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凜が行きたいと言っていた場所は映えスポットと呼ばれるであろうお洒落なカフェだった。
並ぶことなく席に案内された。ピンクが基調とされた店内はポップな印象だ。辺りを見渡すと、お客さんは学校帰りの女子高校性が多い。ほとんどが女子だ。かろうじてカップルできている男性もいて内心ホッとした。装飾もすべてが可愛すぎる内装に、男の俺は居心地が悪く感じてしまう。そんなこと言えるはずもないので、居心地の悪さを胸にしまい込んだ。
「わあー! お店の中かわいいー!」
げんなりした気持ちは一瞬で消えた。目の前で口角を上げて微笑む凜の姿があったからだ。この笑顔のためなら地獄にでも行けるかもしれない。そう思わせるほど破壊力抜群の笑顔なのだ。
「放課後に寄り道するの夢だったんだー」
「ゆ、夢って……。友達と来たりしなかったのか?」
「最近なんだ。……火曜日と木曜日に自由な時間ができたのは。それまでは、毎日直帰しなきゃいけなかったから。友達なんていなかったよ」
凜に友達がいないことは知っていた。自ら人を遠ざけていると思っていたが、伏し目がちに話す弱々しい声からは、友達がいなかったのは切望してのことではなかったらしい。そう思えた。
「それは心臓に負担をかけないため? 大丈夫なのか? その、こうして寄り道して、身体の方は」
「うん。身体は全く問題ないよ」
へらっと笑った。その表情は無理して笑っているように見えた。
凜と過ごす時間が増えるほど、彼女が感情を押し殺していることに気づく回数が増えた気がする。
「……あ、あのさ!」
「失礼します」
曇った表情の理由を聞こうとした声は、グラスに入ったお水を運んできた店員さんの陽気な声にかき消された。
「どれもおいしそう! ずっと来たかったんだ」
「……凜の好きなもの頼んでいいよ」
「いいの? うーんとね、ショートケーキとモンブランで迷ってたんだ」
弾む声でメニュー表を見ている姿を見て、さっきの話はぶり返さない方がいいかなと思った。
メニュー表を覗くと、色鮮やかなケーキの写真が目に入る。想像以上にポップな見た目のケーキだったので、自分の目を疑って何度も瞬きをした。
色がついたケーキなんて添加物まみれではないのか? その場の空気を悪くさせる言葉が喉まで出かかって、なんとか制止させた。店内には笑顔と笑い声が溢れている。お客さんの反応の良さがきっと答えだ。
運ばれてきたケーキはメニュー表の写真通りの可愛さと派手さだった。ピンクのクリームのショートケーキには、ピンクのマカロンが載せられていた。モンブランはパステルカラーが四色積み重ねられている。もはや、俺の知っているモンブランではない。
「かわいいー! かわいすぎるよー!」
「か……」
目の前の色鮮やかで可愛いケーキより、目を輝かせてはしゃぐ凜の方が可愛いと思った。思ったまま「かわいい」と言おうとして、その言葉を飲み込んだ。まるでデートみたいと思っていたが、これはデートではない。凜をキュンとさせてしまったら、終了してしまう関係なのだから。叶わない恋ならば、出来るだけこの関係を長続きさせたい。そう思ったから、褒め言葉を呑み込んだ。
「か?」
「か…、蚊がいた……」
「蚊も、このおいしそうな匂いに釣られてきたんだね。きっと」
なんだ。天使か。
天使のような優しい発言に驚いて面食らってしまった。今まで出会った女は、虫の存在を嫌がる人ばかりだった。一般的にはそれが普通だ。蚊を嫌がらずに受け入れる凜の言葉が印象的で、心が奪われてしまうのは仕方がないことだった。
「写真、撮ってやろうか?」
あちこちからシャッター音が鳴っている。周りを見ると映えるケーキを撮ったり、店内の映えスポットであろう一段と派手に装飾された場所でポーズを決めて写真を撮っている。納得いく写真を撮るのは大変なのだろう。連写の音が激しく鳴り響いていた。
「んー。初めて来たし、記念に撮ってもらおうかな」
写真映えするケーキと共に凜にスマホのカメラを向けた。にっこりとよそ行きスマイルを浮かべる凜は、まるでモデルのように美しかった。シャッター音の後に画面を見ると、雑誌に掲載されてもおかしくない写真が撮れていた。被写体が良いと1回で盛れる写真を撮れてしまうんだな。鳴り響く連写のシャッター音を聞きながら、皮肉にもそう思った。
「見せてー」
「上手く撮れたよ」
「本当だー。すっごくおいしそうに撮れたね。ケーキ」
自分の写りなんて気にせず、ケーキが美味しそうに撮れたことに喜んでいる。
「待ち受けにしよっかな」
「えー。いいよ?」
ボソッと呟いた声を拾われた。恥ずかしいと拒否されると思ったが、賛成してくれて驚いた。
「よっぽど気に入ったんだね。ここのケーキ」
違う。凜が可愛いからだよ。
なんて、甘い台詞が浮かんだが、似合わない言葉を口に出すことはなかった。
写真映えさせるために見た目だけのケーキかと思っていたが、口に運ぶとスポンジはふわふわ。クリームは甘いけど、くどすぎない甘さで男の俺でもおいしいと素直に思った。
「んー。おいしいー!」
目をぎゅっと瞑っておいしさを噛み締めるような表情が微笑ましい。おいしさを表情や言葉で表す凜がかわいくて仕方ない。
「前から思ってたけど、けっこう厳しい系? 凜の親って」
眉が一瞬ぴくっと動いたのが見えた。表情がみるみる曇っていく。
「あ、ごめん。言いたくないならいいからさ」
「厳しいというか……。なんというか……」
「火曜日と木曜日があるなら充分だろ。凜が恋人と行きたいところいくか」
「本当?」
「ああ。時間は少ないけど、こうして来たかったカフェにも来られたし」
「やったー!」
人懐っこい笑みを浮かべて喜ぶ彼女の表情に、胸の奥があたたかくなるのを感じた。
「ねえ、さっくんの将来の夢ってなーに?」
唐突な質問だった。興味津々とでも言うように目には光が灯っている。
「将来の夢? そんな大それた夢はないけど。そうだなー。大金持ちにならなくていいから、そこそこの会社に入って、結婚して。子供は好きだから3人欲しいな。男の子だったらキャッチボール。女の子だったら、パパと結婚するって言われたい。ありきたりな夢だよな。普通だろ? 俺の夢は」
「……」
俺は普通でいい。夢のない男とガッカリされるだろうか。その未来に凜がいてくれたらどんなに幸せだろうと、頭に妄想劇場が開幕した。幸せな映像が映し出されて、顔が緩んでいく。
「凜は? 凜の将来の夢は?」
「私? 私の将来……」
言葉を止めた凜はいつになく強張った表情だった。目に灯っていた光も消えていた。勝手に妄想していたことがバレたのかと不安がよぎる。
いや、さすがに頭の中を見られるわけがない。もしかして体調が悪いのだろうか。
「凜、どうした? 発作が起きそうとか?」
「え、」
不安が押し寄せてきて、思わず中腰で前のめりになっていた。心配になるほど、凜の表情に違和感を覚えたんだ。
「大丈夫だよ。ごめん。ぼーっとしてた」
ぎこちなく笑う彼女に違和感を覚えた。だけど、違和感の正体を探る前に終わりの時間が迫っていた。
ブーブー……。
終わりの時間を知らせるアラームのバイブレーションが鳴る。
門限に遅れないようにセットしているアラームの音だ。
その音をきっかけに、話が終わってしまった。凛は帰る支度をはじめている。