賑やかな店の奥で、京也は時計を気にしていた。
 
二世乃(にせの)さん、来ないな。なにかあったのだろうか。彼女、感情的というか、迂闊(うかつ)なところがあるからな。どこかで誰かと揉めていたりしなければいいが」
 
 京也はそわそわと周囲を見て、折り鶴を懐から取り出して、仕舞った。


 そこへ、店内に入ってきた客の声がする。
「外にすごい人だかりがあってさ。二世乃(にせの)咲花(さっか)がいたんだ」

 二世乃咲花。それは、京也が仕事を受けている作家の名前だ。京也がすぐに立ち上がり、「ちょっと出てくるよ」と言って外に出て行く。

「二世乃咲花は目も覚めるようなハイカラ美人だったよ。ちょっと変人だったけど」
「変人?」
「もともと金持ちの令嬢だけど、本が売れて大金持ちになったってんで、『これはあたくしが稼いだお金ですわ~~!』って、なんか札束を扇みたいにしてたぞ」
 
 噂話を聞きながら給仕をしていると、京也は「ちょっと」の言葉通り、すぐに帰ってきた。
 しかし。

「あっ、京也様。ま、マフラーに口紅がついてますって」
 狐彦があわてて駆け寄り、マフラーを没収するのを桜子は見てしまった。
「ああ、二世乃さんかな」
「いけません、いけません。最悪です。なんで口紅をつけていらっしゃるんです! おばか!」
 
 うしまるがアタフタと桜子の耳を塞ごうとする。手遅れだ。バッチリ聞いてしまった。
 ぱちりと目が合った京也は、すこし気まずそうだった。
 
「転びかけたのを助けただけだ……」

 言い訳するように言われて、桜子は首を振った。

「お仕事は済んだのでしょうか? お疲れ様です」
「ああ、いや。今から帰ってまた書き直すことになったんだ」
「そうなのですか? 大変ですね」
「よくあることさ。二世乃さんの好みがあるから」
  
(……好み)

「それなりに長い付き合いなのに、彼女の好みに合わせられない俺がいけない」
  
 真面目な顔で言う京也を見て、なぜか桜子の胸がずきりと痛んだ。

 * * *
 
「にゃあん」
 
 店から去ろうとすると、後ろから猫の鳴き声がした。
 振り返ると、看板猫のミケが寄ってくるのが見える。

「ミケ、またね」
 
(お別れをしてくれるのね、可愛い)
 そう思ってミケに笑顔を向けた桜子は、「ん?」と首をかしげた。
 
「みゃあう」
 
 ミケは口により紐をくわえていた。赤い紐と白い紐がねじられながら一本になっている紐だ。なんだろう。くれるらしい――受け取ると、ミケは喉をごろごろ鳴らして店の奥に去って行った。

 京也は馬車にエスコートしてくれて、走り出す馬車の中であくびを噛み殺すようにしながら手元を覗き込んできた。
 
「桜子さん、ミケになにをもらったんだい?」
「なんでしょうこれ――あっ?」
 
 二人して見つめていると、紐は生き物のように動き出した。

「うひゃあっ? うごいてるぅっ?」

 ああ、我ながら、品のない悲鳴――桜子が驚きつつも自分の悲鳴を残念に思う中、京也は「びっくりしている桜子さんも可愛い」と言いながら鏡に手を伸ばした。 

「害はない様子だが」
  
 紐は『遠見の鏡』に絡みつき、京也が貼り付けた札を剥がそうともぞもぞしている。
   
「ああ、あの化け猫の術か。店を助けたから、恩返しになにか見せてくれるらしい。どれどれ」
 
 京也がつぶやいて鏡を取り札を剥がすと、紐は鏡を撫でるような動きを見せた。

「この紐にこめた霊力と記憶が鏡に移動されているようだね」
 
 鏡にどこかの風景が映るのをみて、京也は首をかしげた。
 
「さて、この映像はなんだろう?」

 鏡の中に、ミケがいる。
 
 ミケは雨水家の庭木の枝にいて、窓から家の中をみていた。
 
 家の中には雨水(うすい)宵史郎(よいしろう)がいて、鏡を見ている。
 ……という風景が、ミケの眼に見えている。

「むう。この鏡め、最近は過去ばかり映すではないか……」
 鏡の中の宵史郎がつぶやいた。
「あの娘が無意識に親を恋しがって鏡に影響を及ぼしているのだろうか。だとすれば、邪魔すぎる存在だ」 
  
 京也と桜子は顔を合わせ、「ミケが見てる風景ですね」「だな」と確かめ合った。
 鏡の映像は宵史郎の近くに寄ったように、彼の手元にある鏡を大きく見せる。
 
「これは――」

 桜子は息を呑んだ。 
 
 宵史郎が見ていた鏡の映像は、懐かしき東海林家(しょうじけ)だったのだ。
 
「わ、私の家です。あっ、……おとう、さま……っ!」
 桜子の声が震える。
 これは、過去だ。父がいる。
 ……とすると、宵史郎は鏡で過去を見ている?

 過去の映像の中で、桜子の父と過去の宵史郎は、口喧嘩を始めた。
 
東海林(しょうじ)。お前が持っている鏡を渡せ。情報は力だ。私が鏡を活用して古今東西の情報を手にすれば、今以上に有能者として名を馳せることができる。やりようによっては天狗皇族を陥れ、私が帝になるのも夢ではない」
「雨水、なんて恐ろしいことを言うんだ。そんな企みを聞いて鏡を渡せるはずがない……!」
 
 桜子の父が拒否すると、宵史郎はすさまじい狐火を起こし、父と術をぶつけあい……。

 燃える、燃える。
 父が、母が、家が――妖狐の狐火に、燃やされていく。

「おかあさま、……おかあさまぁっ……」
「桜子、お逃げ。お母様は、動けないの……ああ、お願い、連れて行って」
 
 女中に抱えられる幼い桜子の泣き声が、遠く儚く炎に巻かれて――聞こえなくなる。

 
 * * *
 
「こ、これは――これは」

 桜子は恐ろしい光景に震えた。

 胸が(えぐ)られたように、痛い。
 得体の知れない感情が、心の中を吹きすさぶ。

 悲しみ? 怒り? 憎しみ? 恨み?
 ――いろんな感情がぐちゃぐちゃになって、どうにかなってしまいそう。
 
 ……雨水(うすい)宵史郎(よいしろう)は、東海林家(しょうじけ)に火を放ち、桜子の家族を殺したのだ!

 と、激情に(たかぶ)っていた桜子の耳に、京也の声が聞こえた。

「ほう。これはこれは」

 獲物を見つけた捕食者のような声は、いつもの優しく穏やかな京也とは明らかに違っていた。背筋がゾッと凍り付いて、カッとなっていた頭も一瞬で冷えるような、怖い気配だ。

(京也、様)

 桜子が普段との差に驚いていると、京也は馬車を停めて配下を呼んだ。

雨水(うすい)宵史郎(よいしろう)をひっ捕らえよ!」

 王者の声で命令が下されて、その夜のうちに雨水(うすい)宵史郎(よいしろう)は国家反逆罪で捕らえられたのだった。

 * * *

「……桜子さんは……怒っているだろうか? 憎んでいるだろうか? 恨んでいるだろうか? 奴を……」

 命令を下したあとの京也は、桜子と同じくらい傷付いた顔をしていた。
 桜子はその顔を見て、息を呑んだ。
 
「きみの心があやかし族のせいでそんな感情に彩られてしまうのが、悔しい。――俺は、きみにそんな苦しい顔をさせたくなくて……でも、間に合わなかったんだ。俺が知らないきみは、俺の手の届かないところで……」

 それが悲しくて仕方ないのだ、と顔を歪めて京也が力いっぱい桜子を抱きしめるから、桜子はなにも言えなくなった。

 ぎゅっと京也を抱きしめ返したあとで、恐れ多いことを平気でするようになったものだと自分に驚く。

 けれど、けれど。
 この美しいあやかしが心を痛めている。
 過去にぐちゃぐちゃに情緒を乱された自分は、この優しいあやかしが同情する姿に、どうしようもなく心が揺れて、惹かれて、止まらないのだ。
 
 だからこの夜は、体温を寄り添わせて、ぎゅうっと身体をひっつける。
 そんな自分を、許したいのだ。