――カイルが自力で『遺跡』から脱出した後、すぐに撤収準備が始まった。
何とか息を吹き返したカイルが『遺跡』はすでに崩れていて入るのは危険すぎると宣言したからだ。くわえて『遺物』もなかったと言えばここに留まる意味もない。
カイルがテントで髭を剃っているとエリザが訪ねてきた。守っていた少女をみながら開口一番、エリザが言う。
「すまなかったカイル……」
「いや、別にいいよ。それにまさかエリザがここに来るとは思わなかった」
「お前が取り残されたと聞いてな。瓦礫を排除できる部隊を借りてきたのだ……って、おや?」
「きゅん! きゅーん!」
エリザは足元でぐるぐると回る子犬に気づき抱きかかえると、尻尾を大きく振ってエリザの顔を舐めた。
「……お前、もしかしてシュナイダー!? 赤い目だし、背中も黒い……」
「ああ、死にかけていたから魔石を飲ませて”魔症”を人工的に引き起こしてみたんだけど、副作用かなんかで気づいたら縮んでた。で、俺がその子と木箱を運ばないといけなくなったからちょっと脱出に遅れたんだよ」
そう言いながら少女に目を向けて言う。エリザはシュナイダーを胸元へ寄せて少女を見ながら口を開く。
「……この子は?」
「正直言って分からない、というのが答えだな。ただ、俺が見た限りただの女の子じゃない。この子が『遺跡』の『遺物』なのかもしれない」
「なら――」
「この子は『遺跡』にもぐりこんだ要救助者として扱わせてくれ。副隊長は俺だから通るだろ?」
「……ブロウエル大佐が何というか、だな。上層部は――」
「ま、命の恩人ってことで。な?」
「きゅん!」
カイルがシュナイダーに笑いかけると一声鳴き、エリザが話を続ける。
「上層部はどう判断するだろうか……」
「あいつらはいつも通りだろ。俺が死ななかったのが残念なくらいだ」
エリザはそれには答えず、困った顔で話を変えた。
「それにしても長いひげだな。もともと伸びやすかったか?」
「……多分『遺跡』のせいだろう。少しだけ、時間の流れが速いような気がした。魔獣や罠だけじゃなくて、こういう不可思議なものもあるんだ。恐らくあのまま『遺跡』の調査を続けていたら老いていたかもしれないなあ」
「ふう……やはり『遺跡』は恐ろしい場所ということか……」
「そうだな……あの時――」
カイルが珍しく忌々しいといった表情をしたその時、テントへフルーレが入ってくる。
「あ、あの、失礼します。このテント以外は移動準備ができました」
「む、そうか。報告ご苦労、フルーレ少尉。行くぞカイル少尉」
「あいよ」
荷物と少女を背負い、カイルはテントを出る準備をする。そこでフルーレを見たシュナイダーがじたばたしながら甘えた声で鳴く。
「きゅーん♪」
「あれ? 姿が見えないと思ってましたけどもしかしてシューちゃんですか!? わあ可愛い……」
「少尉、預かってくれるか? 私がこういうものを連れていては威厳というものが、な」
「あ、了解であります! なんで小さくなったんですかーもうー」
「きゅーん!」
本当はカイルとエリザのことが気になって声をかけてきたフルーレだったが、シュナイダーに毒気を抜かれてエリザの後を追う。こうして一行は無事犠牲者無しで『遺跡』から撤収し、帝国へと帰還することができた。
◆ ◇ ◆
――もちろんこれで話が終わるはずもなく。
ブロウエルを先頭に、手錠と目隠しをつけられたオートスが、両脇を他の人間に固められて薄暗い通路を歩いていた。
この後どうなるかなど想像に難くないオートスは冷や汗をかいて見えない通路を進んでいく。やがて前を歩いていたブロウエルが立ち止まりゆっくりと振り返る。
「……この先は私だけでいい」
「は」
二人の男は短くそれだけ言うとスッと暗がりの奥へと消えていく。いよいよか、とオートスが喉を鳴らすとブロウエルが無言で重い鉄製の扉を開けた。
「連れてきました」
「ご苦労」
ガシャァンと扉が閉じられると同時に低い声が部屋に響く。ブロウエルが目隠しを外すと、目の前には自分達とは違う真っ黒な制服に白い手袋をした人物が数人、三日月型になった机に座っていた。
中心にいる形のオートスは目を動かし、考える。
「(こ、これが上層部か……? 威圧感なんてものを同じ人間から感じるとは思わなかった……しかし、すぐ処刑されるものだと思っていたがどういうことだ?)」
オートスの考えを見透かしたように、その中の一人が口を開く。
「くく……オートス=グライア隊長、この度はご苦労だったな」
「……は」
労いの言葉をかけられ困惑するオートス。その様子をおかしいと言わんばかりに、別の男が話し出す。
「君のおかげでウィスティリア国の内情が少し判明した。今の王政は思った以上に腐っているようでな、クーデター派の人間が倒そうとするのも頷けるよ」
「それは……」
知っている。
貴族層だけが裕福で、平民の貧困具合は恐らく他の国に比べて群を抜いて酷いと。だからクーデター派は『遺跡』から『遺産』や兵器を欲していたのだ。ウィスティリア国王はそれをけん制するため、オートスの両親を人質に取り、斥候としていたのだから。
オートスはそう言いかけたが、口を噤む。下手に何かを言うのは不利だろうと。そして別の男が淡々と事務的な発言を始める。
「君の本当のご両親は尋問した二人組と身柄を交換するよう要求している。無事戻ってくることを兄妹と祈っておくのだな。まあ要求には応じるだろう。応じなければそれを口実にあの国を潰すだけだ。一手、こちらが国を責める口実を作ってくれたこと、礼を言う。ブロウエル大佐、警戒はわかるが手錠は外してかまわんよ。功労者に失礼だ」
「は」
「!?」
一体何が起こっているのだとオートスは目を見開く。だが、さらに別の男が口を開き、驚愕の話がオートスを襲う。
「今回の件で君とドグル=レイヤード、ダムネ=ヒート、フルーレ=ビクセンツの四名はひと階級昇進だ、おめでとう。特別ボーナスも支払われるだろう。どうかねご家族で旅行など。今の時期ならミントス地方などがいいかもしれん。花畑は見事だったよ?」
「馬鹿な!? 俺は……私は帝国を裏切ったスパイですよ!? 家族を助けてくれたのは感謝しています。だが、処刑になるかとばかり……生き残っただけでもありがたいのに昇進とはおかしくないでしょうか!」
いよいよ話がおかしいと思い、オートスは焦る。良いことなのだがどうにも気持ち悪いと思っての行動だ。それと――
「なぜカイル少尉には何の褒章も与えられないのです! 今回の功労者は彼のはずだ!」
すると、
「カイル……カイル=ディリンジャーねえ……夢でも見ていたんじゃないかね? 彼はただの殺人鬼だ、生かされているだけありがたいと思ってほしいものだ。皇帝陛下のご慈悲でな? 君もブロウエルから聞いたのだろう」
あまりにも冷徹な言い草と、ブロウエルの名が出たことでオートスはブロウエルを見る。特に気にした風もなくブロウエルは前を見たまま立っていた。
「では失礼ついでに質問を変えさせていただきます。カイル少尉は何者ですか……? 殺人鬼だと言うのであればそれこそ処刑せねば危険なはず。皇帝陛下のお命を考えれば――」
「くっく……生かせと命じたのは他ならぬ陛下だ、我らがそれを止めるのも野暮であろう? 陛下以外にあの時の事件を知る者は少ない。少尉……カイル技術開発局長の暴走の理由などもな。そうだな、ブロウエル大佐」
「ええ、あの時の生き残りは十人もいませんし、止めるだけで必死でしたからな。オートス中佐、少尉にはボーナスで金は入る。それで良いではないか?」
「……大佐……」
オートスはブロウエルも『あちら側の人間』なのだと悟り肩を落とす。
彼はカイルが殺人鬼・皇帝の命を狙った大罪人だとはどうしても思えなかったからだ。スナイパーライフルを預け、信用してくれた命の恩人でもあるカイルがこのような扱いを受けるのが腑に落ちなかった。
「以上だ、追って辞令が下るだろう。それまでゆっくり休むといい」
「……了解しました」
敬礼をして下がるオートスとブロウエル。扉に手をかけたところで一人の男性が言い忘れていたとばかりに口を開いた。
「ああ、この話を他人に話してはダメだぞ? ……君の家族、もしくは友人がどうなるか分からないからね?」
「……失礼します」
オートスは歯噛みしながら扉を閉めると、ブロウエルに肩を叩かれる。
「家族が助かった、それで良しとするのだ。上層部に逆らうことだけはならんぞ」
「大佐……大佐はいったい……」
「もうカイルと関わることもあるまい。生かさず殺さず……カイルはそう言う立場の人間なのだ、エリザと共に」
「え?」
オートスが聞き返すも、ブロウエルは通路の闇へと消えていく。上層部とは一体何なのかと扉に振り返ると、
「扉が……消えた……?」
そこには無機質な壁が広がるだけであった――
何とか息を吹き返したカイルが『遺跡』はすでに崩れていて入るのは危険すぎると宣言したからだ。くわえて『遺物』もなかったと言えばここに留まる意味もない。
カイルがテントで髭を剃っているとエリザが訪ねてきた。守っていた少女をみながら開口一番、エリザが言う。
「すまなかったカイル……」
「いや、別にいいよ。それにまさかエリザがここに来るとは思わなかった」
「お前が取り残されたと聞いてな。瓦礫を排除できる部隊を借りてきたのだ……って、おや?」
「きゅん! きゅーん!」
エリザは足元でぐるぐると回る子犬に気づき抱きかかえると、尻尾を大きく振ってエリザの顔を舐めた。
「……お前、もしかしてシュナイダー!? 赤い目だし、背中も黒い……」
「ああ、死にかけていたから魔石を飲ませて”魔症”を人工的に引き起こしてみたんだけど、副作用かなんかで気づいたら縮んでた。で、俺がその子と木箱を運ばないといけなくなったからちょっと脱出に遅れたんだよ」
そう言いながら少女に目を向けて言う。エリザはシュナイダーを胸元へ寄せて少女を見ながら口を開く。
「……この子は?」
「正直言って分からない、というのが答えだな。ただ、俺が見た限りただの女の子じゃない。この子が『遺跡』の『遺物』なのかもしれない」
「なら――」
「この子は『遺跡』にもぐりこんだ要救助者として扱わせてくれ。副隊長は俺だから通るだろ?」
「……ブロウエル大佐が何というか、だな。上層部は――」
「ま、命の恩人ってことで。な?」
「きゅん!」
カイルがシュナイダーに笑いかけると一声鳴き、エリザが話を続ける。
「上層部はどう判断するだろうか……」
「あいつらはいつも通りだろ。俺が死ななかったのが残念なくらいだ」
エリザはそれには答えず、困った顔で話を変えた。
「それにしても長いひげだな。もともと伸びやすかったか?」
「……多分『遺跡』のせいだろう。少しだけ、時間の流れが速いような気がした。魔獣や罠だけじゃなくて、こういう不可思議なものもあるんだ。恐らくあのまま『遺跡』の調査を続けていたら老いていたかもしれないなあ」
「ふう……やはり『遺跡』は恐ろしい場所ということか……」
「そうだな……あの時――」
カイルが珍しく忌々しいといった表情をしたその時、テントへフルーレが入ってくる。
「あ、あの、失礼します。このテント以外は移動準備ができました」
「む、そうか。報告ご苦労、フルーレ少尉。行くぞカイル少尉」
「あいよ」
荷物と少女を背負い、カイルはテントを出る準備をする。そこでフルーレを見たシュナイダーがじたばたしながら甘えた声で鳴く。
「きゅーん♪」
「あれ? 姿が見えないと思ってましたけどもしかしてシューちゃんですか!? わあ可愛い……」
「少尉、預かってくれるか? 私がこういうものを連れていては威厳というものが、な」
「あ、了解であります! なんで小さくなったんですかーもうー」
「きゅーん!」
本当はカイルとエリザのことが気になって声をかけてきたフルーレだったが、シュナイダーに毒気を抜かれてエリザの後を追う。こうして一行は無事犠牲者無しで『遺跡』から撤収し、帝国へと帰還することができた。
◆ ◇ ◆
――もちろんこれで話が終わるはずもなく。
ブロウエルを先頭に、手錠と目隠しをつけられたオートスが、両脇を他の人間に固められて薄暗い通路を歩いていた。
この後どうなるかなど想像に難くないオートスは冷や汗をかいて見えない通路を進んでいく。やがて前を歩いていたブロウエルが立ち止まりゆっくりと振り返る。
「……この先は私だけでいい」
「は」
二人の男は短くそれだけ言うとスッと暗がりの奥へと消えていく。いよいよか、とオートスが喉を鳴らすとブロウエルが無言で重い鉄製の扉を開けた。
「連れてきました」
「ご苦労」
ガシャァンと扉が閉じられると同時に低い声が部屋に響く。ブロウエルが目隠しを外すと、目の前には自分達とは違う真っ黒な制服に白い手袋をした人物が数人、三日月型になった机に座っていた。
中心にいる形のオートスは目を動かし、考える。
「(こ、これが上層部か……? 威圧感なんてものを同じ人間から感じるとは思わなかった……しかし、すぐ処刑されるものだと思っていたがどういうことだ?)」
オートスの考えを見透かしたように、その中の一人が口を開く。
「くく……オートス=グライア隊長、この度はご苦労だったな」
「……は」
労いの言葉をかけられ困惑するオートス。その様子をおかしいと言わんばかりに、別の男が話し出す。
「君のおかげでウィスティリア国の内情が少し判明した。今の王政は思った以上に腐っているようでな、クーデター派の人間が倒そうとするのも頷けるよ」
「それは……」
知っている。
貴族層だけが裕福で、平民の貧困具合は恐らく他の国に比べて群を抜いて酷いと。だからクーデター派は『遺跡』から『遺産』や兵器を欲していたのだ。ウィスティリア国王はそれをけん制するため、オートスの両親を人質に取り、斥候としていたのだから。
オートスはそう言いかけたが、口を噤む。下手に何かを言うのは不利だろうと。そして別の男が淡々と事務的な発言を始める。
「君の本当のご両親は尋問した二人組と身柄を交換するよう要求している。無事戻ってくることを兄妹と祈っておくのだな。まあ要求には応じるだろう。応じなければそれを口実にあの国を潰すだけだ。一手、こちらが国を責める口実を作ってくれたこと、礼を言う。ブロウエル大佐、警戒はわかるが手錠は外してかまわんよ。功労者に失礼だ」
「は」
「!?」
一体何が起こっているのだとオートスは目を見開く。だが、さらに別の男が口を開き、驚愕の話がオートスを襲う。
「今回の件で君とドグル=レイヤード、ダムネ=ヒート、フルーレ=ビクセンツの四名はひと階級昇進だ、おめでとう。特別ボーナスも支払われるだろう。どうかねご家族で旅行など。今の時期ならミントス地方などがいいかもしれん。花畑は見事だったよ?」
「馬鹿な!? 俺は……私は帝国を裏切ったスパイですよ!? 家族を助けてくれたのは感謝しています。だが、処刑になるかとばかり……生き残っただけでもありがたいのに昇進とはおかしくないでしょうか!」
いよいよ話がおかしいと思い、オートスは焦る。良いことなのだがどうにも気持ち悪いと思っての行動だ。それと――
「なぜカイル少尉には何の褒章も与えられないのです! 今回の功労者は彼のはずだ!」
すると、
「カイル……カイル=ディリンジャーねえ……夢でも見ていたんじゃないかね? 彼はただの殺人鬼だ、生かされているだけありがたいと思ってほしいものだ。皇帝陛下のご慈悲でな? 君もブロウエルから聞いたのだろう」
あまりにも冷徹な言い草と、ブロウエルの名が出たことでオートスはブロウエルを見る。特に気にした風もなくブロウエルは前を見たまま立っていた。
「では失礼ついでに質問を変えさせていただきます。カイル少尉は何者ですか……? 殺人鬼だと言うのであればそれこそ処刑せねば危険なはず。皇帝陛下のお命を考えれば――」
「くっく……生かせと命じたのは他ならぬ陛下だ、我らがそれを止めるのも野暮であろう? 陛下以外にあの時の事件を知る者は少ない。少尉……カイル技術開発局長の暴走の理由などもな。そうだな、ブロウエル大佐」
「ええ、あの時の生き残りは十人もいませんし、止めるだけで必死でしたからな。オートス中佐、少尉にはボーナスで金は入る。それで良いではないか?」
「……大佐……」
オートスはブロウエルも『あちら側の人間』なのだと悟り肩を落とす。
彼はカイルが殺人鬼・皇帝の命を狙った大罪人だとはどうしても思えなかったからだ。スナイパーライフルを預け、信用してくれた命の恩人でもあるカイルがこのような扱いを受けるのが腑に落ちなかった。
「以上だ、追って辞令が下るだろう。それまでゆっくり休むといい」
「……了解しました」
敬礼をして下がるオートスとブロウエル。扉に手をかけたところで一人の男性が言い忘れていたとばかりに口を開いた。
「ああ、この話を他人に話してはダメだぞ? ……君の家族、もしくは友人がどうなるか分からないからね?」
「……失礼します」
オートスは歯噛みしながら扉を閉めると、ブロウエルに肩を叩かれる。
「家族が助かった、それで良しとするのだ。上層部に逆らうことだけはならんぞ」
「大佐……大佐はいったい……」
「もうカイルと関わることもあるまい。生かさず殺さず……カイルはそう言う立場の人間なのだ、エリザと共に」
「え?」
オートスが聞き返すも、ブロウエルは通路の闇へと消えていく。上層部とは一体何なのかと扉に振り返ると、
「扉が……消えた……?」
そこには無機質な壁が広がるだけであった――