「いやいやいやいや」
黒之命による「結婚しよう」などというあまりにも突然過ぎる申し出に、彼女は困惑した。黒之命は、目に見えて慌てたような、同時にショックを受けたような様子を見せる。
「はっ!もしかして、もう好いた男がいるのかい!?」
「いやうち女子校ですから」
黒之命の「そうなんだ!良かった!」という安堵の表情とは対照的に、彼女は「ええ〜と」と呻きながら、片手の人差し指をこめかみに当てる。
「いや『主と刀』に正式になる為の特別な儀式が必要だと小耳に挟んだ事はありますけど、何で一足飛びに結婚なんて話が出るんですか?」
すると、黒之命ははにかみながら、両手の人差し指をちょんちょんと合わせる仕種を見せる。
「ええと…その…。つまり、君が言うその儀式が、結婚する事なんだ」
彼女は切り口を変えてみる事にした。
「…参考までに、それこそ陰陽連黎明期とか、遥か昔の陰陽師達に『主と刀』になるにはどんな方法が必要だと仰いましたか?」
「うん。『相手の同意を得た上で、特別な儀式が必要だ』って言ったよ」
ここで、銀生と金生が口を挟んだ。
「結婚だとはっきり明言してしまいますと、今度は自分の姉妹や娘を命様に差し出そうとする、別の争いが起こりますからね」
「絵に描いたような政略結婚の嵐になりますね…」
「その通りです。ですので、可能な限り曖昧にした物言いが『相手の同意を得た特別な儀式』だったのです」
「…日本国憲法が発布されるより遥か前の時代によく『相手の同意を得た上で』なんて、当時から考える事ができましたね…」
社会の教科書や資料集で読んだ日本国憲法の条文が一つ。『婚姻とは、両性の合意によってのみ成立する』を、彼女は思い出していた。話題が多少ずれるとも思っていたが。
なお、条文の正確な記載とは異なる箇所があるが、現代仮名遣いという事でご容赦を頂きたい。
感心が混ざった彼女の言葉に、黒之命は照れた様子で片手を頭にやった。
「そりゃあ、やっぱり君が『うん』って言ってくれないと意味が無いし…」
「そもそも『私』が既婚者だったりしたらどうするんですか?まあこの時代に限って言うなら、私の年齢で結婚しているなんて、物凄い珍しい事例ですけど」
彼女は『レアケース』などの横文字を、可能な限り使わないようにしている。例えば『アレルギー』が通じた事はわかっているが、念の為だ。
なお、ここで彼女が口にした『私』とは、『現代ではない、いつかの別の時代に生まれていた場合の自分』を指して言っている。
すると黒之命は、こっくりと頷いた。
「うん。だから、その時代に応じた結婚適齢期を、選定ノ儀の参加条件にしたんだ」
「そう言えば、時代によって12歳とか16歳とか、選定ノ儀の参加基準が変化していましたね」
例えば平安時代当時だと12歳。もっと早い場合は10歳で、少女達は選定ノ儀に参加したらしい。陰陽連の歴史も併せて勉強していたので、彼女は覚えていた。
「それって大事だからね。君が結婚している以前に、好きな人がいないかも心配だったけど…」
「いやだからハンカチ噛まないで下さいよ」
黒い瞳を潤ませて、これまた何処からともなく取り出したハンカチを漫画のように噛む黒之命を、彼女は宥めた。
「僕は君を一目見れば主だってわかるから、君を小さい内に見出して僕の手元で養育するって提案もされたよ?」
「光源氏計画は浪漫ですからね」
「『紫の上計画』とも言うそうですよ?」
「いや提案したのお2人ですか」
銀生と金生の言葉に、彼女はコントの如く体勢を崩しかけた。
「だけど、僕は君に自由に生きて欲しかった。余程劣悪な環境だったら話は別だよ?でも、そうでないなら人の世界で自由に生きて、その時が来たら理解してもらって、納得してもらう。そうでないと、フェアじゃないと思ったんだ」
「まあそれは凄く…何と言うか、歩み寄ってくれる考え方だと思いますけど…」
短い時間ではあるものの、この刀神の人となりと言うか神となりと言うかはわかったと思う。しかし彼女は、彼女個人の問題に戻る事にした。
「いやでも私の人となりで結婚と言いますか?辰宮さんとの戦いをご覧になったでしょう?相手が悲鳴を上げているのに式神を穴だらけにしたりだとか。私は怖い女ですよ?」
彼女は自分の言動が間違っていたとは、一切思っていない。しかし、そこはそれ。普通だったら怖がられるような事をやったり言ったりした自覚はある。
すると、黒之命はおろか銀生と金生までもが不思議そうな表情になった。
「あのくらいの冷徹さが無いと、僕の主は務まらないよ?」
「非常に的確な事をなさったかと」
「された事も仰った事も、理に叶っていると存じますが」
この辺りは、本性が武器であり武具である『刀』だからこその発言なのかもしれないと、彼女は思った。
彼女の『怖い女』ぶりを見ても意思が揺るがぬ事は理解できた。しかし問題はまだ控えている。
「私が黒之命様と『主と刀』になるにあたって、私は実家を出る事になると思います」
「うん。できるなら、なるべく早く答えをもらえると嬉しいな」
微笑みを湛えながらも、真剣さを滲ませた顔に黒之命はなった。
「僕の本体の鞘でもある君が見付かった以上、君は僕の近くにいる事が望ましい。それによって、僕は本来の力を発揮し易くなるからね。正直、本体が近くに無いと落ち着かないと言うのもあるけれど」
「それは刀である以上は仕方ないですね」
彼女も実は「私が物理的に離れて大丈夫なのかなあ」と思っていたので納得した。
「私には、母と双子の弟がおります。2人共一般人です」
「ん?うん」
黒之命は頷いて先を促した。
「家族は一般人ではありますが、私の仕事に理解を示してくれております。つまり陰陽師の世界の事を、少しは知っております」
黒之命は沈黙で傾聴の姿勢を示した。
「また、先程申し上げましたように、私が卯上の関係者として陰陽連に登録している以上、卯上の現当主である大伯母にも伝えないといけません。要するに何が言いたいかと申しますと、大切なお話と理解してはおりますが、私が今ここで自分の一存で決められる事ではありません。まず身内に伝えるお時間を頂きたいと思います」
「そうだね。かのコノハナノサクヤヒメも、ニニギノミコトに求婚された時、話を一度持ち帰ったからね。あ!でも、僕はニニギノミコトみたいに失礼な事はしないけれどね?」
黒之命が口にした『失礼な事』とは要するに『妹と共に嫁いできたイワナガヒメを不細工だからと追い返した』『結婚してすぐに身籠ったコノハナノサクヤヒメに、お胎の子は本当に自分の子なのかと浮気を疑った』等の逸話を指しているのだろうと彼女は理解し「そんな風に思っていませんよ」と返した。
黒之命は「そうだよ!」と手を一度大きく打って立ち上がり、大真面目な顔でぐっと両の拳を握った。
「結婚するにあたって最大のイベント『ご両親への挨拶』があるじゃないか!よし!君の家に行こう!ご家族に話をしたら、都合がつく日取りを教えておくれ!」
黒之命による「結婚しよう」などというあまりにも突然過ぎる申し出に、彼女は困惑した。黒之命は、目に見えて慌てたような、同時にショックを受けたような様子を見せる。
「はっ!もしかして、もう好いた男がいるのかい!?」
「いやうち女子校ですから」
黒之命の「そうなんだ!良かった!」という安堵の表情とは対照的に、彼女は「ええ〜と」と呻きながら、片手の人差し指をこめかみに当てる。
「いや『主と刀』に正式になる為の特別な儀式が必要だと小耳に挟んだ事はありますけど、何で一足飛びに結婚なんて話が出るんですか?」
すると、黒之命ははにかみながら、両手の人差し指をちょんちょんと合わせる仕種を見せる。
「ええと…その…。つまり、君が言うその儀式が、結婚する事なんだ」
彼女は切り口を変えてみる事にした。
「…参考までに、それこそ陰陽連黎明期とか、遥か昔の陰陽師達に『主と刀』になるにはどんな方法が必要だと仰いましたか?」
「うん。『相手の同意を得た上で、特別な儀式が必要だ』って言ったよ」
ここで、銀生と金生が口を挟んだ。
「結婚だとはっきり明言してしまいますと、今度は自分の姉妹や娘を命様に差し出そうとする、別の争いが起こりますからね」
「絵に描いたような政略結婚の嵐になりますね…」
「その通りです。ですので、可能な限り曖昧にした物言いが『相手の同意を得た特別な儀式』だったのです」
「…日本国憲法が発布されるより遥か前の時代によく『相手の同意を得た上で』なんて、当時から考える事ができましたね…」
社会の教科書や資料集で読んだ日本国憲法の条文が一つ。『婚姻とは、両性の合意によってのみ成立する』を、彼女は思い出していた。話題が多少ずれるとも思っていたが。
なお、条文の正確な記載とは異なる箇所があるが、現代仮名遣いという事でご容赦を頂きたい。
感心が混ざった彼女の言葉に、黒之命は照れた様子で片手を頭にやった。
「そりゃあ、やっぱり君が『うん』って言ってくれないと意味が無いし…」
「そもそも『私』が既婚者だったりしたらどうするんですか?まあこの時代に限って言うなら、私の年齢で結婚しているなんて、物凄い珍しい事例ですけど」
彼女は『レアケース』などの横文字を、可能な限り使わないようにしている。例えば『アレルギー』が通じた事はわかっているが、念の為だ。
なお、ここで彼女が口にした『私』とは、『現代ではない、いつかの別の時代に生まれていた場合の自分』を指して言っている。
すると黒之命は、こっくりと頷いた。
「うん。だから、その時代に応じた結婚適齢期を、選定ノ儀の参加条件にしたんだ」
「そう言えば、時代によって12歳とか16歳とか、選定ノ儀の参加基準が変化していましたね」
例えば平安時代当時だと12歳。もっと早い場合は10歳で、少女達は選定ノ儀に参加したらしい。陰陽連の歴史も併せて勉強していたので、彼女は覚えていた。
「それって大事だからね。君が結婚している以前に、好きな人がいないかも心配だったけど…」
「いやだからハンカチ噛まないで下さいよ」
黒い瞳を潤ませて、これまた何処からともなく取り出したハンカチを漫画のように噛む黒之命を、彼女は宥めた。
「僕は君を一目見れば主だってわかるから、君を小さい内に見出して僕の手元で養育するって提案もされたよ?」
「光源氏計画は浪漫ですからね」
「『紫の上計画』とも言うそうですよ?」
「いや提案したのお2人ですか」
銀生と金生の言葉に、彼女はコントの如く体勢を崩しかけた。
「だけど、僕は君に自由に生きて欲しかった。余程劣悪な環境だったら話は別だよ?でも、そうでないなら人の世界で自由に生きて、その時が来たら理解してもらって、納得してもらう。そうでないと、フェアじゃないと思ったんだ」
「まあそれは凄く…何と言うか、歩み寄ってくれる考え方だと思いますけど…」
短い時間ではあるものの、この刀神の人となりと言うか神となりと言うかはわかったと思う。しかし彼女は、彼女個人の問題に戻る事にした。
「いやでも私の人となりで結婚と言いますか?辰宮さんとの戦いをご覧になったでしょう?相手が悲鳴を上げているのに式神を穴だらけにしたりだとか。私は怖い女ですよ?」
彼女は自分の言動が間違っていたとは、一切思っていない。しかし、そこはそれ。普通だったら怖がられるような事をやったり言ったりした自覚はある。
すると、黒之命はおろか銀生と金生までもが不思議そうな表情になった。
「あのくらいの冷徹さが無いと、僕の主は務まらないよ?」
「非常に的確な事をなさったかと」
「された事も仰った事も、理に叶っていると存じますが」
この辺りは、本性が武器であり武具である『刀』だからこその発言なのかもしれないと、彼女は思った。
彼女の『怖い女』ぶりを見ても意思が揺るがぬ事は理解できた。しかし問題はまだ控えている。
「私が黒之命様と『主と刀』になるにあたって、私は実家を出る事になると思います」
「うん。できるなら、なるべく早く答えをもらえると嬉しいな」
微笑みを湛えながらも、真剣さを滲ませた顔に黒之命はなった。
「僕の本体の鞘でもある君が見付かった以上、君は僕の近くにいる事が望ましい。それによって、僕は本来の力を発揮し易くなるからね。正直、本体が近くに無いと落ち着かないと言うのもあるけれど」
「それは刀である以上は仕方ないですね」
彼女も実は「私が物理的に離れて大丈夫なのかなあ」と思っていたので納得した。
「私には、母と双子の弟がおります。2人共一般人です」
「ん?うん」
黒之命は頷いて先を促した。
「家族は一般人ではありますが、私の仕事に理解を示してくれております。つまり陰陽師の世界の事を、少しは知っております」
黒之命は沈黙で傾聴の姿勢を示した。
「また、先程申し上げましたように、私が卯上の関係者として陰陽連に登録している以上、卯上の現当主である大伯母にも伝えないといけません。要するに何が言いたいかと申しますと、大切なお話と理解してはおりますが、私が今ここで自分の一存で決められる事ではありません。まず身内に伝えるお時間を頂きたいと思います」
「そうだね。かのコノハナノサクヤヒメも、ニニギノミコトに求婚された時、話を一度持ち帰ったからね。あ!でも、僕はニニギノミコトみたいに失礼な事はしないけれどね?」
黒之命が口にした『失礼な事』とは要するに『妹と共に嫁いできたイワナガヒメを不細工だからと追い返した』『結婚してすぐに身籠ったコノハナノサクヤヒメに、お胎の子は本当に自分の子なのかと浮気を疑った』等の逸話を指しているのだろうと彼女は理解し「そんな風に思っていませんよ」と返した。
黒之命は「そうだよ!」と手を一度大きく打って立ち上がり、大真面目な顔でぐっと両の拳を握った。
「結婚するにあたって最大のイベント『ご両親への挨拶』があるじゃないか!よし!君の家に行こう!ご家族に話をしたら、都合がつく日取りを教えておくれ!」



