「え゛え゛〜ん鍋ちゃ〜ん!皆が珠ちゃんにひどいのお〜!」
『一体何があったのさ』
「あ゛あ゛あ゛ん虫なんて絶対に選ばれないだろうって〜!」
『いや待って待って待って何の話?』
友人に『今話せる?』とメッセージを送った。すぐに返事が来た。声を聞いた途端、杜珠美は泣き出してしまった。顔のすぐ側では式神のルリが慌てたように飛び回っている。
困惑したような友人の声に、珠美はぐすぐすとしゃくり上げながらも呼吸を整える。
「ほら。そろそろ『選定ノ儀』じゃない?」
『ああ。アーサー王伝説みたいなあれか。そうか。もうそんな時期で、我々も該当する年齢か』
小さな事ではあるが、友人が至極自然に『我々』と自分を仲間に入れてくれた事を、珠美は嬉しく感じた。
友人がアーサー王伝説を例えに出した『選定ノ儀』。簡単に言うと、『抜けない刀を抜いてみせよ』。正にアーサー王の逸話さながらの儀式だ。
「うん。『黒鉄様』の主が出るのかって、学校ではもうその話題で持ち切りだよ」
『陰陽連設立よりも前から、ずっと出てないって話だけどね』
陰陽連本部には、台座に刺さった刀がある。通称『黒鉄様』。陰陽連が戴く刀神『黒之命』の本体だ。遥か神話の時代に神々によって鍛えられた神刀である。妖魔が棲む『幽世』とこの世を『区切る』力を持つ。
しかし、刀には振るう主がいないといけない。実際、黒之命は言ったのだそうだ。この台座に刺した自分の本体を引き抜ける陰陽師でなければ、自分の主として認めない。自分に相応しい者と『主と刀』として間柄が成立すれば、そこで初めて自分は『区切る』力を発揮できるのだと。
「何だか気難しい神様なんだね。お陰で妖魔とか瘴気とかが出て、陰陽師達はずっと忙しいんだ」
これは、華子や瑛子から話を聞かされた彼女の言葉だ。
なお、主の資質を見出されるのは18歳になる女性の陰陽師達と決まっている。
「女の子だけ?男の子はいないの?」
「黒之命様は男神様だから、男の人が持つ陽の気と、女の人が持つ陰の気が揃う事で、力の均衡を保つのだと言われているわ」
これも、彼女が華子や瑛子に教えられた知識だ。
友人が電話の向こうで息をつく気配がした。
『最早毎年毎年の風物詩って感じだねえ。黒鉄様がどんな人となりと言うか神となりと言うかをしているのか知らないけど、そんなに大騒ぎする事なのかな?確かに、妖魔や瘴気が出ないようにするのは大事だけど』
「うん。黒鉄様って、すんごいイケメンだから」
『まあ鬼瓦みたいな顔をしているよりはいいと思うけど』
白峰学園に入学したばかりの頃、一度だけお顔を見た事がある。その場にいた女性という女性、珠美も含めた全員が頭を下げる事を忘れて見とれる程の美男子だった。珠美は「本物の貴公子ってこんな感じなんだ!」と感激した。そんな美形の神様の『主』となれるのはどんなに素敵な事だろうと、女性の陰陽師達は憧れているのだ。
「だから美人の子が選ばれるんじゃないかって」
『実質単なるミスコンだっけ?』
「ううん。ソースらしいソースは無いよ」
珠美は「でもね」と再び目を潤ませる。
「式神が虫の陰陽師なんて選ばれないだろうってえええ!確かに珠ちゃんは十二家の字も持ってないけどさあ!」
十二家とは、平安時代に陰陽連の前身となる組織を設立した陰陽師の一族の総称だ。該当する一族の者は、名字に十二支の文字や発音を持つ。例えば相馬も十二家の分家の出身だ。しかし珠美の名字は『杜』。十二支の文字はおろか、発音にすらかすりもしない末端である。
電話の向こうから、困惑した気配が伝わってきた。
『式神の姿や十二家への近しさで選ばれる選ばれないが左右されるものでもないでしょ?そもそもルリちゃんは可愛いし綺麗なのに』
「うっうっ。そう言ってくれるのは鍋ちゃんくらいだよお…」
初めて会った時から態度が変わらないこの友人を、珠美は大切に思っていた。
「白峰の子ですか。この式神は君のですね?綺麗な翅ですね」
「えっ、あ、その」
「いや。ゆっくりでいいですから」
指にルリをとめた彼女は、気配も無しに珠美の側に佇んでいた。驚きと緊張の余りに意味のわからない声を上げる事しかできない珠美を、彼女はまあまあと宥める。珠美は彼女の手の動きに合わせて深呼吸をし、学生証を取り出した。彼女の目の前に突き出すといった動きに近かったが。
「私、杜珠美!白峰学園の1年生!クラスは梅!この子はルリ!」
白峰学園の学生証にも、霊力によって振り分けられたクラスの紋章が刻まれている。制服の紋章と同様に、霊力がある者しか視認できない。仮に見せるのが学生証のみだとしても、陰陽師同士なら同類だとわかる仕組みだ。
彼女はマイペースにルリを見やった。
「そうですか。ルリちゃんですか。『珠』に『瑠璃』と宝石繋がりで、いい名前ですね」
「あ、ありがとう!」
式神を作った5歳の時。青い翅が綺麗だったので、丁度宝石の図鑑で読んだ『ルリ』と名前を付けた。
こんなにも、誰かに名前はおろか式神も褒めてもらえるなんて両親以外では初めてだったので、珠美は舞い上がるような嬉しさを感じた。
「あの!この前の妖魔退治かっこよかったです!貴方の事を探してました!珠ちゃんとお友達になって下さい!その、友達がいなくって…!」
そう。3ヶ月程前の実習の夜、妖魔を式神も使わずに退治したように見えた彼女を、珠美はルリを使って探していたのだ。西へ東へと、ルリは文字通り飛び回ってくれた。見付けたはいいが彼女にどう声をかけたものかと悩んでいたら、向こうから来た。
彼女は「ああ」と思い出したような顔になった。
「この間の実習の現場にいた子ですか。怪我はありませんでしたか?」
「お陰で大丈夫でした!」
「それは良かった」
例えば妖魔から逃げる時に転んで擦り傷を作った同級生はいたが、大きな怪我をした生徒はいなかった。
安堵の表情から一転して、彼女は軽く眉を寄せる。
「でも、やめておいた方がいいですよ。式神を作ってすらもいない私と仲良くしたら、白峰の皆に悪口言われますよ」
「作ってない?でも気にしないよ!珠ちゃんの式神は最下級の虫だよ!?」
式神の姿形は最上級が『人間』とされている。故に人間以外の姿だと、どんどん霊力の等級が下がっていく。中でも『虫』の姿は、術者の霊力の器が最下級だと見做される。
彼女はルリを視線で愛でながら「奇遇ですね」と言った。
「バイト先…陰陽連の上司も虫型の式神です。蜘蛛の集ちゃん」
「蜘蛛!?」
この時点の彼女は既に、妖魔対策の一員として異動していた。言及した上司とはつまり相馬の事である。
「意外とつぶらな目で可愛いですよ。季節や場所を問わず何処にいてもおかしくないから、妖魔対策の情報収集に向いてますし。まあ蜘蛛が苦手な人は悲鳴ものですけど」
人間には2種類いると言われている。例えば「支配する者とされる者だ」などと言ったら、歴史に悪名高いかの独裁者となってしまう。ここで言いたいのは、『蜘蛛嫌い派』か『蛇嫌い派』かだ。『脚がいっぱいある生き物が怖い』と『脚が無い生き物が怖い』といった所である。両方が苦手な人もいるかもしれないが。
確かに蜘蛛が怖かったら大変かもしれないと、珠美は納得した。しかし、その上司の人の事は知らないが、式神が虫でも妖魔退治に活躍できるのかと、勇気づけられたような気持ちになった。
彼女は「ルリちゃんを」と言って、珠美の手にルリをとまらせた。珠美に倣うように、取り出した学生証を提示する。偏差値の高さで有名な女子高だった。
「申し遅れました。私は見ての通り普通の高校に通ってます。バイト先は陰陽連の妖魔対策本部。実戦には関与しない下っ端ですけどね。良かったら『鍋』って呼んで下さい」
「鍋?何で鍋なの?」
「名字が『賀茂』なので『カモネギ』ってよくからかわれました。転じて『鍋』とあだ名が付いたので。まあかの織田信長公も、自分に近しい人に『鍋』だの『五徳』だの『茶筅』だの命名していたから、身近な物って感じで気に入ってますけど」
「織田信長ってそういうネーミングセンスだったの?鍋ちゃんって歴史に詳しいんだね」
「詳しい訳じゃないけど、歴史は好きだから」
このような感じで、両者は打ち解けた。
「虫型だから何が悪いのさ。そりゃ極端な話、誰もが悲鳴を上げるような毒虫の姿だったりとか、虫が苦手なのに作ったのが虫型の式神だったりとかなら大変だろうけど。蝶でも苦手な人は苦手だろうし」
「珠ちゃん、蝶は好きだよ?ルリは可愛いし」
「ならいいけど。何より、式神によって測られたパワーがどんなでも、その分大切に使っていけばいいだけの話じゃないのさ」
「お父様やお母様と同じ事言ってる」
杜家の当主である父と、妻である母は「人間が持つ霊力は微々たるものでしかない。だからこそ、大事に使っていかないといけない」と、一人娘の珠美に教え諭して育ててくれた。
珠美は我ながら単純だとは思ったが、両親と同じ一言を聞いた事により、思い切って勇気を出して「お友達になって下さい!」と言った事は正しかったのだと確信した。
「ご両親がそう言ってくれてるんだね。身近な人が理解してくれてるなら、いいんじゃない?」
友人は、式神の姿で態度を変えなかった。聞いてみれば、親戚は『卯上』。れっきとした十二家の血筋であるにも関わらず。むしろ、霊力の器で他人を馬鹿にする事が間違っているのだと怒ってくれた。なお、あえて普通の学校に通っているのは、白峰の『そういう所』が嫌だったからとの事らしい。
「中学で学校見学に行った以外にも、一応この目を使って白峰の内部を見てみたのさ」
「そんな事もできるの?」
「式神を作らなかった分の霊力が目に振り向けられたんじゃないかって言われてる」
友人は「まあ私と同じ事をしたら同じようになるかはわからないけど」と付け足した。
「で、見てみたら雰囲気最悪だったからね。大伯母達も大伯父達も白峰のOGやOBだけど、行きたくなかったから今の学校にした。そもそも、家によって進学先を強制で決められるとか、ちゃんちゃらおかしいからね。いや。杜さんの場合は、ご両親が杜さんを思いやって決めてくれた事だから、非難する気は無いけど」
常に常に我が道を行く友人を、珠美は応援していた。
「鍋ちゃんが選ばれればいいのになあ…」
『選定ノ儀で黒鉄様のお眼鏡に叶う事が全てじゃないでしょ。そりゃ、御神刀パワーが無事に発揮されて、妖魔だ瘴気だって騒ぎが無くなるなら、願ったりだけど』
言われてみればそうかもしれない。周りが選定ノ儀の話題一色だし、イケメンの神様に選ばれる事が凄く名誉みたいに皆が言っているので、つい忘れてしまうが。
珠美は「ねえねえ」と必要も無いのに身を乗り出した。
「今更だけど、鍋ちゃんも選定ノ儀に出るんでしょ?何着てく?」
『うーん…。私の場合は、当主である大伯母に一応お伺いを立ててからだな…。まあ出るなとは言われないだろうけど…』
『一体何があったのさ』
「あ゛あ゛あ゛ん虫なんて絶対に選ばれないだろうって〜!」
『いや待って待って待って何の話?』
友人に『今話せる?』とメッセージを送った。すぐに返事が来た。声を聞いた途端、杜珠美は泣き出してしまった。顔のすぐ側では式神のルリが慌てたように飛び回っている。
困惑したような友人の声に、珠美はぐすぐすとしゃくり上げながらも呼吸を整える。
「ほら。そろそろ『選定ノ儀』じゃない?」
『ああ。アーサー王伝説みたいなあれか。そうか。もうそんな時期で、我々も該当する年齢か』
小さな事ではあるが、友人が至極自然に『我々』と自分を仲間に入れてくれた事を、珠美は嬉しく感じた。
友人がアーサー王伝説を例えに出した『選定ノ儀』。簡単に言うと、『抜けない刀を抜いてみせよ』。正にアーサー王の逸話さながらの儀式だ。
「うん。『黒鉄様』の主が出るのかって、学校ではもうその話題で持ち切りだよ」
『陰陽連設立よりも前から、ずっと出てないって話だけどね』
陰陽連本部には、台座に刺さった刀がある。通称『黒鉄様』。陰陽連が戴く刀神『黒之命』の本体だ。遥か神話の時代に神々によって鍛えられた神刀である。妖魔が棲む『幽世』とこの世を『区切る』力を持つ。
しかし、刀には振るう主がいないといけない。実際、黒之命は言ったのだそうだ。この台座に刺した自分の本体を引き抜ける陰陽師でなければ、自分の主として認めない。自分に相応しい者と『主と刀』として間柄が成立すれば、そこで初めて自分は『区切る』力を発揮できるのだと。
「何だか気難しい神様なんだね。お陰で妖魔とか瘴気とかが出て、陰陽師達はずっと忙しいんだ」
これは、華子や瑛子から話を聞かされた彼女の言葉だ。
なお、主の資質を見出されるのは18歳になる女性の陰陽師達と決まっている。
「女の子だけ?男の子はいないの?」
「黒之命様は男神様だから、男の人が持つ陽の気と、女の人が持つ陰の気が揃う事で、力の均衡を保つのだと言われているわ」
これも、彼女が華子や瑛子に教えられた知識だ。
友人が電話の向こうで息をつく気配がした。
『最早毎年毎年の風物詩って感じだねえ。黒鉄様がどんな人となりと言うか神となりと言うかをしているのか知らないけど、そんなに大騒ぎする事なのかな?確かに、妖魔や瘴気が出ないようにするのは大事だけど』
「うん。黒鉄様って、すんごいイケメンだから」
『まあ鬼瓦みたいな顔をしているよりはいいと思うけど』
白峰学園に入学したばかりの頃、一度だけお顔を見た事がある。その場にいた女性という女性、珠美も含めた全員が頭を下げる事を忘れて見とれる程の美男子だった。珠美は「本物の貴公子ってこんな感じなんだ!」と感激した。そんな美形の神様の『主』となれるのはどんなに素敵な事だろうと、女性の陰陽師達は憧れているのだ。
「だから美人の子が選ばれるんじゃないかって」
『実質単なるミスコンだっけ?』
「ううん。ソースらしいソースは無いよ」
珠美は「でもね」と再び目を潤ませる。
「式神が虫の陰陽師なんて選ばれないだろうってえええ!確かに珠ちゃんは十二家の字も持ってないけどさあ!」
十二家とは、平安時代に陰陽連の前身となる組織を設立した陰陽師の一族の総称だ。該当する一族の者は、名字に十二支の文字や発音を持つ。例えば相馬も十二家の分家の出身だ。しかし珠美の名字は『杜』。十二支の文字はおろか、発音にすらかすりもしない末端である。
電話の向こうから、困惑した気配が伝わってきた。
『式神の姿や十二家への近しさで選ばれる選ばれないが左右されるものでもないでしょ?そもそもルリちゃんは可愛いし綺麗なのに』
「うっうっ。そう言ってくれるのは鍋ちゃんくらいだよお…」
初めて会った時から態度が変わらないこの友人を、珠美は大切に思っていた。
「白峰の子ですか。この式神は君のですね?綺麗な翅ですね」
「えっ、あ、その」
「いや。ゆっくりでいいですから」
指にルリをとめた彼女は、気配も無しに珠美の側に佇んでいた。驚きと緊張の余りに意味のわからない声を上げる事しかできない珠美を、彼女はまあまあと宥める。珠美は彼女の手の動きに合わせて深呼吸をし、学生証を取り出した。彼女の目の前に突き出すといった動きに近かったが。
「私、杜珠美!白峰学園の1年生!クラスは梅!この子はルリ!」
白峰学園の学生証にも、霊力によって振り分けられたクラスの紋章が刻まれている。制服の紋章と同様に、霊力がある者しか視認できない。仮に見せるのが学生証のみだとしても、陰陽師同士なら同類だとわかる仕組みだ。
彼女はマイペースにルリを見やった。
「そうですか。ルリちゃんですか。『珠』に『瑠璃』と宝石繋がりで、いい名前ですね」
「あ、ありがとう!」
式神を作った5歳の時。青い翅が綺麗だったので、丁度宝石の図鑑で読んだ『ルリ』と名前を付けた。
こんなにも、誰かに名前はおろか式神も褒めてもらえるなんて両親以外では初めてだったので、珠美は舞い上がるような嬉しさを感じた。
「あの!この前の妖魔退治かっこよかったです!貴方の事を探してました!珠ちゃんとお友達になって下さい!その、友達がいなくって…!」
そう。3ヶ月程前の実習の夜、妖魔を式神も使わずに退治したように見えた彼女を、珠美はルリを使って探していたのだ。西へ東へと、ルリは文字通り飛び回ってくれた。見付けたはいいが彼女にどう声をかけたものかと悩んでいたら、向こうから来た。
彼女は「ああ」と思い出したような顔になった。
「この間の実習の現場にいた子ですか。怪我はありませんでしたか?」
「お陰で大丈夫でした!」
「それは良かった」
例えば妖魔から逃げる時に転んで擦り傷を作った同級生はいたが、大きな怪我をした生徒はいなかった。
安堵の表情から一転して、彼女は軽く眉を寄せる。
「でも、やめておいた方がいいですよ。式神を作ってすらもいない私と仲良くしたら、白峰の皆に悪口言われますよ」
「作ってない?でも気にしないよ!珠ちゃんの式神は最下級の虫だよ!?」
式神の姿形は最上級が『人間』とされている。故に人間以外の姿だと、どんどん霊力の等級が下がっていく。中でも『虫』の姿は、術者の霊力の器が最下級だと見做される。
彼女はルリを視線で愛でながら「奇遇ですね」と言った。
「バイト先…陰陽連の上司も虫型の式神です。蜘蛛の集ちゃん」
「蜘蛛!?」
この時点の彼女は既に、妖魔対策の一員として異動していた。言及した上司とはつまり相馬の事である。
「意外とつぶらな目で可愛いですよ。季節や場所を問わず何処にいてもおかしくないから、妖魔対策の情報収集に向いてますし。まあ蜘蛛が苦手な人は悲鳴ものですけど」
人間には2種類いると言われている。例えば「支配する者とされる者だ」などと言ったら、歴史に悪名高いかの独裁者となってしまう。ここで言いたいのは、『蜘蛛嫌い派』か『蛇嫌い派』かだ。『脚がいっぱいある生き物が怖い』と『脚が無い生き物が怖い』といった所である。両方が苦手な人もいるかもしれないが。
確かに蜘蛛が怖かったら大変かもしれないと、珠美は納得した。しかし、その上司の人の事は知らないが、式神が虫でも妖魔退治に活躍できるのかと、勇気づけられたような気持ちになった。
彼女は「ルリちゃんを」と言って、珠美の手にルリをとまらせた。珠美に倣うように、取り出した学生証を提示する。偏差値の高さで有名な女子高だった。
「申し遅れました。私は見ての通り普通の高校に通ってます。バイト先は陰陽連の妖魔対策本部。実戦には関与しない下っ端ですけどね。良かったら『鍋』って呼んで下さい」
「鍋?何で鍋なの?」
「名字が『賀茂』なので『カモネギ』ってよくからかわれました。転じて『鍋』とあだ名が付いたので。まあかの織田信長公も、自分に近しい人に『鍋』だの『五徳』だの『茶筅』だの命名していたから、身近な物って感じで気に入ってますけど」
「織田信長ってそういうネーミングセンスだったの?鍋ちゃんって歴史に詳しいんだね」
「詳しい訳じゃないけど、歴史は好きだから」
このような感じで、両者は打ち解けた。
「虫型だから何が悪いのさ。そりゃ極端な話、誰もが悲鳴を上げるような毒虫の姿だったりとか、虫が苦手なのに作ったのが虫型の式神だったりとかなら大変だろうけど。蝶でも苦手な人は苦手だろうし」
「珠ちゃん、蝶は好きだよ?ルリは可愛いし」
「ならいいけど。何より、式神によって測られたパワーがどんなでも、その分大切に使っていけばいいだけの話じゃないのさ」
「お父様やお母様と同じ事言ってる」
杜家の当主である父と、妻である母は「人間が持つ霊力は微々たるものでしかない。だからこそ、大事に使っていかないといけない」と、一人娘の珠美に教え諭して育ててくれた。
珠美は我ながら単純だとは思ったが、両親と同じ一言を聞いた事により、思い切って勇気を出して「お友達になって下さい!」と言った事は正しかったのだと確信した。
「ご両親がそう言ってくれてるんだね。身近な人が理解してくれてるなら、いいんじゃない?」
友人は、式神の姿で態度を変えなかった。聞いてみれば、親戚は『卯上』。れっきとした十二家の血筋であるにも関わらず。むしろ、霊力の器で他人を馬鹿にする事が間違っているのだと怒ってくれた。なお、あえて普通の学校に通っているのは、白峰の『そういう所』が嫌だったからとの事らしい。
「中学で学校見学に行った以外にも、一応この目を使って白峰の内部を見てみたのさ」
「そんな事もできるの?」
「式神を作らなかった分の霊力が目に振り向けられたんじゃないかって言われてる」
友人は「まあ私と同じ事をしたら同じようになるかはわからないけど」と付け足した。
「で、見てみたら雰囲気最悪だったからね。大伯母達も大伯父達も白峰のOGやOBだけど、行きたくなかったから今の学校にした。そもそも、家によって進学先を強制で決められるとか、ちゃんちゃらおかしいからね。いや。杜さんの場合は、ご両親が杜さんを思いやって決めてくれた事だから、非難する気は無いけど」
常に常に我が道を行く友人を、珠美は応援していた。
「鍋ちゃんが選ばれればいいのになあ…」
『選定ノ儀で黒鉄様のお眼鏡に叶う事が全てじゃないでしょ。そりゃ、御神刀パワーが無事に発揮されて、妖魔だ瘴気だって騒ぎが無くなるなら、願ったりだけど』
言われてみればそうかもしれない。周りが選定ノ儀の話題一色だし、イケメンの神様に選ばれる事が凄く名誉みたいに皆が言っているので、つい忘れてしまうが。
珠美は「ねえねえ」と必要も無いのに身を乗り出した。
「今更だけど、鍋ちゃんも選定ノ儀に出るんでしょ?何着てく?」
『うーん…。私の場合は、当主である大伯母に一応お伺いを立ててからだな…。まあ出るなとは言われないだろうけど…』