案内された和室の猫間障子は上半分が障子、下半分が硝子となっていて、夜の庭園がみえる。
部屋は二間続きになっていて、一間が純和風、もう一間が畳み敷きの床上に、優美な花柄布地のソファが置かれているのがモダンな印象だ。
「疲れているだろう。休むための部屋を用意させているので、準備が整うまで食事でもしながら話でも……医者も手配したほうがよいだろうか?」
京也は、戸の隙間を開けたまま桜子を座らせ、自分はテーブルを挟んで反対側の座布団に姿勢よく腰を落とした。
そして、懐から折り鶴を取り出して虚空に投げた。すると、折り鶴は命を吹き込まれたように羽を上下させ、灯篭の明かりの上を飛んでいく。
あれも式神なのだろう。
「おかまいなく……」
――きゅぅ。
言った瞬間に、お腹が鳴ったので、桜子は赤くなった。
「……‼︎」
京也はなぜか一緒になって赤くなった。
そして、片手で口元をおさえて折り鶴を追加で飛ばした。
「すぐに手配しよう。なにからなにまで、全部!」
(あっ、これは笑いたいのを我慢されているのでは?)
と、桜子が羞恥心に悶えるより早く、驚きが感情を上書きする。
すぐに御膳が運ばれてきたのだ。それも、この短時間でどうやって準備したのかと首をかしげてしまうような最高級のご馳走が。
「京也殿下、失礼いたします」
許可をもらってから部屋に入ってくるのは、うさぎの耳が生えた女中服姿のお姉さんだ。女中服は鞠と組み紐の柄で、可愛いし、気品がある。髪型も、長い髪を後ろで1本の三つ編みにした『マガレイト』という型で、えんじ色と若草色のリボンをつけていて、ハイカラだ。
「ウサ子と申します……お客様。どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください」
ウサ子は目が合うと嬉しそうに微笑んでくれた。見た目も華やかに盛られたご馳走が、どんどん運ばれてくる。
「あ、あまりたくさんは、食べられません」
「残してもいいので、好きなものを好きなだけ召し上がれ」
京也は保護者めいた眼差しで微笑み、原稿用紙を広げた。そして、舶来物の万年筆を執ってなにかを書き始めた。
「俺のことは無害な筆か置物だと思ってくれたまえ」
などと言ってから、そわそわと問いかけてくる。
「しかし、食事とは会話を楽しみながらすると美味しさが増して感じられることもある。仲も深まるというものだ。俺はそう思うのだが、桜子さんはどう思う?」
「えっ、あ、はい」
「ところで、桜子さんはなぜ売られたのだろう。嫌でなければご本人の口から事情をうかがいたいのだが、どう思う?」
また、「どう思う」だ。
桜子は戸惑った。雨水家でも学校でも、桜子が「どう思うか」なんて気にされたことはなかったから。
あやかし族なのに。その中でも最上位の地位である天狗皇族なのに。そんな人物が、「どう思う」と自分の気持ちを聞いてくるのだ。
「今、現実味がなくて……夢の中にいるような心地です」
「それは良い夢かね」
「は、はい」
「ならばよし!」
キッパリと言い切る力強い声と、「話して! 話して!」とねだるような、話すまでずっと待っている様子の熱い眼差しに背中を押してもらった気分になって、桜子は話し始めた。
「遅ればせながら、自己紹介させていただきます。私は、東海林桜子と申します」
* * *
東海林家は、承仕師と呼ばれる寺院や公家のために魔祓い仕事や清め仕事を承ってきた家系である。陰陽師と呼ぶ者もいる、術者の家系だ。
数代前までは『名家』であったが、父の代には『没落した元名家』ぐらいの家格となっていた。
桜子の家族は、ある日、火災で亡くなった。
生き残った桜子の面倒を誰がみるのかで、親族は揉めた。
「うちは無理よ」
「うちだって……よその子の世話をする余裕はありません」
当時、五歳の桜子は思った。
――私がいるだけでみんなが困ってしまう、と。
そこに「うちが引き取りますよ」と声をかけたのが、雨水宵史郎だった。妖狐の特徴である狐耳と尻尾をみせて微笑む宵史郎は、善良そうにみえた。
「あ、あやかし族……」
「妖狐さま」
親族は驚いたし、桜子も「偉いあやかしさまがどうして」と目を丸くした。
「桜子ちゃん。おじさん、お父さんのお友達だったんだよ」
父の形見を握りしめて、宵史郎は言った。寂しそうな顔だった。あやかし族は怖いと思っていたけど、あまり怖くなかった。
――そういえば、東海林の家に訪ねてきたのを見たことがあるかもしれない。
桜子はそのとき、そう思った。
「ぐすっ、そ、そうなの?」
「うんうん、桜子ちゃん。この形見、おじさんがお父さんに贈ったんだよ。ああ、なつかしいなあ。思い出がいっぱい詰まった品物なんだ……」
部屋は二間続きになっていて、一間が純和風、もう一間が畳み敷きの床上に、優美な花柄布地のソファが置かれているのがモダンな印象だ。
「疲れているだろう。休むための部屋を用意させているので、準備が整うまで食事でもしながら話でも……医者も手配したほうがよいだろうか?」
京也は、戸の隙間を開けたまま桜子を座らせ、自分はテーブルを挟んで反対側の座布団に姿勢よく腰を落とした。
そして、懐から折り鶴を取り出して虚空に投げた。すると、折り鶴は命を吹き込まれたように羽を上下させ、灯篭の明かりの上を飛んでいく。
あれも式神なのだろう。
「おかまいなく……」
――きゅぅ。
言った瞬間に、お腹が鳴ったので、桜子は赤くなった。
「……‼︎」
京也はなぜか一緒になって赤くなった。
そして、片手で口元をおさえて折り鶴を追加で飛ばした。
「すぐに手配しよう。なにからなにまで、全部!」
(あっ、これは笑いたいのを我慢されているのでは?)
と、桜子が羞恥心に悶えるより早く、驚きが感情を上書きする。
すぐに御膳が運ばれてきたのだ。それも、この短時間でどうやって準備したのかと首をかしげてしまうような最高級のご馳走が。
「京也殿下、失礼いたします」
許可をもらってから部屋に入ってくるのは、うさぎの耳が生えた女中服姿のお姉さんだ。女中服は鞠と組み紐の柄で、可愛いし、気品がある。髪型も、長い髪を後ろで1本の三つ編みにした『マガレイト』という型で、えんじ色と若草色のリボンをつけていて、ハイカラだ。
「ウサ子と申します……お客様。どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください」
ウサ子は目が合うと嬉しそうに微笑んでくれた。見た目も華やかに盛られたご馳走が、どんどん運ばれてくる。
「あ、あまりたくさんは、食べられません」
「残してもいいので、好きなものを好きなだけ召し上がれ」
京也は保護者めいた眼差しで微笑み、原稿用紙を広げた。そして、舶来物の万年筆を執ってなにかを書き始めた。
「俺のことは無害な筆か置物だと思ってくれたまえ」
などと言ってから、そわそわと問いかけてくる。
「しかし、食事とは会話を楽しみながらすると美味しさが増して感じられることもある。仲も深まるというものだ。俺はそう思うのだが、桜子さんはどう思う?」
「えっ、あ、はい」
「ところで、桜子さんはなぜ売られたのだろう。嫌でなければご本人の口から事情をうかがいたいのだが、どう思う?」
また、「どう思う」だ。
桜子は戸惑った。雨水家でも学校でも、桜子が「どう思うか」なんて気にされたことはなかったから。
あやかし族なのに。その中でも最上位の地位である天狗皇族なのに。そんな人物が、「どう思う」と自分の気持ちを聞いてくるのだ。
「今、現実味がなくて……夢の中にいるような心地です」
「それは良い夢かね」
「は、はい」
「ならばよし!」
キッパリと言い切る力強い声と、「話して! 話して!」とねだるような、話すまでずっと待っている様子の熱い眼差しに背中を押してもらった気分になって、桜子は話し始めた。
「遅ればせながら、自己紹介させていただきます。私は、東海林桜子と申します」
* * *
東海林家は、承仕師と呼ばれる寺院や公家のために魔祓い仕事や清め仕事を承ってきた家系である。陰陽師と呼ぶ者もいる、術者の家系だ。
数代前までは『名家』であったが、父の代には『没落した元名家』ぐらいの家格となっていた。
桜子の家族は、ある日、火災で亡くなった。
生き残った桜子の面倒を誰がみるのかで、親族は揉めた。
「うちは無理よ」
「うちだって……よその子の世話をする余裕はありません」
当時、五歳の桜子は思った。
――私がいるだけでみんなが困ってしまう、と。
そこに「うちが引き取りますよ」と声をかけたのが、雨水宵史郎だった。妖狐の特徴である狐耳と尻尾をみせて微笑む宵史郎は、善良そうにみえた。
「あ、あやかし族……」
「妖狐さま」
親族は驚いたし、桜子も「偉いあやかしさまがどうして」と目を丸くした。
「桜子ちゃん。おじさん、お父さんのお友達だったんだよ」
父の形見を握りしめて、宵史郎は言った。寂しそうな顔だった。あやかし族は怖いと思っていたけど、あまり怖くなかった。
――そういえば、東海林の家に訪ねてきたのを見たことがあるかもしれない。
桜子はそのとき、そう思った。
「ぐすっ、そ、そうなの?」
「うんうん、桜子ちゃん。この形見、おじさんがお父さんに贈ったんだよ。ああ、なつかしいなあ。思い出がいっぱい詰まった品物なんだ……」