「さあ。遠慮しないで食べておくれ」
刀を彼女に『しまった』後。彼女達は応接間に移動した。僕に任せてと言って手際良くお茶とお菓子の準備をする黒之命は、目にも鮮やかな和菓子をさあさあと彼女に勧める。しかし笑顔から一転、ふと考えるような顔になった。
「ああ。それとも、当世の子には洋菓子の方が良かったかな?」
「いえ。和菓子が嫌いな訳ではありません。アレルギーも無いですし」
「アレルギー?そうだね。それも大事だね」
大真面目に頷いた黒之命は、彼女の向かい側に腰を落ち着ける。そこへ辰宮家への連絡を終えたのであろう2名。銀生と金生と呼ばれていた青年が合流し、黒之命の後ろに控えて彼女に頭を下げる。
「命様にお仕えしております。銀生と申します」
「同じく、金生と申します」
「改めて、僕が『黒鉄様』こと黒之命だよ。これから末永くよろしくね」
「いや『末永く』って…」
彼女は呻いたが、表情を引き締め背筋を伸ばす。
「ご丁寧にありがとうございます。改めまして、私は名字は『賀茂』ですが、『卯上』の関係者として陰陽連にに登録しております、妖魔対策本部のいちアルバイトです。実戦には関わらない裏方です。なお白峰学園の生徒ではなく、普通の学校に通っております」
「君、白峰の生徒じゃなかったんだね。道理で見付からなかった訳だよ!僕が君を見れば、一目で主だとわかるのに!」
「まあ…白峰より今の学校の校風の方が合うと思いましたもので、普通の学校を選びました」
流石に「式神の姿の違いで威張ったりする生徒が気に入らないから白峰を選びませんでした」とありのままを口にする事は憚られたので、彼女は無難な物言いをした。何やら悔しそうに「普通の学校に通っていたのか~」と柳眉を寄せる黒之命に話を切り出す。
「あの。私が黒之命様の主だという件なんですけど。『待っていた』とかどういう事ですか?」
「確かに、そこから話さないと君も訳がわからないよね。君は昔の事は何一つ覚えていないだろうから」
黒之命は「ごめんごめん」と、市井の若者のような口調で謝りながら手刀を切る。そして「そうだねえ。何から話せばいいのかな」と遠い目をした。
「僕は今でこそ『黒鉄様』だとか立派な名前で呼ばれて神として崇められているけれど、元は失敗作だったんだ」
「失敗作?」
鸚鵡返しをする彼女に、黒之命は「うん」と頷いた。
「僕がこの世と幽世を区切る刀として作られた事は、君達陰陽師も知っての通りだよ。だけど、見ての通り僕は真っ黒だろう?だからなのか、失敗作だと断じられて地上に投げ捨てられてしまったんだ。ひどいと思わないかい?」
「それはそれは」
形の良い眉をしゅんと下げる黒之命を、彼女は心の底から気の毒だと思った。故に、そのように言うしか無かった。同時に、アマノイワヤト伝説にある『タヂカラオノミコトが思い切り開けたアマノイワヤトが、勢い余って手からすっぽ抜けて地上に落ちて山になった』逸話を連想していた。『結果として勢い余って飛んで行って落ちた』扉に使われた岩と、『捨てる』という明確な意思を持って投げ捨てられた刀は、全く違うとわかってもいるが。
要するに、神話らしくダイナミックな内容ではあるが、地上に落とす事で怪我人でも出たらどうするのだという繋がりである。
なお、『アマノイワヤト』も神々の名前も説によって使用される漢字が異なるので、ここでは全文をカタカナ表記にする。
「僕は泥の中に沈んで、人知れず朽ち果てていく所だった。でも、その僕を1人の人の子が見付けて、泥の中から拾い上げてくれたんだ」
自分が神として顕現するより遥か以前の事だが、黒之命はありありと思い出す事ができる。
「うっわ錆び錆びじゃないですか」
その声と共に、黒之命と名が付く前の自分は、泥の中から引き上げられたのだ。拾い上げてくれた人の子は、自分をまじまじと見た。
「んん?君は神々に鍛え上げられたんですね?…そうですか。失敗作と見倣されたのですか。錆を落とせば、きっと立派なのに」
自分は口をきく事すらもできなかったのだが、この人の子は『見た』だけで自分の背景を理解したらしい。
言って人の子は、じっと自分を見た。目が不思議な輝きを発する。端から錆が落ちていき、自分は鋼の色を取り戻した。それどころかむしろ、輝きが増したようだった。同時に力が湧いてきた。
「うん。綺麗になった」
満足そうに頷いた人の子は、自分の刃が当たらないように気を付けながら、自分を抱え直した。
「君は神殿で保護してもらいましょう。相応しい場所で相応しい扱いを受ければ、期待されている役目を果たす事もできるようになるでしょう。然るべき主に使ってもらいなさい」
人の子は言葉の通り、自分を神殿へと連れて行ってくれた。
「それが、君達も知っている僕の始まりだった」
お茶を自分も口にしながら、黒之命は続けた。
「僕を見た人間達は驚き、僕を御神体として崇めた。祀られる事で僕は神の自覚を持ち、今の僕として顕現した。アマツカミ達にも認められるようになった。全ては僕を見出してくれた人の子のお陰だよ」
「その『人の子』がまさかと思いますけど、私の前世とか?」
「大正解!御明察!君は天才だ!ぴんぽんぴんぽーん!」
彼女を褒め称える黒之命の一層高いテンションとは対照的に、彼女は「マジでございますか」と呻いて天を仰いだ。
「前世がどうたらなんて信じないたちなんですけど…。いや端くれと言え陰陽師が変な話ですが」
「君は間違いなく僕の恩人だよ!魂もその力も全く同じさ!」
彼女は黒之命に視線を戻した。
「私は式神をあえて作らない陰陽師なんですけど」
「そう言っていたね!でも良かった!君が人型の式神なんて連れていたら、僕はその式神に嫉妬してしまう所だったよ!」
「いやハンカチ嚙まないで下さい」
何処からともなく取り出したハンカチを、本当に漫画の如く嚙んでみせる黒之命に、彼女は冷静な指摘を入れた。
「話を戻しますと、私は360度全方位を把握したり、妖魔の居場所だとかを看破できたりする目を持っています。先程、辰宮さんのすばる君を戦闘不能にしたのも目の力です」
具体的に言うと、自分が認識した対象に重ねるようにして明確なイメージを作り、視界に霊力を通すのだ。同じ内容を繰り返す話になってしまうが、珠美と友人になるきっかけとなった実習の現場でも『位置を把握した全ての妖魔に瘴気ごと焼き払うビームを食らわせる』イメージを展開する事で、妖魔も瘴気も一掃した。彼女からしてみれば種明かしと言う程でもない種明かしを珠美にしたら、これまた「あんなに沢山の妖魔がいたのに式神も使わずに1人で退治できるとか、やっぱり鍋ちゃんってチートじゃん!」と驚かれたが。
話を現在に戻そう。
自分の目の力、言うなれば『発展版見鬼』といい加減に呼んでいる能力を簡潔に説明した彼女は、幼少期から言われている事を口にした。
「それは式神を作らなかった分の霊力が目に振り向けられたのではないかと仮説が立てられていたんですが…」
「いいえ。それは、主様が元から持つ魂の力です」
「命様のお見立てですから、間違いありません」
銀生と金生の言葉に彼女は「そうだったんですか…」と呻いた。言われた事は、すんなりと腑に落ちたのだ。銀生と金生は彼女に静かに語りかける。
「貴方は命様がずっとお待ち申し上げていた、唯一の主様でいらっしゃいます」
「どうか命様と正式に『主と刀』としての間柄となって下さいませ」
「って、ちょっと待って下さい。それについて、色々訊きたい事があります」
「僕が答えられる事なら、何なりと」
彼女は深呼吸をして、にっこりと笑う黒之命を見据えた。
「そもそも『私』をわざわざ待たなくても、歴代の陰陽師達の中で実力者はいたはずでしょう?陰陽連が成立する前からも入れて考えると、歴史は長いんですから。その実力者を自分の力を発揮する主にしようとは思わなかったんですか?」
「ああ。君が言う事はごもっともなんだけど…」
黒之命は、気まずそうな顔になった。
「僕はどうしても君に恩返しをしたかった。君以外を主にする気は無かったから、君がまた生まれてきてくれるまで待っていた。でも、陰陽師達が我こそは!と僕の主の座を競っていてね…」
「派閥争いですか」
彼女は顔を顰めた。歴史は好きなので、権力に伴う争いと争いの醜悪さも知ってはいる。黒之命は「うん」と首肯し頭に片手をやった。
「あの頃は僕も若かったんだ。あまりにも争いが激しいものだから嫌気が差して、とうとう君が見た台座に僕の本体を突き刺して『僕の本体を抜ける者でなければ、何人たりとも絶対に主として認めない!』と宣言してしまったんだよ…」
「いえむしろ、人類に愛想を尽かさないで下さってありがとうございます」
彼女は誠心誠意頭を下げた。黒之命は「そうかい?」と首を傾げる。
「さっきも言った通り、僕は君以外を主にする気は無かった。それに加えて、僕は自分に『君でなければ誰も主と認めない』制約をかけてしまったからね。つまり、僕の本体を引き抜けるのは、最初から君しかいない。その君がいない事には、僕は力を発揮できなくなってしまったんだよ」
「…卯上の前当主であった曾祖母と現当主である大伯母から、『黒之命様は陽の気を持つ男神様だから、陰の気を持つ女の子が主となる事で力の均衡を保つ』と聞きましたが」
黒之命は「そう言われているのかい?」と目を瞬いた。
「いや?君が必ず同じ力を持つ女の子に生まれてくれると思ったから、選定ノ儀を女の子に限定しただけだよ?」
「陽の気や陰の気の下りは、人間側が勝手に理屈を付けただけって事ですか…」
銀生と金生は「仰る通りです」と肯定した。
彼女はゆるゆると嘆息し、椅子の背もたれに上体を預ける。黒之命が「大丈夫かい?」と気遣わし気に声をかけるが「大丈夫ですよ」と返した。
「ここまで聞かされては…これはもう、私が唯一の主である事を受け入れざるを得ない状況ですね…」
黒之命は彼女の手を優しく握った。
「何も怖い事は無いよ。それに、僕はただひたすら、君に恩返しをしたいだけなんだ」
「いや『昔の私』はともかくとして『今の私』は黒之命様に何もしていませんよ。そもそも、何も覚えていないのに」
「うん。前世の記憶を持つ人は、滅多にいないからね。何より、『今の自分』を生きられなくなるのは、その人に良くない。君は、君の人生を歩めばいいんだよ」
黒之命の言葉は、彼女という『今を生きる人類』に対する心からの労わりの言葉だと、彼女はわかった。黒之命はただ彼女に微笑みかける。
「そして僕としては、今世を生きる君が幸せになるお手伝いができればいいと思ってる。それが僕の考える恩返しかな。できるなら、君の側でそれを叶えたい」
黒之命は、何処までも優しい微笑みを湛えた眼差しで彼女を見つめた。
「僕と結婚してくれないか」
刀を彼女に『しまった』後。彼女達は応接間に移動した。僕に任せてと言って手際良くお茶とお菓子の準備をする黒之命は、目にも鮮やかな和菓子をさあさあと彼女に勧める。しかし笑顔から一転、ふと考えるような顔になった。
「ああ。それとも、当世の子には洋菓子の方が良かったかな?」
「いえ。和菓子が嫌いな訳ではありません。アレルギーも無いですし」
「アレルギー?そうだね。それも大事だね」
大真面目に頷いた黒之命は、彼女の向かい側に腰を落ち着ける。そこへ辰宮家への連絡を終えたのであろう2名。銀生と金生と呼ばれていた青年が合流し、黒之命の後ろに控えて彼女に頭を下げる。
「命様にお仕えしております。銀生と申します」
「同じく、金生と申します」
「改めて、僕が『黒鉄様』こと黒之命だよ。これから末永くよろしくね」
「いや『末永く』って…」
彼女は呻いたが、表情を引き締め背筋を伸ばす。
「ご丁寧にありがとうございます。改めまして、私は名字は『賀茂』ですが、『卯上』の関係者として陰陽連にに登録しております、妖魔対策本部のいちアルバイトです。実戦には関わらない裏方です。なお白峰学園の生徒ではなく、普通の学校に通っております」
「君、白峰の生徒じゃなかったんだね。道理で見付からなかった訳だよ!僕が君を見れば、一目で主だとわかるのに!」
「まあ…白峰より今の学校の校風の方が合うと思いましたもので、普通の学校を選びました」
流石に「式神の姿の違いで威張ったりする生徒が気に入らないから白峰を選びませんでした」とありのままを口にする事は憚られたので、彼女は無難な物言いをした。何やら悔しそうに「普通の学校に通っていたのか~」と柳眉を寄せる黒之命に話を切り出す。
「あの。私が黒之命様の主だという件なんですけど。『待っていた』とかどういう事ですか?」
「確かに、そこから話さないと君も訳がわからないよね。君は昔の事は何一つ覚えていないだろうから」
黒之命は「ごめんごめん」と、市井の若者のような口調で謝りながら手刀を切る。そして「そうだねえ。何から話せばいいのかな」と遠い目をした。
「僕は今でこそ『黒鉄様』だとか立派な名前で呼ばれて神として崇められているけれど、元は失敗作だったんだ」
「失敗作?」
鸚鵡返しをする彼女に、黒之命は「うん」と頷いた。
「僕がこの世と幽世を区切る刀として作られた事は、君達陰陽師も知っての通りだよ。だけど、見ての通り僕は真っ黒だろう?だからなのか、失敗作だと断じられて地上に投げ捨てられてしまったんだ。ひどいと思わないかい?」
「それはそれは」
形の良い眉をしゅんと下げる黒之命を、彼女は心の底から気の毒だと思った。故に、そのように言うしか無かった。同時に、アマノイワヤト伝説にある『タヂカラオノミコトが思い切り開けたアマノイワヤトが、勢い余って手からすっぽ抜けて地上に落ちて山になった』逸話を連想していた。『結果として勢い余って飛んで行って落ちた』扉に使われた岩と、『捨てる』という明確な意思を持って投げ捨てられた刀は、全く違うとわかってもいるが。
要するに、神話らしくダイナミックな内容ではあるが、地上に落とす事で怪我人でも出たらどうするのだという繋がりである。
なお、『アマノイワヤト』も神々の名前も説によって使用される漢字が異なるので、ここでは全文をカタカナ表記にする。
「僕は泥の中に沈んで、人知れず朽ち果てていく所だった。でも、その僕を1人の人の子が見付けて、泥の中から拾い上げてくれたんだ」
自分が神として顕現するより遥か以前の事だが、黒之命はありありと思い出す事ができる。
「うっわ錆び錆びじゃないですか」
その声と共に、黒之命と名が付く前の自分は、泥の中から引き上げられたのだ。拾い上げてくれた人の子は、自分をまじまじと見た。
「んん?君は神々に鍛え上げられたんですね?…そうですか。失敗作と見倣されたのですか。錆を落とせば、きっと立派なのに」
自分は口をきく事すらもできなかったのだが、この人の子は『見た』だけで自分の背景を理解したらしい。
言って人の子は、じっと自分を見た。目が不思議な輝きを発する。端から錆が落ちていき、自分は鋼の色を取り戻した。それどころかむしろ、輝きが増したようだった。同時に力が湧いてきた。
「うん。綺麗になった」
満足そうに頷いた人の子は、自分の刃が当たらないように気を付けながら、自分を抱え直した。
「君は神殿で保護してもらいましょう。相応しい場所で相応しい扱いを受ければ、期待されている役目を果たす事もできるようになるでしょう。然るべき主に使ってもらいなさい」
人の子は言葉の通り、自分を神殿へと連れて行ってくれた。
「それが、君達も知っている僕の始まりだった」
お茶を自分も口にしながら、黒之命は続けた。
「僕を見た人間達は驚き、僕を御神体として崇めた。祀られる事で僕は神の自覚を持ち、今の僕として顕現した。アマツカミ達にも認められるようになった。全ては僕を見出してくれた人の子のお陰だよ」
「その『人の子』がまさかと思いますけど、私の前世とか?」
「大正解!御明察!君は天才だ!ぴんぽんぴんぽーん!」
彼女を褒め称える黒之命の一層高いテンションとは対照的に、彼女は「マジでございますか」と呻いて天を仰いだ。
「前世がどうたらなんて信じないたちなんですけど…。いや端くれと言え陰陽師が変な話ですが」
「君は間違いなく僕の恩人だよ!魂もその力も全く同じさ!」
彼女は黒之命に視線を戻した。
「私は式神をあえて作らない陰陽師なんですけど」
「そう言っていたね!でも良かった!君が人型の式神なんて連れていたら、僕はその式神に嫉妬してしまう所だったよ!」
「いやハンカチ嚙まないで下さい」
何処からともなく取り出したハンカチを、本当に漫画の如く嚙んでみせる黒之命に、彼女は冷静な指摘を入れた。
「話を戻しますと、私は360度全方位を把握したり、妖魔の居場所だとかを看破できたりする目を持っています。先程、辰宮さんのすばる君を戦闘不能にしたのも目の力です」
具体的に言うと、自分が認識した対象に重ねるようにして明確なイメージを作り、視界に霊力を通すのだ。同じ内容を繰り返す話になってしまうが、珠美と友人になるきっかけとなった実習の現場でも『位置を把握した全ての妖魔に瘴気ごと焼き払うビームを食らわせる』イメージを展開する事で、妖魔も瘴気も一掃した。彼女からしてみれば種明かしと言う程でもない種明かしを珠美にしたら、これまた「あんなに沢山の妖魔がいたのに式神も使わずに1人で退治できるとか、やっぱり鍋ちゃんってチートじゃん!」と驚かれたが。
話を現在に戻そう。
自分の目の力、言うなれば『発展版見鬼』といい加減に呼んでいる能力を簡潔に説明した彼女は、幼少期から言われている事を口にした。
「それは式神を作らなかった分の霊力が目に振り向けられたのではないかと仮説が立てられていたんですが…」
「いいえ。それは、主様が元から持つ魂の力です」
「命様のお見立てですから、間違いありません」
銀生と金生の言葉に彼女は「そうだったんですか…」と呻いた。言われた事は、すんなりと腑に落ちたのだ。銀生と金生は彼女に静かに語りかける。
「貴方は命様がずっとお待ち申し上げていた、唯一の主様でいらっしゃいます」
「どうか命様と正式に『主と刀』としての間柄となって下さいませ」
「って、ちょっと待って下さい。それについて、色々訊きたい事があります」
「僕が答えられる事なら、何なりと」
彼女は深呼吸をして、にっこりと笑う黒之命を見据えた。
「そもそも『私』をわざわざ待たなくても、歴代の陰陽師達の中で実力者はいたはずでしょう?陰陽連が成立する前からも入れて考えると、歴史は長いんですから。その実力者を自分の力を発揮する主にしようとは思わなかったんですか?」
「ああ。君が言う事はごもっともなんだけど…」
黒之命は、気まずそうな顔になった。
「僕はどうしても君に恩返しをしたかった。君以外を主にする気は無かったから、君がまた生まれてきてくれるまで待っていた。でも、陰陽師達が我こそは!と僕の主の座を競っていてね…」
「派閥争いですか」
彼女は顔を顰めた。歴史は好きなので、権力に伴う争いと争いの醜悪さも知ってはいる。黒之命は「うん」と首肯し頭に片手をやった。
「あの頃は僕も若かったんだ。あまりにも争いが激しいものだから嫌気が差して、とうとう君が見た台座に僕の本体を突き刺して『僕の本体を抜ける者でなければ、何人たりとも絶対に主として認めない!』と宣言してしまったんだよ…」
「いえむしろ、人類に愛想を尽かさないで下さってありがとうございます」
彼女は誠心誠意頭を下げた。黒之命は「そうかい?」と首を傾げる。
「さっきも言った通り、僕は君以外を主にする気は無かった。それに加えて、僕は自分に『君でなければ誰も主と認めない』制約をかけてしまったからね。つまり、僕の本体を引き抜けるのは、最初から君しかいない。その君がいない事には、僕は力を発揮できなくなってしまったんだよ」
「…卯上の前当主であった曾祖母と現当主である大伯母から、『黒之命様は陽の気を持つ男神様だから、陰の気を持つ女の子が主となる事で力の均衡を保つ』と聞きましたが」
黒之命は「そう言われているのかい?」と目を瞬いた。
「いや?君が必ず同じ力を持つ女の子に生まれてくれると思ったから、選定ノ儀を女の子に限定しただけだよ?」
「陽の気や陰の気の下りは、人間側が勝手に理屈を付けただけって事ですか…」
銀生と金生は「仰る通りです」と肯定した。
彼女はゆるゆると嘆息し、椅子の背もたれに上体を預ける。黒之命が「大丈夫かい?」と気遣わし気に声をかけるが「大丈夫ですよ」と返した。
「ここまで聞かされては…これはもう、私が唯一の主である事を受け入れざるを得ない状況ですね…」
黒之命は彼女の手を優しく握った。
「何も怖い事は無いよ。それに、僕はただひたすら、君に恩返しをしたいだけなんだ」
「いや『昔の私』はともかくとして『今の私』は黒之命様に何もしていませんよ。そもそも、何も覚えていないのに」
「うん。前世の記憶を持つ人は、滅多にいないからね。何より、『今の自分』を生きられなくなるのは、その人に良くない。君は、君の人生を歩めばいいんだよ」
黒之命の言葉は、彼女という『今を生きる人類』に対する心からの労わりの言葉だと、彼女はわかった。黒之命はただ彼女に微笑みかける。
「そして僕としては、今世を生きる君が幸せになるお手伝いができればいいと思ってる。それが僕の考える恩返しかな。できるなら、君の側でそれを叶えたい」
黒之命は、何処までも優しい微笑みを湛えた眼差しで彼女を見つめた。
「僕と結婚してくれないか」



