、私たちは再び棋院を訪れた。もちろん院生研修に参加するためだ。
私たちが来たとき、会議室みたいな部屋には院生とみられる子供たちがすでに多く集まっていた。
私たちは呆然と立ち尽くしたまま、その光景を見回した。
「かさちゃん、かさちゃん。ここにいる子たち、みんな院生なんだよね。
私たちよりもずっと小さい子もいるけど……」
私の耳元でひそひそ話をするようにさきちゃんがそう口にした。
子供と言っても、ここには小学生から高校生までの年齢の子が集まっている、……らしい。
さらに正確に言えば、原則として院生でいられるのは満17歳を迎える年度まで……。
院生を卒業してもプロ試験は23歳未満まで受けられるものの、院生期間中に合格できなければプロになるのは難しい。
すでに中学1年生の私とさきちゃんにはそれほど長い時間は残されていないのだ。
改めて自分たちが恐ろしく厳しい世界に足を踏み入れてしまったことを実感する。そこに大林先生がやってくる。
「おや、ちょうどいい。おはよう、ふたりとも。
このまま自己紹介の時間にするから、そこで立っていてください」
その指示の通り、私たちが入口の扉近くで立っていると、大林先生は集まっている院生の子たちに挨拶をした。
「皆さん、おはようございます。ああ、すでに席についてる子はそのままで結構。
まだ来てない子もいるかもしれないが、今日から新しく仲間になるふたりに自己紹介をしてもらおう。
それでは、さきくんからどうぞ」
「は、はい! 早川さき、中学1年生です!
趣味はゲームとドッ、……読書です! よろしくお願いします!」
今ドッジボールって言おうとしたな……。
「さきくんは去年の少年少女囲碁大会小学生の部で2位だった子だ。
ここでもその実力を発揮して切磋琢磨してくれることを期待しているよ。
それでは次は、かさねくん」
「あ、はい……。私は雨宮かさね、中学1年生です。
さきちゃんとは小学生の頃からの幼馴染で……。
私は少年少女囲碁大会では3位でしたけど、これから一生懸命頑張りますのでよろしくお願いします!」
ざわざわ……、ざわざわ……。研修部屋が俄かに騒がしくなる。
何かまずいことを言ってしまったのかと思ったけれど、漏れ聞こえる話を聞くとそうではないようだった。
「1位って誰?」
「東谷だって。あいつ家庭の事情で院生辞めたけど、強かったよな……」
「決勝の棋譜は見たけど、少なくとも2位の子は相当強いよ」
「少年少女囲碁大会で3位なら、あっちも十分強いだろ……」
「今年は間に合わなくても来年のプロ試験は――」
そんな声が聞こえてくる。どうやら私たちのことを強敵が現れたと認識しているらしい。
さきちゃんに対してならともかく、私に対してその評価は買いかぶり過ぎだろう。
私は初心者だった頃を除けば、さきちゃんに互先で勝ったことは一度もないんだし……。
「皆さん、静かに。確かにプロ試験ではライバル同士になりますが、ここではお互いを伸ばし合う仲間です。
仲良くしてあげてください。さきくんもかさねくんも分からないことがあればみんなに遠慮なく訊くように」