桜と文也は、つい先日、御浜(みはま)高校に入学した。
 文也と同じ中学校区に住んでいた桜は、中学卒業と同時に、小さな市内の御浜町に引っ越したばかりだった。田舎と呼ばれる土地の中でも、比較的栄えていて、学校や病院も近くにある。病弱な身体の負担を減らすには、便利で丁度いい立地だった。
 そうした面もあって、桜は中学時代に御浜高校を目指していたのだが、文也は彼女と同じ学校に進学したいという理由だけで同じ高校を志望した。しかし、もともと偏差値高めの御浜高校には、勉強嫌いな文也が合格するには難があると、担任は渋い顔をして言った。無難な進学先にしておけと彼の両親も説得し、当の桜も、彼が落ち込む姿を見たくなくて説得に加担した。
 だが結果として、文也は御浜高校に合格した。まさか桜が心配だという理由で受かるとは誰も思ってもみず、皆がその結果に目を見張った。彼の猛勉強ぶりは、その執念が末恐ろしいと母親を不安にさせるほどだった。
 兎にも角にも、どんな動機であれ、正式に二人は同じ高校に進学した。先週の入学式から共に登校し、数日たった今日も待ち合わせをしている。
 マンションの玄関で、文也は手を振った。「おはよー、桜」
「おはよ」桜は少し気恥ずかしそうに小さく手を振る。「ふー、何時に来たの」
「五分前くらい」文也は左手の腕時計を見る。
「あんまり早く来ると、不審者って言われるかもね」
「俺のどこが不審者なんだよ。どう見ても健全な学生だろ」
 朝から軽口を叩きながら、並んで二人は歩き出す。
 冬を抜けた春の気候は、桜の身体にも優しい。暑すぎず寒すぎず。ずっとこの季節が続けばいいのに、と文也は思う。穏やかな春は、彼女の名前にもぴったりだ。
 百六十台半ばの平均的な文也の身長に対し、桜はそれより十五センチメートルは小さく、小柄な体つきをしている。それも病気の影響だということを、彼は知っていた。だから少しでも危険を減らせるよう、自分が車道側を歩くように心がけている。
「それにしても、まさかふーが御浜高校に受かるなんて」
 桜は横目で彼を見上げる。「私もびっくりしたよ」
「そりゃあ、桜といたかったからな。受験ぐらいどうってことねえよ」
「恥ずかしいこと、堂々と言わないで」
「別に恥ずかしくなんかねえし。桜だって、合格発表の時、俺の結果聞いて喜んでたじゃんか」
「ふーが落ちたら可哀想だって思ったの」
 わざと意地悪なことを言って口を尖らせる桜。それでも三月に文也が合格を告げた時、「やったー!」と喜んで満面の笑みを浮かべていたことを思い出すと、その天邪鬼さも愛嬌の一つに感じられて可愛らしい。
 文也の横を歩く桜の鞄で、お守りが揺れている。紐の先に、小さな鍵。桜はそれを大切にしていて、休日はそれを首から下げているが、学校のある日は鞄に結び付けている。
「これ、落ちたりしないのか」文也はそれを指さす。「危なそうだけど」
「ちゃんと結んでるし、紐がすれてないかチェックしてるから、大丈夫」桜はそれを細い指先ですくう。「私の大事なお守りだから。落としてもきっと戻ってくるよ」
「なんだよそのオカルト」
 へへっと、彼女は可笑しそうに笑った。それを見ると、思わず文也も笑ってしまう。くれぐれも、桜をよろしく。心中でそんなことをお守りに語りかける。