「わあ、わあ。桜子様。想い人とご自分の妄想を垂れ流す変態の京也様と比べものにならないくらい、よいと思います! ボクは素晴らしいと思いますよ!」
「にゃーあ」
 
 犬彦もミケを抱っこしながら応援してくれる。さりげなく京也を変態呼ばわりしているが、呼ばれた本人含め、誰も気にしていない。
 桜子は「そんな風に言っては京也様が傷つくのではないかしら」と心配しつつも、同時に「なるほど、ご自分の妄想を垂れ流す……」と納得してしまった。

「あの妄想執筆癖はよろしくないと思うのです。ボクは断固として悪癖を治すよう求めて参りたいと考えております」
「私も今、実在する保険の先生のことを書いているのだけどいいのかしら」 
「桜子様は保険の先生とご自分の恋のお話を妄想執筆なさっているのですか……!?」
「えっ、いいえ⁉ 恋のお話ではありませんっ」

 ならば、なにを書いているのかと問われると困るのだが。
 
『一方そのとき保険の先生は式神のもみじとあそんでいましたが、とても眠くて、仕事中なので寝ないようにしようと思ったところでありまして、ノックの音が聞こえたので、とてもすごくやる気を出しまして、ドアに近づいて開けたのですが、さてそのとき外にいた私は先生が右手で扉をあけてくれたので、体調を伝えて中で休もうと中にはいり、先生は右手を私のおでこにあてて体温をはかり、右手で薬を』
 手元には、このような文章が増えている。
 
「右手ばっか使う先生だなあ」
「一文が長いよ」

『実は先生には左手がありません』
 桜子が書くと、周囲は笑った。

「おい、右手ばっか使うっていうからお嬢ちゃん、先生の左手をなくしちまったじゃねえか!」
「あはは……」

 笑っていると、感心した様子の声がかけられる。
 
「桜子さんはやさしいのだな。道化役を買って出て、二世乃(にせの)さんから注意を逸らしてあげたのだろ?」
「あ……」
 
 労うように頭を撫でてくれるのは、京也だった。
 
「素晴らしい。これは、話を展開させつつ世界一長い文章の記録に挑もうという狙いがあるのだな。才能の(ほとばし)りを感じる!」
「えっ、そんな狙いはありませんでした」
 
 そうだったのか、という関心した様子の声が周囲から聞こえてくる。
(勘違いされている!)
 桜子はあわてて「ちがいますよ」と否定した。

 京也は原稿を書き終えた様子で、手に原稿用紙の(たば)を持っている。
 
「ところで、咲花さんは俺が間に合わないと思って自力で書こうとしているのだろうか? できたのだが?」
 
 とん、とん、とテーブルの上で原稿用紙の端をそろえるようにして、京也は咲花に差し出した。
 
「で……できましたのっ? この短時間でっ? さ、さすが京也さん――じゃ、じゃあ、いただきますわ。それと、お仕事の件は口止めはいたしませんけど、積極的に言いふらさないでくださる?」
「うむ。仕事は仕事だ。俺は納品が遅くなったことを詫びるし、最初に提出したものが発注された内容と違う内容であったことも謝罪しよう。積極的に言いふらしたりもしない」
「……納品してくださって、ありがとう。……ゴーストライターさんたちの中には、もう仕事を受けないとか、口止め料を払えとか言ってくる人も多いの」
「そうか。まあ、続きをさらに書く機会があれば、ぜひ桜子さんを登場させてくれたまえ」
「ま、まだおっしゃるの~~っ? も、もう。仕方ありませんわねっ、か、考えておきますわぁ……桜子さん、可愛いですし」
「俺の嫁だ」
「ほ、本人の合意はありますの……? ないなら、あたくしが許しませんわよ」
 
 咲花は原稿を受け取って、桜子に別れを告げた。
 
「桜子さん、ごきげんよう。またお店に来ますわね」
「咲花お姉さま、ごきげんよう。ご来店をお待ちしています」 
 
 執事を連れて咲花が帰ると、京也はテーブルの上に複雑そうな視線を向けた。
 
「桜子さんは、咲花さんと親しくなったのか?」
「あっ、はい。親しくなりました」
 
 その手が拾い上げるのは、針と糸で(いびつ)に縫い合わされた京也の原稿だ。
 
「なんだこれ。なぜ縫った……? 人間の考えはわからな、こほん。俺は理解に努めるぞ……あとで会議だな……」

 不思議そうに言いながら、京也は原稿を我が子に接するように優しく撫でて、懐に仕舞った。その表情が嬉しそうに見えたので、桜子は胸があたたかくなった。

「桜子さん、先ほど聞こえたのだが、俺は変態ではない。ただ、常識が欠けていたり、配慮が足りない振る舞いはあったかもしれない」
「あっ、やはり、気にされましたか」
 
 神妙な顔で言う京也の後ろで、犬彦が「常識が欠けていたり、配慮が足りない振る舞い、ありました! とってもありました!」とぴょんぴょん跳ねて主張している。
 
「気をつけるので、嫌わないでほしい」
 それをとても恐れるように言うので、桜子は恐れ多い気分になった。
 
「嫌ったりなんて……」 
 
 ――自分が誰かに「嫌わないでほしい」と言われる日が来るなんて、思わなかった。