「中田様、お客様も呼び込みましたし、本日はボクたちがお店をお手伝いいたしますっ」
 
 取り立て屋が去ったあと、犬彦は人懐こい笑顔で中田夫妻を安心させた。

「なんと、天狗皇族の春告宮殿下でいらしたとは……って、ええ? ほ、ほんとうに……?」
「し、信じられない……ありがとうございます、ありがとうございます」
 
 中田夫妻は京也に手を合わせている。神様、仏様、京也様だ。 

「うんうん、あ、膝は付かなくていい。普段通りでいいんだ。(かしこ)まりすぎなくていいぞ」

 京也は羽を仕舞い、中田夫妻の肩を支えて、頭を上げさせている。

「だがこれで、俺が桜子さんとちゃんと幸せにできるという説得力が増したであろう!」

 京也が笑う声に、中田夫妻は頷いた。
 店内の客たちは、そんな中田夫妻に「よかったなあ」と声をかけたり、「天狗皇族様ばんざい!」と京也を(たた)えたりと、賑やかだ。
 
「取り立て屋が出て行ったぞ。落ち着いたようでよかった、よかった」
「この店はなんなんだ……? あやかし族が呼び込みしていて、天狗の方がいて、壁でキネマ(映画)が上演されて」
「さっきの壁の映像はキネマじゃないだろ? あれ、あやかし族の術なのかな。初めて見たよ」
 
 呼び込みで入店した人々は、騒動が落ち着いたことで帰っていく者もいるが、店内にそのまま残って目撃した事件についての感想を語り合う者も多い。

「オムレツおひとつくださいなぁ」
「ライスカレーたのむ!」 

「はーい、ただいまお持ちしますぅ!」
「承知ッ」
 
 お揃いのフリルエプロンをつけた犬彦とうしまるが大きな声で返事をして、それぞれのテーブルへと向かう。

「借金もなんとかなりそうで、お客さんがこんなにいっぱいで、あやかしの方々が手伝ってくださって……ありがとう存じます……」
 
 中田のお母さんが拝むように手を合わせ。
 
「こうしちゃいられない、料理をつくらんと」
 
 中田のお父さんは驚きつつ、大慌て。
 
「お店、頑張りましょう、お父さん」
「うん、頑張ろう、お母さん」
 
 ぺこり、ぺこりと店内のあちらこちらで見守っている面々に頭を下げ、お店のお仕事を始める中田夫妻。
 その姿を見て、店内の客は「大変そうだったが、もう大丈夫なのかい?」と好意的な雰囲気になっている。
 
「いい雰囲気のお店じゃないか。料理も美味いし。ところで、さっきの羽見たか?」
「あやかし族が店員なんだぜ、そりゃあ良い店に決まってる……ああ、あの兄ちゃん……いや、天狗皇族様……?」

 ちらり、ちらりと客が京也を見る。とんでもない存在ではないか、と。

「ふむ。もみじ、()み消してくれ。客の記憶だけでよい」
 京也はそんな客たちに肩をすくめて、もみじに命令を下した。

「あ~いっ! おまかせ~!」
 もみじはすぐに行動した。ひらりと飛んで、店内のあちらこちらをひゅーん、ふわふわ、と飛び回る。

「おやあ、あの葉っぱもあやかしかな」
「赤い蝶々みたいでかわいいなあ……」

 店内の人々は、その姿をぼんやりと目で追いかけた。

 一周ぐるりと店内をまわって、もみじが桜子の肩に戻るころ。
 人々は、天狗皇族のことを忘れていた。
 
「妖狐さまが給仕してるんだ、味が悪くても悪いとは言いにくいわな」
「それはそうだ! あははっ」
 
 新しく来た客たちは「天狗皇族様の噂は、さすがに()っていたか~」と言いながら、犬彦のきつね耳や尻尾や、うしまるの筋肉に視線を向ける。
 
「尻尾がふわっふわ」
「筋肉がすごい」
 
 もみじが平たい葉っぱのからだを揺らして、「きょうやさまがてんぐなきおく、けしましたの」と報告している。

「あるじさま、ほめてほめて」
「もみじちゃん、すごい」
「わあい! わあい! ほめられたぁ!」
 
 もみじは無邪気に喜んで、あどけない声で「あるじさまも、かがみつかって、すごーい!」と言ってくれた。

「あるじさま、もみじ、ほめられるとうれしいの。だから、もみじもいっぱいほめてあげる」
「ありがとう、もみじちゃん」

 桜子は指先でもみじを撫でた。
 葉っぱの体はぺらぺらで、撫でられて喜ぶ姿は無邪気だ。嬉しくてたまらない、という気持ちが伝わってくる。
 
「ご注文うけたまわりましてございますっ。ハットケヱキ、ビーフコロッケ、オムレツ、ベイクドマカロニ……」
 
 犬彦が次々と注文を唱える。店内は、大盛況だ。
 
「わ、私も手伝います……!」
 
 給仕用エプロンをつけた桜子の腕を後ろから(つか)み、引き留めるのは京也だ。
 
「桜子さん。術を使ってふらふらしていたじゃないか。体が弱っているのだし、労働は家臣に任せて休んでいたまえよ。きみは奉仕する側ではなく、奉仕される側の人間なのだ」

 心配してくれる情が伝わり、くすぐったい気持ちが桜子の胸に湧く。甘えたくなる。けれど、桜子は首を横に振った。
 
「さっきは少し眩暈がしましたけど、もう大丈夫です。美味しいお食事とたっぷりの睡眠のおかげで、体調は今までになく良いくらいなんです」
 
(むしろ、京也様の方がお疲れなのでは?)
 桜子は眉を寄せた。
 
「京也様こそ、ご無理をなさらずに休んでください」
「ん……そうだ、コーヒーを頼みたいな」 
「淹れてまいります」
 
 使用人のように言う、という苦笑が京也から零れる。
 だって、自分は使用人だったのだ――桜子はそんな言葉を飲み下しながら、京也の腕から離れた。
 
「桜子ちゃんも手伝ってくれるのかい、ありがとうねえ。会話が聞こえたし、コーヒー淹れておいたよ。持っていってあげて」 
 
 中田夫妻は「春告(はるつげ)さまにはびっくりしたよ……」と言いながら忙しそうにフライパンを振ったり注文を確認したりしている。
 京也のテーブルにコーヒーを届けてから、桜子は他のテーブルに急いで向かった。客は待っている間に足を揺らし、時計を見る仕草をしている。
 
「野次馬根性で覗いたまではいいが、こう混んでちゃあ……動物型の最中(もなか)セットをくれるかい」
「はいっ、ただちにお持ちいたします……!」
「こっちも急いでほしいんだけど~」
「はい! お待たせして申し訳ございません」

 ……大忙し!
 うしまるも料理皿を両腕の上に大量に並べ、頭の角と角の間にも挟み、器用にテーブルに配っていく。

「よく落とさないなー!」
「筋肉もすごい」
 客たちは笑いながら、「あやかしだけど、怖くないな」「まったく!」と言葉を交わしていた。

「聞いたよ。この店に天狗皇族の方がいるって?」 
 
 食事を終えて会計を済ませ、店の外に出て行った客たちが外で噂をしたらしい。噂に誘われて客が増えるが、店内にいた客は記憶を消されているので、否定してくれる。
 
「いや、妖狐と牛男はいるけど天狗皇族の方はいないぞ」
「なーんだ。いないのか。まあ、そうだよな」
「いるわけないじゃないか、そんな雲の上の高貴な方……」
「だよなぁ」