「あの、えっとこれ……」

 名も知れぬドリンクは真っ黒で、コーヒーのような見た目をしていた。友達からのサービスなのか、この店での剣崎先輩の嗜好品なのかはわからないけれど、これがブラックコーヒーだとしたら、わたしは飲めない。ミルクや砂糖を入れて味をぼかさないと、苦味が上手に喉を通らない。

「伊吹ちゃん飲んでよそれ。俺の奢り」

 これが何だと問うよりも先に、飲むことを勧められて怖気付く。べつに()いられたわけではないのに、それと同等の圧を感じて、自分の意見が言えなくなる。

「あ、ありがとうございます」
「いいえー」

 得意ではないそれをひとくち飲んだ時、どうしてだか山内くんの顔が頭に浮かんだ。

 超あっま。
 ま、まだ平気っ。

 付き合い始めてから一ヶ月と少し。そんな短期間で、彼は二度も苦手なものにチャレンジしてくれた。

「どう?司が作るこの裏メニュー、まじで美味くね?」

 剣崎先輩は全て、わたしは半分ほどを飲み終えたところで、制服のパンツポケットから煙草の箱を取り出した彼が言う。

「俺んちここからすぐだからさ、このあとなんか菓子でも買って、映画でも観ながら部屋でまったりしよーよ」

 シュポッとライターへ火を灯す音がした。わたしはなんだか気持ちが悪い。

 ブラックコーヒーってこんな味だったっけ、と束の間考えてしまったのは、わたしがそれに口をつけるのが久しすぎるからだろうか。それとも裏メニューというくらいだから、何か他の成分でも含まれているのだろうか。
 吐きそうになるのを必死に耐えて、わたしはグラスを空にしようと努力した。

「映画なに観よっかなー。やっぱカップルで観るなら、恋愛もん?」

 楽しそうな剣崎先輩の声と、咳を(いざな)う有害な煙。グラスを持つ手から力が抜けて、わたしの意識はそこで途絶えた。