式神作りを拒否った分の霊力が見鬼に全振りされた。

「何かギャラリーが多いなあ…」
陰陽連本部修練場。麗と距離を取って佇む彼女は周囲を見回してぼやいた。
『黒鉄様の主が見付かった』『その主と、主の最有力候補だった十二家本家の令嬢が勝負をする』という事実は、瞬く間に本部を駆け巡った。選定ノ儀に集った少女達だけではなく、本部のスタッフ達も観戦の姿勢だ。
豪奢な振り袖姿の麗は、腰に両手を当てて背筋を伸ばして彼女に向かって声を張った。
「貴方が負けたら、主の座を辞退してもらいます!」
「いやだから辞退するだのしないだの私が決める事じゃないし、そもそも辞退って言葉が当てはまる事と違うじゃないですか!人の話聞いてました!?」
呆れつつも、彼女も周囲のざわめきに負けないように声を張る。
「とにかく、貴方が黒鉄様に相応しい力を示せなかったら、ここから…いいえ!陰陽連から去りなさい!」
「いやだから霊力の多寡が主の相応しさでもないでしょ!陰陽連を辞めろとか言われる筋合いもありませんし!君がそういう無理を通して道理を引っ込ませるなら、君が負けた場合は『辰宮』を本部に出入り禁止にしてもらいますからね!」
「何ですって!?」
麗そして周囲が「出禁!?」とざわめく。
彼女は「だってそうでしょう」と、どよめきに負けじと更に声を張った。
「黒鉄様の主が見付かるという事は、少なくとも裏側に関しては、人類社会に安寧がもたらされるという事です!なのに主だと認めないとか理に合わない事を言ってごねて足を引っ張るような人なんて、十二家のそれこそ本家だろうが、陰陽師界隈には必要ありませんからね!」
顔色を変えた麗であったが、不敵に微笑む。
「いいでしょう。でも、そんな事にはならないわ。私が負けるなんて、万に一つもありえないもの!『すばる』!」
麗の右肩の上の虚空に光が閃き、一頭の竜が出現した。体長は1メートル程だろうか。光を浴びて虹色に輝く鱗の美しさに、ギャラリーは息を呑む。
式神の姿形は『人間』が最高峰だと先述した。人間以外の姿だとランクこそ落ちるが、その中にも序列は存在する。『人間』の姿の次にランクが高いと見做されるのは、幻獣だ。例えば麗が呼び出した『竜』、あるいは『鳳凰』等と言った神獣や聖獣に瑞獣の類も、該当する姿で作り出した術者は陰陽師達の中では相当な実力者とされる。特に『辰宮』の血筋の者は、代々が竜型の式神を作り出す事で有名なのだ。
周囲の歓声を浴びた麗は白磁の頬を紅潮させて、白魚の如きと表現してもいい片手の人差し指を彼女に向けた。
「さあ!貴方も式神を出しなさい!」
「いや。いないので!」
「は?」
麗を始め、全員の目が文字通り点になった。尤も、彼女は式神を作っていないと元より知る珠美だけは、最前列でほとんどかぶりつくように「鍋ちゃんガンバ」と両手を握っているが。
「私は式神を作っていません!身一つで戦いますけど、そっちはすばる君で来ていいですよ!あ。先生も審判お願いしまーす!」
「え?ええと…わかった…」
少女達を選定ノ儀に連れてきた大人達が一員。審判を買って出た白峰学園の教員は、困惑しつつも片手を高く挙げた。誰彼ともなく「始まるぞ」と言い、ギャラリーは静まり返る。
「いざ尋常に、始め!」
手が勢いよく下ろされた刹那の出来事だった。何の音や気配はおろか前触れすらも無く四方八方から出現した光の槍が、すばるの体躯を串刺しにした。
「す、すばる!」
突如として目の前に展開された式神の惨状に悲鳴を上げる麗だが、当のすばるは呻き声すら上げられない。
苦痛のあまりに宙に浮く力すら失ったらしい。翅をむしられた虫さながらに地面に落ちたすばるの脚に、新たに出現した幾本もの光の槍が虫の標本でも作るかのように容赦なく突き刺さり、着実に動きを封じていく。槍が刺さる度に身体を大きく跳ねさせるすばるの哀れな姿に、麗は叫びながら駆け寄った。
「や、やめて!お願い!」
「やめるんだ!やめなさい!」
「あら。じゃあもう勝負は終わりでいいんですか?」
その場から一歩も動かず、ただすばるを『見て』いただけの彼女は、両手を大きく振り回しながら自分の前に飛び出してきた審判に、ただしすばるからは一切目を離さず問いかけた。
「降参!降参するからもうやめて!」
ほとんど泣き声のような麗の懇願の直後、光の槍が消滅した。今もなお胴体と脚が繋がり原形を留めている事が不思議な程に、傷だらけと言うより穴だらけになったすばるの身体が浮き上がり、麗に思い切り叩き付けられた。麗は悲鳴を上げて、すばるともつれ合うようにして、共に大きく地面へと倒れ込む。
完全に静まり返った修練場の中。すばるの下敷きになったような麗に、彼女は何気ない、本当に何処までも何気ない足取りで歩み寄った。
「ふうん。式神って『出血』みたいな現象もあるんだね。正確に言うと血液じゃなくて、霊子あるいはエーテル体と言った方がいいんだろうけど」
「こ、これ…貴方が…」
「言ったでしょう?私は身一つで戦うと」
美しい振り袖は鮮血の如きエーテル体でまだらに染まって見る影も無い。倒れたままで後退りながら、しかしすばるの事は腕で庇おうとしている麗の問いに、瞬きの一つもしないで彼女は答えた。麗はほとんど悲鳴のような非難を彼女に浴びせる。
「何も、ここまでしなくていいじゃない!」
「決闘なんですから、これくらいは当然でしょう?」
「け、決闘!?」
麗と揃って声を上げる審判を、彼女は横目で見た。
「ええ。決闘です。昔で一般人達だと、ほら…剣だとかピストルだとかを使って、正真正銘の命のやり取りをしていたって聞きますし。それの式神版でしょう?」
「わ、私、命のやり取りなんてつもりじゃ…!」
彼女は「そうだったんですか?」と意外そうに目を見開いたが、一転して眉を寄せる。
「って、仮に命のやり取りで無かったとしても、そもそもこれは君が売ってきた喧嘩じゃないですか」
彼女は不思議そうに、しかし淡々と言った。
「売られた喧嘩は返品不可。やるなら相手が戦意を失うまで続ける事。それが私の流儀です」
彼女は「ああでも」とすばるを指した。
「すばる君の身体を霊力で修復できるくらいに手加減はしていますよ?式神をあまりにも傷付け過ぎると、呪詛返しの要領みたいに、式神の主にまで影響が及んでしまいますからね」
つまり自分も串刺しにされて穴だらけになっていたのかもしれなかったのだと、麗は戦慄した。
「まあそこまでしなかった分、私は優しいと思いますよ?このくらいの傷、辰宮の術者が持つ力量ならすぐに綺麗に治せるんじゃないですか?人間だったら気にしないといけない後遺症も、式神なら心配は無いでしょうし」
確かに修復できない事は無いが、すばるの身体と一緒に麗の自尊心もずたずたのぼろぼろだ。
彼女は「ああそれと」と軽く両手を合わせた。
「君は降参した訳ですし、辰宮は陰陽連本部に出入り禁止にしてもらいますから」
「ちょ、ちょっと待って!」
麗は動揺のあまりに喘いだ。動揺のあまりに喘ぐなど、人生で初めてだった。首を傾げ「待ってとは?」と麗を見下ろす彼女の、何処までも何気なさそうな顔が恐ろしい。
「あ、あれはただ、何て言うか、その場の勢いで…」
まさか自分が負けるとは思っていなかった、口にした通り敗北などありえないと思っていたが故に「いいでしょう」と応じてしまった事を、麗は今更ながらに後悔していた。
「え?いや散々私に『主を辞退しろ』だの『陰陽連を辞めろ』だのと理に叶わない、そもそも私が強要される筋合いなんて無い事を強要してきたのに、こっちの条件は反故にするんですか?ここにいる全員が聞いていたのに?」
「貴方に無茶を言った事は謝るから!ごめんなさい!だから…!」
「いや、謝るのと約束を守るのは話が別でしょう。そもそも、相手の実力を見て態度を変えるなんて、陰陽師以前に1人の人間としてどうかと思いますけど」
返す言葉も無い。
「だ、第一、一族ごと本部を出禁になるなんて、学生の私がした事で決まると思わないわ!お祖父様やお父様に知られたら、何て言われるか…!」
「そうか。ならば尚更、君の身内の耳に入れるべきだね」
急遽設えられた、勝負が最もよく見える上座からいつの間にか降りてきていた黒之命が、彼女の側に立ち麗を無表情に見下ろしていた。
「君が僕の主を否定して侮辱した事、主の物言いを借りる訳ではないが、妖魔の跋扈や瘴気の蔓延をむしろ望むような言動を取った事は、全て辰宮家に伝えよう。銀生(ぎんせい)金生(きんせい)
呼ばれた青年達は「かしこまりました」と、全てを心得た様子で一礼して姿を消す。
あの2人は銀生さんと金生さんと言うのだなあと思いながら、必然的に傍観に徹するしか無かった審判役の教員に、彼女はマイペースに声をかけた。
「とりあえず、辰宮さんとすばる君を応急処置ができる所に連れて行った方がいいと思います。あー、他にカリキュラム的な事が無いなら、皆も解散した方がいいと思いますよー!」
後半は、少女達を引率してきた他の教員達に向けての言葉だった。本部のスタッフも含むギャラリーは、彼女がかけた声により呪縛が解けたように各々が行動し始める。
当初の勢いは何処へやら、すっかり憔悴し切った様子の麗は、どうやらすばるの実体化を解く事すら忘れているらしい。完全に色を失った顔ですばるを抱きかかえるようにして、教員に付き添われ退場した。
「ああ。そうだ。至急、十二家の全当主に主が見付かったと伝えてくれ」
駆け寄ってきたスタッフ達に指示を出していた黒之命は、彼女の視線に気付いてにっこりと笑い、彼女の手を握って上下に大きく振る。
「いやあ、素晴らしい戦いぶりだったよ!相手の実力をわかっていても一歩も退かない堂々とした態度に冷徹さ!やっぱり僕の主は君しかいないね!」
「はあ。恐れ入ります」
十二家本家が一つだかクラスのランクが松だか何だか知らないが、辰宮麗と名乗った生徒。何せ話が通じない。そんな相手は物理で叩きのめしてしまう事が一番だと判断した。戦意喪失を狙って相当にえげつない事をやってのけた自覚はある。取った行動も言った事も一切間違っていないと彼女は思っているが。しかし怖がられるならともかくとして、こんなにも褒められるとは思わず、彼女は面食らってしまった。
「本部の陰陽師達も見ていた事だし、君が主だと否定する者は、少なくともこの場にいた者達の中にはいないだろう!」
そもそも、術者本人の見た目やら霊力の多寡やらで『主である事』が決まる訳じゃないだろうに、『選ばれた』事実そのものを否定されてもなあと彼女は思った。正直、困る。
黒之命は彼女に視線を合わせるように、軽く屈んで微笑んだ。
「しかし、君も突然の事で混乱しているだろう。僕に訊きたい事が沢山あるだろうし、一緒にお茶でも飲みながら話さないかい?」
彼女は思った。初対面ではあるものの、こうして気を配り歩み寄りの姿勢を見せてくれる刀神様は、きっといい人(神)なのだろうと。
「ひとまず、台座に戻したままの本体を回収してからでいいですか?」
「そうだね。そうしてくれると、僕も落ち着く」