式神作りを拒否った分の霊力が見鬼に全振りされた。

「祖母さん。一応連絡。母屋でお客を迎えるから。瑛子伯母様も一緒ね」
「え?瑛子姉さんも一緒?誰が来るの?」
瑛子の施設でそんな話は聞かなかったので問うと、孫娘は答えた。
「私と結婚したいって人が挨拶に来る」
「結婚!?あんたと!?何処の誰が!?」
何せ気が強ければ我も強い孫娘である。嫁の貰い手などおよそいないだろうと思っていたので、蹊子は驚いた。蹊子が生きてきた時代が時代なので、女性なら『嫁にもらわれる』事が全てという考えだと追記しておく。
「祖母さんが『絶対に選ばれろ』って言ってた黒鉄様だよ。私は黒鉄様の主なんだと」
孫娘の答えに、蹊子は目も口も大きく開けていた。お母さんや元輝とリアクションが同じだなあと、彼女はマイペースに思っていた。
蹊子は、いつも不満だった。否。子供であった頃は良かった。例えば姉達や兄達が出せる綺麗な式神を、8人姉弟の中で蹊子だけが出せなかった。姉達や兄達ができる事を何故自分だけができないのだろうと幼い蹊子は泣いてしまったが、両親は「蹊子は普通に生まれたという事だから、普通に生きればいいんだよ」と蹊子を慈しんでくれた。両親の姿を見て、瑛子達も末の妹をそのように扱えばいいのだと学ぶのは当然だった。瑛子達も「蹊子は普通でいいんだよ」と、優しい言葉をかけてくれた。
長じた蹊子は両親の勧めで女学校に入った。勉強が面白くなくて、つまり華子や瑛子が彼女に話して聞かせたように、勉強についていけなかった事からすぐにやめてしまった。そんな蹊子に両親は「蹊子も年頃だから」と言い、沢山の縁談を持ってきてくれた。
「蹊子は、そうだな…。医者だとか、堅実な職業の家に嫁いで幸せになればいい」
例えば「この人は、幕府がまだあった頃に御典医をやっていた一族の子孫で」などと釣り書きを見せてくれた。
お見合い写真に傷が付かなかったら、その部長先生だとかのもっといい所にお嫁に行っていたのかもしれないのにと、蹊子はいつも悔しく思っていた。何より、お母様もお父様もひどいと、ひたすらうらめしかった。
なお事実は、数多の写真の中で最も美男子であった成一郎に蹊子が夢中になり「この人がいい!」と選んだというものだ。後述の経緯もあって、蹊子は自分の選択が間違っていたと認めたくないのだ。故に『写真に傷が』と自分の頭の中で作った物語を事実としているだけである。
「いや祖母さんの中では事実って、要するに嘘じゃないか。あと大お祖母様と大お祖父様を悪者にするとかひどくない?大お祖母様も大お祖父様も、草葉の陰でお嘆きだろうよ!」
これは、李子から話を聞いた彼女の言葉だ。
さて蹊子は望月家の一員となった訳だが、待っていたのは成一郎の母、つまり蹊子にとっての義母による嫁いびりだった。今まで卯上家の令嬢として蝶よ花よと育てられてきた蹊子の自尊心は、義母からの仕打ちに耐えられなかった。夜眠る時、こうして寝たまま自分が消えて無くなってしまえればいいのにと、何度思ったかわからない。
「いやまあ、望月の曾祖母さんのせいで望月の屋敷には使用人がいつかないって悪い意味で評判だったって聞くから、そんな日本の昔話に登場するような『意地悪な長者どん』にいじめられたのは、純粋に気の毒だけどさ」
これも、李子から話を聞いた彼女の言葉だ。
木っ端微塵にされた自尊心に更に追い打ちをかけたのが、成一郎が蹊子にとっては義弟に当たる仁平に家督を譲った事だった。つまり蹊子は『大店の若奥様』ではなくなったのだ。跡取りの座を降りた成一郎は、それでも望月家の紹介で銀行に勤務する事になった。立派な邸宅から一転、家は賃貸。100坪以上でなければ家とは言わない。
「いやその100坪以上の家を自力で維持した事が無い祖母さんが言う事じゃないでしょ?」
李子から「お祖母ちゃん、『100坪以上じゃないと家じゃない』っていつも言ってたから」と聞かされた彼女は言った。
成一郎は出世しなかったし、元々の給料も少ない。嫁入りにあたって両親から持参金として持たされた、運用もできる財産。つまり株の配当金を使っても不十分だった。何より、自分が自由にできるお金が無い。蹊子は不満だった。
「いや銀行員なんだからいいお給料でしょ。何より、お金がどうたら言うなら自分も働けばいいのにさ」
彼女は李子から「お金持ちの奥様は働かないのが、お祖母ちゃんの時代のステータスだったから…」と聞かされた。
蹊子は惨めで惨めで仕方が無かった。要するに自分は没落したのだとは、断固として認めたくなかったが。
「惨めとかって何?お屋敷から賃貸にいきなり環境が変わって困ったって話ならわかるけどさ」
李子から「お祖母ちゃんはお祖父ちゃんの仕事にも家にも不満だった」と聞かされた彼女の言葉だ。
こんなにも惨めな暮らしをしなければいけないのは「お見合い写真に傷が付いたから、望月に恥をかかせない為に」と蹊子を成一郎と結婚させた両親のせいだ。蹊子は両親をひたすら恨んだ。そして、自分とは別世界のように良い暮らしを送る姉達や兄達を妬ましく思った。
「いやだから『写真に傷云々』は、祖母さんが頭の中で作った話でしょ。そもそも当時の価値観はまるでわからんし、大お祖母様はともかく大お祖父様の人となりを私は知らないけど、聞く限りだとそんな写真に傷?とか訳のわからない理由で、可愛がっていた末っ子に望みもしない結婚をさせる人だとは、到底思えないし」
繰り返しになるが、彼女の言う通りだ。蹊子は自分の選択が間違っていたと認めたくない。なので誰かのせいにしているだけだ。
さて、蹊子に生まれた最初の娘。桃子に霊力が目覚めた事によって、エリートそのものの優雅な暮らしをしている姉達や兄達の仲間入りができると蹊子は喜んだ。桃子は赤ん坊の頃から美しかった。作った式神も美しかった。才気に溢れる利発な自慢の娘を、蹊子は可愛がった。
「いや自分にとって都合がいいから可愛がってると言うか可愛がってるふりしてるだけだろ。伯母さんも大概なDV女だけど、流石に可哀想に思えてくるわ。『可哀想』って言葉は嫌いだけどさ」
桃子を憚る事無く「DV女」と呼ぶ彼女だが、その扱われ方には苦言を呈した。
それに比べて、2番目の娘。李子は霊力に目覚めなかった。つまり無能だった。顔も頭も、桃子と比べると何もかもが劣っていた。絵に描いたような愚図で不細工で役立たずだったので「うちの子じゃない」と何度言ったかわからない。
「いや産んだの自分だろ。なのに『うちの子じゃない』ってどういう日本語だよ。あと、これは元輝にも言った事だけど、家族を役に立つ立たないで見るとかおかしくない?」
彼女は心底理解に苦しむといった様子で首を傾げた。
李子はよく見ると望月の親戚に顔も似ているし、望月の血を多く受け継いだのだろうと蹊子は思った。
「いや悪いと思った事は祖父さんの一族のせいなのかい。てか無能無能って、それを言うなら祖母さんも紛う事無き立派な無能だろ。当時の価値観的に『伯母さんという能力者を産んだのが偉い』とか言うかもしれないけど、偉いとか無いから!あとお母さんは自分が劣等生みたいに言うけど、伯母さんが何もかもできすぎるだけだから!あまりにも例外過ぎて参考にすらならないってだけだから!」
李子を指して「普通に生まれて何が悪い」と言った彼女は、こうも言った。
女性の陰陽師は美しい刀の神様に選ばれる事が名誉との事だった。桃子が選ばれたら、桃子を産んだ母として、自分もお姫様のように扱ってもらえるかもしれないと蹊子は思った。期待に反して桃子は選ばれなかったが、それでもランクが高いクラスでトップの成績を取っている、一貫してお手本のような優等生の桃子が誇らしかった。将来は、すぐ上の姉のようにエリートと結婚して、自分に楽をさせてくれるだろうと思っていた。尤も、その期待は桃子が病気で急逝した事で呆気なく打ち砕かれたが。
「何でこうも判で押したように『子供が当たり前に親の自分の面倒を見てくれる』と思えるんだ?」
彼女は「古い時代の人なのはわかるけどさ」と言いつつも首を傾げた。
蹊子に残ったのは無能の次女だけだった。李子に対し「あんたじゃなくてお姉ちゃんが生きてれば良かったのに!」とどれだけ言ったか、蹊子は覚えていない。
「いや何でそこまでの事を言われたのに、そんな因業婆の面倒なんて見ているのさ」
蹊子の発現のひどさに顔を顰めながら、彼女はとうとう「因業婆」と言い切った。
「あとこれは大お祖母様が亡くなった時も見て思うんだけどさ。伯母さんが亡くなった時も祖母さんは悲しんでいないよ。どっちの時も単に『実の娘や母親を喪った自分』が可哀想で泣いていただけさ」
彼女は自分が見たものに対して、当時を思い返しながらこうも言った。
蹊子は、せめて李子は自分が思うような相手と結婚すればいいと思っていたが、それも叶わなかった。しかし李子が産んだ娘。蹊子にとっては唯一の女の子の孫が霊力持ちだった。蹊子から見た李子は、蹊子が気に入るような結婚相手を選ばなかった上に、その相手と離婚した恥ずかしい娘だった。
「いやまあ、祖母さんの時代の価値観だと『離婚は恥ずかしい』って考え一辺倒だったのは理解できるけど、娘を指して『恥ずかしい』は無いだろ。人生なんて自由なんだからさ」
李子に「お母さんはお祖母ちゃんにとって恥ずかしい娘だった」と聞かされた彼女の言葉だ。
しかしその李子によって、蹊子に新たな期待する存在ができた。と思ったのも束の間、件の孫は全くもって思い通りにならなかったが。気が強ければ我も強く、しかも懐かない。
「いや自分の母親にされた仕打ちを知って孫が懐くと思ってんの?当時の私はお母さんがされた事をそんなに詳しく知らなかったけどさ」
蹊子の本性を当時から見抜いていた彼女は、こういう調子だった。
でも一番上の姉の瑛子は、孫達を手元に置いた。わざわざ屋敷に離れまで建てて。
ずるいと蹊子は思った。自分がずっといたかった屋敷に当たり前のような顔をして住んでいる娘一家が妬ましかった。
「いや『ずるい』は違うだろ。そもそも祖母さんは祖父さんと新しい家庭を築いているんだから、その家庭にいればいいじゃん」
繰り返しになるが、彼女の考えは『結婚する=2人で新しい家庭を築く』だ。
成一郎が亡くなり自由になった、だが同時にお金に困った蹊子は、瑛子が施設に入って不在の卯上邸に住むようになった。蹊子の子供時代と比較したら随分と小さくなった屋敷だが、そもそも実家なので住む事がおかしいとは思わなかった。家賃を払えなくなった家も、いつの間にか李子が何とかしてくれていた。瑛子にお金が無いと思われたくないから、施設に通うタクシー代や瑛子との食事代も李子に出させている。少ない年金ではとても足りないからだ。
「いやだから何処が少ない年金だよ。そりゃ瑛子伯母様達と比べたら少ないかもしれないけど、比べていたらきりが無いだろ」
李子から「お祖母ちゃんは年金が少ないと言っている」と聞かされた彼女はこう言った。
これまた繰り返しになるが、蹊子は何分昔の時代の人間であるが故に『子供は親の面倒を見るもの』という考えだ。本当は頼るなら桃子がいいが、当の桃子がもういないので仕方が無い。何より、李子を大学まで出すのも嫁に出すのも非常にお金がかかった。
「お母さんが若い頃は、娘は『嫁に出す』って考えが一般的だったんだよね。それはわかるけど。でも『あの頃は大変でさ〜』とか世間話的に言うならともかくとして、自分の子供の養育に幾らかかったって具体的な金額を並べるとか、当の子供に対して言う事じゃないでしょ」
李子から「学校から結婚まで、それぞれ幾らかかったかをよくお祖母ちゃんに聞かされた」と聞いた彼女は呆れ顔になった。
蹊子としては、これまで李子にかかったお金を本人から返してもらっているのだとも思っていた。とは言え、自分が自由にできるお金が相も変わらず少ないので、蹊子は不満だった。
このように、蹊子はいつも不満だった。だが孫娘は、美しいと評判の刀神に選ばれた。自分は選ばれた孫娘の祖母として、相応の待遇を受ける事ができるだろう。不満だらけの人生であったが、とうとう報われる時が来たのだ。