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暖かな春風が吹くよく晴れた日のことだった。
「ね、さっくん、今日は凄いことできるよ?」
「凄いことって?」
休み時間に俺の元へ突然やってきたかと思えば、含み笑いをしながらコソコソと耳元で言葉を零す。言葉と共に吐き出される吐息が耳元に感じて、熱が耳に集中する。誰が見ても分かるくらい耳と顔が真っ赤に染まっていく。
「放課後までのお楽しみだよー」
弾んだ声で言い残すと、スキップに近い軽い足取りでその場から去っていった。
凜がいなくなった後、クラスメイトの喋ったことのない男子まで俺の元に群がってきた。
「なー。なにしたら女神と仲良くなれんの?」
「お前、本当は凄い奴なのか?」
まじまじと俺の顔を覗き込んで、不思議そうに、納得がいかないとでもいいたげな表情を浮かべる。
俺だっていまだに信じられない。学校の女神がなんで俺と放課後に居残りをしているのか。
「べ、別に。たまたま仲良くなっただけで」
「俺にも紹介してくれよー。頼むよ。売店のパン一週間でどうだ?」
「悪いけど……」
いつかは言われると危惧していたことだ。みんな憧れだが、高嶺の花が故に近寄りがたかった白雪凜。最近は笑うことが増えて、俺以外の奴も警戒心が薄れたのだろう。仲を取り持ってほしいと祈願された。
話を遮りその場から逃げた。こういう会話に上手い切り替えしが出来ない。
「売店のパン1ヵ月分でどうだ?」
諦めの悪いようで俺の背中に投げかける。意思表示はしないとしつこく付きまとわれそうなので両手を掲げて、腕を混じらわせて×マークを示した。それ以上はなにも言ってこなかったので、振り返ることなく足早に足を進めた。
凜と誰かの仲を取り持つはずないだろ。直接言える度胸はないので、心の中で悪態をついた。
放課後になると、満面の笑みを浮かべた凜が迎えにきた。
ワクワクを抑えきれない子供のように、口角は上がり喜びが表情に現れていた。
「凄いことってなに? かなり気になるんだけど」
「さっくんも、一日わくわくしてくれた?」
「そうだ、な。わくわくというか、そわそわというか」
「今日はね、このために晴れたと言っても過言ではありません!」
「……」
今までに見たことのないくらい彼女のテンションは上がっていた。
温度差が激しいがそんなことを気に素振りもなく、上機嫌で話続ける。
「なんと……ジャーン! これを譲り受けました!」
高らかに弾む声で腕を天井に掲げた。その手の中には銀色に光るものが見えた。
「……鍵?」
「せいかーい! さて、どこの鍵でしょうか?」
「えっと、分からないです」
テンションが高くて楽しそうな凜が可愛くて、この茶番ともいえるやり取りを永遠にしていたいと思った。
「ふふっ、なんとー! 屋上の鍵です」
「え、屋上? うちの屋上は立ち入り禁止のはず……」
わが校の屋上は立ち入り禁止だ。漫画みたいに屋上でお弁当を食べるなんて、叶わない夢なのだ。
「驚いたでしょ? へへっ!」
「そりゃ、驚くよ。どうやって……まさか、盗んで……」
「もう! そんなわけないでしょ? 私の病気のことを知っている先生に、屋上に行くことが夢だったって、しんみり語ったら特別に貸してくれた。役得だね! 病気になってみるもんだ!」
凜に同情した先生が鍵を貸してくれたらしい。凛の表情に気持ちがつい惑わされてしまうのは共感してしまった。俺には何度もその経験が、あるからだ。
凜の潤んだ瞳に心を揺さぶられたのだろう。だからと言って、立ち入り禁止の屋上の鍵を渡すなんていいのだろうか。
凜は足取り軽く屋上へと足を延ばす。俺ははしゃぐ子供を見守る保護者のような気持で後を着いていく。
まあ、いいか。凜がこんなに喜んでいるのだから。
屋上のさびれた鍵穴に鍵を差し込みまわす。
屋上の重い扉をゆっくり開けると、光が視界一面に広がる。
雲1つない澄んだ青空が俺たちを出迎えてくれた。
他の生徒にバレないように、屋上の扉の鍵を内側から閉める。
きちんと許可されたことだと分かっていても、なんだか悪いことをしている気持ちになって歯がゆい。そんな気持ちと共に禁止されている場所に堂々とこうして来られるのは、わくわくもしてしまう。
いつも見ている青空が、余計に綺麗で澄んで見えた。屋上で感じる風は身体を強く通り抜けていく。
風になびいた凜の髪から、シャンプーの甘い香りが風から香る。
屋上という禁止されている場所に二人きり。鍵を閉めているので誰もこない。
普段と違う雰囲気に、どうしたって緊張してしまう。緊張しているのがバレないように冷静を取り繕った。
「わー。屋上は風が気持ちいいねー」
両手を広げて風を全身で浴びている。
「夢がまた1つ叶ったよ。ありがとう。さっくん」
「今回は、凜が自分で掴んだものだろ?」
「そうかなー。でも、その勇気をくれたのは、さっくんと居残りするようになったからなんだよ」
確かに、最初に会った凜と比べるとだいぶ明るくなった。高嶺の花と呼ばれて友達もほとんどいなかった凜は、正直笑わない人だと思っていた。今はちょっとしたことでもよく笑う。
「私ねー、今すっごく楽しい。すっごく楽しいの」
笑っているはずなのに、どこか寂し気に感じた。時折みせる寂し気な表情を見ると胸の奥がぎゅっと締め付けられるようだった。いつもより空に近づいた屋上で、果てしなく続く青さを見つめた。
今の気持ちを表すとなんだろう。
清々しくて、心地よい。いつも感じる風が、心地よくて仕方がない。
口には出さずに心の中で密かに思った。
これが、幸せだろうか。