「イヤァァァァァァァァァァァーーーーー!!」
涼子の悲鳴が、木々の梢を揺らす。光莉と真人が絶句して立ち尽くすなか、「都……!」という母の声がした。
うつ伏せの体制で、こっちに這い寄ろうとしている母の姿は、倒れている状態からだと目線も同じでよく見えた。
必死な顔だ。何か言いたそうに、口元がわなわなと震えている。こんな顔、初めて見るな。
撃たれた左胸が焼けるように痛い。手で押さえるとぬめっとした生ぬるい感触があって、ああ、やっぱり死ぬんだな、という気になってくる。
大丈夫か、と言いながら真人が僕に寄り添って、けど、抱き上げていいかどうかわからずオロオロしてて。泣き崩れる涼子の姿も視界の隅に見えた。
ところが、一番取り乱しているのは、意外にも撃った男たちだった。
「お、おい。いくらなんでもやべえぞ」と今さら覚悟のない声が聞こえ。
「それよりお前、誰だよ? いつからそこにいた?」と別の男が青ざめた顔でとある場所を指差した。
顔色が悪いのは、母に脇腹を裂かれたからではなさそうだ。指差した先にいたのは――夏南だ。
「へえ。あなたたちにも、ボクの姿が見えるのかい」
「何言ってんだこいつ。見えるに決まってんだろうが。俺たちは、お前がどこから来たのかって訊いているんだよ?」
「これも、夏南が力を失っていることと関係があるのか?」と傍らの真人が小声で囁く。「だろうね」と掠れた声で返答した。
「あなたたちのような、俗物にすら見えているようじゃお察しだね。いよいよ、ボクの力が失われるまであと少しってことなのかねえ」
「さっきからオメエは、何言ってやがるんだ!」
ガタガタと震えながら銃を構えている男のほうに、じりっと夏南がにじり寄る。「待て! 早まるな!」という別の男の制止も聞かず、銃を持っている男が発砲した。
再びの銃声。だが。
ギィン! という金属音がして、夏南の眼前で銃弾は上方向に跳弾した。
「う、うわああああああ!?」
恐れ慄いた男が、二発、三発と立て続けに発砲したが、弾は夏南の体に届くことなくすべて弾かれた。弾切れを起こして、かちかちと虚しい音だけが響く。
「なんだこれ、なんで弾が当たんねえんだ」
「おい! こいつバケモノだぞ!」
男たちが口々に叫んだ。仁王立ちして、夏南が一喝する。
「恥を知れ! 人の子よ!」
気圧されて、男たちの背筋が伸びた。
「まったくもって、可哀そうな人たちだ。いい歳をした大人が、前後の分別も何もなしに、こんなことをしてしまうのですか。本当に裁きを受けるべきなのは、罪を犯した人間のみです。違いますか? 今、この場所に、裁きを受けるべき人間はいますか?」
夏南の叫びが木霊する。
確かに神はここにいるぞと、主張するかのように。
「あなたたちに、罪を着せられている彼女か?」
そう言って、視線をうずくまっている母に向けた。
「それとも、警察に通報しようとした彼女か?」
今度は視線を光莉に。
「否。むしろあなたたちでしょう? 自分が犯した罪を、他人に擦り付けることで逃れようという最低な男の言いなりになって、私利私欲に目がくらんだ愚かな人間たちよ」
「オメエ、いったい何者なんだよ?」
「神無し島に、神なんていないと言われてきました」
厳かな口調で、男の問いに夏南が答えた。
「でも、それは間違い。我こそが神」
粛然とした空気に包まれるなか、息を呑む音が四つ聞こえた。
「人を傷つけることをもいとわぬ愚かな人間たちよ。これ以上罪を重ねるならば、ボクが許しません。生きてここから、帰れると思うな!」
夏南がさらに一歩近づくと、たちまちのうちに男たちの士気が崩壊した。
「う、うわぁぁぁぁぁぁ!」と情けない叫びを四つ上げて、ほうほうの体で逃げ出した。
「待て!」と声を上げた真人を夏南が制止した。
「追う必要はありません、真人。もう間もなく、警官たちが数名、山を登ってきます。逃げた男たちは銃を持っている上に、手ひどく負傷しています。職務質問をされたとき、必ずなんらかのボロを出すはずです」
「なるほど。どうせお縄になるなら追う必要はないな……というか、俺らの中にも、まともに動ける人間なんていないけどな」
母は背中に銃弾を受けて憔悴しきっている。僕の側まで来たものの、今は座っているだけで精一杯だ。真人は比較的元気だが太ももにやはり銃弾を受けているし、僕に至っては虫の息。
まともに動けるのは、光莉と涼子くらいのもの。
そんな光莉とて、精神的なショックが相当強いのだろう。俯いたまま先ほどから顔を上げない。
「なあ、涼子」と真人が言った。
「う、うん」
「悪い。救急車を呼んでくれないか。いま比較的元気なのは、どうやらお前だけらしい」
「わかった……!」
正面玄関の方角に駆けて行った涼子の背中を見送り、「さて」と真人が夏南と相対した。
「なあ夏南。もしこのまま都が死んだとして、そのあとで俺が都を復活させてくれ、と願ったら叶うか?」
死んだとして、という表現を真人は使った。
出血の状態を見やり、僕が助かる可能性が低いと判断したのだろう。いい判断だ、と思う。自分の体だからよくわかるが、救急隊が来るまでおそらく僕は生きられない。
だがいずれにしろ、それでは根本的解決に至らない。
「叶う」と夏南が答えた。「ただし、いくつか制約がある」
「制約だって?」
「そう。まず前提として、死んだ人間を蘇らせる、なんて力はボクにはない。つまり、都の存在は仮初め、というか疑似的なものとなる」
「それは、今の状況と変わらないんじゃ?」
そうだね、と夏南が頷いた。
「疑似的な存在である以上、悠久の木の影響下から離れることができない」
「島を出ると、消えてしまうということか」
「そういうこと。ふたつめ。都が死んでいるという事実を、誰かに勘づかれてはならない。矛盾点に気づかれてはならない。その時点で、都の存在は消滅に向かう」
「じゃあ、今も……」
「そう。都の存在は、ゆっくりとだが消えようとしているんだ。今も、ね」
「くそ」
悪態をつき、真人が押し黙る。必死に考えをまとめているのか、瞳が忙しなく動いてる。
「でもよ、今度はうまくやりゃいいんじゃねえか。島から出ないようにするのは容易いし、都の秘密を守るのだって――」
「そんなに簡単じゃないねえ」とここで会話に割り込んだのは母だ。
「どうしてですか! 島から出さえしなければ、そこまで難しくないでしょう?」
「この島に戻って来たあと、親の務めとして墓参りをした。だから私は知っているんだが、高橋家の墓石には都の名がすでに刻まれている。彼岸やお盆の時期が来るたびに、誰一人として墓参りしないよう阻止するのか? 都が一度死んだ人間だと気づかれないように?」
そこまで頭が回っていなかったのだろう。大きな問題に直面し、さしもの真人も押し黙る。
「だいぶいい感じに状況を理解しているじゃないか、母さん」
「ああ。時間が止まっている間の会話も、すべて私の心のなかに届いていたしねえ。これも全部、そこのお嬢ちゃんの仕業なんだろう。おかげで謎が全部解けたよ。これでも私は、一時期高橋家の人間だった女さ。神様が存在している事実に、そこまで驚くわけでもない」
母が夏南を一瞥したが、彼女は視線を合わせなかった。
「それに」と僕は言った。「どちらにしても、終わりの時はくる。再び復活できたとしても、結局、僕はまた消えてしまう」
「またそういう話か。さっぱりわからねえ」
納得できんとばかりに、真人が声を荒げた。
「簡単に言うと、僕と夏南は、同時にこの世界に存在できない。最悪、二人同時に消えてしまうかも。そういう状況になっちまったんだよ。そうだろ? 夏南」
「――そこまで気づいてしまったんだね」
これ以上ないってくらい、悲しい顔を夏南がする。母も僕の顔を見る。
どういうことだよ、と真人はしきりに呟いていたが、一転、瞳を大きく見開いた。
「夏南。お前――なんか、さっきより薄くなってないか……?」
「薄くなっている?」
彼の声に驚き夏南を見やると、確かにその姿はいつもより色味が弱い。背景が薄っすら透けていて、輪郭線も不明瞭になっている。
「都が言った通りだよ。最後のときが、近づいている証左だ」
「どういうことだよ……。なあ光莉! お前の目から見ても、夏南の姿は透けているのか?」
うわずった声で真人が訊ねる。が、光莉はいっさいの反応を示さない。
ただうずくまり、地面に顔を突っ伏している。
「光莉? ……光莉!」
自分たちの話にばかり夢中になっていて、一番気にかけなければならないことを失念していた。僕たちは、ここでようやく光莉の異変に気がついた。
彼女は、発作を起こしていた。
涼子の悲鳴が、木々の梢を揺らす。光莉と真人が絶句して立ち尽くすなか、「都……!」という母の声がした。
うつ伏せの体制で、こっちに這い寄ろうとしている母の姿は、倒れている状態からだと目線も同じでよく見えた。
必死な顔だ。何か言いたそうに、口元がわなわなと震えている。こんな顔、初めて見るな。
撃たれた左胸が焼けるように痛い。手で押さえるとぬめっとした生ぬるい感触があって、ああ、やっぱり死ぬんだな、という気になってくる。
大丈夫か、と言いながら真人が僕に寄り添って、けど、抱き上げていいかどうかわからずオロオロしてて。泣き崩れる涼子の姿も視界の隅に見えた。
ところが、一番取り乱しているのは、意外にも撃った男たちだった。
「お、おい。いくらなんでもやべえぞ」と今さら覚悟のない声が聞こえ。
「それよりお前、誰だよ? いつからそこにいた?」と別の男が青ざめた顔でとある場所を指差した。
顔色が悪いのは、母に脇腹を裂かれたからではなさそうだ。指差した先にいたのは――夏南だ。
「へえ。あなたたちにも、ボクの姿が見えるのかい」
「何言ってんだこいつ。見えるに決まってんだろうが。俺たちは、お前がどこから来たのかって訊いているんだよ?」
「これも、夏南が力を失っていることと関係があるのか?」と傍らの真人が小声で囁く。「だろうね」と掠れた声で返答した。
「あなたたちのような、俗物にすら見えているようじゃお察しだね。いよいよ、ボクの力が失われるまであと少しってことなのかねえ」
「さっきからオメエは、何言ってやがるんだ!」
ガタガタと震えながら銃を構えている男のほうに、じりっと夏南がにじり寄る。「待て! 早まるな!」という別の男の制止も聞かず、銃を持っている男が発砲した。
再びの銃声。だが。
ギィン! という金属音がして、夏南の眼前で銃弾は上方向に跳弾した。
「う、うわああああああ!?」
恐れ慄いた男が、二発、三発と立て続けに発砲したが、弾は夏南の体に届くことなくすべて弾かれた。弾切れを起こして、かちかちと虚しい音だけが響く。
「なんだこれ、なんで弾が当たんねえんだ」
「おい! こいつバケモノだぞ!」
男たちが口々に叫んだ。仁王立ちして、夏南が一喝する。
「恥を知れ! 人の子よ!」
気圧されて、男たちの背筋が伸びた。
「まったくもって、可哀そうな人たちだ。いい歳をした大人が、前後の分別も何もなしに、こんなことをしてしまうのですか。本当に裁きを受けるべきなのは、罪を犯した人間のみです。違いますか? 今、この場所に、裁きを受けるべき人間はいますか?」
夏南の叫びが木霊する。
確かに神はここにいるぞと、主張するかのように。
「あなたたちに、罪を着せられている彼女か?」
そう言って、視線をうずくまっている母に向けた。
「それとも、警察に通報しようとした彼女か?」
今度は視線を光莉に。
「否。むしろあなたたちでしょう? 自分が犯した罪を、他人に擦り付けることで逃れようという最低な男の言いなりになって、私利私欲に目がくらんだ愚かな人間たちよ」
「オメエ、いったい何者なんだよ?」
「神無し島に、神なんていないと言われてきました」
厳かな口調で、男の問いに夏南が答えた。
「でも、それは間違い。我こそが神」
粛然とした空気に包まれるなか、息を呑む音が四つ聞こえた。
「人を傷つけることをもいとわぬ愚かな人間たちよ。これ以上罪を重ねるならば、ボクが許しません。生きてここから、帰れると思うな!」
夏南がさらに一歩近づくと、たちまちのうちに男たちの士気が崩壊した。
「う、うわぁぁぁぁぁぁ!」と情けない叫びを四つ上げて、ほうほうの体で逃げ出した。
「待て!」と声を上げた真人を夏南が制止した。
「追う必要はありません、真人。もう間もなく、警官たちが数名、山を登ってきます。逃げた男たちは銃を持っている上に、手ひどく負傷しています。職務質問をされたとき、必ずなんらかのボロを出すはずです」
「なるほど。どうせお縄になるなら追う必要はないな……というか、俺らの中にも、まともに動ける人間なんていないけどな」
母は背中に銃弾を受けて憔悴しきっている。僕の側まで来たものの、今は座っているだけで精一杯だ。真人は比較的元気だが太ももにやはり銃弾を受けているし、僕に至っては虫の息。
まともに動けるのは、光莉と涼子くらいのもの。
そんな光莉とて、精神的なショックが相当強いのだろう。俯いたまま先ほどから顔を上げない。
「なあ、涼子」と真人が言った。
「う、うん」
「悪い。救急車を呼んでくれないか。いま比較的元気なのは、どうやらお前だけらしい」
「わかった……!」
正面玄関の方角に駆けて行った涼子の背中を見送り、「さて」と真人が夏南と相対した。
「なあ夏南。もしこのまま都が死んだとして、そのあとで俺が都を復活させてくれ、と願ったら叶うか?」
死んだとして、という表現を真人は使った。
出血の状態を見やり、僕が助かる可能性が低いと判断したのだろう。いい判断だ、と思う。自分の体だからよくわかるが、救急隊が来るまでおそらく僕は生きられない。
だがいずれにしろ、それでは根本的解決に至らない。
「叶う」と夏南が答えた。「ただし、いくつか制約がある」
「制約だって?」
「そう。まず前提として、死んだ人間を蘇らせる、なんて力はボクにはない。つまり、都の存在は仮初め、というか疑似的なものとなる」
「それは、今の状況と変わらないんじゃ?」
そうだね、と夏南が頷いた。
「疑似的な存在である以上、悠久の木の影響下から離れることができない」
「島を出ると、消えてしまうということか」
「そういうこと。ふたつめ。都が死んでいるという事実を、誰かに勘づかれてはならない。矛盾点に気づかれてはならない。その時点で、都の存在は消滅に向かう」
「じゃあ、今も……」
「そう。都の存在は、ゆっくりとだが消えようとしているんだ。今も、ね」
「くそ」
悪態をつき、真人が押し黙る。必死に考えをまとめているのか、瞳が忙しなく動いてる。
「でもよ、今度はうまくやりゃいいんじゃねえか。島から出ないようにするのは容易いし、都の秘密を守るのだって――」
「そんなに簡単じゃないねえ」とここで会話に割り込んだのは母だ。
「どうしてですか! 島から出さえしなければ、そこまで難しくないでしょう?」
「この島に戻って来たあと、親の務めとして墓参りをした。だから私は知っているんだが、高橋家の墓石には都の名がすでに刻まれている。彼岸やお盆の時期が来るたびに、誰一人として墓参りしないよう阻止するのか? 都が一度死んだ人間だと気づかれないように?」
そこまで頭が回っていなかったのだろう。大きな問題に直面し、さしもの真人も押し黙る。
「だいぶいい感じに状況を理解しているじゃないか、母さん」
「ああ。時間が止まっている間の会話も、すべて私の心のなかに届いていたしねえ。これも全部、そこのお嬢ちゃんの仕業なんだろう。おかげで謎が全部解けたよ。これでも私は、一時期高橋家の人間だった女さ。神様が存在している事実に、そこまで驚くわけでもない」
母が夏南を一瞥したが、彼女は視線を合わせなかった。
「それに」と僕は言った。「どちらにしても、終わりの時はくる。再び復活できたとしても、結局、僕はまた消えてしまう」
「またそういう話か。さっぱりわからねえ」
納得できんとばかりに、真人が声を荒げた。
「簡単に言うと、僕と夏南は、同時にこの世界に存在できない。最悪、二人同時に消えてしまうかも。そういう状況になっちまったんだよ。そうだろ? 夏南」
「――そこまで気づいてしまったんだね」
これ以上ないってくらい、悲しい顔を夏南がする。母も僕の顔を見る。
どういうことだよ、と真人はしきりに呟いていたが、一転、瞳を大きく見開いた。
「夏南。お前――なんか、さっきより薄くなってないか……?」
「薄くなっている?」
彼の声に驚き夏南を見やると、確かにその姿はいつもより色味が弱い。背景が薄っすら透けていて、輪郭線も不明瞭になっている。
「都が言った通りだよ。最後のときが、近づいている証左だ」
「どういうことだよ……。なあ光莉! お前の目から見ても、夏南の姿は透けているのか?」
うわずった声で真人が訊ねる。が、光莉はいっさいの反応を示さない。
ただうずくまり、地面に顔を突っ伏している。
「光莉? ……光莉!」
自分たちの話にばかり夢中になっていて、一番気にかけなければならないことを失念していた。僕たちは、ここでようやく光莉の異変に気がついた。
彼女は、発作を起こしていた。