式神作りを拒否った分の霊力が見鬼に全振りされた。

彼女は「しかしまあ」と遠い目をして口を開いた。
「まさか、私が黒之命様の本体の『鞘』になった時点で、神と人間の最大の問題と言える、寿命問題が解決していたとは…」
漆黒の太刀が自分の霊力に溶け込んだ時点と少し時を前後しながらも、彼女は自分に起こった変化を把握していた。即ち『年を取らなくなった』と。現在こそ『主』となって数日程度しか経過していないので見てもわからないが、これから5年、10年と時間が経つ事によって表面化するだろう。
黒之命は心底申し訳なさそうに「ごめんね」と頭を下げた。
「僕も主を持つ事自体が初めてだから、僕の主がそんな風になるだなんて、知らなかったんだ」
目に見えてしゅんとして俯く黒之命に彼女は「知らなかった訳ですし、そんなに謝らなくてもいいですよ」と、なるべく優しくフォローを入れる。
実は、幼少のみぎりに華子や瑛子から『主』の事を聞いた時、彼女は疑問に思ってはいたのだ。即ち「人間の『主』が寿命を迎えたら、『区切る』力はどうなるんだろう」と。
その疑問が他ならぬ自分によって解かれるとは、ついぞ思っていなかった訳だが。要するに、彼女が黒之命と共に生きてさえいれば、『区切る』力は保たれるのだ。
「僕が君の同意を得る事が第一だと思っているのは、本当だよ?でも、同意云々に関わらず僕が『主』として見出した時点で、君を縛り付ける事になってしまったね…」
「いやだから、そんなに謝らなくていいですってば。束縛の意思があっての事じゃないって、私もわかってますから」
黒之命は一貫して、彼女の同意こそを最優先にしていた。その言葉にも態度にも嘘は無いと彼女は理解している。
しかし黒之命は、何やら今にもきのこでも生やして大自然に還りそうだ。漫画であったら顔に複数の縦の線が描かれているかもしれない。落ち込む黒之命を、彼女は宥めた。黒之命の本性は刀つまりは無機物なので、きのこが生えるという事は通常あり得ないが。
「まあ確かに、これからずっと生きるっていうあてどない膨大な時間を前にして、どうすればいいんだって思う事はありますよ?でも同時に、大丈夫だとも思うんです。黒之命様が一緒ですからね」
黒之命は顔を上げた。
「私がこれから黒之命様と一緒に生きていく以上、私がこの時間とどうやって付き合っていくかは、黒之命様が教えて下さるでしょう?」
「勿論!君を変えてしまった責任は取るとも!」
何処までも生真面目に大きく頷く黒之命に、彼女は「なら大丈夫です」と頷き返した。
「祝言を終えてから伝えるのもなんですけど。一応言っておきますが、私は『重い』ですから。つまり『責任を取る』と言って下さった以上、私を放っておいて他の誰かに目移りするとか、そうなったら嫌ですから」
「そんな不実な事はしないよ!」
黒之命は音がしそうな勢いで首を横に振った。ふと表情を改めて彼女を見つめる。
「――君の父親の事も、君が父親の本性を見てしまった事も、僕は知っている」
彼女は、まあそれも把握されてるよなあと思いながらも、黙って頷き先を促した。
「だから君は、心から異性を信じる事ができないかもしれない。でも僕は、どんなに時間がかかっても、君にかかった呪いのような不信感を解いていければいいと思っている」
黒之命は優しく、しかししっかりと彼女の手を握った。
「君が僕を信じてくれるまで、僕はできる限り君に誠実であろう。――そもそも君が求婚に応じてくれたのも、陰陽師としての使命が優先されているからだとわかっているんだ」
彼女は、まあ相手は神様だし見透かされてるよなあと思いつつ、あえて沈黙を守る事にした。
黒之命は彼女に目線を合わせるようにして、何処までも優しい笑顔を見せる。
「でも、今はそれでいいんだ。君の不信感が解けて、例え陰陽師の使命があったとしても、その中で少しずつ僕を好きになってくれればいいと思う。ゆっくりでいいんだ。どうか安心して、僕に恋をしておくれ」
「…そうですね。黒之命様とでしたら、できると思います」
黒之命は「本当かい!?」と、『パアアア~』という表現そのままに表情を輝かせる。しかし彼女は「ただし!」と表情を引き締めた。黒之命もつられるようにして真面目な顔になり居住まいを正す。彼女は腕組みをして、真剣な顔で切り出した。
「我々の世界と幽世を『区切る』事は相成りましたが、我々の世界にそのまま留まっている妖魔は、まだいます。瘴気の残滓もあります。それらを何とかするのが最優先です」
そう。彼女が言う通り、妖魔や瘴気が幽世からこの世へ出てくる事は、もう無い。しかし、既に幽世から出てきてしまった妖魔は、探して排除しなければいけない。瘴気もまた然りである。この世と幽世を『区切る』と同時に妖魔や瘴気を幽世に押し戻すという器用な事は、流石にできないからだ。
「そうだね。お互いが成すべき事を成さないといけない」
彼女と黒之命は、互いに力強く頷いた。
「なのでバイト頑張ります!」
「よおし!僕も、お勤め頑張るぞ!」