「伊吹、眠そうだな」

 ふわあっと欠伸をしながら、電車内の手洗い場でハンカチを取り出していると、根本くんに声をかけられた。

「根本くんも、トイレ?」
「おう」
「ここのトイレ、睡眠剤漂ってるから気をつけて」
「うっそまじかよ!って、なんじゃそりゃ」

 くすっと笑い合い、彼は個室に消えて行く。今までは山内くんと仲の良い男の子、という認識しかなかった根本くんだけれど、二日間を共にすれば、彼との距離は随分縮まった。その大らかな人柄に、山内くんは素敵な友達を持ったなあ、としみじみ思う。

 ポーチにハンカチをしまいながら座席へ戻ろうとするが、わたしの足は数メートル手前で止まってしまった。

「え、なんで」

 何故ならみっちゃんと山内くんが並んで座り、親しげに会話をしていたから。

「だからさあ、それはやめろって美智」
「ええ、なんでよ。やっぱ心配してくれてんの?」
「いや、そうじゃないけど」
「心配しろし」
「でもお前が、クリスマスイブにあの男と会うのは嫌だ」

 ドクン。鼓動が一度、大きく打つ。

 みっちゃんは、どうしてわざわざ席を移動してまで山内くんの隣に座ったのだろう。あの男って何。山内くんは何故、みっちゃんがその人と会うのが嫌なの。

 ドクドクと、急激に加速する心臓が、今にも飛び出てしまいそう。歳上の恋人なんていないと言ったみっちゃん、愛よりお金だって言ったみっちゃん。そんな彼女がする男の人の話。わたしが知らないそれを前から知っていたような山内くんの物言いに、背筋に冷たいものが走る。

「伊吹なにやってんの。進んでよ」
「ひゃ!」

 いつまでも通路で突っ立っていれば、トイレから出てきた根本くんに追いつかれた。素っ頓狂なわたしの声は親密げなふたりにも聞こえたらしく、みっちゃんが慌てて席へ戻る。

「おい伊吹、後ろから人来た。早く」

 とんっと背中を軽く押され、ようやく金縛りが解けた足が歩み出す。

「ふたりでなに話してたの……?」

 席へ着き、即聞いてみたが、みっちゃんと山内くんは目配せした後に、揃ってこう答えてきた。

「「なんでもないよ」」