「春告宮殿下が人間の少女の身請けをなされたと?」
季節外れの桜がひらり、はらりと花弁を舞わせる、麗しの夜。
帝都の中心部にある白いレンガ造りの洋館の庭園で、和洋折衷の園遊会が開かれていた。青々とした芝上には灯篭が並んで光り、白いテーブルクロスのテーブルにご馳走が並べられて、酒を浸したグラスがきらきらしている。
ご馳走に舌鼓を打ち、グラスを楽しく傾ける招待客たちは、帝都でも地位の高い者ばかり。人間もいればあやかし族もいて、資産家や政治家といった業界の著名人が知人同士の温度感で談笑している。
そして、なんと上座にはこの国を統べる天狗帝とその皇后が座っていた。
天狗帝は白と赤を基調とした和装束で、黄金の冠をかぶる髪が金色に染められている。なんでも、皇后が先日、西洋人の外交官の髪を褒めたので、対抗意識を燃やして染めたのだとか。
皇后は金のかんざしを頭に揺らし、金や朱の花柄の豪華な和風重ね装束姿。天狗帝の寵愛ぶりも納得できる、華麗な魅力を放っている。
さて、そんな園遊会で現在盛り上がっている話題は、気高き天狗帝の息子、春告宮という称号を持つ二十二歳の京也皇子の嫁取りの話だ。
起きたばかりの事件だが、当事者の父である天狗帝が大喜びで吹聴して広めているものだから、もはや園遊会に来ている者はみんな知っている。
「本当によかったなぁ~。京也は子どものときからだもんなあ。ほら、天狗族って、運命感じちゃったら一直線なところがあるからさー」
天狗帝は、砕けた雰囲気だ。息子のことを上機嫌で語っていて、誰がどう見ても親ばか全開だ。
隣には皇后がいるが、皇后は人間にも関わらず、歳を取るのを忘れたように若々しい。あやかし族、天狗皇族の運命の番になったため、天狗帝の溺愛による恩恵、と言われている。
「困った天狗さん! 京也ったら、鏡に運命の番が映ったんだって言っててねえ。誰に似たのかしらぁ」
「京也の目もとは雛乃ちゃんそっくりだよ」
雛乃ちゃん、とは、皇后のことである。帝は妻の肩を抱き、ちゅっとリップ音を立てて頬にキスをした。
「まあ、あなたったら。みなさんが見てるのに」
ぽっと頬を赤らめてから、皇后は実業家に視線を向けた。
縦長の顔で黒縁の丸眼鏡をした実業家は、横河民輔という。今はチマチマとみかんの皮をむいているが、工学博士であり、橋梁メーカー、化学研究所、鉄工所、計測・制御機器メーカー、倭楽研究所を設立し経営。さらに有名な建物の建築も手掛けている天才だ。ちなみに、みかんはわざわざ持ち込んだらしい。
「聞いてくださる、横河さん? お嫁ちゃんが見つかったっていうからお話を聞こうとしたら、京也はお仕事で忙しいのですって。あの子、変に働き者なところがあるから心配よ」
息子、京也は実業家横河との縁を持ち、彼の事業のいくつかを手伝っていて、市中の企業において優れた名声を享受する地位にも就いているのだという。皇后は息子がお忍びでなにをしているのか詳しく把握していないが、横河という人物は好ましく思っている。見るからに有能で、人柄も良い男なのだ。
「京也殿下にはお世話になっております。殿下の助力なくして今日の私は存在しません」
「うちの子、ちゃんとお仕事できているのかしら? ここしばらくはお嫁ちゃんのお店にも通っていたようだけど……なんだか知らないところでいろいろな仕事をしているみたいで、心配になっちゃうわぁ」
「おかげさまで経営状況は良好です、ご安心ください」
「経営が良いのはよかったけど、人格面が心配なのよねえ……浮かれて春のお花を咲かせちゃって」
皇后が桜の花へと視線を向けると、あやかし族は「やはり殿下でしたか」と納得した。
あやかし族の頂点に君臨する天狗の一族は、群を抜いて強い霊力を誇る。
『天』の名を戴くのは伊達ではなく、天狗皇族には大なり小なり自然に働きかける能力がある。
京也はその中でも帝に次いで強い力があり、天候を操ったり、無からなにかをつくりだすような、「それはもう神の領域では」といわれる強力な能力があるのだ。
「桜が咲く程度でよかったではないですか」
「ええ、ええ。見ごたえもあり、酒も進みます」
天変地異を引き起こす天狗皇族を激昂させると、下手すると帝都が滅ぶ。だから、園遊会にいる者はみんな天狗の一族の機嫌は損ねないようにと気を付けていた。
単なる敬愛だけではなく、「不興を買ったらやばい」という恐怖があるのだ。
「それにしても、雨水宵史郎どのの話をききましたか? 殿下の運命の番を虐げていたという」
「殿下のお使いをしようとした化け猫族を襲ったという話もあるぞ」
冷ややかな声がして、同意の声が続く。
「雨水宵史郎氏は『千里を見通す眼を持っている』といわれていた能力者ですからねー、ならば殿下が長年お探しの運命の方をご存じだったのでは?」
「雨水家は、人間の使用人の使いもひどいらしいですよ。まったく、驚きましたね」
「昔から人間の持っている文化だから、と花街の在り様や人身売買などを見逃していましたが、やはりそのあたり、もう少し取り締まった方がいいのでは」
「意識改革が必要そうですなあ、特に妖狐族の雨水家には」
話題をふられて、同族ばかりで集まっていた妖狐族がそろって耳をへたりとさせる。
妖狐族はあやかし族の中でも力が強い一族で、地位は高いのだが、皇族の不興を買ってしまい、他のあやかし族に睨まれてしまうのは、一族の存亡にかかわる危機である。
雨水家が妖狐族の中でも末端の家柄なら、まだよかった。
だが、雨水宵史郎は実力者であり、ライバル天水家との勢力争いに勝利して、数年前に妖狐族を率いる当主になったばかりの男だった。
一族を率いるリーダーがやらかしてしまった、というのは、一族にとって大ピンチな状況だ。
さらに言うなら、やらかした雨水宵史郎は、無責任極まりないことに欠席している……。
眉をひそめられて噂される中、天水家の当主が立ち上がる。
明るい茶色の髪や毛の色が特徴の妖狐だ。顔つきは、優男といった雰囲気。
「陛下、このたびは我が妖狐族が大切な殿下の運命の番に大変な無礼をいたしました。雨水家当主に代わり、天水家当主が謝罪申し上げます」
謝罪された帝は、おおらかに手を振った。
「天水家の令息はうちでよく働いてくれているし、雨水家がやらかしたからといって妖狐族全体を罪に問うことはないから安心するように」
天水家の当主は安心した様子で顔をほころばせた。
「愚息が教えてくれるのですが、桜子様におかれましてはただ溺愛を甘受するだけではなく積極的に家事を手伝われているのだとか。思春期を迎えたばかりの我が愚息も贈り物を見繕ったりと初々しいことをしているのですよ。あれはさては、初恋ですな」
「ほう。それは……面白いような、心配にもなるような」
「恋心は理屈ではないとはいえ、主君の番に懸想とは困ったもので。心身の成長は喜ばしいですがはらはらしてしまう親心なのですよ」
「初恋が主君の番とは、なんとも可哀想なような」
天水家の息子の話で盛り上がりながら、夜はゆっくりと深まっていった。