「おっほー! 今って世界のグルメフェアやってんだ! え、ちょ、なにこれ。カオマンガイ? 聞いたことねー! すっげーうまそうじゃん! 俺これにしよっかなぁ。みんなはどうする? ドリンクバーは絶対頼むよなぁ」
「あの」

 ものすごくテンションの上がっている茶髪君――もとい、北風君に(さっき名前を聞いた。せめて今日くらいは頑張って名前を憶えていようと思う)、僕は遠慮がちに問う。

「なんでここにいるの?」
「え、ダメ?」
「ダメって言うか」

 北風君から一瞬目線を外し、テーブルをちらりと見て、また戻す。
 古賀さんと白雪ヒナさん。絶賛冷戦中の二人が、押し黙ったまま対面して座っている。

「場違い?」
「えー、絶対そんなことないって! なんかあった時に絶対役に立つからさぁ! ほら、なんたってヒナの幼馴染だし!」
「春海君。もうめんどくさいからそいつはほっといていいよ。でかめの喋る人形だと思えば邪魔じゃないし」
「まぁ、白雪さんがいいなら」

 僕は頷いて、着席する。
 北風君が大量の注文をしている間に、改めて状況を整理する。
 月曜の放課後、僕と古賀さんと、白雪さんと北風君は、ファミレスに集まっていた。
 目的はただ一つ、古閑さんと白雪さんに仲直りしてもらうためだ。
 あの日揉めていた女子グループには、白雪さん以外にも複数の女子生徒がいたけれど、まずは白雪さんとのわだかまりを解くべきだと僕は判断した。それが古閑さんが学校に来るための、最良の選択のはずだ。

「それで、用件はなんなの?」

 ずばっと、白雪さんは本題に入った。

「このあと用事あるからさー、あんまり時間ないんだけど。私コーラ」
「あいよ」

 流れるようにパシられた北風君を傍目で見送りつつ、僕は話し始める。

「この前の一件について、ちょっと誤解があるみたいだから、それを解いておこうと思って」
「この前? あぁ、翠がキレた時のこと? 別にいいよ、気にしてないし」

 気にしてない、と言いながら、久々に登校した古賀さんと、今日一度も会話を交わしていないこと僕は知っている。この「気にしてない」は、要するに対話の拒否だ。多分白雪さんは、未だに相当怒ってるのだと思う。

「ていうかなんで私だけ? 他にも謝るべき相手はいるんじゃない?」
「古賀さんが、まずは白雪さんとの誤解を解きたいって言ったから」
「……ふーん」

 白雪さんはそう言うと黙って腕を組んだ。話を続けろ、と言うことだろう。
 手ごたえがある。僕は続ける。

「古賀さんがこの前の合コンのときに電話に出なかったこと。それと、この前『これ』を巡って言い争ったことは、無関係じゃないんだ」

 テーブルの上に遮光ケースを置く。ケースは白色光を反射して、鈍く輝いた。

「どういうこと」
「おかしいと思わない? これまで仲が良かった古賀さんが、急によそよそしくなるなんて」
「私らのこと、嫌いになったんでしょ。女子にはよくある話だよ」
「違う。古賀さんは板挟みになってたんだ。僕と、白雪さんたちの間で」
「……そこまで言ったなら、勿体ぶらないで最後まで言って」

 勿体ぶったつもりはない。ただ、少し勇気が必要なんだ。
 こんな言葉、僕が人生で口にすることになると思わなかったから。例えそれが、嘘だとしても。

「古賀さんと僕は付き合ってる」
「コーラ持ってきたぜー! 春海はウーロン茶でいい? ウーロン茶顔だもんなー! あ、古閑さんはメロンソーダね」
「タイッミング悪いわね! あんたは一生ドリンクバーの近くで生活してろ、このバカ!」
「え、そのドリンクバーにはスープも付いてんのか?」
「死ね!」

 最悪のタイミングで戻ってきた北風君を罵倒する白雪さんを眺めながら、僕はウーロン茶顔について考えていた。ウーロン茶顔ってなんだろ。顔の色のことか? そんなに血色悪いかな。

「ごめん、ほんとにごめん。やっぱりこいつ置いてくるべきだった」
「いや、いいよ。なんか慣れたし」
「なんだよ、俺だけ仲間外れにすんなよ。お、フライドポテトあざーっす!」

 北風君は唇を尖らせながら届いたばかりのフライドポテトをくわえて、

「古賀さんと春海が付き合ってるって話しか? 良かったなぁ春海。恋が実って」
「あんた知ってたの?」
「え? それしかこの前の春海の行動に説明つかなくね? いてぇ!!! なんで踏んだ!?」
「なんか腹立ったから」

 北風君が奇跡的に話題に合流し、理不尽な暴力を受けたところで、僕は再び口を開いた。

「ちょっと前から古賀さんと付き合うようになったんだけど、恥ずかしくてさ。古賀さんには黙ってもらってたんだ。クラスのみんなには内緒にして欲しいって、僕がお願いした。だから古賀さんは、白雪さんたちに話せなかった。これが、古賀さんが合コンに行けなかった理由」

 口が渇く。こんなに普段話すことがないから、口の中が悲鳴をあげている。
 北風君の持ってきてくれたウーロン茶で水分を補給しながら、続ける。

「それでこのケースだけど……実は古賀さんと僕、二人とも持ってるんだ。中にはお揃いのアクセサリーが入ってる」
「お、もしかして指輪か?」
「まぁ、そんなとこ。恥ずかしいから見せられないけど」
「くぅ、春海ぃ! お前やることやってんなぁ、おい!」

 もちろん指輪なんか入っていない。ダミーのものを買うか検討したけど、安い物でも存外いい値段がしたので、諦めた。まぁこの流れなら、わざわざ中身を見せろとも言ってこないだろう。

「言ったでしょ。これは君が持ってても意味のないもので、僕たちにとっては、今、なによりも大事な物だって。これが、答え」

 大丈夫だ。話の筋は通っている。
 僕と古賀さんが付き合っているということにすれば、これまでの行動の一切を無理なく説明できる。愛だの恋だのことは正直よく分からないけれど、彼女たちにとって、問答無用の理屈になるであろうことだけは理解していた。
『一日だけ、僕の彼女のフリをして欲しい』
 それが僕が古閑さんにお願いした、死ぬまでにやりたいことだった。最初は眉根を顰めていた古閑さんだったけれど、最終的には了承してくれた。今日一日、古閑さんは僕の彼女のフリをしてくれる。話はしっかり合わせてある。
 大丈夫、大丈夫だ。これで――

「それで?」

 唐突に、そして予想外の言葉が、白雪さんの口から飛び出した。

「え、っと」

 なんだ、なにが足りなかった?
 これまでの古賀さんの行動については、すべて説明できたはずだ。

「だから古賀さんは白雪さんたちのことが嫌いなんじゃなくて――」
「そうじゃなくて」

 イライラと、白雪さんが髪をかきむしる。

「それで、翠のどこが好きなの」
「え」
「え、じゃないよ。付き合ってるんだから、あるでしょ。ないとは言わせないから」

 胃のあたりがぐらついた気がして、僕は胸の下あたりに手を添えた。
 まずい。なにも出てこない。頭の中が急に真っ白になって、急に周りの音が鮮明に聞こえ始める。古賀さんの好きなところ。好きなところって、なんだ? そもそも好きってなんだ?
 白雪さんに答えるべき返答よりも先に、意味のない後悔が頭の中を支配し始める。
 この程度の質問は予測してしかるべきだった。僕のミスだ。どうしてこんな簡単なことを見落としていたんだ。
 変に間を取り過ぎても良くない。時間が経てばたつほど、おかしな空気が流れてしまう。
 早く何か言わないと……早く、何か……何か……。

「春海は」

 隣から、古閑さんの声がした。
 そういえばファミレスに来てから初めて古賀さんの声を聞いたなと、そんな関係のないことを思った。

「そういうの言葉にするの、あんまり得意じゃないから」

 ね? と彼女が僕を見た。
 瞬間、内臓がぐるりと回転したような、妙な浮遊感が僕を襲った。
 胃のあたりがぐらぐらしていた感覚を、より強烈にしたような。
 地上にいるはずなのに、ジェットコースターに揺られているような。
 痛みとも違う、なにか不可解な刺激が走った。
 それでも、なんとか、彼女が出してくれた助け船に乗らなくてはと、声を振り絞る。

「うん、ごめん」
「ちょっと、なにそれ。そんなのあり得ないって! いくらなんでもーー」
「でも、私は言えるよ」

 古賀さんが、ここにきて一度も口を開いていなかった古賀さんが、饒舌に、滑らかに、言葉を紡いでいく。嘘を、語っていく。

「春海と一緒にいるとね、なんか安心するんだ。私が悩んでることとか、苦しんでることとか、ちゃんと分かった上で、『で、それがどうしたの?』って言ってくれる。そういうところが、私は好き。なんて言うのかなあ……」

 胃のあたりが、またぐらっと動いた。
 体調でも崩しただろうか。

「お守りみたいに、隣に置いておきたいんだよね」

 随分と設定を練ってきてるんだなと思った。
 嘘の設定なのにやけに真に迫っている。
 演技派なんだな。

「だから、合コンに行けなかった。指輪のケースが取られた時も、必要以上に強い言葉、使っちゃった」

 古賀さんは静かに頭を下げた。しっとりとした黒髪が、音もなく重力に引かれて落ちる。

「ほんとにごめん。ごめんなさい」

 白雪さんは、すぐには反応しなかった。
 何度も何度も自分の髪を触り、親指の腹をせわしなく人差し指にこすり付けていた。
 やがて北風君が飲み終えたストローが、ズゴッと気の抜けた音を立てた時、

「……私こそ、ごめん」

 店内に流れているBGMよりかろうじて大きいくらいの音で、白雪さんが言った。

「私、焦ってた。今まで仲良かった翠が、急によそよそしくなって……。たまに、私たちとは全然違うところを見てるみたいな目をしてて、もしかしたら」

 ひゅっ、と。
 白雪さんが空気を飲む音がした。

「どこか遠くに行っちゃうんじゃないかって。そんなあるわけない妄想までしちゃって」

 あぁ、この人は。
 本当に古賀さんのことが好きなんだなと、今の一瞬で理解した。
 白雪さんは、古閑さんのことをよく見ている。

「でもそれが、彼氏ができたからってことなら、納得。もー、早く言ってよね。私にだけは、言ってくれても良かったのに。何年の付き合いだと思ってんのよ」
「ほんとだね。言えばよかったね。ごめんね、私ってバカだ」

 古賀さんはへにゃっと笑っていた。目じりが薄っすら、濡れているような気がした。
 白雪さんはよく見ていた。だからこそ、古賀さんの変化にいち早く気付き、その変化に戸惑い、恐れ、その負の感情が、この前みたいに爆発してしまったのだろう。
 もしかしたら僕は、彼女たちの関係性をはかり間違えていたのかもしれない。
 僕が知らないだけで、きっと二人の間にはたくさんの思い出があって、それが積み重なって、絆を深めていって。お互いがかけがえのない大切な存在になっていたのだろう。
 古賀さんと白雪さんは、本当に、仲の良い友達だった。
 だから古賀さんは、彼女と仲直りしたかったんだ。自分が、死ぬ前に。

「よーし! それじゃぁ暗い話も終わったところで!」

 待ちきれないとばかりに、北風君が立ち上がった。
 大事なところでは口を挟まなかったあたり、空気が読める人なんだろうな。

「なによ、暗い話って。私も翠も春海君も、真剣に話してたんですけど」
「真剣に暗かったじゃん。俺はさぁ、もう黙ってるの飽きちゃったわけ」
「あんたが勝手について来たんでしょ……」
「というわけで、提案!」

 北風君は言う。

「カラオケ行こうぜ!」