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今年の春は雨が多い。
ガラス越しの空は灰色に塗りつぶされ、桜の枝からは常に雨水が滴り落ち、根元に生える雑草が隠れてしまうくらいの水たまりをつくっている。
おかげで気分もどこか曇天模様だ。
陰り空の薄暗い外に比べ、ファミレス内はいつもの二倍はうるさい。遊ぶ場所もない田舎の街で、かつ外が雨とくれば、ファミレスは、別にテスト期間も近くないのに学生の溜まり場と化す。
混雑した店内ではドリンクバーに向かうことすら億劫で、空のグラスに溜まる氷をストローでぐるぐると回す。
「ねえ、聞いてんの?」
「えっ? 聞いてるけど?」
対面に座る愛衣が微かに睨んでくる。
「嘘つけ。今、完全に上の空だったからね。口数が少ないからって、幼馴染の目は騙せないんだからね」
彼女はグラスに結露した水滴を指ですくい上げ、僕に向けて弾く。
「あー、ごめん。ちょっと、考え事」
実際、この席に座ってずいぶん経つが、自分から積極的に発した言葉は一言か二言だけで、ずっと喋り続ける彼女の話もろくに頭に入っていなかった。
僕の頭の中をぐるぐると渦巻くのは、昨日の図書室での出来事だ。
驚きというか、軽い恐怖に近いものをずっと感じている。普段喋っている人の声が聞こえなくなる、喋れなくなるというのは、正直想像がつかない。
「おい、考え事はわかったけど、そっちに戻るな。私を見ろ」
「その台詞、幸田に言ってやれよな」
「そんなこと言えるわけないじゃん! 自己中っぽい」
「こんな雨の中、嫌がる僕を引きずってここまで来たのは一体どこの誰だろうなぁ」
テーブルの中央に置かれた皿に盛られたポテトをつまみ、指でぷらぷらと揺らしてみる。
「実笠はいいの。でも、他の人にはそういうの見せたくない。特に幸田くんはダメ」
「言っとくけど、あいつは元気な子が好きだってこの前言ってたぞ」
「男なんてみんなそう言うじゃん。でも、実際大人しくて可愛い子が好きなんでしょ! ほら、実笠だって最近五組の桜坂さんとずっと一緒にいるじゃん。どうせ、実笠もああいうのがタイプなんでしょ。大人しくて、美人で、頭良さそうな子だし」
「……別に好きとかじゃないよ。話が合うっていうか、うまく表現できないけどそんな感じ。だから、恋愛的な好きってわけじゃないんだよ。たぶんね」
「ふーん……」
愛衣は納得いかないとでも言いたげな表情をしているが、そもそもこの話題に関してはそこまで興味がないのだろう。
つまむポテトを卓上に伸びる一本の赤い糸に重ねてみる。
どうして、この糸は僕と彼女を繋いでいるんだろう。
幼馴染だから? 異性では一番近い関係だから? それとも、ただの偶然?
幼馴染の恋愛は応援してあげたい。これは本心だ。でも、僕は赤い糸が繋がっていない同士で将来を共にすればどうなるかを、この目で見て育っている。
だから、この糸が見えるせいで背を押せずにいるのだ。
赤い糸が見えるからって恋のキューピットにはなれない。むしろ、僕は恋路を邪魔するいじわるな悪魔なのかもしれない。
別に彼女に僕を好きになってほしいわけじゃない。ただ、幸田のことは諦めてほしいと思ってしまっている。そんな自分がどうしようもなく嫌いで、呆れさえ感じる。
僕はとんでもなく自己中心的だ。
「ま、そんなわけで幸田くんの前では大人しくしてるのよ」
「大人しくしてるっていうか、テンパって素の自分が出せないだけだろ。それにそっち系目指してるならギャルみたいなチャラついた格好から直すべきだろ」
「女子は何かとめんどくさいんだよ。ヒエラルキーみたいな? 暗黙の了解的なやつ」
「ふーん、まあ愛衣なら地味な格好してても目立ちそうだけどね。良い意味とは言わないけど」
ちょっと反論されるかなと思ったが、彼女は特に言葉を返すわけでもなく、不思議そうな顔で僕を見る。
「実笠、最近口数増えたね」
「……そうかな。気のせいじゃない?」
「だから、幼馴染は騙せないよ。何年一緒にいると思ってんのさ」
「まあ、愛衣が言うならそうなのかもね」
それからは、天邪鬼な性格が出てしまったのか、それとも変に意識してしまってなのか、ひたすら幸田のことについて話し続ける彼女に相槌を打ち続けた。
振り続ける雨はより一層勢いを増し、もう陽も沈む頃合いだ。
「でね、今度の日曜日ちょっと付き合いなよ。映画のチケット余ってるから消化しちゃいたいんだよね」
「友達誘えばいいじゃん。それか幸田でも誘ってみろよ。たしか部活休みだったはずだから」
「あいにく、みんな彼氏とデートだってさ。それに幸田くんを誘うなんて滅相もなさすぎる。というか、絶対今の心持ちでそんな状況になったらきっと泡吹いて倒れちゃう」
「あいつ、蟹なら好きだから安心しろ」
「そうじゃないんだよー。いいから付き合え。あと、私の買い物の荷物持ちも! 日曜、十時に駅前の時計台!」
「へーへー。昼飯おごりな」
ふいに愛衣の表情が固まる。
外から窓をコンコンと叩く音が聞こえる。見ると、大きなテニスバッグを背負った幸田が、覗き込むようにして立っていた。
テーブルに置かれたほとんど手のついていないポテトを指差し、そのあと無邪気に腹に両手を持っていってお腹すいたよジェスチャーをして何か言っているが、もちろんガラス越しなので全然分からない。
「可愛い……」
横目でチラチラと幸田を見ている愛衣がボソッと呟くが、これも聞こえないふりをしよう。
どうやら、たまたま見かけて合図しただけのようで、幸田は手を振って部活仲間を追いかけようとする。その時、僕は半ば無意識に片手をあげ、ちょいちょいと手招きをして中に入るように促した。
「ちょっ! 何やってんの!?」
隣でなんかすごい慌てふためいてるけど、何も聞こえないぞ。
幸田は指でOKサインを作ると、入り口の方へ向かって姿を消した。
「ちょ、本当に来ちゃうじゃん!」
「良いじゃん別に。三人でダベるくらいさ。何も二人っきりにしようってわけじゃないんだから」
「いや、ほんとに無理。心臓破裂する自信ある。お金は日曜に返すから!」
「は? おい、ちょっと!」
愛衣はリュックとスマホを手に持って、足早に席を去る。入り口で幸田とすれ違うと、うつむきながら一言声を交わしてそそくさと出ていってしまった。
「よかったのか? 佐野倉帰っちゃったけど」
「僕とお前が二人っきりになってどうすんだよ」
「ん? どゆこと?」
「……なんでもない」
幸田は重そうなテニスバッグを降ろし、全身を預けるように深々と座席に座った。どうやら、愛衣が帰った理由の半分――いや八割が自分にあることを理解していないようだ。
「おっ、なんか佐野倉の温もりを感じる」
「気持ち悪い、やめて」
「確かに今のはキモかった、我ながら。佐野倉には内緒な」
「怒りゃしないよ。むしろ、泡噴いて倒れるなきっと」
「そんなに嫌かぁ。佐野倉、教室だと元気良いけど意外に大人しいもんな」
「それ、特定の人物にだけだよ。それより、幸田は好きなやつとかいないの?」
先ほどまで全くといっていいほど減っていなかった山盛りのポテトが、ぐんぐん減っていく様を見ながら尋ねる。
「え、なんか急すぎない? 別に彼女とか気になってる子とかはいないけど」
「だろうね。っていうか、幸田が誰かを好きになったっていうの聞いたことないし」
「小学生の頃は同じクラスの牧野ちゃんが好きだったけどなぁ。あれが初恋」
ものの数分でポテトを綺麗さっぱり片付けた幸田は、それでも足りなかったようで追加で何品か頼んでいる。
見ているだけで膨れてきた腹をさすりながら、幸田の言う牧野ちゃんとやらを必死に思い返す。ぼんやりとした記憶しか残っていないが、なんかすごいクラスの中心にいそうな感じ……だったような。
「もしかして、幸田って元気な子とかが好き?」
「んー、そうだなぁ。まぁ、大人しい子よりは元気な子の方がいいかな。あとは、なんだろ。意外と乙女的な? ていうか、こういう話してるとデートしたくなるよな。たまには女の子と出かけたいって言うか、癒しがほしい」
「……ふーん」
幸田が貪るハンバーグプレートからウインナーをつまみ、口に放り込む。
「あ、ちきしょう。楽しみに取っておいたのに」
「デート代だよ、デート代」
「俺は女の子って言ったんだよ。誰も、男とデートする趣味はないからな」
口の中が無性に油っぽくなったので、ドリンクバーに向かおうと席を立つ。
「日曜日、映画見に行こう」
「だから、男とデートする趣味はないんだよ」
「十時に駅前の時計台な」
炭酸飲料にするつもりだったが、僕は無意識にコーヒーを注いでいた。