かもめ薬局店の中は、相変わらず、水っぽいミントの香りがした。
 カウンターの向こうに座った須々木さんは「待っていたよ」と片手を挙げた。

「やあ。直接会うのは久しぶりだね、春海君。『散歩』は終わったかい?」
「……分かりません。まだ途中なのかもしれません」

 僕の答えに、須々木さんは満足そうにくっくと笑った。

「おやおや、随分と成長したもんだ。男子、三日会わざれば刮目して見よ。とはよく言ったものだね。三日どころか数か月会ってない私は、目でもくり抜けばいいのかな」
「大袈裟ですよ……。ただ――」

 僕は言う。

「まだ、僕には知らないことがたくさんあるって、気付いたんです」
「素晴らしいことだよ」
「それを伝えたい人がいるんです」
「それもまた、素晴らしいことだ」

 須々木さんはそう言うと、紙袋を一つ、カウンターの上に出した。

「用意しておいたよ。君の注文通りのものだ」
「ありがとうございます。あの――」
「みなまで言うな」

 ちっちと指を振って、片目をつぶる。

「心配しなくても、私は何も言わないさ。なんといっても私は――」
「空気の読める女、ですもんね」
「そのとおり」

 須々木さんは、愉快そうにうなずいた。
 つられて、僕も少し笑った。
 結局この人は、どこまで見通していたのだろうか。
 古閑さんに、ディープブルーを交換するよう勧めたのは須々木さんだ。
 その相手を僕に指定したのも須々木さんだ。
 だとすれば、僕たちがどんな行動を取るのか。
 思考がどのように変化するのか。
 彼女は予測できたのではないだろうか。

「そんなことは不可能だよ」

 彼女は、僕の心の声を見透かしたように言った。

「説得力、ないですよ」
「失礼、性分でね。とはいえ、人の行動を全て操れるなんて私は思っちゃいないさ」
「なら、どうして……」
「単純な話だよ」

 そして煙を吐く。

「死を配ることに、飽きてしまったのさ」

 たまには命を救おうとしたって、罰は当たらないだろう? と、彼女は笑った。

「実際、私は何もしていないよ。場を整えて、ほんの少し、後押しをしただけ。君が変わったことに、私は直接的に関与していない。君の変化は、君自身が切り拓いたものだ」
「僕、自身が……」
「ああ。だから自信を持つといい。君ならきっと、大丈夫だ」

 そして須々木さんは、僕の手に小さな紙袋を握りこませた。
 僕が選んだ変化。
 僕が選んだ道。
 僕が選んだ人。
 その全てが、今、この手の中にある。

「さあ、行きたまえ」

 ぽん、と腕を押されて。
 僕は彼女に背を向けた。
 歩き出す。
 僕の選択が正しかったと、証明するために。

「次は」

 後ろから、声が聞こえる。

「どこかの街の道端で、会えるといいね」

 僕はまた小さく笑って、自動ドアをくぐった。
 もしこの扉の外側で彼女と会えたなら。
 それはひどく、愉快なことだろうと。
 そう思った。