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 俺は学校一の美少女と、きゅんとしない恋とやらをすることになった。

「きゅんとしない恋なら、してもいいですよ」
 そんな彼女の言葉に対して「……好きになられないように頑張るから、俺ときゅんとしない恋してください」思わず言ってしまったけど、この現状を呑み込めないでいる。

 そもそも、きゅんとしない恋ってなんだ? 何度も自分に問いかけてはみたが、答えは出ない。冷静に考えると訳が分からない。彼女の言っていることは目茶苦茶だ。

 分からないけど、それでも君と繋がりが出来るなら……それでいいと思ってしまったんだよな。
 俺は返事を間違えたのだろうか。

 考えても答えが出ない問いに、自分の机に突っ伏していた。
 がやがやと雑談で賑わう教室。俺だけ眉間にしわを寄せて、ひたすら悩んでいた。

 いや、待てよ。これは、漫画やドラマでよくある設定の「恋人ごっこ」や「彼氏のふり」的なことだよな。
 漫画やドラマでは、恋人ごっこから、本気で恋に落ちるのがありがちだ。
 この流れで行くと……学校一の美少女と本当に付き合えるのも遠くないな。
 頭の中で妄想はふくらみ、自然と鼻の下が伸びてくる。
 
 頭の中ではプラス思考の妄想を繰り広げながら、笑い声に包まれる教室をぼーっと眺めていた。いつもと同じ景色のはずなのに、輝いて見えるのは何故だろう。

「お、おい! 咲弥……さっきは、女神がお前を呼んでたのは何の用事だったんだ? なんだよ! 何一人で笑ってんだよ」
「俺、笑ってる?」
「ニヤニヤしていて、一段ときもいよ」

 どうやら俺は一人でにやけていたらしい。原因は分かってる。
 みんなが羨む美女の白雪凛と秘密の関係になったのだから、顔が緩むのは仕方ない。

「おいー! なにがあったんだよ。俺の女神と」

 大地は悔しそうに顔をしかめて俺の肩を揺さぶる。物凄い力で肩を揺さぶられようとも、頭がぐわんぐわんと振り子のように揺らされようとも、心は全く揺らがない。嬉しいことがあるとこんなに微動だにせず冷静を保てることを初めて知った。
 
 

「あー、いました。咲弥くん!」

 聞き覚えのある透き通るような声が教室に響き渡る。
 気づくと俺の目の前にいる凜に、クラスメイトの視線が一気に集中する。中には痛いほど鋭い視線も感じる。きっと男子だろう。

「お、お弁当を一緒に食べませんか?……あ、緊張して、嚙んじゃった」

 顔を少し赤面させて、顔を俯かせた。「可愛い」この言葉以外の感想が出てこなかった。
 凛に集中している視線の持ち主は、皆もれなく同じ感想だろう。頬をかすかに赤く染めた男子までいる。

 クラスメイトの好奇な視線が突き刺さるので、場所を変えた。
 澄んだ空気に触れたくて木の葉が揺れる下。中庭のベンチで食べることにした。春風は心地よく肌をなでる。外で食べることにして大正解な気候だ。


「いきなり来るからびっくりした」
「連絡先知らないので、直接きました」
「そ、そうだな。まず、連絡先交換するか」
「はい。しましょう」

 お互いぎこちなく連絡先を交換する。ただ、それだけのことなのに心が温かくなる。これが幸せってやつか。人生初めての彼女が有名な美女とは。人生なにがあるか分からない。日陰の人生を歩んできた俺に初めてライトが当てられているようだ。

「あ、あのさ、俺たちって。その……つ、付き合ってるってことでいいんだよな?」
「え? 付き合ってないですけど」

 驚いたようにきょとんとした顔を向けられる。彼女の答えに俺だって驚いている。笑う訳でもなく、真剣に不思議そうな顔で見つめてくる。

「え、何言ってるんです?」

 言葉を発しない俺に向けて畳み掛けるように向けられた言葉は心に突き刺さる。
 笑わず感情を表に出さない彼女の言葉はナイフのように鋭い。解釈の間違いを指摘されて、羞恥心の念に駆られる。
 
「え、いや、あれじゃねーの? ドラマとか漫画でよくある、恋人ごっことか。仮の恋人ってやつ」
「んー。違いますね」

 淡々の言いのける。否定の言葉は浮かれていた俺の心を打ち砕いた。
 振り返ってみると、確かに「付き合ってください」「恋人ごっこしてください」とも言われていない。完全に浮かれていた。浮かれすぎて自分の都合のいいように解釈していたのかもしれない。
 
「私、恋を知りたいだけです」
「知りたいって……? 今まで恋をしたことないのか?」
「子供の頃から母に『恋をしたら心臓に負担がかかるからダメ』って言われ続けてきたから」
「……」
「告白大魔王の咲弥くんなら、恋を知ってるかなって……」

 期待を込められた眼差しを向けられるが、その期待に応えられそうにない。確かに数々の告白をしてきたが、本気の恋だったかと言われれば、即答することはできない。彼女が欲しいという気持ちが強かっただけなんだ。返事に困る俺に、邪心の欠片も感じない視線を俺に向け続ける。
 
「私、心臓疾患があるせいで、たくさんのことを我慢してきたの。走ることは出来ないから、運動会、球技大会は不参加。去年の修学旅行も……行かなかったの」
「修学旅行も?」
「うん。3泊4日は……なにかあったら危ないって……。お母さんが……」
「そうだったんだ」

 みんなが楽しみにしている運動会。球技大会。学生にとって大イベントの修学旅行。
 俺にとっては参加するのが当たり前な学校行事だが、凜にとっては、難しいことだなんて。なんだかやるせない気持ちになってしまう。寂しげな顔で俯くのでその思いが余計に強くなった。

「出来ないことが多いけど……高校生活が終わる前に、恋を知りたいなーって」
「恋を知りたいって言ってるけど、恋をしたいってことだよな?」
「ううん。恋は出来ないから、知るだけでいいの。恋を見つけることができたら、それだけでいいんだ」

 凜は真剣に言ってのけるので、俺も真剣に考える。
 考えては見たものの、俺は本気の恋をしたことがない。
 恋の正解もわからないのだ。
 
「恋って、どうやってするんですか?」
「えー、えっと。恋はするものじゃなくて、落ちるものって、なんか聞いたことあるけど……」
「落ちる。かあー。どうやったら、落ちるのかなあ」
「そうだなあ。どうやったら……」

 小学生のような会話をしているが、俺たちはれっきとした高校生で大人の一歩手前だ。
 恋の仕方を真剣に話し合っている時点で、小学生にさえ負けているかも知れない。今時の小学生の方が、きっと今の俺たちより進んでいるだろう。

 俺は告白を数えきれないほどしてきたが、成功したことはない。すなわち、恋愛のことは全くの素人だ。俺の恋愛の知識なんて、恋愛ドラマや雑誌の恋愛特集で紹介されているネタだ。凜は恋愛をしたことがない。恋愛初心者の俺たちがいくら議論したところで、答えは出なそうだ。
 
「あのさ、恋したら心臓に負担かかるから、ダメなんだよな?」
「はい……今のところ、全く心が揺さぶられる様子もないので、大丈夫かと」
「それはそれで、俺が傷つくんだけど」

 常人には理解し難い頼み事だった。俺にだって理解出来ない。何言ってんだ、こいつ。と心の中では思っている。拒否できないのは、邪な感情が生まれているから。
 君のことを知りたい。これは言ってはいけない気がして胸の奥にしまった。

「咲弥くんに恋の仕方を教えてもらおうと思ってたんですけど、恋の仕方が分からないなら、一緒に恋を探しに行きませんか?」
「こ、恋を探す?」
「恋が見つかったら終わりです。私の心臓は恋ができないので」

 恋を見つける。正直訳が分からない。そんな都合よく恋だけを知ることが出来るのだろうか。
 ドラマでは泣いたり、悔やんだり、叫んだりしているシーンを見たことがある。起伏が激しくなるのが、恋なよう気がする。しかし、本気の恋をしたことがない俺には、答えが分からない。
 
 無茶苦茶な頼みだと思った。だけど、そんな訳の分からない頼み事を吞み込むくらい、すでに彼女に惹かれてしまっていた。

 
「凜の中で、その恋? とやらが見つかったらどうすんの?」
「恋が見つかったら終わりです。私の心臓は恋が出来ないので……」
「期間限定の恋人ならぬ、恋探しか……」

 凜は瞳に期待を潤ませてじっと見つめてくる。
 その期待に応えたいのは山々だが、すぐに返事ができる話ではなかった。

「やっぱり、無茶苦茶なお願いですよね。言ってることわけわからないですよね……」

 涙を滲ませた綺麗な瞳は俺を捉える。
 そんな可愛い顔で見つめられたら、もう降参だ。彼女の潤んだ瞳には、男という生き物が、全員降参せざるを得ない魅力が溢れている。脳が降参を認識すると同時に口から1つの答えが零れた。
 
「いいよ。恋探しとやらに付き合うよ」
「本当ですか! よろしくお願いします。咲弥くん」

 この選択をしてよかったのだろうか。後悔の念が襲ってきたが、嬉しそうにな凜の笑顔にほだされてしまう。彼女の笑顔を見た瞬間に後悔など即座に消えた。

 
 ふわりとした笑顔を貼り付けて、子供のお弁当にしか見えないサイズ感のお弁当箱を、中庭の木彫りのテーブルの上にコトンと置いた。
 それで足りるのか?と余計な心配をしてしまうほど小ぶりなお弁当箱だ。色鮮やかなおかずが詰めらていて、俺の茶色しかない弁当とは全く違うものだった。

「いただきます」
 両手を合わせて丁寧に挨拶をする。俺の周りには、学校でお弁当を食べるときに律儀に挨拶をする者はいない。みんな談笑しながら流れ作業のように食べ始めるのだ。育ちの良さなのか、凜がとことん真面目なのかはわからないが、目の前で食べ始めた彼女は天使のように可憐な姿だった。

「い、いただきます」
 
 彼女に失望されたくなかった。その一心で柄にもなく手を合わせて挨拶をした。気恥ずかしさから居心地が悪くなる。ちらりと凜に視線を向けると、綺麗な箸使いで見惚れるほどだった。
 
 
 振られ続けて彼女が出来たことがない俺と、恋をしたことがない凛。
 恋愛初心者の俺たちは、お弁当を食べながら今後に向けて作戦会議をした。

 話をして行く中で分かったこと。心臓に負担をかけたくなくても、恋というモノに興味はあるらしい。なんだか女子高生らしい一面が見られてホッとした。

 ただ分かっていること。それは、俺たちは恋人ではない。
 凛をきゅんとさせてはいけない。
 ということは、この恋探しには正式なゴールがないということだ。

 片思いには失恋と得恋の二種類の結果が待っている。でも、この恋は凛がきゅんとしてしまったら、強制終了となる。
 「恋探し」について深く考えれば考えるほど、明るい未来が見えなくて不安を抱いていた。
 
 正直、凜の無茶苦茶なお願いを受け入れたのには下心しかない。
 この関係を続けていくうちに、恋に発展してくれないかと。美少女が目の前にいるのだから、どうしたって期待してしまう。しかし、きゅんとしてしまったら強制終了らしい。
 俺、詰んでるじゃん。
 いくら考えても幸せなハッピーエンドが見えてこない。だって、凜が仮に俺を好きになったら終わってしまうのだから。俺にとっての明るい未来なんて見えるはずがない。
 
「だー! もう、わかんねえ!」

 完全に自分の世界に入っていた。いきなり大きな声を出したもんだから、お弁当を一生懸命食べていた凜はびくっと身体を震わせた。

「あのさ、なんで俺なの?」
「咲弥くんには、全くきゅんとしなかったからです」

 きっぱりと言われた言葉はぐさりと心に刺さる。何を期待していたのだろう。
 最初から凜は俺に興味がないと言っていた。凜がお願いをすれば喜んで受け入れる男はたくさんいるだろう。その中で俺を選んでくれたのだから、どうしても期待してしまった。

「あ、あとは……咲弥くん、優しいからお願いきいてくれるかなって」
「凜のお願いなら、大抵の男は尻尾振って聞くと思うけど?」
「死ぬかもしれない女でもですか?」

 いつもより低いトーンで零した言葉はやけに耳に残る。浮かれていた俺に現実を突きつけるようだった。
 そうだ。凜は心臓に疾患を抱えているのだ。

「私は他の人より「死」に近い」
「……」
「だって、きゅんとしたら、死ぬかも知れないって言ってる女の子とデートできる男いますか?」
「いるよ! ここに」

 度胸なんて人一倍ない癖に胸を張って言い切った。本当はそんな度胸は持ち合わせていない。だけど、視線を逸らして俯いた彼女に、気づいたらそう答えていた。


「私、火曜日と木曜日は、門限が少し遅いんです。いつもなら家にすぐ帰らないといけないから。……ただ、高校生活が終わってしまう前に、みんながしてる居残りをしてみたいんです」
「居残りを望んでしてみたいなんて……変わってるな」
「あの……今日学校に居残りしたいんですけど。居残りするには誰に許可を取ればいいんですか?」
「許可? 誰にも許可なんていらないから。まだ帰りたくない奴らが勝手に残ってるだけだよ?」
「そうなんですか。居残りってしたことなくて……。居残り初心者なのでわかりませんでした」
「ふっ、居残り初心者ってなんだよ。初めて聞いた」

 真剣な顔で言うので、どうやら真面目に言っているようだ。こんな突拍子もないことをいうとは思わなくて笑いのツボに入った。白雪凛は不思議な子。笑わない子という噂を聞いていたが、度を越えて天然のように感じる。

「ははっ。笑ってごめん。で? 居残り初心者は、なにが目的で居残りしたいの?」
「……勉強したいんです」
「居残りして勉強って真面目かよ。勉強なら、図書室とか涼しくて集中できるんじゃないか?」
「図書室! 放課後に居残りして図書室! いいですね」
 
 声を弾ませ、口角をあげて満足そうに微笑んでいる。

「提案しただけで、そんなに喜んでもらえてよかったよ」
「放課後の居残りに慣れてなくて……図書室で勉強するという案が出てこなかったです」
「くくっ。それならよかった」

 嬉々とした様子で話し始める。無邪気な子供みたいで可愛いという感想しか出てこなかった。
 白雪凜の容姿は群を抜いて美人だった。しかし、学校を休みがちなことと、特定の友達も作らないようで、少し浮いてた。高嶺の花過ぎて、誰も近づけないのだと思っていた。他の奴は白雪凛がこんなに素直で可愛い性格だと知っているのだろうか。他の誰にも知られたくない。独占欲が心の奥の方からこっそり顔を出した。
 
「えーっと、俺も今日……図書室で居残り勉強しようかな」
「いいですね。一緒にやりましょう!」
「ところで、同級生なんだから敬語やめようよ」
「あ、同級生と話すのあんまり慣れてなくて……つい」
「じゃあ、今から敬語禁止令を発令します」
「わかったよ。……さっくん!」

 唐突にあだ名で呼ばれて、心臓がドクンと跳ねた。敬語は辞めようとは言ったが、まさかあだ名で呼ばれるとは思っていなかった。距離感の詰め方が極端で戸惑う。女子に「さっくん」と呼ばれたことなど人生で初めてな俺は身体の熱が顔に集中するように熱くなった。耳まで真っ赤に染まっていたかもしれない。