麗は、この霊力があれば怖いものなど無いと思っていた。
辰宮の式神は代々が『竜』。麗も例に漏れず、5歳の頃にそれは美しい竜型の式神を作り出す事ができた。相棒であるすばるだ。祖父達は皆「流石は辰宮の子だ」と、麗を大いに褒めてくれた。
長じた麗は、辰宮の一族の者が皆そうしてきたように、白峰学園に入学した。クラスは当然の如く『松』。十二家本家の者達は麗以外にもいるが、麗は並み居る松クラスの生徒達の中でもトップだった。
やがて麗は、黒鉄様の主に選ばれるのではないかと言われるようになる。一度だけお顔を見た事がある、それは麗しい刀神の主に。
女子生徒達は皆憧れていた。美しい黒鉄様の主に選ばれるのは、どれ程素敵な事だろうと。そして、女子生徒達の中には麗こそが黒鉄様の隣に相応しいと言ってくれる者もいた。祖父達もまた「麗ならば選ばれるだろう」「選ばれたなら辰宮の誉だ」と期待してくれた。麗も、自分こそが選ばれるのだという気になっていた。
だが、その期待はあっさりと潰えた。鴉のようなスーツ姿の女子によって。1人だけ黒の洋装の女子に、黒鉄様は迷う事無く歩み寄った。厳格な印象とは真逆の笑顔で彼女の手を取り台座へと導き、いざ刀が抜けると子供のように喜ぶ。その彼女の言葉で麗も刀を抜く事に挑戦できたが、刀はびくともしなかった。
麗の中で、今までずっと抱いてきた確信や誇りがガラガラと音を立てて跡形も無く崩れていった。
納得できなかった。だから件の彼女に主を辞退しろと言った。本当は『主を辞退』なんて、めちゃくちゃな事を言っている自覚はあった。彼女が仮に『辞退』した所で、ではどうするのだという事もわかっていた。だって彼女が『辞退』しても、麗が選ばれる訳など、決して無いのだから。でも、そのようにでも言わないと、気が収まらなかった。あのように速射砲の如く言い返されるとは、ついぞ思っていなかったが。彼女が言う事があまりにも正論だったので、却って腹が立つ結果となった。
更には意味の無い勝負を仕掛けた。麗は、自分が負けるなど万に一つもありえないと確信していた。これで彼女が負けて去るならば、少なくとも麗の気は済む。
「す、すばる!」
しかし、麗は負けた。瞬殺だった。佇んでいるだけのように見える、式神を持っていないはずの相手に、為す術も無く一方的に叩きのめされた。それも、居並ぶ同級生達と本部の陰陽師達という、公衆の面前で。
自分はこんなに弱かっただろうか。
追い打ちをかけるように、自分が彼女に言った事が返ってきた。つまり「麗が負けたら辰宮は本部に出入り禁止」と。しかもそれは、辰宮家の現当主である祖父達に伝えられた上で沙汰が降りるという。とんでもない事をしてしまったと思ったが、後悔先に立たずとはこの事。麗はただ呆然と、処置を受けるすばるを見ながら家の者が迎えに来てくれるのを待った。
「きゃあああああ!!」
「うわあ。びっくりした」
そして家の者達に付き添われて本部から出る道すがら。麗にとっては悪い事に、あの鴉の如きスーツ姿。つまり彼女と出くわしてしまった。それはもう『ばったり』という表現そのままに。
「何だ。さっきの君ですか。何なんですか。人の顔を見た途端、真っ昼間に幽霊にでも出くわしたような悲鳴を上げて」
正直な話、彼女の言葉通り幽霊にでも出くわした方がどれ程良かっただろう。
無様にも完全に腰を抜かした麗は、すばるの実体化を解いている事すらも忘れ、手足の力のみで後退りながら懇願する。
「す、すばるには何もしないで!」
「はあ?」
彼女は心底訳がわからないといった顔を見せた。
「いや君がさっきみたいに喧嘩をふっかけでもしてこない限り、私は何もしませんよ。ってか、何自分が被害者みたいな顔してるんですか」
「主を侮辱した娘か。まだいたのか」
彼女の手を引く黒鉄様の、麗に向けられた無関心そのものの声と視線も、襤褸切れのようになった麗の自尊心を更に傷付ける事になった。彼女に「黒之命様」と呼びかけられた事で、態度には温度らしいものが宿ったが。黒鉄様は麗から彼女を隠すように、さっと片腕で庇う。
「行こうか。主。君に何かされたら、たまったものではないからね」
打って変わった優しい声だった。彼女は麗と同行する家の者達に目礼して、黒鉄様と連れ立って歩いていく。
「…お嬢様。今の方は…?」
「な、何でもないわ!行きましょう!」
我ながら芸の無い返しだったと思う。麗はぎくしゃくとしながらもどうにか立ち上がり、帰路についた。
「何…だと…?」
家に帰ったら、既に陰陽連本部から通達がされていた。祖父と父は、信じられないという表情で目を見開いていた。
「我が辰宮が…辰宮が誇る『竜』が…式神も持たぬ相手に為す術なく敗れた…?」
「しかも黒鉄様が見出したその『主』を麗が否定した…?」
「…麗。貴方、何て事したの…」
「ごめんなさい…。お祖父様、お父様、お母様…」
呆然とする保護者達に、ショックのあまりに寝込む暇も無く麗は詫びるしか無かった。
今回の騒ぎの一番の問題点は、『この世と幽世を区切る』本懐を果たそうとする黒鉄様を否定する言動を取った事だった。言い換えれば、人類社会の安寧への叛意にも取れる。
しかし麗がまだ学生である点から温情が取られた。まず、責任を取って当主が交代。祖父が降りた当主の座に、麗の父が就く事になった。そして麗は、流石に退学とまではいかないまでも、3ヶ月の停学処分。それが黒鉄様と陰陽連本部による沙汰だった。麗が学生という身分であるが故に、これでも随分と軽い措置で済んだのだ。
「お父様…」
「麗。寝ていなさい」
辰宮家新当主。辰宮陽介は、選定ノ儀から帰ってきて以来、発熱して寝込むようになった娘に、今もなお崩れ落ちそうになりながらも佇む娘に声をかけた。
「だって、お父様は今日は祝言に出られるのでしょう…?私を負かしたあの子の祝言に…」
麗は鬼気迫る顔で父の和装の袖を掴んだ。
「お父様…どうかお気を付けて。あの『主』の相手は、辰宮でも務まりません…!」
「わかった。わかったから」
娘の手をどうにか放し、部屋まで送り届けてやって欲しいと使用人達に命ずる。支えられて部屋に戻る麗の側に、すばるが寄り添おうとしている様が健気だった。
「陽介」
「あなた…」
父と妻が声をかけてきた。娘ほどの式神を負かす相手の元に『辰宮』の名を名乗り出向く事を心配されているらしい。陽介は「大丈夫だ」と答えて引き戸を開け、一歩を踏み出す。
どんな化け物が待ち構えているのか。鬼が出るか蛇が出るか。このような緊張感は、如何なる妖魔と相まみえた時も覚えた事がなかった。
辰宮の式神は代々が『竜』。麗も例に漏れず、5歳の頃にそれは美しい竜型の式神を作り出す事ができた。相棒であるすばるだ。祖父達は皆「流石は辰宮の子だ」と、麗を大いに褒めてくれた。
長じた麗は、辰宮の一族の者が皆そうしてきたように、白峰学園に入学した。クラスは当然の如く『松』。十二家本家の者達は麗以外にもいるが、麗は並み居る松クラスの生徒達の中でもトップだった。
やがて麗は、黒鉄様の主に選ばれるのではないかと言われるようになる。一度だけお顔を見た事がある、それは麗しい刀神の主に。
女子生徒達は皆憧れていた。美しい黒鉄様の主に選ばれるのは、どれ程素敵な事だろうと。そして、女子生徒達の中には麗こそが黒鉄様の隣に相応しいと言ってくれる者もいた。祖父達もまた「麗ならば選ばれるだろう」「選ばれたなら辰宮の誉だ」と期待してくれた。麗も、自分こそが選ばれるのだという気になっていた。
だが、その期待はあっさりと潰えた。鴉のようなスーツ姿の女子によって。1人だけ黒の洋装の女子に、黒鉄様は迷う事無く歩み寄った。厳格な印象とは真逆の笑顔で彼女の手を取り台座へと導き、いざ刀が抜けると子供のように喜ぶ。その彼女の言葉で麗も刀を抜く事に挑戦できたが、刀はびくともしなかった。
麗の中で、今までずっと抱いてきた確信や誇りがガラガラと音を立てて跡形も無く崩れていった。
納得できなかった。だから件の彼女に主を辞退しろと言った。本当は『主を辞退』なんて、めちゃくちゃな事を言っている自覚はあった。彼女が仮に『辞退』した所で、ではどうするのだという事もわかっていた。だって彼女が『辞退』しても、麗が選ばれる訳など、決して無いのだから。でも、そのようにでも言わないと、気が収まらなかった。あのように速射砲の如く言い返されるとは、ついぞ思っていなかったが。彼女が言う事があまりにも正論だったので、却って腹が立つ結果となった。
更には意味の無い勝負を仕掛けた。麗は、自分が負けるなど万に一つもありえないと確信していた。これで彼女が負けて去るならば、少なくとも麗の気は済む。
「す、すばる!」
しかし、麗は負けた。瞬殺だった。佇んでいるだけのように見える、式神を持っていないはずの相手に、為す術も無く一方的に叩きのめされた。それも、居並ぶ同級生達と本部の陰陽師達という、公衆の面前で。
自分はこんなに弱かっただろうか。
追い打ちをかけるように、自分が彼女に言った事が返ってきた。つまり「麗が負けたら辰宮は本部に出入り禁止」と。しかもそれは、辰宮家の現当主である祖父達に伝えられた上で沙汰が降りるという。とんでもない事をしてしまったと思ったが、後悔先に立たずとはこの事。麗はただ呆然と、処置を受けるすばるを見ながら家の者が迎えに来てくれるのを待った。
「きゃあああああ!!」
「うわあ。びっくりした」
そして家の者達に付き添われて本部から出る道すがら。麗にとっては悪い事に、あの鴉の如きスーツ姿。つまり彼女と出くわしてしまった。それはもう『ばったり』という表現そのままに。
「何だ。さっきの君ですか。何なんですか。人の顔を見た途端、真っ昼間に幽霊にでも出くわしたような悲鳴を上げて」
正直な話、彼女の言葉通り幽霊にでも出くわした方がどれ程良かっただろう。
無様にも完全に腰を抜かした麗は、すばるの実体化を解いている事すらも忘れ、手足の力のみで後退りながら懇願する。
「す、すばるには何もしないで!」
「はあ?」
彼女は心底訳がわからないといった顔を見せた。
「いや君がさっきみたいに喧嘩をふっかけでもしてこない限り、私は何もしませんよ。ってか、何自分が被害者みたいな顔してるんですか」
「主を侮辱した娘か。まだいたのか」
彼女の手を引く黒鉄様の、麗に向けられた無関心そのものの声と視線も、襤褸切れのようになった麗の自尊心を更に傷付ける事になった。彼女に「黒之命様」と呼びかけられた事で、態度には温度らしいものが宿ったが。黒鉄様は麗から彼女を隠すように、さっと片腕で庇う。
「行こうか。主。君に何かされたら、たまったものではないからね」
打って変わった優しい声だった。彼女は麗と同行する家の者達に目礼して、黒鉄様と連れ立って歩いていく。
「…お嬢様。今の方は…?」
「な、何でもないわ!行きましょう!」
我ながら芸の無い返しだったと思う。麗はぎくしゃくとしながらもどうにか立ち上がり、帰路についた。
「何…だと…?」
家に帰ったら、既に陰陽連本部から通達がされていた。祖父と父は、信じられないという表情で目を見開いていた。
「我が辰宮が…辰宮が誇る『竜』が…式神も持たぬ相手に為す術なく敗れた…?」
「しかも黒鉄様が見出したその『主』を麗が否定した…?」
「…麗。貴方、何て事したの…」
「ごめんなさい…。お祖父様、お父様、お母様…」
呆然とする保護者達に、ショックのあまりに寝込む暇も無く麗は詫びるしか無かった。
今回の騒ぎの一番の問題点は、『この世と幽世を区切る』本懐を果たそうとする黒鉄様を否定する言動を取った事だった。言い換えれば、人類社会の安寧への叛意にも取れる。
しかし麗がまだ学生である点から温情が取られた。まず、責任を取って当主が交代。祖父が降りた当主の座に、麗の父が就く事になった。そして麗は、流石に退学とまではいかないまでも、3ヶ月の停学処分。それが黒鉄様と陰陽連本部による沙汰だった。麗が学生という身分であるが故に、これでも随分と軽い措置で済んだのだ。
「お父様…」
「麗。寝ていなさい」
辰宮家新当主。辰宮陽介は、選定ノ儀から帰ってきて以来、発熱して寝込むようになった娘に、今もなお崩れ落ちそうになりながらも佇む娘に声をかけた。
「だって、お父様は今日は祝言に出られるのでしょう…?私を負かしたあの子の祝言に…」
麗は鬼気迫る顔で父の和装の袖を掴んだ。
「お父様…どうかお気を付けて。あの『主』の相手は、辰宮でも務まりません…!」
「わかった。わかったから」
娘の手をどうにか放し、部屋まで送り届けてやって欲しいと使用人達に命ずる。支えられて部屋に戻る麗の側に、すばるが寄り添おうとしている様が健気だった。
「陽介」
「あなた…」
父と妻が声をかけてきた。娘ほどの式神を負かす相手の元に『辰宮』の名を名乗り出向く事を心配されているらしい。陽介は「大丈夫だ」と答えて引き戸を開け、一歩を踏み出す。
どんな化け物が待ち構えているのか。鬼が出るか蛇が出るか。このような緊張感は、如何なる妖魔と相まみえた時も覚えた事がなかった。



