パタパタ パタパタ

 そんな深閑(しんかん)とした教室に響いたのは、廊下を駆ける上履きの音。

 パタパタ パタパタ

 遠くから聞こえる誰かの生活音は、わりと好きだ。例えば母親が朝早くに卵を割る音とか、居間でだらだらと過ごしている時に、姉貴が洗面所でドライヤーをかけている音とか。父親が新聞紙を捲る音なんかは、間近で聞いていても心地の良いサウンド。

 パタパタと忙しなく走っていたその音の持ち主は、パタッと一年一組の前で止まった。クラスメイトの誰かが忘れ物でもしたのだろうか、と扉に横目を送ると、机に長いこと貼り付いていた頭がバネのように跳ね上がった。

「こ、胡都っ」
「山内くん、まだ帰ってなかったんだ」

 今度はてくてくと、ゆっくり窓際の自席へ進む胡都。

「ど、どうしたの」
「数学のプリント、宿題出てたのに忘れちゃってたから」
「そ、そっか」

 机の中を漁り、「あった」と呟いて、それを片手に(きびす)を返す彼女は、あっという間に廊下へ一歩踏み出した。

「ばいばい、山内くん」

 突然現れて、直ちにさようなら。
 まだ俺は、君にここへいてほしいのに。

 振り向き手を振る彼女にそう思ったから、そのまま告げた。