食事は美味しい。しかし。
「美しい花の唇が甘く誘う微笑を浮かべ……桜子はささやくように……お願いです……と恥ずかしそうに……」
京也が読み上げる声がどうも気になる。なにせ、自分をモデルにした登場人物がなにか恥ずかしそうにお願いしているのだ。気にならないわけがない。それに。
(京也様。お食事は摂らなくて大丈夫なのかしら)
と、ちょっと心配でもある。
「きょうやさま、へん!」
もみじは、桜子が気にしている気配を察知してか、率直すぎる感想を口にしていた。
「いつもなの。いつもなのよ、おしごとびょーだっていぬひこがいってた」
「お仕事病? がんばりすぎてしまう、という感じかしら。あの、京也様……」
遠慮がちに声をかける桜子だが、京也は止まらなかった。
「ふたりの想いが交わる瞬間、その胸騒ぎが今、この瞬間を彩る……深い感動を込めて……桜子の手が、そっと手に触れ……わたしも……同じ気持ちです……それは永遠に続く愛の始まり。ふたりだけの、美しく煌びやかな夜……」
(わ、私をモデルにした登場人物が、作中でだれかと想いを交わしている~~!)
桜子は犬彦を見た。犬彦はへたぁっときつね耳を倒して、ちょっと困った顔をした。
「こほん、こほん。京也様~っ、キリもよさそうですし、現実に意識を戻してくださいませ。桜子様に嫌われちゃいますよ」
犬彦が咳払いをして声をかけると、京也は即座に正気に戻った。
「あっ……やあやあ、おはよう桜子さん。いい朝だね」
「おはようございます、京也様。今朝も素晴らしいお料理をありがとうございます。働きます」
「いやいや、働かなくても結構」
「桜子様。京也様は『嫌い』という単語に反応します」
犬彦の声に、京也は原稿用紙をあわてて畳の上に伏せた。
「反応するが、あまり言わないでほしい。言われたくない。あと、この原稿は気にしないでくれたまえ?」
「隠しても手遅れでございますよ、思い切り朗読なさっていました!」
「犬彦。別に内容がすべてばれていても、俺は恥じることはないぞ。原稿を伏せたのは食事をしようと思っただけで……」
京也が箸を取り食事を開始するので、桜子は安心した。
「桜子さんの実家から荷物を持ってくるよう言いつけたから、安心してくれたまえ」
「あ……あまり、私物はありませんが、ありがとうございます」
「桜子さんは学校は好きかい? 今後はどうする?」
問いかける京也は、保護者のような気配をのぼらせていた。
「……勉強は、好きです」
「それは素晴らしい。俺も勉学は好きなのだ。趣味が合うな!」
京也は見惚れるような箸運びで食事を進めながら、楽しそうに会話をリードしてくれる。
「一緒に勉強しよう。外国語は好きか? 外国語で愛を伝えてみてもいいか? まずは母国語で飽きるほど愛をささやいてからがいいか? 月が綺麗ですね?」
「京也様、ただいまの時間は、朝でございまして」
「犬彦は黙っていてくれっ」
桜子がくすくすと笑うと、二人はパッと顔を見合わせる。息がぴったりだ。
「あっ、笑った。犬彦、桜子さんが笑ったぞ。給金を上げてやる」
「わあい。わあい」
この二人は、見ているだけで元気が出てくる。桜子が楽しく箸を進めていると、京也は本日の予定を教えてくれた。『にゃんこ甘味店』で依頼者である二世乃咲花女史にお仕事の原稿を渡すらしい。
「『にゃんこ甘味店』には桜子さんについて連絡をしていなかったが、ついでに伝えてこよう」
「……私も、ご一緒してもいいですか?」
「一緒に来てくれるのか? 素晴らしい。男女が共に甘味店に出かける――人はそれをデヱトと呼ぶ……初デヱトだな!」
「雇われ仕事の職場ですが……デヱトになるのでしょうか」
京也は「なる!」と自信満々に断言してから、朝食のカニ入りのだし巻き玉子やカニ脚入りの汁ものに舌鼓を打った。
キヨのビフテキに「美味しい!」と言った瞬間は、桜子は満面の笑みを浮かべた。
「桜子さんはカニは好きか?」
「はい。あまり口にする機会がありませんでしたが、美味しいです。あっ、そういえば、私はカニの殻をはさみで切って身を出す係をして、褒められたことがありました」
「そうか。栄養があり、俺の食事メニューには積極的に使うようにと注文している食材なのだ。今日からは桜子さんは身を出す係ではなく、出された身を栄養として摂取する係だな」
そっと寄ってきた犬彦が尻尾を振りながら「京也様はカニがお好きなのでございます」と教えてくれる。
(会話は、お互いに相手を楽しませようとするものよね?)
なら、桜子は日頃の感謝の気持ちをこめて全力でカニトークを頑張るべきなのか。
(うん……頑張ってみよう!)
桜子は張り切って言葉を探した。
「カニって、……ハサミを上下に動かす様子から幸運を招くですとか、泡をふく様子からはお金が湧いてくるですとか、言われていますね。赤い甲羅は、試験に合格する象徴とも言われているのだとか」
桜子の必殺・雑学に、京也は「そうだな」と声を弾ませた。
「カニは、身持ちが堅い貴婦人のようだ、という言葉がある。奥ゆかしくて上品なうまみがあるのだな、わかる。海鮮ならではのナマっぽさもエロティックでイイ……」
「え、えろ……? そ、そうですね。あの……美味しいですが、エロティックというのは、わからないかもしれません」
「そのうち俺が教えてあげるよ」
美味しいのはわかる。しかし、エロティックというのはよくわからない。
しかし、教えてもらえるらしい――
「京也様、嫌われても知りませんよ! ほんとうに!」
犬彦が注意する声が、あさひの間に響く。
朝食は、そんな楽しい時間だった。
「美しい花の唇が甘く誘う微笑を浮かべ……桜子はささやくように……お願いです……と恥ずかしそうに……」
京也が読み上げる声がどうも気になる。なにせ、自分をモデルにした登場人物がなにか恥ずかしそうにお願いしているのだ。気にならないわけがない。それに。
(京也様。お食事は摂らなくて大丈夫なのかしら)
と、ちょっと心配でもある。
「きょうやさま、へん!」
もみじは、桜子が気にしている気配を察知してか、率直すぎる感想を口にしていた。
「いつもなの。いつもなのよ、おしごとびょーだっていぬひこがいってた」
「お仕事病? がんばりすぎてしまう、という感じかしら。あの、京也様……」
遠慮がちに声をかける桜子だが、京也は止まらなかった。
「ふたりの想いが交わる瞬間、その胸騒ぎが今、この瞬間を彩る……深い感動を込めて……桜子の手が、そっと手に触れ……わたしも……同じ気持ちです……それは永遠に続く愛の始まり。ふたりだけの、美しく煌びやかな夜……」
(わ、私をモデルにした登場人物が、作中でだれかと想いを交わしている~~!)
桜子は犬彦を見た。犬彦はへたぁっときつね耳を倒して、ちょっと困った顔をした。
「こほん、こほん。京也様~っ、キリもよさそうですし、現実に意識を戻してくださいませ。桜子様に嫌われちゃいますよ」
犬彦が咳払いをして声をかけると、京也は即座に正気に戻った。
「あっ……やあやあ、おはよう桜子さん。いい朝だね」
「おはようございます、京也様。今朝も素晴らしいお料理をありがとうございます。働きます」
「いやいや、働かなくても結構」
「桜子様。京也様は『嫌い』という単語に反応します」
犬彦の声に、京也は原稿用紙をあわてて畳の上に伏せた。
「反応するが、あまり言わないでほしい。言われたくない。あと、この原稿は気にしないでくれたまえ?」
「隠しても手遅れでございますよ、思い切り朗読なさっていました!」
「犬彦。別に内容がすべてばれていても、俺は恥じることはないぞ。原稿を伏せたのは食事をしようと思っただけで……」
京也が箸を取り食事を開始するので、桜子は安心した。
「桜子さんの実家から荷物を持ってくるよう言いつけたから、安心してくれたまえ」
「あ……あまり、私物はありませんが、ありがとうございます」
「桜子さんは学校は好きかい? 今後はどうする?」
問いかける京也は、保護者のような気配をのぼらせていた。
「……勉強は、好きです」
「それは素晴らしい。俺も勉学は好きなのだ。趣味が合うな!」
京也は見惚れるような箸運びで食事を進めながら、楽しそうに会話をリードしてくれる。
「一緒に勉強しよう。外国語は好きか? 外国語で愛を伝えてみてもいいか? まずは母国語で飽きるほど愛をささやいてからがいいか? 月が綺麗ですね?」
「京也様、ただいまの時間は、朝でございまして」
「犬彦は黙っていてくれっ」
桜子がくすくすと笑うと、二人はパッと顔を見合わせる。息がぴったりだ。
「あっ、笑った。犬彦、桜子さんが笑ったぞ。給金を上げてやる」
「わあい。わあい」
この二人は、見ているだけで元気が出てくる。桜子が楽しく箸を進めていると、京也は本日の予定を教えてくれた。『にゃんこ甘味店』で依頼者である二世乃咲花女史にお仕事の原稿を渡すらしい。
「『にゃんこ甘味店』には桜子さんについて連絡をしていなかったが、ついでに伝えてこよう」
「……私も、ご一緒してもいいですか?」
「一緒に来てくれるのか? 素晴らしい。男女が共に甘味店に出かける――人はそれをデヱトと呼ぶ……初デヱトだな!」
「雇われ仕事の職場ですが……デヱトになるのでしょうか」
京也は「なる!」と自信満々に断言してから、朝食のカニ入りのだし巻き玉子やカニ脚入りの汁ものに舌鼓を打った。
キヨのビフテキに「美味しい!」と言った瞬間は、桜子は満面の笑みを浮かべた。
「桜子さんはカニは好きか?」
「はい。あまり口にする機会がありませんでしたが、美味しいです。あっ、そういえば、私はカニの殻をはさみで切って身を出す係をして、褒められたことがありました」
「そうか。栄養があり、俺の食事メニューには積極的に使うようにと注文している食材なのだ。今日からは桜子さんは身を出す係ではなく、出された身を栄養として摂取する係だな」
そっと寄ってきた犬彦が尻尾を振りながら「京也様はカニがお好きなのでございます」と教えてくれる。
(会話は、お互いに相手を楽しませようとするものよね?)
なら、桜子は日頃の感謝の気持ちをこめて全力でカニトークを頑張るべきなのか。
(うん……頑張ってみよう!)
桜子は張り切って言葉を探した。
「カニって、……ハサミを上下に動かす様子から幸運を招くですとか、泡をふく様子からはお金が湧いてくるですとか、言われていますね。赤い甲羅は、試験に合格する象徴とも言われているのだとか」
桜子の必殺・雑学に、京也は「そうだな」と声を弾ませた。
「カニは、身持ちが堅い貴婦人のようだ、という言葉がある。奥ゆかしくて上品なうまみがあるのだな、わかる。海鮮ならではのナマっぽさもエロティックでイイ……」
「え、えろ……? そ、そうですね。あの……美味しいですが、エロティックというのは、わからないかもしれません」
「そのうち俺が教えてあげるよ」
美味しいのはわかる。しかし、エロティックというのはよくわからない。
しかし、教えてもらえるらしい――
「京也様、嫌われても知りませんよ! ほんとうに!」
犬彦が注意する声が、あさひの間に響く。
朝食は、そんな楽しい時間だった。