耳障りなほどに鳴り響いていた油蝉のノイズも、気が付けば、大半が涼し気なヒグラシのカナカナに変わっていた。
 僕と光莉と夏南の三人は、徒歩で自宅を目指していた。
 湿気をはらんだ海風が、ぬめるように頬を撫でていく。
 光莉の家がある西郷町の住宅街を歩きながら、僕たちが一人増えた理由をずっと考えていた。
「幽霊とかなのかなあ」
 怯えた顔で、光莉がそんなことを言う。
「それは流石にないだろう。一応、触り合って確かめたけど、みんな触ることができたのだし。幽霊だったら、実体がないはずだし」
「そうだよね……」
 んー……としばし考えて、「じゃあ、ドッペルゲンガーとか?」と真顔で今度はそう言った。
「自分の分身のことを指したり、自分の姿を見る幻覚の一種と言われたりするアレか。どっちにしても、非科学的なんじゃ?」
 非科学的か。自分で言っておいてなんだが、ひとつ思い当たるふしがある。
「でもさあ、非科学的なものなら、この神無し島にあるじゃない」
「まあな。悠久(ゆうきゅう)の木、か」
 島の中心部にそびえたっている、非科学的な大木。それが島のシンボルでもある『大銀杏の木』だ。
 神が宿る木、いわゆる御神木として知られ、不思議なことにずっと黄金色の葉をつけている。他の色の葉をつけたことが一切ないのだ。
 そこからついた別名が――『悠久の木』
 この悠久の木を祀っているのが、木が立っている山の中腹にある神鳴(かみなり)神社と、麓にある花咲(はなさき)神社の二つである。非科学的なこの木の存在も、この島が観光名所である理由のひとつ。年がら年中葉の色が変化しないとくれば、神様が宿る木、などという与太話にも真実味がこもるというもの。
 また、神様が宿る木、と言われるゆえんとなった言い伝えが一つ存在している。
 それは、悠久の木のある場所で願い事を言うと、『なんでも一つだけ叶う』というもの。
 ここまでくると本当に御神木なんじゃないか? と信じたくもなるが、ここから一気に話は現実に引き戻される。
 いないのだ。誰一人として。
 悠久の木に願い事を告げ、望みを叶えて貰った人物が。
 島に住んでいる老人の誰に聞いても、葉は常に黄金色だと口を揃えて言うのに、神秘性を後押しするエピソードがない。まさに、伝承だけが独り歩きしている状況。
 この、なんともいえないアンバランスさを揶揄してついた名称が『神無し島』だと言われている。
「真人くんが言ってたよね。友だちが少ないことを気にしている誰かが、新しい友だちをくださいーって悠久の木に願ったんじゃないかって」
 光莉の表情に、どこか憂わしげな色が灯る。
 控え目で口数の少ない光莉は、クラスの中でも目立たないほうだ。腹を割って語り合える友人が少ないことを、彼女はわりと気にしている。
 人目を惹く見目麗しい容姿を持っているのに、と不思議がる人もいるだろうが、その事実がむしろ、女子の間ではマイナス要因になったりもする。
 光莉に対するやっかみを何度か聞くなかで、そのことを僕は学んだ。
「信じているのか。そんな話」
「え?」
 光莉は少し驚いて、それからキュッと唇を結んだ。
「確かにこの島には、幾つか不思議な逸話が残っている。いなくなったはずの人間が、一定期間戻って来たという荒唐無稽な噂が。しかもそれは、悠久の木に誰かが願ったからだという、ありもしない尾ひれまでついてな」
 また、悠久の木にちなんだ逸話は、もうひとつある。
 それは、木に願ったことにより、死んだはずの恋人や家族と再会できたというもの。病死した恋人が、陽炎のように現れまた消えたとか、去年死んだ妻が戻ってきて、一週間だけ一緒に暮らしたとか、なんとも不思議で心温まるエピソードが、複数残っているのだ。
 しかしやはりというべきか、こちらも信憑性に乏しい。
 戻って来た人物にまつわる記録がいっさいないし、目撃者の証言ですら、『気が付くと、また一人だった』とか『もしかすると、夢だったのかも』等々、雲をつかむみたいに曖昧なのだ。
 よって、伝承にかこつけた作り話ではないか、と言われている。
「だが、こんなのはただの噂話にすぎない。それに、友だちなんて数じゃないしな。なんでも話せる相手を作る方が大事さ」
 気にするな、という意味で一言添えたが、一応光莉には伝わったらしい。ふ、と口元が緩んだ。
「そうだね。まあ、信じている、というわけでもないんだけど……。でも、じゃあ誰が増えたのかな?」
「うーん……」
 そう問われると、僕にも返す言葉がない。
 一応、僕はこの島の生まれだが、小学校三年生のとき、父の仕事の都合で本土に引っ越していた。だが、父が心臓の病で亡くなると、身を寄せる場所がなくなってしまい、父親の実家があるこの島に戻ってきた。
 それが、去年の十一月のこと。島を離れている期間が長かったこともあり、同級生の名前ですら、いまだに全員把握しきれていないのだ。
 それでもこれだけはいえる。この地区に住んでいる神無し中学校二年生は、確かに七人だということ。そして、いま現在それが八人になっている。誰にも違和感として察知されることなく、スルッと一人加わったのだ。
 薄気味悪いことこの上ない。
「少なくとも、光莉じゃないことだけは確かだ。僕の記憶の中に、光莉の存在は色濃く刻まれているしな」
「えへへ。ありがとう」
「光莉、なんか嬉しそうだね」
 傍観を決め込んでいた夏南が唐突に発言をしたので、驚きで「ひっ」と声がでた。肩越しに、夏南に向かって文句を言う。
「突然話しかけるな。驚くだろ」
「あはは、ごめんね」
「どうしたの?」と光莉がキョトンとしたが、「なんでもない」と誤魔化した。
 僕と光莉は家が比較的近所の幼馴染。彼女に限って言えば、僕の記憶違いとかひと違いなんてことはありえない。絶対にだ。
「悠久の木といえばさあ、僕、あの木の下で、不思議な女の子と会ったことがあるんだ」
「不思議な女の子……?」
「そう。何歳ごろの話なのか、ハッキリ覚えてはいないんだけど、たぶん……僕が六歳くらいの話かな。母親と一緒に、悠久の木がある場所に行ったことがあってね」
 そうして僕は、あの日の出来事をつまびらかにしていった。やたら真剣な面持ちでたびたび相槌を挟んでいた光莉だが、んーと数秒唸ったのち、仰々しくもこう言った。
「もしかして、それが都くんの初恋だったりして」
「お前まで、アイツとおんなじこと言うんだなあ」
「アイツって? 涼子ちゃん?」
「いや、違うけど」
 上手い返しができずに口ごもると、「フフフ」と夏南が小さく笑った。「うるせー」
「今となっては、同い年くらいの女の子だった、としか覚えていないし、ほら、神無し島は観光地だからさ、観光客の子どもだったのかもしんないし。とにかく、情報が無さすぎてどうしようもないんだよな。いい加減、忘れちまえばいいんだろうけど」
「ふーん、そっかあ。でも」と光莉が言った。「思い出は思い出として、心の中にしまっておけばいいんじゃないかな。もしかしたら、もしかすると、感動的な再会とかあるかもしれないし」
「まあ、それもそうだな。ありがと。なんか難しく考えすぎてた気がするよ」
「いいえいいえ」
 夕空の下を二人で歩き、新條家の前に着いた。白い柵と外壁で囲まれた、二階建ての一軒家だ。
「じゃあな」
「うん。また明日、学校で」
 光莉が門扉をくぐる。彼女の背中が家の中に消えるまで見送り、再び歩き始める。
 僕ん家は目と鼻の先なのだが、花咲神社までちょいと足をのばして、夏南を送ってからでもいいだろう。
「ねえねえ」と背中から夏南の声がする。「なんだよ」
「光莉ってさあ、絶対に都のこと好きだよね?」
「光莉が? まさか。そんなはずないだろう」
「あはは。都は鈍感だから気が付かないだけだよ。初恋の話が気になるっていうのはね、その人のことを好きだという証なんだよ」
「ん? じゃあ夏南もじゃないか。お前、僕のこと好きか?」
「うん。好きだよ。友だちとしてね」
「はは、だよなあ」
「あれ、都の家過ぎたよ?」
 自宅前を素通りした僕と、家の表札とを交互に見比べ、夏南が不思議そうな顔をした。
「いやあ、花咲神社まで送ってってやろうかと」
「ボクなら送らなくても大丈夫だよ?」
 そう言って今度は首を傾げる。
「そうはいかないよ。夏南は一応女の子なんだから、一人で返すわけにもいかんだろ。これは、僕なりのプライドみたいなもんだ。うん」
「一応って、ひどいねえ」
「間違いではないだろう」
「まあねえ。……ところでさあ」
「ん?」
 いきなり真面目な声なんて出すから、驚きで僕の足が止まる。
「人数が増えたのってさ、ボクがカウントに入っていたからなのかな?」
「それはないだろ。僕も数えたけど確かに八人だったし、他のみんなもそう言ってるし」
「ま、冗談なんだけどさ」
 思案気に、夏南が視線を遠くに向ける。夕陽が山間(やまあい)を目指して、赤い玉になって落ちていく。西から東の空にかけて描かれているのは、暖色から寒色へのグラデーションだ。
 本当に、一人増えたのか?
 増えたとしたら、それは誰なのか?
 これが全て、何かの冗談ならいいのになあって、冷たい色の空を見上げて思う。
「勘違い、なのかなあ」
「ん?」と夏南が二度瞬きをした。
「いやね。元から僕たちは八人であって、そもそも七人だったというのが記憶違いだったんじゃないかって」
「それはないよ」
「え?」
 ぴしゃりと宣言するような低い声に驚き、歩き始めた足がまた止まる。
「それはないよ。けれど、都や光莉が確かにここにいるのも、それは真人や涼子だって同じである、というのも、また同時に事実」
「でも、それじゃ」
 辻褄が合わないんじゃ、と言いかけて口を噤んだ。
 そんな問い詰めを、夏南にしたところで答えてくれないのは知っていた。たとえ、真相を知っていたとしても。消沈し、視線が落ちかけたそのとき、道のずっと先、立ち話をしている若い女性が二人いるのに気が付いた。
 二人の傍らに置いてあるのはベビーカー。道路は緩やかな下り勾配になっているため、ベビーカーがゆっくりと坂を下り始めたのが見えた。
 ストッパーをかけていないのだろうか? 二人とも話に夢中で気が付いていない。
 これは不味い。舌打ちをし、思考を中断して僕は走り出した。
「ベビーカー動き出してますよ! 目を離さないで!」
 必死に叫ぶも、この場所からでは五十メートルほど離れていて届かない。
 ようやく気付いた母親と思しき女性が追いかけるが、急な下りに差し掛かるとベビーカーはぐんぐん加速する。悪いことほど重なるもの。坂道の先はT字路になっていて、交通量の多い幹線道路に繋がっていた。
 マズい。あそこに飛び出したら一巻の終わりだ!
「夏南!」
 振り返って僕は叫んだ。
「それは、都の願い事かな?」
 夏南がニヤっと微笑んだ。
「なんてね。ボクもそこまで鬼じゃない。この程度なら、奇跡に頼ることなくボクの独力でもなんとかなるからね。お安いご用だ。……それっ」
 両手を正面にかざして夏南が気合の声を上げると、ベビーカーの動きが止まった。いや、正しくいえば止まっているのはベビーカーだけじゃない。時間そのものが止まっているのだ。
 これこそが、夏南の持っている不思議な力。止まっている世界の中で動けるのは、力を行使した夏南と願った僕のみだ。
 全力疾走して母親を追い越すと、坂道の途中で止まっているベビーカーを両手で確保した。瞬間、時の流れが戻ってくると、あふれ出した音と光の眩さに思わず目をすがめた。
「すいません、助かりました。あれ、でもいつの間に」
 息せき切って、駆けてきた母親が小首を傾げる。「俺、陸上部所属で足が速いんですよ」と、即興で嘘をでっち上げた。
 そのまた後ろから現れた、夏南と顔を見合わせて安堵する。
「まあ、これくらい、ボクにとっては朝飯前だけどね」
 腰に手を当てふんぞり返って見せる夏南。だが、彼女の眼前にいる母親は、いっさい夏南の方を見ない。
 無事だった子どもを泣き止ませようと、夢中になっているからでは決してない。
 いまこの場所で、夏南が見えているのは僕だけなのだ。
 夏南の姿が見えるのは、知っている限りでは僕ただ一人。どうして、僕にだけ見えるのか。詳しいことはわからない。それでもただひとつ言えること――

「だってボクは、この島を守っている神だからね」

 そういう、ことなのだ。
 神様なんているはずないさと、揶揄してついた名が神無し島? とんでもない。
 神様なら間違いなくいるさ。僕の目の前にね。
 宙に浮いたその姿が。時間を止めて見せたその事実が。我こそが神だぞと主張する。
 悠久の木に宿った夏南(かみ)が、巫女装束を颯爽と翻した。厳かな仕草で、ふふん、と鼻を鳴らしてみせた。