『お電話ありがとうございます。連絡が遅くなり申し訳ありません。瑛子伯母様』
「いいえ。陰陽連本部から通達があった時は、私も驚いたけれど」
電話に出た姪孫は、瑛子の要件を既に理解しているらしい。謝ってきたが、瑛子は「気にしなくていいわ」と言った。
『あの。情報が多く大変お騒がせしてしまっていると思います。瑛子伯母様、お話ししていて大丈夫ですか?』
「ええ。大丈夫よ。今日は調子がいいから」
むしろ、それどころではない事態に体調の方が底上げされたと言う方が正しい。あくまでも自分を気遣う姪孫が気にしてしまうので、口にはしないが。身内そして卯上家当主として、姪孫は瑛子を尊重してくれているのだと、瑛子はわかっていた。
「まさか、貴方が黒鉄様の主に選ばれるなんてね。元々変わった力を持つ子だと思っていたけれど…。いいえ。選ばれる資質に、それは関係無いわね」
実は大いに関係があるのだが、それを説明しようとすると神話の時代にまで遡る前世がという話になってしまうので、彼女はあえて黙っている事にした。
『陰陽連からの情報と重複していたら申し訳ありませんが、黒鉄様と直にお話しする機会を頂きました。まず、主となる事は、命令でも強制でもないそうです。あくまでも、私が納得し同意した上で儀式を行うとの事です。その儀式とは、結婚だそうです』
「…え?」
瑛子の目は、文字通り点になった。姪孫が『まあ驚きますよね』と溜め息をつく気配がする。
『簡潔に申し上げますと、黒鉄様は見出した主と婚姻関係を結ぶ事を、主と刀になるに必要な儀式と決めていたそうです。しかし結婚を名言する事による政略結婚等の争いを避ける為、同意を得た上での特別な儀式が必要だという表現を使ってこられたそうです』
「…陰陽連の歴史を鑑みると、的確な判断ね。確かに結婚も一種の契約と言えるから、儀式の一環だわ」
『私も、結婚とはある意味では契約だという解釈は同じです』
「それで、貴方はどうしたいのかしら」
瑛子は嚙んで含めるように問いかける。
「貴方の事だから、李子ちゃんや元輝君の安否を真っ先に考えるでしょうね。でも、それは一旦忘れなさい。貴方の気持ちを訊きたいの」
瑛子はあえて命令口調を使った。姪孫に「私はね」と語りかける。
「『子供は親の面倒を見るもの』という考えが当たり前だった。だから、お母様と…そして郁子の面倒を見る為に、結婚しなかった」
『母から聞いています』
瑛子のすぐ下の妹の郁子は、妖魔との戦いで身体に麻痺が残ってしまった。相棒である式神を実体化させられない程に弱っていた訳ではなかったが、人型の式神であっても普段の生活等を頼るには限界があった。そして『女性は結婚するもの』という考えが当たり前であった時代、身体に麻痺がある郁子を妻にと望んでくれる家は、何処にも無かった。
故に、瑛子は8人姉弟の長子として郁子の居場所になった。年老いた母の面倒も見る為に、家にいた。そうしている内に、瑛子は瑛子の時代におけるいわゆる結婚適齢期を、とうの昔に過ぎていた。
『母の事も、望月に縛られる事は無いと助言を下さり、家から出して下さったと』
末の妹の蹊子の2番目の娘である李子は、霊力を持たない一般人であるからと、最初の娘である桃子と明らかに差を付けた扱いをされていた。卯上家当主としての責務に母と郁子の世話で忙しかった瑛子は、気付いてやる事も何かをしてやる事もできなかった。とりわけ、桃子が急逝してからの蹊子の李子への当たり様はひどかったと正頼から聞く事になる。
しかし李子にも転機が訪れる。李子が結婚する事になったのだ。当時の人生の転機、とりわけ女性が『家から出る』方法は、結婚に限られていたのだと書いておいた方がいいだろう。
だが、結婚は蹊子と義弟の成一郎がひどく反対した。曰く「妾の子なんて」と。
興信所を雇った蹊子と成一郎は、李子の結婚相手――確か慎吾と言う名だった――の事を調べ上げた。李子の結婚相手は、地主のいわゆる外腹の子という身だった。
「いや。だから何?」
後に李子から父との結婚の経緯を聞かされた彼女は、心底理解に苦しむといった様子で、このように言ったが。
ジェネレーションギャップと言うのか、はたまたそれとは異なる価値観なのかは断言できないが、理解できない人には本当に理解できない価値観の元、李子は両親から結婚を反対されたのだ。
李子に助け舟を出したのが瑛子だった。望月家にも両親にも縛られる事は無いと言って妹夫婦に口をきき、李子の結婚祝いまで出した。
「お祖母ちゃんに『あんたは瑛子伯母ちゃんに一生頭が上がらないんだからね』って言われてね」
「いや母親だったらまず娘の味方をしろよ。下らない事ばかり調べてないでさ。暇なのか」
後に李子からそのエピソードを聞いた彼女は、祖母を辛辣に評した。
姪孫を諭すように瑛子は続ける。
「思えば、私は家に縛られて生きてきたわ。それが不幸だったとは、決して思わない。でも私が縛られてきた分、貴方達に同じ思いはさせたくないの。貴方には、好きな道を行って欲しいから」
『…瑛子伯母様。私は、瑛子伯母様と比較すれば遥かに短い時間ではありますが、人類社会を裏から守る事を役目として生きてきました。その考えを完全に忘れてものを考える事はできません』
「それは貴方の美徳だけれど、私達がそう育ててしまったからでもあるわね」
しかし姪孫は生真面目な口調で、そしてきっぱりと『いいえ』と言った。
『瑛子伯母様、ひいては大お祖母様が悪いと言っている訳では、決してありません。そもそも、瑛子伯母様達は私達に何も悪い事をしていません』
姪孫はこう言ってくれるが、やはり心苦しいものはある。
『役目を忘れる事はできませんが、しかし共に歩む相手としては、黒鉄様は良い方だと思います。瑛子伯母様。私はこのお話を受けようと思います』
「――そう。貴方は…そう言ってしまうわね」
瑛子は、長く長く息をついていた。すると『瑛子伯母様』と遠慮がちな姪孫の声がした。
『あくまでも主観ではありますが、黒鉄様は物理的にしろそうでないにしろ、目線を合わせてくれます。歩み寄りの姿勢も見せてくれます。やたらとテンションは高いですが、決して嫌な神様でも怖い神様でもないかと』
「…え?あら。そうなの?」
昔お顔を見た事はあるが、無表情で厳格な印象だった。姪孫の言う事は、特に『テンションが高い』姿は全く想像ができない。
『少なくとも私という人類に寄り添おうとしてくれますので、パートナーとするには良いのではないかと思いました』
姪孫は自分が見たものを伝えようとすると同時に、大伯母を安心させようとしているのだと、瑛子にはわかった。姪孫に見えないながらも、瑛子は微笑む。
「貴方が言うなら、きっとそうなのね。でも、何かあったら…何もない方がいいけれど、もし万が一何かあったら、必ず言いなさい。力になるわ」
『ありがとうございます。母にも同じ事を言われました』
姪孫はまた遠慮がちな口調で『それでですね』と続けた。
『黒鉄様は随分とフットワークが軽い神様です。私の実家に挨拶をしたいと仰っています。この場合、卯上当主である瑛子伯母様にまた屋敷までご足労を頂き同席をお願いする事になってしまいますが、ご都合がよろしい日はありますか?』
「あら。あらあらあら。随分と急な話ね」
電話の向こうで『本当にすみません』と、恐らく何度も頭を下げているのであろう姪孫の姿を想像しながら、瑛子は口元に片手を当てて瞬きをした。
「いいえ。陰陽連本部から通達があった時は、私も驚いたけれど」
電話に出た姪孫は、瑛子の要件を既に理解しているらしい。謝ってきたが、瑛子は「気にしなくていいわ」と言った。
『あの。情報が多く大変お騒がせしてしまっていると思います。瑛子伯母様、お話ししていて大丈夫ですか?』
「ええ。大丈夫よ。今日は調子がいいから」
むしろ、それどころではない事態に体調の方が底上げされたと言う方が正しい。あくまでも自分を気遣う姪孫が気にしてしまうので、口にはしないが。身内そして卯上家当主として、姪孫は瑛子を尊重してくれているのだと、瑛子はわかっていた。
「まさか、貴方が黒鉄様の主に選ばれるなんてね。元々変わった力を持つ子だと思っていたけれど…。いいえ。選ばれる資質に、それは関係無いわね」
実は大いに関係があるのだが、それを説明しようとすると神話の時代にまで遡る前世がという話になってしまうので、彼女はあえて黙っている事にした。
『陰陽連からの情報と重複していたら申し訳ありませんが、黒鉄様と直にお話しする機会を頂きました。まず、主となる事は、命令でも強制でもないそうです。あくまでも、私が納得し同意した上で儀式を行うとの事です。その儀式とは、結婚だそうです』
「…え?」
瑛子の目は、文字通り点になった。姪孫が『まあ驚きますよね』と溜め息をつく気配がする。
『簡潔に申し上げますと、黒鉄様は見出した主と婚姻関係を結ぶ事を、主と刀になるに必要な儀式と決めていたそうです。しかし結婚を名言する事による政略結婚等の争いを避ける為、同意を得た上での特別な儀式が必要だという表現を使ってこられたそうです』
「…陰陽連の歴史を鑑みると、的確な判断ね。確かに結婚も一種の契約と言えるから、儀式の一環だわ」
『私も、結婚とはある意味では契約だという解釈は同じです』
「それで、貴方はどうしたいのかしら」
瑛子は嚙んで含めるように問いかける。
「貴方の事だから、李子ちゃんや元輝君の安否を真っ先に考えるでしょうね。でも、それは一旦忘れなさい。貴方の気持ちを訊きたいの」
瑛子はあえて命令口調を使った。姪孫に「私はね」と語りかける。
「『子供は親の面倒を見るもの』という考えが当たり前だった。だから、お母様と…そして郁子の面倒を見る為に、結婚しなかった」
『母から聞いています』
瑛子のすぐ下の妹の郁子は、妖魔との戦いで身体に麻痺が残ってしまった。相棒である式神を実体化させられない程に弱っていた訳ではなかったが、人型の式神であっても普段の生活等を頼るには限界があった。そして『女性は結婚するもの』という考えが当たり前であった時代、身体に麻痺がある郁子を妻にと望んでくれる家は、何処にも無かった。
故に、瑛子は8人姉弟の長子として郁子の居場所になった。年老いた母の面倒も見る為に、家にいた。そうしている内に、瑛子は瑛子の時代におけるいわゆる結婚適齢期を、とうの昔に過ぎていた。
『母の事も、望月に縛られる事は無いと助言を下さり、家から出して下さったと』
末の妹の蹊子の2番目の娘である李子は、霊力を持たない一般人であるからと、最初の娘である桃子と明らかに差を付けた扱いをされていた。卯上家当主としての責務に母と郁子の世話で忙しかった瑛子は、気付いてやる事も何かをしてやる事もできなかった。とりわけ、桃子が急逝してからの蹊子の李子への当たり様はひどかったと正頼から聞く事になる。
しかし李子にも転機が訪れる。李子が結婚する事になったのだ。当時の人生の転機、とりわけ女性が『家から出る』方法は、結婚に限られていたのだと書いておいた方がいいだろう。
だが、結婚は蹊子と義弟の成一郎がひどく反対した。曰く「妾の子なんて」と。
興信所を雇った蹊子と成一郎は、李子の結婚相手――確か慎吾と言う名だった――の事を調べ上げた。李子の結婚相手は、地主のいわゆる外腹の子という身だった。
「いや。だから何?」
後に李子から父との結婚の経緯を聞かされた彼女は、心底理解に苦しむといった様子で、このように言ったが。
ジェネレーションギャップと言うのか、はたまたそれとは異なる価値観なのかは断言できないが、理解できない人には本当に理解できない価値観の元、李子は両親から結婚を反対されたのだ。
李子に助け舟を出したのが瑛子だった。望月家にも両親にも縛られる事は無いと言って妹夫婦に口をきき、李子の結婚祝いまで出した。
「お祖母ちゃんに『あんたは瑛子伯母ちゃんに一生頭が上がらないんだからね』って言われてね」
「いや母親だったらまず娘の味方をしろよ。下らない事ばかり調べてないでさ。暇なのか」
後に李子からそのエピソードを聞いた彼女は、祖母を辛辣に評した。
姪孫を諭すように瑛子は続ける。
「思えば、私は家に縛られて生きてきたわ。それが不幸だったとは、決して思わない。でも私が縛られてきた分、貴方達に同じ思いはさせたくないの。貴方には、好きな道を行って欲しいから」
『…瑛子伯母様。私は、瑛子伯母様と比較すれば遥かに短い時間ではありますが、人類社会を裏から守る事を役目として生きてきました。その考えを完全に忘れてものを考える事はできません』
「それは貴方の美徳だけれど、私達がそう育ててしまったからでもあるわね」
しかし姪孫は生真面目な口調で、そしてきっぱりと『いいえ』と言った。
『瑛子伯母様、ひいては大お祖母様が悪いと言っている訳では、決してありません。そもそも、瑛子伯母様達は私達に何も悪い事をしていません』
姪孫はこう言ってくれるが、やはり心苦しいものはある。
『役目を忘れる事はできませんが、しかし共に歩む相手としては、黒鉄様は良い方だと思います。瑛子伯母様。私はこのお話を受けようと思います』
「――そう。貴方は…そう言ってしまうわね」
瑛子は、長く長く息をついていた。すると『瑛子伯母様』と遠慮がちな姪孫の声がした。
『あくまでも主観ではありますが、黒鉄様は物理的にしろそうでないにしろ、目線を合わせてくれます。歩み寄りの姿勢も見せてくれます。やたらとテンションは高いですが、決して嫌な神様でも怖い神様でもないかと』
「…え?あら。そうなの?」
昔お顔を見た事はあるが、無表情で厳格な印象だった。姪孫の言う事は、特に『テンションが高い』姿は全く想像ができない。
『少なくとも私という人類に寄り添おうとしてくれますので、パートナーとするには良いのではないかと思いました』
姪孫は自分が見たものを伝えようとすると同時に、大伯母を安心させようとしているのだと、瑛子にはわかった。姪孫に見えないながらも、瑛子は微笑む。
「貴方が言うなら、きっとそうなのね。でも、何かあったら…何もない方がいいけれど、もし万が一何かあったら、必ず言いなさい。力になるわ」
『ありがとうございます。母にも同じ事を言われました』
姪孫はまた遠慮がちな口調で『それでですね』と続けた。
『黒鉄様は随分とフットワークが軽い神様です。私の実家に挨拶をしたいと仰っています。この場合、卯上当主である瑛子伯母様にまた屋敷までご足労を頂き同席をお願いする事になってしまいますが、ご都合がよろしい日はありますか?』
「あら。あらあらあら。随分と急な話ね」
電話の向こうで『本当にすみません』と、恐らく何度も頭を下げているのであろう姪孫の姿を想像しながら、瑛子は口元に片手を当てて瞬きをした。



