「なるほど。そうして生み出されたのが僕なのか」
確認の意味で問いかけると、奇跡を起こした張本人が首肯した。
本音を言うと否定して欲しかった。が、ここはもう腹をくくる他ない。当事者である僕が忘れているのも皮肉な話だが、紛い物だからこそ記憶がないのだろうか。なんともややこしい。
「死んだはずの僕が戻ってきたことで、みんなの記憶が、部分的に書き換えられていたんだな?」
「その通り」
「ここからは僕の推測だ。僕の葬儀が済んだあと、奇跡が起こるまで一定期間のタイムラグがあった。僕が死ぬことで、八人から七人に減ったという記憶が定着したのち、『僕の葬儀が行われた日』と、『死んだ日』の記憶にのみ書き換えが起きたため、記憶の中で整合性が取れなくなってあたかも一人増えたように感じられた。……これで合っているか?」
「合っている。起こす奇跡が難しくなると、具現化するまで少し時間を要することがあるからね。まさかこんな不具合がでるとは、思っていなかったけれど」
紛い物である僕が、紛い物であるという事実を証明していく。こんな笑い話など犬も食わない。
これは記憶の書き換えというよりも、上書きと表現するべきなのかもしれない。きっかけさえあれば、今の光莉のように、メッキが剥がれることもあるのだから。
「ごめんね、都くん」
絞りだす、という表現がふさわしい光莉の声は涙まじりだ。
「私があの日、悠久の木のところに行きたいなんて言わなければ。川に落ちるなんて不注意さえなければ、こんなことには……」
「いいんだ、光莉。それも全て、僕が自分の意志でやったこと。全ては不幸な事故だったんだよ」
「イチが死んでいるだなんて、イヤだよ、そんなの! それじゃ……行き場のない私のこの気持ちはどうなるのよ!」
心の昂ぶりを抑えられず、乱れた声音で涼子が叫んだ。普段の冷静さは、すっかり影をひそめていた。
「涼子ちゃん……」
「ううん。本当に悪いのは、発端を作った私なんだ。光莉、ごめんね。私、光莉の気持ちにまったく気づいてなかった。イチがやたらと光莉に構うもんだから勝手に勘違いをして、嫉妬をこじらせて、本当に大事なこと見えてなかった。イチの性格とか、父親のことだとか、もっと広い視野で見られていたら、色々見えてくるものがあったはずなのに。悠久の木のところに行くようけしかけたのも、私の嫉妬であり嫌がらせみたいなものだったの。私が殺したようなものなんだ。イチを。私が、ああ、どうしよう。私が好きなの、ほんとはね――」
「それ以上自分を責めないで、涼子ちゃん。勘違いをしていたのは、私もおんなじだから。昨日、ここに来るまでの道中でようやく気づいたの。涼子ちゃんが好きなの、都くんなんだって。だからそれこそ――私もごめんね」
「今思うと」としんみりした口調で、光莉の言葉を真人が引き継いだ。
「山の麓に光莉の自転車が放置されていたのも、土砂が崩落した先に折れた傘があったのも、すべて必然だったわけだ。……なあ、夏南?」
「なんだい?」
「一応、確認する。俺の頭ん中には、都の葬儀があったはずのその日、何事もなく普通に暮らしていた記憶があるんだよ。これは、夏南の力で書き替えられたものなんだな?」
「そうだね。ボクの力であり、同時に悠久の木の力。起こした奇跡に応じて混乱をきたさないよう記憶の書き換えが起こるんだけど、今回ばかりは少々帳尻が合わなかったようだ。そこは申し訳なく思うよ」
「了解。わかった」
だが、と真人はさらに続けた。
「ひとつだけ解せない。どうして願いを叶えてもらった光莉が、夏南の姿を視認できなくなっていたんだ? おかしくないか?」
「それに対する答えは簡単だ。少し順を追って説明しよう。まず、ボクの姿が見える者の願いしか叶えられないのには理由があって、相対して直接話を聞くことで、願いのなかに邪念がないのを確認するためだ。また、神の存在はむやみやたらに拡散されるべきではない。この観点から願いを叶えた者は、叶えたという事実のみならず、ボクの存在そのものを忘れてしまうし、同時に、ボクの姿が見えなくなる」
「ああ!」と大きな声で涼子が叫んだ。
「奇跡の伝承とか、いなくなった人が戻ってきたという逸話が残っているわりに、肝心の神様を見たという人がまったくいないのは、これが背景にあるからなんだね」
「さすが涼子は頭の回転が速いね。そういうこと。もっとも、言い伝えにある奇跡の大半は、先代の神が起こしたものだけど」
「さて、昔話もここまでだ」と夏南が巫女装束を翻して僕のほうを見る。
「ボクの力で、時間を止めていられるのもあとわずか」
僕の眼前、数十センチというところに浮かんでいる銃弾を、夏南が指差した。
「そろそろ選択してね。銃弾を、逸らすかそれとも否か」
「体を捻って、なんとか銃弾をかわせないの?」
悲鳴じみた光莉の声が聞こえる。
「無理だ。時間が完全に止まっているんだ。僕だけ動けるはずがないだろ」
今度ばかりは。
「じゃあ、時間が動きだすと同時に体を逸らしたら……」
「そいつも却下だ」
「どうして!?」
「距離が近すぎるし、タイミング的に無理だ。それに、万が一銃弾を避けられたとしても、同じ射線上にいる光莉に当たってしまう」
「あっ……。そうか」
涼子が息を呑む音がした。
そもそも、時間が止まっている中でも動けたこれまでがむしろ異常だったんだ。動けたのは、おそらく、僕が夏南によって生み出された存在だったからだろう。そんな奇跡も、切羽詰まったこの状況では起こらない、か。
「なら、やることは決まってんだろ。なあ夏南」
ここで真人が会話に割り込んだ。
「なんだい?」
「銃弾を逸らしてくれ。それが俺の願いだ。できるんだろ?」
「必要ないって言ってんだろ!」
真人の発言を再び遮る。声が大きすぎたのか、ちょっと怯えた顔をされる。
「なんでだよ!? それ以外に方法がないだろうが!」
「確かに、今この現状を打破するならそれしかない。だが、おそらくその方法では、根本的な解決にはならない」
「根本的な解決にならない? どうしてだよ? 銃弾をそのままくらったら、お前、死んじまうだろうが……!」
「そうだな」
「そうだなって……。なに冷静になってんだよ」
死ぬんだろうな。なあに、一度この世界から消えた存在である僕は、遅かれ早かれこうなる運命なんだ。
「夏南。ひとつ質問いいか?」と僕は尋ねた。
「なんなりと」
「ここで僕が死んだら、どうなる?」
「それは……」
「少なくとも、夏南は神の力を失わずに済むんじゃないか? お前だけでも、助かるんじゃないのか?」
「……」
逃げるな、とばかりに視線に圧をこめると、らしくもなく逡巡する仕草を夏南が見せる。返す言葉を失くして黙り込んだ。
これで確定だ。
やっぱりお前、神様に向いてないよ。神様にしちゃ、情に厚すぎる。
「そうだよな。覚悟が決まったからこそ、お前ここに戻って来たんだもんな」
枯れて死にゆく悠久の木は、いまの夏南の状況をそのまま暗示していたんだ。
「よし、決めた。夏南。時間を動かしてくれ」
「わかった――」
「ちょっと待てよ!」「都くん!」
僕の宣言と同時に、堰き止められていた水が流れ出したように、すべてのものが動き出した。
鮮烈な、音と光の眩しさに目を眇めると、左胸に焼けるような痛みが走る。
胸元に、うがたれた穴。
あふれ出してくる鮮血。
当たりどころ、最悪だな、という軽い後悔とともに、膝からガクっと力が抜けた。
手をつくこともままならず、地面の上に仰向けで倒れた。
確認の意味で問いかけると、奇跡を起こした張本人が首肯した。
本音を言うと否定して欲しかった。が、ここはもう腹をくくる他ない。当事者である僕が忘れているのも皮肉な話だが、紛い物だからこそ記憶がないのだろうか。なんともややこしい。
「死んだはずの僕が戻ってきたことで、みんなの記憶が、部分的に書き換えられていたんだな?」
「その通り」
「ここからは僕の推測だ。僕の葬儀が済んだあと、奇跡が起こるまで一定期間のタイムラグがあった。僕が死ぬことで、八人から七人に減ったという記憶が定着したのち、『僕の葬儀が行われた日』と、『死んだ日』の記憶にのみ書き換えが起きたため、記憶の中で整合性が取れなくなってあたかも一人増えたように感じられた。……これで合っているか?」
「合っている。起こす奇跡が難しくなると、具現化するまで少し時間を要することがあるからね。まさかこんな不具合がでるとは、思っていなかったけれど」
紛い物である僕が、紛い物であるという事実を証明していく。こんな笑い話など犬も食わない。
これは記憶の書き換えというよりも、上書きと表現するべきなのかもしれない。きっかけさえあれば、今の光莉のように、メッキが剥がれることもあるのだから。
「ごめんね、都くん」
絞りだす、という表現がふさわしい光莉の声は涙まじりだ。
「私があの日、悠久の木のところに行きたいなんて言わなければ。川に落ちるなんて不注意さえなければ、こんなことには……」
「いいんだ、光莉。それも全て、僕が自分の意志でやったこと。全ては不幸な事故だったんだよ」
「イチが死んでいるだなんて、イヤだよ、そんなの! それじゃ……行き場のない私のこの気持ちはどうなるのよ!」
心の昂ぶりを抑えられず、乱れた声音で涼子が叫んだ。普段の冷静さは、すっかり影をひそめていた。
「涼子ちゃん……」
「ううん。本当に悪いのは、発端を作った私なんだ。光莉、ごめんね。私、光莉の気持ちにまったく気づいてなかった。イチがやたらと光莉に構うもんだから勝手に勘違いをして、嫉妬をこじらせて、本当に大事なこと見えてなかった。イチの性格とか、父親のことだとか、もっと広い視野で見られていたら、色々見えてくるものがあったはずなのに。悠久の木のところに行くようけしかけたのも、私の嫉妬であり嫌がらせみたいなものだったの。私が殺したようなものなんだ。イチを。私が、ああ、どうしよう。私が好きなの、ほんとはね――」
「それ以上自分を責めないで、涼子ちゃん。勘違いをしていたのは、私もおんなじだから。昨日、ここに来るまでの道中でようやく気づいたの。涼子ちゃんが好きなの、都くんなんだって。だからそれこそ――私もごめんね」
「今思うと」としんみりした口調で、光莉の言葉を真人が引き継いだ。
「山の麓に光莉の自転車が放置されていたのも、土砂が崩落した先に折れた傘があったのも、すべて必然だったわけだ。……なあ、夏南?」
「なんだい?」
「一応、確認する。俺の頭ん中には、都の葬儀があったはずのその日、何事もなく普通に暮らしていた記憶があるんだよ。これは、夏南の力で書き替えられたものなんだな?」
「そうだね。ボクの力であり、同時に悠久の木の力。起こした奇跡に応じて混乱をきたさないよう記憶の書き換えが起こるんだけど、今回ばかりは少々帳尻が合わなかったようだ。そこは申し訳なく思うよ」
「了解。わかった」
だが、と真人はさらに続けた。
「ひとつだけ解せない。どうして願いを叶えてもらった光莉が、夏南の姿を視認できなくなっていたんだ? おかしくないか?」
「それに対する答えは簡単だ。少し順を追って説明しよう。まず、ボクの姿が見える者の願いしか叶えられないのには理由があって、相対して直接話を聞くことで、願いのなかに邪念がないのを確認するためだ。また、神の存在はむやみやたらに拡散されるべきではない。この観点から願いを叶えた者は、叶えたという事実のみならず、ボクの存在そのものを忘れてしまうし、同時に、ボクの姿が見えなくなる」
「ああ!」と大きな声で涼子が叫んだ。
「奇跡の伝承とか、いなくなった人が戻ってきたという逸話が残っているわりに、肝心の神様を見たという人がまったくいないのは、これが背景にあるからなんだね」
「さすが涼子は頭の回転が速いね。そういうこと。もっとも、言い伝えにある奇跡の大半は、先代の神が起こしたものだけど」
「さて、昔話もここまでだ」と夏南が巫女装束を翻して僕のほうを見る。
「ボクの力で、時間を止めていられるのもあとわずか」
僕の眼前、数十センチというところに浮かんでいる銃弾を、夏南が指差した。
「そろそろ選択してね。銃弾を、逸らすかそれとも否か」
「体を捻って、なんとか銃弾をかわせないの?」
悲鳴じみた光莉の声が聞こえる。
「無理だ。時間が完全に止まっているんだ。僕だけ動けるはずがないだろ」
今度ばかりは。
「じゃあ、時間が動きだすと同時に体を逸らしたら……」
「そいつも却下だ」
「どうして!?」
「距離が近すぎるし、タイミング的に無理だ。それに、万が一銃弾を避けられたとしても、同じ射線上にいる光莉に当たってしまう」
「あっ……。そうか」
涼子が息を呑む音がした。
そもそも、時間が止まっている中でも動けたこれまでがむしろ異常だったんだ。動けたのは、おそらく、僕が夏南によって生み出された存在だったからだろう。そんな奇跡も、切羽詰まったこの状況では起こらない、か。
「なら、やることは決まってんだろ。なあ夏南」
ここで真人が会話に割り込んだ。
「なんだい?」
「銃弾を逸らしてくれ。それが俺の願いだ。できるんだろ?」
「必要ないって言ってんだろ!」
真人の発言を再び遮る。声が大きすぎたのか、ちょっと怯えた顔をされる。
「なんでだよ!? それ以外に方法がないだろうが!」
「確かに、今この現状を打破するならそれしかない。だが、おそらくその方法では、根本的な解決にはならない」
「根本的な解決にならない? どうしてだよ? 銃弾をそのままくらったら、お前、死んじまうだろうが……!」
「そうだな」
「そうだなって……。なに冷静になってんだよ」
死ぬんだろうな。なあに、一度この世界から消えた存在である僕は、遅かれ早かれこうなる運命なんだ。
「夏南。ひとつ質問いいか?」と僕は尋ねた。
「なんなりと」
「ここで僕が死んだら、どうなる?」
「それは……」
「少なくとも、夏南は神の力を失わずに済むんじゃないか? お前だけでも、助かるんじゃないのか?」
「……」
逃げるな、とばかりに視線に圧をこめると、らしくもなく逡巡する仕草を夏南が見せる。返す言葉を失くして黙り込んだ。
これで確定だ。
やっぱりお前、神様に向いてないよ。神様にしちゃ、情に厚すぎる。
「そうだよな。覚悟が決まったからこそ、お前ここに戻って来たんだもんな」
枯れて死にゆく悠久の木は、いまの夏南の状況をそのまま暗示していたんだ。
「よし、決めた。夏南。時間を動かしてくれ」
「わかった――」
「ちょっと待てよ!」「都くん!」
僕の宣言と同時に、堰き止められていた水が流れ出したように、すべてのものが動き出した。
鮮烈な、音と光の眩しさに目を眇めると、左胸に焼けるような痛みが走る。
胸元に、うがたれた穴。
あふれ出してくる鮮血。
当たりどころ、最悪だな、という軽い後悔とともに、膝からガクっと力が抜けた。
手をつくこともままならず、地面の上に仰向けで倒れた。