入店の鐘音を鳴らしてお店に入れば、奥の席にいた京也はすぐに気づいたようだった。狐のお面に手をかけて、ちょっとずらしてびっくりした様子でいる。

「なんか華族様みたいな二人連れがいらしたなぁ」
「見覚えあるぞ、二人とも」

 客たちが桜子と犬彦を見てヒソヒソしている。京也の席に近付くと、京也は二人を見比べるようにして首をかしげた。

「桜子さん、犬彦。どうしたんだ?」
「京也様。それが……」

 桜子は言いかけて、「私はどうしたんだろう」と冷静になった。

(京也様はお仕事なのに。私……なんて言うつもりなの? 『最近お会いしていなかったので、好機と思って会いに来ました』とでも?)

 と、もじもじしていると。
「桜子様は、京也様とご一緒したくてお店にいらしたのです」
 犬彦があっさりとばらしてしまっている! 
 
(きゃああああっ)
 羞恥に頬を染める桜子だが、京也はほんわかと夢と現実の区別を失っていた。
 
「ほう。これが限界を迎えた睡眠不足がもたらす幸福な夢か。悪くない。本人の声でセリフを言って欲しいものだな。『京也様に会いたくて来ました』とかどうだろう。言ってほしい」
 
 はっきりとわかる、半分寝惚けているような声だ。

「……桜子様、おっしゃってあげてくださいまし。事実なのですし」

 犬彦は困り顔で上目に桜子を見上げて、拝むように両手を合わせた。忠義者の気配が健気だ。桜子はおろおろとした。
  
「あ……会いたくて、来ました……」
 
「なんてかわゆいんだ。俺は今、幸せな夢の中にいる……」
 
 小声で言えば、京也は壁に頭を押し付けるようにして悶絶した。  

「よかったですね、京也様。これは現実でございますよ、京也様」
「今、恋文を書くから待ってくれ。まだ覚めないでほしい」
「口で伝えましょう、京也様。これ、現実でございますから」

 犬彦が周囲をウロチョロしながら京也に声をかけている。
 桜子は「どうしたんだい」と顔を覗かせる中田夫妻に困り笑顔を返して、どう事情を説明したものか頭を悩ませた。 
 
 ――からん、からん。
 そんな店内に、新たな入店を知らせる鐘が鳴る。
 
「見ろよ! 二世乃(にせの)咲花(さっか)だ」
 
 客たちが著名(ペンネーム)を呼ぶ女性は、有名人だ。
 洋風帽子をかぶった頭は孔雀の羽模様の髪かんざしを挿して耳隠しの髪型にしていて、両耳と首元には大粒の真珠の耳飾りとネックレスをしている。
 苔のような渋い緑色の袴に洋風の白ブラウスをあわせていて、その上から和風の羽織りものを羽織っている。足元は真っ赤な牛革のブーツだ。

「おーっほほほ! は~い、帝都の有名人、才女と名高いあたくしですわぁ」

 高笑いしながら札束を扇のようにして顔の近くでパタパタさせる彼女は、二世乃(にせの)咲花(さきか)――文学賞を受賞した人気女流作家だ。
 
 彼女の著書、『おお、大帝都にあやかしの旗は燃えて』は、高等学校から読書感想文の指定図書にされるほど評価されている。店内にいた客はみんな、彼女に注目した。